「僕は困ったときにしか振り向いて貰えない辞書のようなものです。用が済んだら本棚に戻されて、普段はその背表紙に目もくれないのです。」
青年はそう云って、ヒロイックな吐息を漏らした。その言葉の中に諦めが見えないことが好ましい、と私は思った。
私は辞書というものの存在が好きだ。革張りの国語辞典の豪華さは知の城のようであり、その全貌は私の眼からは見えない。恐らくこれからを普通に生きたとしたら、その辞書の中にある全ての言語を知ることすらなしに一生を終えるであろう。僅か片手で掴める程度の小さな紙の塊は、そこに詰められた個々の言葉を媒介として広い世界と繋がっている。
見知らぬ文化背景に彩られた種々の言語や、生きることが叶わなかった遥か昔の時代に息づいていた同じ文化に根ざす言語が詰まっている辞書も素晴らしい。私はそれらの言語を操ることはできないけれども、言葉が文化の顕著なる表象だということは揺ぎ無く、各々の言葉の裏には脈々と流れる民族と文化の歴史や交流が垣間見える。
辞書は、それを使うためだけではなく、それが手元にあることが嬉しい。
実際は掴めるはずもない世界の全貌や異国の文化、その象徴を手にするという弱者の喜びでは決してなく、むしろ自分の手に届くところに、自分の手の届かないものがこんなにまだ沢山残されているのだということを実感する悦びだ。
手に届かないものが本当に遠くにあったなら、人はそれに手を伸ばす労力を怠るのが殆どであろう。そしていつまでもそれらが遠くにあり続けたら、きっと手近なところで自分を惑わす様々な日々の世間的な出来事によってそれらの存在は霞み、ついには意識の彼方へと飛んでいってしまうことであろう。
だから、手に届かないものは、いつの日かその近くまで手を伸ばすことが叶うように、自分の近くで常にその存在を明らかにしていてくれるのがよい。
日々その頁を繰ることはないであろうし、一生のうちにその全頁に目を通すかどうかも怪しいものだ。されど人は、生活の中で無意識に辞書を欲する。指針や規範としてだけでなく、何かもっとずっと無条件な憧れのために。
「辞書のようだということは、案外悪いものではないよ。」
品のよい光沢を放つジャケットの背にぽんと手を置き、そうとだけ私は答えた。
青年はそう云って、ヒロイックな吐息を漏らした。その言葉の中に諦めが見えないことが好ましい、と私は思った。
私は辞書というものの存在が好きだ。革張りの国語辞典の豪華さは知の城のようであり、その全貌は私の眼からは見えない。恐らくこれからを普通に生きたとしたら、その辞書の中にある全ての言語を知ることすらなしに一生を終えるであろう。僅か片手で掴める程度の小さな紙の塊は、そこに詰められた個々の言葉を媒介として広い世界と繋がっている。
見知らぬ文化背景に彩られた種々の言語や、生きることが叶わなかった遥か昔の時代に息づいていた同じ文化に根ざす言語が詰まっている辞書も素晴らしい。私はそれらの言語を操ることはできないけれども、言葉が文化の顕著なる表象だということは揺ぎ無く、各々の言葉の裏には脈々と流れる民族と文化の歴史や交流が垣間見える。
辞書は、それを使うためだけではなく、それが手元にあることが嬉しい。
実際は掴めるはずもない世界の全貌や異国の文化、その象徴を手にするという弱者の喜びでは決してなく、むしろ自分の手に届くところに、自分の手の届かないものがこんなにまだ沢山残されているのだということを実感する悦びだ。
手に届かないものが本当に遠くにあったなら、人はそれに手を伸ばす労力を怠るのが殆どであろう。そしていつまでもそれらが遠くにあり続けたら、きっと手近なところで自分を惑わす様々な日々の世間的な出来事によってそれらの存在は霞み、ついには意識の彼方へと飛んでいってしまうことであろう。
だから、手に届かないものは、いつの日かその近くまで手を伸ばすことが叶うように、自分の近くで常にその存在を明らかにしていてくれるのがよい。
日々その頁を繰ることはないであろうし、一生のうちにその全頁に目を通すかどうかも怪しいものだ。されど人は、生活の中で無意識に辞書を欲する。指針や規範としてだけでなく、何かもっとずっと無条件な憧れのために。
「辞書のようだということは、案外悪いものではないよ。」
品のよい光沢を放つジャケットの背にぽんと手を置き、そうとだけ私は答えた。
辞書も、悪くは無いですよね…人の役に立てることは悪ではないし。
他人の分まで背負えることは強さの証明だと思うし、って勝手に納得してます^^;
今日は色々ありがとうございました。話を聞いていただけたことも、アドバイスを頂けたことも、変なことを話せたことも…天然っぽさが露呈しましたが、凄く楽しかったです♪
あと、モノクロ写真っていいですね。こういうの好きです^^
マユさんの文才って本当に凄いな^-^
国会図書館の中で、毎日の様に「誰か」に使われる「広辞苑」よりも、ごくごく稀に奇跡的に「あの人」に使ってもらえる「ヘブライ語辞書」でありたいと思います。
でも、買ってきて、本棚に置いてる事だけは、覚えてて下さい。
せっかく買ったのに、インターネット検索で済ませないで下さい。
背表紙で、必死に存在アピールしますので・・・。
って、思いました。ドMです。ハイ。
愉しい時間を有難う。
携帯のカメラが高性能になったので、たまにスナップ撮って遊んでいます。
手前のタバスコ城(?)の中央にある大瓶の蓋に、小さなタバスコが乗っています。それを、まるで棚に並べられた酒どもと同じ高さに揃えてトリッキー構図にしてみました。みてみて。
「いるだけでなんかよくわからんが安心で満足。」
それが辞書の役割です。
私が思うに、カルマにはまだ別の役割がある。これから。
>pita さま
どこでわかったんだろ。
光沢ジャケットのあたりかしら(笑
まぁ、単なるオマージュ記事なのですけどね。
今度はばれないように書かなくちゃ。私の文力もまだまだですね。
ドM万歳でございます。
我が家には、古語辞典がないのが目下の苦しみです。
たまに自分で歌を詠みたくなったとき、ふと思い出す古典のフレーズや古語があります。
「手元にない」ことで更にうずうずする辞書が一冊くらいあってもよいのかもしれません。
因みに、現在のベッドサイドには「悪魔の辞典」があります。
別に悪魔を網羅してあるわけではありません。(検索してみてください。ある意味において名著です)
NET検索は便利だけれど、ロマンや愛が足りない。
電子辞書は軽いのだけれど、入手するのも厭。
私の手によく馴染んだ紙を繰るぱらぱらとした手触りがよいのです。
>>最初の比喩です☆(青年もヒントになりました)
夏に(短い時間だったけど)、本人と話をしたからかしら?と思います。
場所が違いますが、、、
高野のお話し、とっても好きです。
道中怪我なくお過ごしになられた様子で、安心しました。
誰かが情報を持ってなきゃ他を探す。
そして言われた事がある。
他で解決しちゃった後に電話があって、
その事を伝えた後に「・・・・役立たずだ」と。
そんな意図はなかったんだ。
頼りにしてるから聞く。その存在価値。
辞書は無いと困るんだ。本当に困るもんなんだよ。
はい、今度の旅は無傷だし発熱もありませんでした。
色々なところに動くたびにご心配をお掛けして恐縮です。
素直に書いたら、妙にらしくないカワイラシイ記事となってしまいました。照れちゃうわ。
>yumi
辞書の役割は、即時性(スピード)に尽きるのかもしれませんね。判りたいことがその瞬間に判らないと、どうしても苛々するものです。
それと同じくらいに重要なのが「飾り」という存在価値、存在そのものの機能です。
だから、殆ど使うことなぞなくとも、「ないと困ってしまう」わけなのです。