知らない世界へ帰りたい(日本探求)

自分の祖先はどんなことを考えていたのか・・・日本人の来し方、行く末を読み解く試み(本棚10)。

藤原定家と後鳥羽上皇 〜百人一首の背景〜

2022年08月24日 18時00分29秒 | 古典文学
百人一首・・・昔から気にはなっていたけれど、手を出さずにいたら、
いつの間にかアラ還になってました。

しかし近年、映画「ちはやふる」を観て俄然、興味が湧きました。
競技カルタにかける青春もキラキラと眩しく輝いているのですが、
私の興味は歌の内容です。

そんな折、NHK-BSで特集番組が放映され、録画しておきました。
視聴する時間がなかなかなくて、2年後に観ることになりました;

▢ 英雄たちの選択 正月スペシャル「百人一首〜藤原定家 三十一文字の革命

百人一首の成り立ちを、
貴族社会から武家社会へ変遷する時代背景を解説しながら、
編纂者の藤原定家と後鳥羽上皇の人間関係に焦点を当てた番組内容です。

番組はドラマと並行して話が進んでいきます。
ふつう、このスタンスってドラマが邪魔になることが多いのですが、
今回のドラマは秀逸で、思わず魅入ってしまいました。

和歌好きの若き貴公子、後鳥羽天皇。
後鳥羽天皇は壇ノ浦の戦いで海に沈んだ安徳天皇の後を継いだ天皇です。
一緒に草薙剣も沈んでしまったため、
「三種の神器を持たない天皇は正統な天皇ではない」
と世間では揶揄され、常日頃悔しい思いをし、
いつか皆が認めるような大仕事をしたいと望んでいました。

後鳥羽天皇と定家が出会った最初の頃、二人は和歌を楽しんで盛り上がります。
天皇は「新古今和歌集」の編纂を定家に依頼しました。
この大仕事は、自分が歴代の天皇と並ぶ正当な存在であることを証明する役割もあったのです。

しかし時代が許しません。
時は12世紀末〜13世紀初頭、
混乱の世の中から日本初の武家政権である鎌倉幕府が生まれるタイミング。

後鳥羽天皇は権力を失い、
上皇として一旦は政治の舞台から退きます。

しかし鎌倉幕府が内紛に明け暮れているのを京都で見ていて、
権力を取り返す機会を虎視眈々と狙うようになりました。

その間、定家との関係は徐々に悪化しました。
“和歌好き”だけでは仲良しを続けられるよう世の中ではありません。
和歌道に頑固に突き進む定家、
一方の上皇は権力・政治の視点から和歌を利用するようになり、
二人のベクトルが別の方向を向くようになっていきました。

上皇が一念発起して起こした「承久の乱」は上皇側が敗北し、
このとき、日本は純粋な天皇制から武士政権へ変換したのです。

上皇は隠岐に流され、都に帰ることなく60歳の生涯を閉じました。
ケンカ別れしてもお互いに尊敬し合っていた定家もその後を追うように80歳の長寿を全うしました。

定家は天皇から支持して編纂する勅撰和歌集(新古今和歌集)の他に、
王朝文化を後世に残そうと、
過去500年にわたる著明な歌人の作品から100首を選ぶという作業を細々と続けていました。
名付けて「百人一首」。

過去500年?

現代文学に500年間の作品をセレクトしたセットがあるでしょうか。
「◯◯文学全集」という名のモノはいくつもありますが、
長大な全集で全部読み終わるには何年もかかりそうです。

王朝文化が花開いた500年の記録・・・
しかし歌い手は貴族に限定されず、女房や僧侶も入っています。

そして99首目が切っても切れぬ縁の後鳥羽上皇(後鳥羽院)の歌。

「人もをし 人も恨めし あぢきなく
世を思ふ故に もの思ふ身は」

「人間がいとおしくも、また人間が恨めしくも思われる。
つまらない世の中だと思うために、悩んでしまうこの私には。」

ん、番組での解説とちょっとニュアンスが違いますね。

「人が愛しくも思われ、また恨めしく思われたりするのは、
(歎かわしいことではあるが) それと言うのも、この世をつまらなく思う、もの思いをする自分にあるのだなぁ。」

う〜ん、これもピンとこないなあ。
番組を見返してみました;

「人を愛おしくも思い、人を恨めしくも思う、
つまらないこの世なら、だったら、精一杯生きてやる」

この現代語訳は厭世観に終始するのではなく、決意を持って生きていく意思表示をしていると読み込んでいます。
後鳥羽上皇の強い気持ちと選者の定家の思いが、
凄味を持ってこめられていると感じました。



名刀「膝丸」

2022年08月24日 10時54分26秒 | 日本の美
近年は“刀剣ブーム”なんだそうな。
意外にもそのコアなファン達は、男性ではなく女性達。
アニメやゲームをきっかけにファンになり、
全国の名刀を見歩いているとのこと。

そんな平和な時代になったのですね。

刀についてあまり真面目に考えたことがなかったので、
録画してあった番組を見てみました。

名品の来歴「幻の刀“膝丸”が語る1000年」(NHK-BS 2021.11.23再放送)
DVDも販売されています)

まず興味深かったのは、鎌倉時代以前と以後では刀の形が違うこと。
初めて知りました。

その理由は「戦いの形」。
馬上戦か、地上戦かにより、刀の長さや形が異なるのです。

馬上戦では馬に刀が当たると刺激になり暴れてしまうので、
後方に反った形を中央でぶら下げる感じ。
刀を腰につけることを「太刀をはく」と呼んだそうです。
この付け方では刃は下向きです。
相手との距離が近くないので、長さは長め。

そして地上戦が中心になった江戸時代になると、
刀は直線に近くなり腰から帯にかけてぶら下げるようになりました。
刃は上向きです。
刀身は直線的になり、長さは70cm程度。
江戸時代は戦いのない平和な時代だったので、
「刃文」は波打ち、華やかさが追求されるようになりました。

そして“膝丸”です。
膝丸は馬上戦の時代に属するので、刃渡り87cm、
弓なりに反った形が美しく見えます。

約1000年前、10世紀に“膝丸”は造られました。
源平合戦がはじまる前の時代です。

造らせたのは源満仲という、関西にいた源氏の祖先となる豪族。
他にも名刀をいくつも造らせたという伝説が残っています。
刀工の名前は残っていません。
刀の持ち手部分に銘があり「◯忠」と読めますが、詳細は分からないようです。

それをひっさげて朝廷(天皇)の言うことを聞かない豪族達を滅多斬りにし、
朝廷の信頼を得て地位を固めていきました。

膝丸は満仲の子息である頼光が受け継ぎ、
その後も源氏が受け継ぎ、義経も頼朝も使いました。
画面の資料で確認できた源氏名は、
 満仲→ 頼光→ 頼基→ 頼義→ 義家→ 為義→ ・・・義経→ 頼朝

しかし地上戦が中心となる時代が到来し、表舞台から姿を消し、
その後は嫁入り道具の一つとして使われたりしていました。

さて、膝丸の正式な名前は“薄緑”というそうです。
膝丸というニックネームの由来は、
頭から振り下ろしたら膝まで達した、という伝説からとか。

昔の刀の切れ味を表現する名称として、
「二つ胴」「三つ胴」という表現があったことを思い出しました。

処刑された罪人を使って、新しい刀の切れ味を試したのです。
死体を3つ重ねて、一番下まで切れれば「三つ胴」、
二つ切れれば「二つ胴」というわけです。

なんだか、すごい話になってきました。

人を殺傷する刀剣も、
時代を経て今は観賞用になりました。

膝丸を造らせた源満仲は、
膝丸をブンブン振り回して力尽くで周囲をねじ伏せていったのです。
つまり“究極のパワハラ”です。

刀剣女子達は、その辺のことをどう考えているのでしょうか、
一度聞いてみたいですね。