Sweet Dadaism

無意味で美しいものこそが、日々を彩る糧となる。

夜の稜線。

2008-10-31 | 無双語録
 
「眠るのが怖いと思ったことはない?」
背を向けて横になったままの私の髪をおざなりに撫でながら、男が私に尋ねた。

 「ないわ。」
と答えて男のほうを向くようににごろんと寝返りと打つと、その回答では不親切だよといわんばかりに唇の端をくいと歪めて首を傾げた。私は、無粋だから云いたくなかったのに、と思いながら多少大袈裟に言葉を付け加えた。

 「夜は誰にとっても夜でしょう。気圧も一定で、真っ暗で、湿っていて、凄く暖かい。だから夜の真ん中で眠るのはだいすき。目が覚めて窓の外から明るい陽が差し込んでくると、ときどきはがっかりするくらいにね。」

男はそんな私に対してがっかりした風情をみせた。いい気味だ、とわたしはふたたび寝返りを打ち、男とその輪郭をぼうと浮かび上がらせる弱いライトに背を向けて闇の真ん中に目を泳がせる。男は私にそれ以上の言葉を掛けず、むき出しになった私の背骨を指でゆっくりとなぞりはじめた。

 背骨の稜線に沿った街道を進んで、起伏のある肩甲骨へ。重力に逆らわないと上りきれない岩の壁を苦もなく越えると、肩に繋がる尾根に到達する。尖った肩から腕への稜線はまるでなだらかなトレッキングコースで、海に繋がる指先の入り江だけがごつごつと入り組んでいる。
指は、それらのコースを何往復かするようにゆっくりと流れて、私の輪郭を闇の中から象ろうとする。暗い空間の中に幾重にも引かれたアイボリの線の重なり、その線のあるところが私の輪郭。

 一度でも闇から取り出された私は多分、再びこの夜の闇を優しいとは思えなくなるような気がする。とはいえ、立体としての私のすべてをたかが指先の線によって一晩のうちにこの闇から彫り出すことはきっと不可能だとたかをくくって、私はただなすがままに目を閉じる。

 きっと一足も二足も早く夜が明けて、あるいは男の脳の中を夜の闇が覆い尽くして、闇から私を掘り出す作業は徒労に終わる。ならばと私はふたたび仰向けに寝返りをうって、目に見えない新たな輪郭をそこに提示する。ひと呼吸ののち、私の閉じた瞼の上に、ぼんやりと生暖かい指先が触れた。