更新が大変遅くなりました。
高熱で臥せったりして心身ともに萎えておりました。
インフルエンザではありません。流行に乗り遅れております。
さて、前回記事の回答は以下のとおり。
【生まれつき全く耳が聞こえなかった聴覚障害者が、生まれてはじめて音を聞いた瞬間】
これと同様の経験は、なかなかできない。
人は老化や事故などで、身体の色々な機能を失ったり、機能が低下したりする。
だから、今まで持っていた感覚がレベルダウンするという意味でで変容することは多くあるけれど、今まで持っていなかった優れた機能を後になって得るということは多分非常に稀なことだ。
五感はひとの感情や情緒に直結する。言い換えれば、世界と自分の身体とを繋いでいる。閉ざされていたその機能がひとつ花開くことは、自分を取り巻く世界への新しい大きな扉がひとつ開いたことだ。
機械などのツールをもって、世界へのアプローチ方法は日進月歩で増えていく。
遠くまで行ける交通機関でもって、未知の地面に足を届かせることだってできる。
それはすばらしいことだ。
でもそれはすべて、既知の世界への新しい到達のしかたのひとつにすぎない。
わたしは、死ぬまでに一度くらい、新しい扉が開くような瞬間を体感することができるだろうか。
高熱で臥せったりして心身ともに萎えておりました。
インフルエンザではありません。流行に乗り遅れております。
さて、前回記事の回答は以下のとおり。
【生まれつき全く耳が聞こえなかった聴覚障害者が、生まれてはじめて音を聞いた瞬間】
これと同様の経験は、なかなかできない。
人は老化や事故などで、身体の色々な機能を失ったり、機能が低下したりする。
だから、今まで持っていた感覚がレベルダウンするという意味でで変容することは多くあるけれど、今まで持っていなかった優れた機能を後になって得るということは多分非常に稀なことだ。
五感はひとの感情や情緒に直結する。言い換えれば、世界と自分の身体とを繋いでいる。閉ざされていたその機能がひとつ花開くことは、自分を取り巻く世界への新しい大きな扉がひとつ開いたことだ。
機械などのツールをもって、世界へのアプローチ方法は日進月歩で増えていく。
遠くまで行ける交通機関でもって、未知の地面に足を届かせることだってできる。
それはすばらしいことだ。
でもそれはすべて、既知の世界への新しい到達のしかたのひとつにすぎない。
わたしは、死ぬまでに一度くらい、新しい扉が開くような瞬間を体感することができるだろうか。