Sweet Dadaism

無意味で美しいものこそが、日々を彩る糧となる。

美しき水車屋の娘。

2006-03-30 | 芸術礼賛
 いい年をして何故今頃、という感はあれど、ドイツリートの巨匠フィッシャー・ディスカウ(B)、ジェラルド・ムーア(P)の「美しき水車屋の娘」(シューベルト1797-1828)を大音量で聴いている。

【あらすじ】
(ヴィルヘルム・ミュラー 1794-1824 の詩による)

主人公である若者は、水車屋、つまり一人前の製粉業の親方になる過程として、修行の旅に出る。遥かな野山に歓呼の木魂を聞きながら、胸膨らませて岸辺を下った若者は、やがて小川の導くままにとある水車小屋に辿り着く。そこで美しい娘に出逢って激しい恋に燃え立ち、一時は娘の心を得そうになりながら、恋敵の狩人の出現によって娘の心変わりにあい、若者は傷心を抱いて小川に身を投じる。


・・乱暴に言ってしまえば、『恋に免疫のない若者が娘への恋心によって、自らを取り巻く環境を桃色の霞がかかった目で見て一喜一憂し、遂には反動によるこれまた一方的な傷心から、心の中で勝手に娘を悪者に仕立て上げつつ、静かに死を選ぶ』といった、第三者としてはボーゼンと取り残されてしまいがちなストーリーなのである。

 さて、この歌曲についても、ディスカウについても、数多くの先行研究や評価が既になされており、私の感想はそれを超えるものではあり得ない。
よって、今回は本歌曲を構成する20曲の中から、最も象徴的だと思う詩のセンテンスをそれぞれ抜粋する。それらをただ並べることにより、私にとっての本歌曲の姿・位置付けを明らかにしようという試みだ。


1) さすらい  
  流れは昼も夜も、休みなしに遍歴の旅だけを考えている。

2) どこへ?
  水よ、我が友よ、歌えさざめけ  僕も心愉しくお前についてゆこう。

3) 止まれ!
  僕の親愛なる小川よ、では、これがお目当てだったのか?

4) 小川への感謝
  どうしてこうなったかなんて、どうでもいい。

5) 仕事を終えて
  ああ、僕の腕は何とか弱いのだろう。 誰だって僕とおんなじにできるのだ。

6) ききたがり屋
  ひとつのことだけを僕は知りたい。
  ひとつの言葉は「Yes」というんだ、もうひとつのは「No」というんだ。

7) いらだち
  波よ、水ぐるまを動かす以外に、お前たちには能がないのか?

8) 朝の挨拶
  ブロンドの頭よ、さぁ出ておいで! 出ておいでお前たち、青い朝の星よ!

9) 水車屋の花
  その瞳に似た岸辺の花は、だから僕の花なんだ。

10) 泪の雨
  そして小川の中には、いちめんの空がそっくり沈み込んでいるように見えた。

11) ぼくのもの!
  春よ、お前の花はこれっきりなのか?
  太陽よ、もっと明るい光はないのか?

12) 休息
  なぜ僕はリボンの端をあんなに長く垂らしてしまったのだろう?

13) 緑のリボンで
  惜しいわね、きれいな緑のリボンが壁の上で色褪せてゆくのは。

14) 狩人
  角笛をかしましく吹き鳴らしたりせず、むさくるしい顎の鬚を剃り落としてこい。

15) 嫉妬と誇り
  慎み深い少女だったら、窓から顔を出したりはしないものだ。

16) 好きな色
  芝生の墓に僕を埋めてくれ。
  僕の恋人は緑が大好きなんだ。

17) いやな色
  家の外の森や野原が、あんなに緑色でなかったらいいのに!

18) 萎んだ花
  そのときには、すべての花がいっせいに墓から咲き出すがいい!

19) 水車屋と小川
  ああ、水の底、深い底にはすがすがしい憩いがある。

20) 小川の子守唄
  眠れ、眠れ、世の終わりまで。
  あの高いところに大空が、なんとはるばると広がっていることか!


    
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