仕事が暇になってしまったので、今のうちに機械類の整備をしておこう。
そう考えて、出社したはずなんだけれど、
ユーチューブみて、ゲームして、申し訳程度の雑用をして終わってしまうことになった。
梅雨入りしたのかと思うような蒸し暑い日だったからなぁ・・・と自分に言い訳をすることにした。
それに街にいると、あちこちで「なんだこれ。」「どうしてこうなってしまった?」「あ~~ぁ。」
に溢れているんだからおんなじおんなじ、なんて慰めている。
ついついデジタル漂流してしまったわけだけれど、デジタル時代の幕開けと言われて何年が経つんだろう。
いざ情報社会に入れられてみると、ネット社会の主成分は呪いの言葉で、その比率は高まっているかに見える。
メディアでは、悲しい記事や暗い評論や残念な予測が、よりよく売れていく。
武漢コロナ騒動から一年以上が経って、ぼんやりと思うことは・・・
「なんでこんなことしてんの」とか、「なんでこうなっているの」って、本当は誰にもわからないのかもしれないということ。
それでも、正解はどこかにあることになっているし、それでいいとも思う。
科学なんて言ったって、経験則や過去から予測や理屈を付けることで、答えにしているに過ぎないのだから。
科学の歴史を少しかじってみれば、目の前に展開されていくマクロやミクロの世界に、
名前や意味や意義をつけ加えてイメージを作り上げてきたことがわかる。
ただ世界をありのままに見ている、というよりかは創造していると言っていいと思う。
天然の世界とはズレるのも止むを得ないだろう。それでもその中で何かを信じて進んでいくより他ないのかな。