Sweet Dadaism

無意味で美しいものこそが、日々を彩る糧となる。

ΕΥΡΗΚΑ (2)

2009-10-06 | 徒然雑記
 更新が大変遅くなりました。
 高熱で臥せったりして心身ともに萎えておりました。

 インフルエンザではありません。流行に乗り遅れております。
 

 さて、前回記事の回答は以下のとおり。

【生まれつき全く耳が聞こえなかった聴覚障害者が、生まれてはじめて音を聞いた瞬間】


これと同様の経験は、なかなかできない。
人は老化や事故などで、身体の色々な機能を失ったり、機能が低下したりする。
だから、今まで持っていた感覚がレベルダウンするという意味でで変容することは多くあるけれど、今まで持っていなかった優れた機能を後になって得るということは多分非常に稀なことだ。

五感はひとの感情や情緒に直結する。言い換えれば、世界と自分の身体とを繋いでいる。閉ざされていたその機能がひとつ花開くことは、自分を取り巻く世界への新しい大きな扉がひとつ開いたことだ。


機械などのツールをもって、世界へのアプローチ方法は日進月歩で増えていく。
遠くまで行ける交通機関でもって、未知の地面に足を届かせることだってできる。
それはすばらしいことだ。
でもそれはすべて、既知の世界への新しい到達のしかたのひとつにすぎない。

わたしは、死ぬまでに一度くらい、新しい扉が開くような瞬間を体感することができるだろうか。





ΕΥΡΗΚΑ

2009-09-15 | 徒然雑記
 



 上に掲載したのは、上司に貰った画像です。

 上司は、海外出張時にある会社に掲示してあったこの画像を見つけて、貰ってきました。



<< Question >>

(1) この男の子の顔は、どんな感情だとおもう?

(2) この男の子は、なんでこんな顔になったとおもう?



■■■みなさまの想像を駆使した回答をお待ちしています■■■



<< Hint >>

○画像のなかの、色がついているところ。

○わたしの思考の順序。

わたしは、ヒントを貰って正解に辿り着いたんだけど、
その正解(確証はなかったけど)を言葉にするのが少しこわかった。

それが正解だとわかって、足元に少しだけぞわと鳥肌が立った。

そして、ようやくそのあとで、
あたしもいつか死ぬまでの間には、それに似ためにあってみたい、と思った。




 

ミントにレモンパイ

2009-09-01 | 春夏秋冬
  もんしろちょうちょと レモンパイ 
  おんなじ匂いと うたってた     (サトウハチロー)



 一面にわさび田がひろがる湧水のほとりに、そこだけまるで冥界みたいにモンシロチョウが群れていた。
彼らはミントがお気に入りで、爽やかなライムグリーンの葉の上にこぢんまりと咲く白い花をケンケンパするように跳び移っていた。緑地に白の斑点がゆらゆらとする景色の端々に、橙色のヒョウモンチョウが少しだけ混じっていた。わたしは両の掌でそれを包むように捕まえては、まあるく膨らませた指と指の間をちょうちょがちょこちょこと潜って出てきては、やれやれという感じで飛び立ってゆくさまを幾度かに分けて愉しんだ。

 レモンとミントの組み合わせだなんて、夏のおわりには少し爽やかすぎるかもしれないくらいに上出来だよ、とわたしはある詩のひと欠けらを思い出して、つぶやいた。
わたしの頭の上を、手のひらよりも大きなカラスアゲハがゆらりゆらりと、細い糸で操られた凧みたいに不自然な弧を描いて、山のほうへ流れていった。

 わさび田を囲むように流れる川を渡った先には水田が広がっていてそこにはちょうちょの影もなく、まだ紅めいていない柿色のアキアカネがひょんひゅんを空を切るようにして飛び交っている。紅くないアカネは敏捷でなかなか羽を休めようとしないから、わたしは彼らを捕まえられない。だからわたしは、そうと望めば自分の指に止まってくれたり、もんしろちょうちょと同じくらいに造作もなく片手で捕まえられる紅いアカネのほうが断然すきだ。


 たくさんのちょうちょが群れをなしているところには、生きるとか死ぬとかいう原始的な力に近いなにかが眠っているような気がする。
そうして、時間が遡っていくか、分かれてしまった時空に迷い込んでいくような気分になる。

 たくさんの蜻蛉が飛び交っているところには、赤外線のように目に見えない透明な糸が次々に張り巡らされて檻が形作られていくような気がする。
繭のような檻のなかではきっと時間が止まるかして、その中にはながい眠りがありそうな気分になる。



 なにかがたくさん飛んでいるところに入り込めば、ふわりと気持ちが昂ぶる。
そこには目に見えないだけで、わたしが生きているのとはまったく別の世界がゆらゆらと漂っているのだきっと。





モロッコに吹く風

2009-08-12 | 異国憧憬
遠からずモロッコに遊びにゆくという友人と話をしていたら、芋づる式にモロッコの空気とか色とかが脳裏をざわざわと横切っていって、こんなに気持ちよく晴れた夏の日に涼しいオフィスで仕事をしているのがばかばかしくなった。

 モロッコの記憶はすべて赤茶けている。カスバは崩れかけたのも、綺麗に補修してあるのも均一な赤茶色で、砂漠の色は石灰岩の薄い黄色とは異なる夕陽のようなオレンジ。空は抜けるように青く澄んでいて、緑もかなり豊かだったはずなのに、記憶の殆どを占めるのは粉っぽい質感で太陽と一体になるような赤茶。
それを補足して鮮やかさを増すのが、水売りが腰から下げるコップの色であり、夜のジャマエルフナ広場を彩る煌めく金色だ。都会のネオンやゴールドのような金では決してなく、真鍮のような鈍くて硬い光を反射するずっしりとした色。それを叩けば重たくて物哀しい音が聞こえてきそうな、それに触れたらうっかり涙が流れてきそうな、遠くて古臭い金色。

風が強い日に、髪がぐちゃぐちゃになるのが厭で、ベルベルの血を引くらしいアラブとは異なる顔の骨格をした道端の男性から一枚の布を買った。オレンジ色の布が欲しかったけれどなかったから、山吹色を基本に緑色が配置されたフリンジつきの布を買って、頭にぐるぐるっと巻いた。今にして思えば、せめてそこに居る間は土地の色を身につけたくていて、フリンジは風に舞う埃とか木々の葉とか、そういうものに似ていたのかもしれない。そういえば、あのときのモロッコはところどころで風がびゅうと音を立てるくらいに強かった。

車を止めて、革靴のまま浅い川をぴちゃぴちゃと渡って、気を抜くとずるりと滑るアイトベンハッドゥの砦を頂上まで登っていく。もともとが小高い丘だったのか、平らなところに日干し煉瓦を一から積み上げたのかはその外観からは判らない。ただ赤く、ずっしりと大きな、それは砦とか家というよりも、山だった。ほんの僅かながら、まだここで暮らす家族が居る。日々の雨や風で、山は少しずつ削られていく。削られていくそばから補修ができるように、山によってできる日影には新しい煉瓦が干されていた。土から生まれた大きな砦はそこに住む家族によって輪郭が維持される。
言い換えれば、彼らがどこかへ立ち去れば、この山はほどなく丘になり、そうして遠からず平らになり、吹き晒される平らな大地の一角に戻っていく。

大地の色の隅っこに流れるちょろちょろとした水と、記憶の端々を彩って振り向かせる金色の煌めき。それらを覆う淡い空の青は強い風に流されてしまって、私の目にはもう見えない。




共鳴、あるいは共振(狂信)

2009-07-28 | 芸術礼賛
 幼いころ、「共鳴」とか「共感」とかいう感情の快楽を初めて知った場所は多分ここだった。
その感情の名前や性質、理由もわからないから、その感情はただ衝撃的で、包み込まれるように優しくて、自分が在ることを赦して貰えるような甘えた思い込みと安心感を、わたしに与えた。その頃、わたしは多分10歳かそこらだった。

大学生も後半になった頃、わたしに「共鳴」という快感と赦しとをくれた画家は、この世から居なくなった。わたしは彼が消えたことに大きな衝撃を受けつつも、彼が死の扉を自らの手で開けたこと自体が当然のなりゆきのように感じた。「私がここまで歩いてくるあいだに、彼の時計はそういう時刻まで進んでいたのだ」とだけ思った。ビニール袋を頭からかぶるという全く演劇性のない方法で、彼はこの世界から、ひいては絵を描くことからバイバイをした。
 
 生前、彼は画家として揺ぎ無い評価を得ていたとは思わないし、死後もその評価はさまざまだ。偶然にも、彼の大ファンとなった人が日本人で、彼の個人美術館を建設し、その大ファンが美術を見せることとはどうあるべきかを知っていた人だったから、子供のころのわたしは正しく彼に触れられた。
美術館の警備員たちはこっそりと赤外線センサーのスイッチを切って、子供のわたしにもっと絵に近づいて見られるように促してくれた。警備員はどの絵が好きかを訊ねてくれ、彼らが好きな絵も教えてくれた。絵の説明は誰もしてくれなかった。その空間でどのように過ごし、どのようにそれが好きかだけでよいのだということをわたしは自然に知った。

 階段のかわりにスロープがあって、展示物と自分を隔てる柵やアクリル板のかわりに赤外線があって、順路が曖昧で、天井から自然光が差し込む美術館。わたしが思う美術館の「理想の環境」は、この館内をうろついていたときの充たされた気持ちを原点としている。美術を本気で好きなひとが作り出したものは、一見すればわかる。聞けば、併設されている「こども美術館」は日本初の試みであったようだ(当時はなかった)。

 死への直球的なベクトルを隠しもせず、冷徹とした視線で生の美しさと生の孤独を描き続けたその作品群に囲まれながら、嬉々として館内をパタパタと駆けていた記憶。死がどこにでもあること、ひとと表現物との間には死というフィルターが漏れなく掛っていてもよいこと、ひとが孤独であってもよいこと、それらをひっくるめても世界はとっても美しいこと、そのすべてが嬉しくてたまらなかった。当時は言葉にならなかった彼の絵に対する愛着の理由は、今となれば言葉にしてはっきりとわかる。

 約20年前、いつ行っても貸切状態だった美術館には今や子供の声が響いていて、ベビーカーを押す人の姿も多い。無邪気であることを気取って館内を駆ける子供たちのひとりと目が合う。にまっと笑った少年の笑顔に昔の自分が重なる。






風のおと

2009-07-10 | 徒然雑記
  とんとんとん、なんのおと? --- 風のおと。
 

 何度目かに「おばけのおと!」と云って、聞いた者はきゃあと逃げ回るという恣意的な遊びがあった。
おばけといっても、トントンと音を立てるくらいだからポルターガイストの類か、つくも神のようなちょっと目立ちたがりのものたちの仕業で、風のせいだと言い切ってしまえなくもないものだ。
風は、それ自体に音があるかというとそういうわけでも多分なく、周囲のなにかとの接触のなかで音がうまれる。目に見えないが身体では確かに感じる風というものは、ほかの自然現象よりも極めて身近なところで「目に見えないいきもの」を連想させる。


 今日は風が強い。係留したままのヨットの船室でごろりと横になり、天井の窓をから流れ込む風と音を聞きながら目を閉じる。ごうごうという音は上空を飛ぶヘリのせいかと思ったら、あまりにもその音は一定で遠ざかることがないから、強い風が船室に流れ込む際の気流の摩擦によるものだとわかった。

 トントントン・・・と扉を叩くように延々と続く音は、マストにロープがぶつかっている音のようだ。耳をこらすと、いま居る船以外からも、リズムも音の高さもまちまちに、似たような音が響いてくる。低い音のゆっくりしたリズムは、より大きな船の太いマストと太いロープのせいだろう。バケツの底を叩くような金属的な軽い音は、ロープの材質や止め具の位置によるものだろうか。同じ風の下で、重なり合うパーカッションが幾重にも重なっていることが徐々にわかってくる。

 音に気をとられていると、目を閉じていること自体を忘れる。そして、時折ぎぎっときしむ音で、船が小さく揺れ続けていることを思い出す。


 長らく、この世界に無数に散らばっている「おと」をこうしてきちんと聴いていなかったような気がする。
それぞれは小さな音にすぎないのに、音のうまれる場所に深くてゆたかな余白が保たれているお蔭で、音はこんなにも鮮やかに折り重なって響いてくる。「おと」は、余白のない場所には生まれ得ないのかもしれないな、と思う。ああ、なんだか眠たくなってきた。





氷が溶けるじかん

2009-06-29 | 春夏秋冬
 まだちょっと気の早い話ではあるが、30度に届くほどの暑さになると、銀座の通りに花氷や氷彫刻が並んだ風景を思い出す。昨年の氷彫刻は干支のモティーフが並んでいたのだが、既に正午を過ぎ、動物の輪郭はタラタラと溶けて角が削げ落ち、かろうじてなにかのいきものらしい丸っこさを留めるのみであった。

 もしも、わたしにいま少し豊かなお金があったなら、かねてからひとつやってみたいことがある。
色とりどりで安っぽくて人の気をそそるおもちゃを詰め込んだ花氷(厳密には花でないので物入り氷と呼ぶようだ)を作ってもらうことだ。高さは1メートルもあればよく、幅は50センチを超えていればいい。
おもちゃたちは、ガチャガチャの中身や、温泉場の射的の景品、あるいは祭りの屋台に売っているようなものたちをイメージしてくれればよい。片手に収まるくらいに小さな、冷静になれば多分それは要らなくて、けれど祭りのような一過性の気分の高揚を記憶として留めるのに適切なアイコンのようなもの。

 それができたら、マンションの1階ロビーや共有スペースに設置してみたい。共有スペースが暑い屋外で、小さな庭のようになっていればなおよい。
時期は夏休みで、マンションの住人や近所の子どもたちは、その氷を眺めたり触ったりして、中に閉じ込められている魅惑的なおもちゃがいつ出てくるだろうかとやきもきするだろう。氷に閉ざされたおもちゃを眺めているうちに、氷ってこんなに透き通っていたっけ、とか、溶けるのこんなに遅かったっけ、なんていつしか氷そのものに向き合うことになるだろう。氷が溶けるまでの手持ち無沙汰なじかんを埋めるように、手で触り続けて一点をえぐるように溶かしてみたり、ぬるっと溶けていく表面を舐めてみたいと思ってみたりするようになるだろう。氷という固体が液体になるまでのじかんの長さは、夏の子どものこころになにかひとつの風景を残してくれるに違いないと思うのだ。

明らかなる結果だけでなく、経過を見つめることに慣れたその目は、その気になればいつまでもなにかを見つめ続ける。最終的に手に入れたおもちゃはとても冷たく、氷の記憶を有している。店先に並んでいるおもちゃと、氷の中から長い時間をかけて出てきたおもちゃは、子どもにとって果たして同義であれるだろうか。

そしてもうひとつ欲張るなら、氷を設置してからその氷がなくなって、中に入っていたおもちゃがすべて子どもたちに持っていかれて、ただびしょびしょに濡れた床を残すだけの状態になるまでの間、固定のカメラをただ静かにぐるぐると回しておきたい。
氷が溶けてゆくじかんに沿うように、子どもたちの心や行動に起こる変化をなにかひとつでも留めることができるだろうか。






夏が流れてきた

2009-06-26 | 春夏秋冬
 大好きな社長が異動で社内から居なくなった。
最後の日、出先から会社に戻らずに直帰した。その日、夕礼に出席しないのがわざとだということも、そしてそれがバイバイなんて聞いてやるものですかというひねくれた私の愛情表現であることも、十中八九伝わってくれるだろうと思っていた。

 すでに「元」社長になった人は、「人事発令の伝達をしたらさ、みるみる顔がひきつって僕のほうを睨んでくるんだよこれが。」と云って笑った。私は事実確認の瞬間に悲しい顔ができるほどは理解力に優れていないし、器用でもない。よっぽど素直な反応じゃないかと自負している。

 「元」社長たちとの会食を終えて自宅に戻る際、タクシーの窓から車内に流れ込む風がいつもと違うことに気付いた。生臭くてじっとりと重い匂いが鼻をつく。ああ今年も隅田川に夏が流れてきた、と思った。
梅雨も明けきらず、木々のみどりもまだまだ重厚感に欠け、夏の虫の声も聞こえない。そんな中途半端な時期のあるひとつの夜になると、こうして夏がひそかにどこからか流れてくる。

 隅田川を渡って裏道に入り、タクシーを降りてもなお、生臭い匂いが膝から下の高さに漂っている。夏はこうしてある一晩のうちにじわじわと私の住む街を覆う。

社長が居なくなって、同時に夏が流れ込んできた。
 夏よりもむしろ冬や春が似合う人だったけれど、今年の夏は一緒に夕涼みをしてみたいと思っている。





刺青がブームに乗るとき

2009-06-16 | 徒然雑記
 毎年、夏がくる前に扇子を一本買うのが私のならいだ。いつもの店に行って扇子を買うついでに、破損した携帯ストラップの代用として上記写真の刺青キューピーを購入した。
帰宅してから調べてみたところ、年末にはネット転売で大騒ぎになった代物のようだ。いかん。完全に乗り遅れた。

こちらは、私にとっては「イケてる扇子屋」という認識でしかなかった浅草の某店のオリジナル商品だ。
なにが特筆すべきかというと、ある意味きわめてばかばかしい商品ながら、(1)開発者がプロ (2)製作者がプロ (3)販売者がプロ というゴールデンな生産・流通ラインを持っていたことだ。
具体的に云うと、(1)は、かつて大ヒットを飛ばしたカードゲーム「UNO」の開発チームに在籍しており、その後は一時のヘアヌードブームを巻き起こした高須基仁氏(※氏個人については色々思うところもあるが、ここでは実績のみに言及)のプロデュースであること、(2)は、デザインを本職の彫り師が担当していること、(3)は、販売元が本物の江戸小物(扇子とか羽子板とか)を長年取り扱っている小さな店舗だったこと。さらに、キューピーデザインの版権許可を得ているという条件設定が、(1)~(3)に基づく商品の“オーセンティシティ”を裏付けている。

売れる商品の種類には、さまざまな要因がある。人間の生理的、感性的なキモチヨサにアプローチする直球かつ斬新な無限シリーズ、スイーツの甘ったるくてファンシーな世界観をリアルな造型で実現することで広く女性の心をくすぐったデコスイーツなどは、近年の廉価なトイの中では大きなブームとなった。
ひどく乱暴に云うなら、これらに共通するのは手頃な価格と小さなサイズ、そして「かわいい」とか「きもちいい」という、人の感情の理屈じゃない部分を刺激したという点か。

 これに比して、刺青キューピーの「かわいい」は決して万人受けするものではない(※むしろ本職の方々がまとめ買いをしに来られるとか)。もしもこれが造型として万人受けするようならば、残念ながら日本は危ういと思う。
しかし、企画から製作・販売にかけてのラインの正当さが、この商品の出自にまっとうな理屈を与えることに成功した。そのため、意表を突いた意匠に対する印象は、デザインの面白味といった造型に対する単純な評価にとどまりきらない。どう見てもキッチュでばかばかしい商品が、何人かの“その道”の本職の手を経た完成度の高いホンモノ志向の商品でもあるというアンビバレントな不安定さが、この商品の根幹にあると考える。

一見してばかばかしく見えるこの商品のヒットに対して、「また若者がおかしなものに飛びついた」という見方をすると、おそらくその本質を見誤る。






23

2009-06-05 | 徒然雑記
23歳のころを思い出してみようとした。
そしたら、かなり断片的にしか思い出せなかった。


5年目の大学生をやっていた。
PCクラッシュとともにぶっ飛んだ卒論を書き直していた。

秘書のバイトをしていた。
親友の傍らでバイト中にする昼寝が、もっとも幸せな睡眠だった。

経済が困窮しはじめてきた。
そのせいで友人とあまり会わなくなった。


わたしには後悔という感情がないらしいから
別にあの頃に戻りたいとは思わない。
けれど、もしも今の記憶を引きずったままであの頃に戻れるなら


国内の辺鄙なところに旅をするだろう。
たくさんの色の空を飽きるほどフィルムで写真に撮るだろう。

記憶に貼りつく気に入った風景のいくつかや
国境や時間を越えて多次元に繋がっている空の記憶が
折々に乾きかける心を慰めてくれることを知っているから

10年を経て確実にわかったことなど、その程度だ。


わたしが23のときのもっとも鮮やかな記憶は
初夏の電信柱に貼りついていた僅か2センチばかりの蟷螂
盛夏とは違う鋭利な日差しに身体ごと透き通って
それはそれはきれいないきものだった


だから

23という年齢は、きみどりいろの響きがして

23という年齢には、すこやかな日差しと夕立が似合う