知らない世界へ帰りたい(日本探求)

自分の祖先はどんなことを考えていたのか・・・日本人の来し方、行く末を読み解く試み(本棚10)。

「二十二歳の自分への手紙~司馬遼太郎~」

2014年08月02日 18時27分06秒 | 歴史
2014年7月26日放映、NHK

番組紹介
「日本人は何を目指してきたのか」~2014年度「知の巨人たち」
第4回 二十二歳の自分への手紙~司馬遼太郎~

 戦後、日本人に最も愛された歴史小説家、司馬遼太郎。その作品を、“22歳の自分への手紙”と述懐した司馬は、学徒出陣し、22歳で戦車兵として敗戦を迎えた。
“どうして日本人はこんなに馬鹿になったんだろう”―
 8月15日に抱いた関心が原点となり、司馬は、幕末から明治の国民国家の歴史をたどっていく。しかし、ノモンハン事件について多くの聞き取り調査を行いながら、昭和の戦争を書くことなく、この世を去った。
 なぜかー。生前のインタビューや半藤一利さんや編集者たちの証言などから探っていく。さらに、古代史研究者の上田正昭さんや在日の友人・姜在彦さんらの証言からは、司馬の、アジア共生への思いが浮かび上がる。
 「日本人とは何か」を問い続けた司馬の思索を、戦争体験、アジアの視点からたどる。


 一言でまとめると「昭和を書けなかった司馬」という内容でした。

 近代日本の成り立ちを知りたくて取材を重ね小説にしてきた司馬。
 「龍馬がゆく」「坂の上の雲」が代表作です。
 日本は日露戦争を契機にアジアへ進出し、植民地化、戦争へと突き進んでいきます。
 現地の軍部が暴走し、それを本部が追認し、政府も追認するという、収拾のつかないシステムの中でとうとう太平洋戦争まで起こし敗北を迎えました(何となく今の中国と似ていて危機感を感じざるを得ません)。

 昭和という時代を書こうとノモンハン事件を中心に取材をしてきた司馬は「龍馬がゆく」の坂本龍馬、「坂の上の雲」の秋山好古、秋山真之の兄弟と正岡子規のような「主人公となるべき日本人がいない」という壁にぶつかり、とうとうそれを越えられませんでした。
 つまり、ずるずると戦争の深みにはまることを止めようとした人物がいなかった、ということです。
 
 その忸怩たる思いをぶつけたのが「21世紀に生きる君たちへ」です。

 世界の中で日本人として生き抜くには「アジア人」たれ。
 優しさや思いやりは訓練して得られるもの、本能ではない。

 
 ~ということが書かれているそうです。

 隣町の栃木県佐野市植野小学校が出てきて驚かされました。
 その校庭には大きな鈴掛の木(=プラタナス)があり、巨樹フリークの私は訪ねて写真を撮ったことがあります。
 今から70年前、鈴掛の木陰で司馬が休憩の際にタバコをくゆらせていたそうです。



 それから、歴史学者の上田正昭氏も登場し、こちらも驚きました。 
 生前の司馬と親交があったとのこと。

 いろんなところで不思議な繋がりがあるものですね。

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