な~んにもない

もう、わけわからんわ。

科学の死角

2021-05-15 16:45:05 | 日記

仕事が暇になってしまったので、今のうちに機械類の整備をしておこう。

そう考えて、出社したはずなんだけれど、

ユーチューブみて、ゲームして、申し訳程度の雑用をして終わってしまうことになった。



梅雨入りしたのかと思うような蒸し暑い日だったからなぁ・・・と自分に言い訳をすることにした。

それに街にいると、あちこちで「なんだこれ。」「どうしてこうなってしまった?」「あ~~ぁ。」

に溢れているんだからおんなじおんなじ、なんて慰めている。



ついついデジタル漂流してしまったわけだけれど、デジタル時代の幕開けと言われて何年が経つんだろう。

いざ情報社会に入れられてみると、ネット社会の主成分は呪いの言葉で、その比率は高まっているかに見える。

メディアでは、悲しい記事や暗い評論や残念な予測が、よりよく売れていく。




武漢コロナ騒動から一年以上が経って、ぼんやりと思うことは・・・
「なんでこんなことしてんの」とか、「なんでこうなっているの」って、本当は誰にもわからないのかもしれないということ。

それでも、正解はどこかにあることになっているし、それでいいとも思う。

科学なんて言ったって、経験則や過去から予測や理屈を付けることで、答えにしているに過ぎないのだから。




科学の歴史を少しかじってみれば、目の前に展開されていくマクロやミクロの世界に、
名前や意味や意義をつけ加えてイメージを作り上げてきたことがわかる。

ただ世界をありのままに見ている、というよりかは創造していると言っていいと思う。

天然の世界とはズレるのも止むを得ないだろう。それでもその中で何かを信じて進んでいくより他ないのかな。

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2021-05-14 07:59:08 | 日記
萎びた花と並んで、今を盛りの花が咲いている。

どちらも晩春の風にただ揺れている。


蛙の大合唱の中をシラサギが散歩をしている。

曇天の空の下、小さな世界同士が陽炎のようにぼんやりと交差している。


どう動いていいかわからない考え続ける私と、光感じるところに向かうしかない動き回る私がいる。

清濁合わさった情報の嵐の中、右を見て左を見て、一緒にピリピリしながら今日も揺れている。




無いよりはマシ程度のマスク神話が、流布され異様な人の波になっている。

きっと更に新しい常識は、もうすぐそこまで来ているのかもしれないなぁ。


片方の手を隠して何か持っている人がいる。

法律を作る人の中に、安全を呼びかける人の中に、健康や命に係わる人の中に。


声が大きくなるのは、その人が根は正直だからなんだろうか。

生贄として勝手に差し出してしまった他人様の生活の嘆きに耐えかねているからだろうか。




世の中や自分自身がどれだけくだらなく成り下がっても、これが過去の問いの答え。

なぜか、いつだって、何時までたっても、今ここからの連続ばかりで、手が届きそうで届かないのが未来。


身体の変化で時間の経過と未来の実態を知るのだけれど、気が付けば誤魔化すことに専念してあれこれ苦心している。

そして、一切合切が踏みにじられるように、突然無情に終わりを迎える。


「なんて、きっと間違っている」と、「科学が人間を幸福にするんだ」という信仰が肩をたたく。

蒸し暑くなっていきそうな雲の向こうのお天道様を、見えるはずも無いのにただ眺めている。
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寝ている時って、私はどこにいるんだろう

2021-05-13 08:42:40 | 日記


昨夜は、あっという間に意識が落ちて、私はいなくなった。

今朝、寝覚めて私自身に気が付くと

中学生の時に、山登りに歩き疲れて眠りに就いた時に似てたなぁ、なんて思った。




ラジオをつけても、テレビに替えても、

報道番組はコロナの戦況報告を断片的に語るとこから始まるのが、新たなスタイルとして定着してきたようだ。

掴みとしてOK、というデータをもとにきっと定着化しているのだろう。




新参者のコロナの大谷翔平級の活躍で、首位の座を奪われたインフルエンザは、どこで眠っているのか息を潜めているのか。

何かのウィルス病が流行すると、譲り合いの精神で複数のウィルス病は起こらないことにでもなっているんだろうか。

報道番組を見聞きしていると、今後は新型コロナの時代となって、インフルエンザは過去のものになってしまうような気もする。




今日も経済活動は始まっている。

日々、約3,000人の人が何らかの理由でなくなっていると聞く。

点いたり消えたりする不確かな意識の中で、大きな流れに身を任せながら、やれることを懸命に探して生きる。

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頭ん中はお花畑

2021-05-12 08:04:46 | 日記


ウィルスは今や、菌ではないのに、一端なばい菌扱い。

ひとは様々な菌と共存しているように、ウィルスとも共存しているのに。

イメージ通りに人体も都市化しようとしているのかもしれない。




病との戦いはいつから始まったのだろうか。

ワクチンが行き渡れば新型コロナで死ぬ人は本当になくなるのか。

ひとつひとつ病を克服して行けば、死ぬことはなくなるのか。




思惑通りに上手くいった先には、どんな社会が待っているんだろう。

独裁者も、嫌いなあいつも、唯一無二な私も死なずにずっといる。

人口が減らないってどういうことだろう。





100・200と年齢を重ねるごとに、生命の維持に消化するエネルギーはどうなるのだろうか。

孫やひ孫に玄孫は一人で何人を働き支えることになるんだろう。

お年玉はいくつまで渡すんだろう。

いや、高齢者も動けるんだから働けばいい。・・・引退しない人が増える。




臓器や手足は代わりが効きそうな気がするけれど、脳はどうなのだろう。

脳を一部だとしても移植できたとすると、意識や記憶はどう変わっていくのだろう。

配合の仕方によっては、バラ色になっているのかなぁ。




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草と一緒に何を刈っているやら

2021-05-11 18:39:16 | 日記
敷地内の手入れとして草を刈る。

こいつらみんな大地に根を張って、光に向かって伸びていってる。

これって人間と同じなんて考え、それでも草を刈る。



管理上必要を感じて草を刈る。

怠っていると小さな食物連鎖社会ができて、小動物の住処と化す。

近隣の迷惑にもなるから草を刈る。




私はこれまで除草剤を使ったことはない。

父は良く除草剤を使っていた。

ある程度の草は殲滅できるようだけれど、
やり方次第で一緒に土もなくなっていくことを知った。




九州の一部が梅雨入りしたらしい。
梅雨を過ぎれば、週一ペースで草を刈っても追いつかない。

爪か髪の毛でも切るように、やっぱり草を刈る。

キリがないことをわかりつつ草を刈る。
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