知らない世界へ帰りたい(日本探求)

自分の祖先はどんなことを考えていたのか・・・日本人の来し方、行く末を読み解く試み(本棚10)。

「日本の神様」

2010年06月13日 20時04分54秒 | 神社・神道
畑中章宏著、理論社(2009年発行)

 これまた、わかりやすい題名の本です。
 内容は「神像を見よう」をテーマに大阪弁の親子が掛け合い漫才のように全国各地を訪問し、それにちょっと解説が加わるという構成で、一気に読めてしまいます。

 「仏像」なら馴染みがありますが、「神像」って云われてもイメージが沸きませんよね。
 でも、探せばあるものです。

 しかし、その形は実に様々。
 武将の形、衣冠束帯の形、僧侶に似た形、動物の形・・・はっきり言って節操がない。
 
 それもそのはず、もともと日本の神様に形はありません。
 「八百万の神」と云うが如く、自然が神様なのですから。
 宮崎アニメの「もののけ姫」に出てきた「だいだらぼっち」のように、形はとらえどころがないけど、とにかく大きくて恐いもの、というイメージの方が近いと思います。

 それが仏教伝来と共に、仏様は形があるのに神様には形がないのは何かヘン・・・いっそのこと造ってしまおう、となったかどうかはわかりませんが、その頃から神像も造られるようになりました。
 大きさは仏像より小振りで、30~50cm程度のものが多く、大きくても1~2m止まり。
 素材は「木」。
 なぜって、神様は自然の樹木に宿るという信仰があるから。

 仏像には決まり事があります。
 例えば、弥勒菩薩は未来について考え込んでいるので、思慮深い表情をしているとのこと。
 他の仏像にも一定のルールがあるそうです。

 でも神像には決まり事がありません。
 なので、形は何でもあり。
 というより、神様がその像の形を借りた、あるいは宿ったと考える方が自然かな。

 日本の神様は心が広く、仏教が伝来したとき敵対・排除することなく、それを取り入れてしまいました(神仏習合)。
 「権現様」という言葉がありますが、これは「仏様が神様の姿を借りて現れたもの」。
 わかったようなわからないような・・・そういえば、私が幼少期に住んでいた土地の神社の隣(同じ敷地内)にお寺もあったなあ。
 神様と仏様を無理矢理分けるようになったのは明治時代の「神仏分離」政策であり、けっこう最近なのですね。

 稲荷信仰=キツネ、というイメージがありますが、キツネは神様の使者であり、神そのものではありません。稲荷神の本名(?)は仏教系では茶枳尼天(ダキニテン)と云うそうです。
 同じようなパターンに、春日大社とシカ(奈良公園に無意味ににいるわけではありません!)、熊野三山の八咫烏(ヤタガラス)などがあります。

 ヤタガラスは先日始まったワールドカップ・サッカー、日本代表のシンボルマークになってますね。
 いや、ほんの豆知識です(笑)。