知らない世界へ帰りたい(日本探求)

自分の祖先はどんなことを考えていたのか・・・日本人の来し方、行く末を読み解く試み(本棚10)。

「神社とみどり」

2011年01月01日 23時24分45秒 | 神社・神道
神社新報ブックス、神社本庁編、神社本庁発行(昭和58年)

発行元は「神社本庁」とあります。
この存在、ご存じでした?
 http://www.jinjahoncho.or.jp/
私も最近知ったばかりですが、なんと全国の神社を統括する宗教法人です(昔は官庁に所属)。ちなみに栃木県支部もあります。
 http://www.tochigi-jinjacho.or.jp/
そこで神職(神主=宮司、禰宜など)を対象に発行している新聞が「神社新報」であり、その増刊号・単行本が「神社新報ブックス」という位置づけ。

ま、ある意味「専門書」であり、一般人が読むにはマニアックな書物ですね。当然Amazonでは売ってません(笑)。
しかし、神社~鎮守の森~御神木に興味のある私にはとても魅力的な題名であり、ネット・オークションでみつけて即落札&購入しました。

この本の前に植物生態学者の宮脇昭さんによる「鎮守の森」という本を読了しました。
 http://blog.goo.ne.jp/cuckoo-cuckoo5
植物学的に神社にある木々を分析した内容は、日本人の知恵の凝集したものとして大変参考になりました。

では神社という「信仰」の視点から鎮守の森はどう捉えられているのか知りたくなり、この本に辿り着いたのでした。

すると、前半は宮脇さんの本と共通する記述が驚くほど多いことに気づきました。

鎮守の森では、その土地に最も適応した樹木が生育し、安定した生態系が形づくられています。その土地の気候・風土に最も適した原植生が保存されているような森は、種々の公害などに対する抵抗力も強いものがあり、昨日今日に植えた緑とは比べものにならないほど価値があるのです。

そして宗教的意義を記した箇所も興味深い;

神社の古い形は ”森” そのものだったのです。万葉集では ”神社” や ”社” をモリと読んでいます。古い時代には、神社の建物はなく、森が神社そのものでした。鎮守の森というのは神社の付属物ではなく、森が神社そのものであって、社殿の方が後からできたものなのです。時代が下ると、神社そのものであった森は、神社を囲むみどりの環境として残されました。

森にお祭りの時だけ社を建てて神を迎えるという神事は、今でも平城京の春日大社に残っていますね。

日本人が如何に木々を大切にしたか、日本書紀の記載からも窺われます;

出雲の国にやってきたスサノオノミコトが『私の子孫が治めるこの国に ”ウクタカラ”(舟のこと)がないのはよくない』とおっしゃって、ヒゲを抜いてあたりにまき散らすと、これがたちまちにスギになった。また、胸毛を抜いてまき散らすと、今度はヒノキになった。尻の毛はマキになった。眉毛の毛はクスになった。それぞれの木の用途についても定められて ”スギとクスの二つの木はウクタカラを作るのに使いなさい。ヒノキはこれで立派な宮殿を作る材料にしなさい。マキは人々を埋葬するための具としなさい』とおっしゃって、たくさんの樹種を植えるよう命じられました。

・・・そんな神話上のことを信じてどうなるの、と思いきや、最近の考古学の調査によれば弥生時代から古墳時代にかけて使われた木簡の材質はコウヤマキが多いことがわかってきました。
 また、この記述はアマテラス一族が海と舟を使い日本を制覇した、そこから巨木信仰が始まった、という説を支持するものです。

 戦国時代~江戸時代まで鎮守の森は信仰の対象として、また中央の政権からの指示で保護され伐採から逃れてきましたが、明治以降の戦渦に巻き込まれた時代にあっては残念ながら武器の材料として使われ出したのでした。戦後、かろうじて残っていた鎮守の森が再評価されるようになったのは昭和40年代以降です。

識者の座談会での興味深い発言の数々;

ヨーロッパでは森林を破壊することで文化を築いてきました。特に一神教になってからは自然と対立して人間がそれを乗り越えて新しい文明を創造していくという考え方です。ところが日本では、森林を育てることで文化を育ててきた。木を植えながら、水をいただきコメを作ってきた。森林面積も大昔と今とではほとんど違いはない。

同じ植物の愛し方でも西洋人と日本人は違いますね。西洋人はバラとかチューリップとかの花を中心にする。ところが日本人は盆栽などが好きで小さな森を持とうとするような面があります。

鎮守の森の存在感が薄れてきた背景には、日本人の生活基盤の変化があったことを指摘しています;

鎮守の森は稲作文化の中心であり、同族結合の象徴であった。ところが近代になると生活が変わり、考え方が変わって、ヒトの生活と森との関係が希薄になってきた。とくに都会では別もののように分離しているように見えてしまう。

最後に「森の造り方」として、鎮守の森という視点から見た木々の特徴と選定の仕方、配置、手入れ方にも詳細に言及しています;

針葉樹の特徴
スギ・ヒノキ
 数が揃うと圧迫感に近い荘厳味を発揮して迫力有り。欠点は煤煙・砂塵・防風・防火・防音に弱いことで、近年の都市郊外に最も弱く年及びその近郊においては将来性は望むべくもない。類するものにサワラ、ヒバ、アスナロなどがあり、カヤ、イチイ、ツガは以上の被害に対してやや強い。
マツ
 クロマツの樹幹は剛健、樹冠や樹姿は変化があって男性的、アカマツは繊細で雅致に過ぎるきらい有り。神社林苑として好ましくはなく、都市公害はじめその他の被害に弱いのが欠点。特に近年はマツクイムシの被害が目立つ。類するものにヒメコマツ、ゴヨウマツ、エゾマツ等がある。
幅広の針葉樹】(ナギ、イヌマキ、ラカンマキ、コウヤマキ
 公害には針葉樹より強く広葉樹に準じる。よく繁茂して森に深みを与える。
カラマツ
 落葉針葉樹で、その性質は落葉広葉樹に準じる。

常緑広葉樹の特徴
カシ・シイ・クス
 樹冠は曲線的でまるくおだやかで軟らか味を持つものが多く、枝張りは変化に富んで雄大に生長し、針葉樹が端厳であるのに対して鬱蒼とした森の深み、厚み、濃さを表わし、風致的に森に雅味を加える。排ガス、煤煙、防風、防音、砂塵、防潮によく耐え、抵抗力が強い。しかし寒地においては成育が難しいのが欠点。
モチ・サカキ・ツバキ・サンゴジュ
 森の中層中堅木を形成する。性質は前項と同じ。
イヌツゲ・ヒサカキ・アオキ・アセビ
 森の下層下木を形成する。公害その他の被害に強い抵抗力がある。

落葉広葉樹の特徴
ケヤキ・エノキ・ムク】【ナラ・クヌギ・ソロ・トチ
 上層林を形成し、林況の変化、すなわち林苑の階調、風致の転換に効果有り。寒地においては郷土木として主体であり境内林として差し支えない。排気ガス、煤煙の被害は比較的少ないが、風、音、砂塵、潮などに対する防衛には効果がない。
サクラ・ウメ・モミジ
 林内・林縁に転々と混在することは風情があってよい。
ハゼ・ヌルデ・ネムノキ・カマツカ
 林内の中層木として混成するのが妙味。
ヤマブキ・ハビ・ウメモドキ・ムラサキシキブ・ニシキギ
 森の下木として風情があるばかりでなく、これらの木の実は野鳥の好むもので、小鳥を森に誘致するに必要なエサを供給するものとして欠かさぬ事が必要。

混交林と単純林

1.混交林の効果
① 林苑景観の印象の強化・風致の増進
② 陽光の分配
③ 地力の維持
④ 天然下種(実生)の促進
⑤ 林層の保続
⑥ 各種の被害に対し抵抗力が強大になり、被害にあっても目立たない。

2.単純林の弊害
 多くの樹種入り交じっての混交林に対し、スギばかり、ヒノキばかり又はマツばかりというような1種類のみの森を単純林と呼ぶ。地方の神社によくある例で、このような森は最低の林苑である。その理由は;
① 風致が単調
② 風害に弱い ・・・台風にあって一斉に将棋倒しになり、丸坊主になったという例がしばしばある。
③ 病虫害の被害顕著 ・・・ことにマツの場合、マツクイムシなどの蔓延のために全林一斉の被害を受けやすい。

・・・この本もいろいろ勉強になりました。日本人が木々を大切にする民族であることをさらに確信できました。
 私の今までの「鎮守の森巡り」(http://www.takei-c.com/cn32/pg224.html)は御神木中心で、森全体には目が向いていませんでした。後から思い出すと、確かに多様な木々がある森は風が吹き抜けるスギだけの林より神様の居心地が良さそうでしたね。
 平成になって建て替えられた某神社を訪れたとき、妙な違和感を感じたことがあります。鎮守の森が伐採されて皆無の上、祠はコンクリートの土台に立つという有様で、そこに安らぎの空間を感じられません。暑い夏だったので、神様が熱中症にならないか心配になりました。
 これからは林層も鑑賞対象に入れたいと思います。でも、その前にこの本に出てきた樹木を覚える必要がありますね。ちょっとハードルが高い(苦笑)。