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小川なおし「昔の話」「ペット」「ペット2」

 事務用棚が手狭になってきたので、事務室奥で放置同然のキャビネットを整理しました。

 ほとんどが文演関係書類でした。

 そのなかに、文演第1期生小川なおしさんの作品集を見つけました。

 8年ほど前、「書き溜めたものです。何かに使えたらどうぞ」みたいな話をされた記憶があります。

 整理の手を休めて久しぶりに原稿を読みました。

 クワタさんにどう? と渡しました。クワタさんは未読でした。

  「松田さん、これはブログに載せてみんなに読んでもらったほうがいいと思います」とご託宣。

 ご本人に再確認なしにピックアップしてみます。


 昔の話   
 

           小川なおし

風                           北風が鼻水を誘う季節になった。クリスマス。お正月。楽しいことが当たり前という日にそうでなかったりすると、暗い穴の底にいるような気がしてくる。気のせいだろうが、そう片づけられない時もあるのが困りものだ。

 アパートの一階に下りて、家主の山崎さん宅に上がり込み、炬燵にあたってお茶を飲む。毎日のことだ。

 「あんた、昔の恋人から連絡はないのね?」

 「ありませんよ。もう何か月も、こっちからも電話も手紙もなんにもしてませんよ」

  「そうね? じゃあ、その人は今しあわせなんじゃろな」

  「そうですかねえ」

 「そうじゃ。女というものは不幸せになると連絡をよこすもんじゃからな」

 力強く言い放つので、吹き出しそうになった。

  「はあ、そうですか」

 山崎さんは、八十歳の時に昔の恋人から電話があったという話をはじめた。

  「二十歳の頃だから、六十年ぶりよ。電話で、私の居場所をいろんな人に訊ねた、と言うのよ。それで、『電話番号を言うから、メモしてくれ』って言うんだけど、横で寝たきりの主人が聞き耳を立てているでしょ。私は『はい、はい』って言って、何も書かずにさっさと電話を切ったのよ。近所の人にその話をしたら、みんな『会えばいいのに』って言うのよ。ロマンチックだって。でも、ちょっと、ねえ」

 山崎さんの次の言葉が出てこない。こちらも、自分だったらどうするだろうかと、すぐには思い浮かばない。

 事情はそれぞれ違うかもしれない。だけど共通点はあるはずだ、と頭を巡らせた。

 これだろうか。ゆっくり切り出してみた。

 「別れることになったのには理由がある。ということですよね」

 「そうなのよ。だから会いたくないのよ」

 一瞬、六十年ぶりに顔を合わせるかつての恋人同士、というのを見てみたいようなきがした。でもそれは余計なことと思いなおし、炬燵の中から手を出してみかんに手を差し伸べた。



 ペット 


                      小川なおし

 

 私は毎日、アパートの家主の山崎さんと二人で夕飯を食べる。夕飯がすむとお茶の時間だ。山崎さんは今後の正月で米寿を迎える。私にとっては祖母にあたる年代だが、一緒に話をしていて楽しい。先日は、珍しい話を聞かせてもらった。

 

 近所に住む専業主婦のSさんは犬好きで有名だった。山崎さんがここ所沢に引っ越してきたのは十年前のことだ。その年の冬、Sさんはいつも半てんを着て、背中を丸く膨らませて歩いていた。孫でもおんぶしているのかと思っていたのだが、他の人と話している時に「あんた、あれは犬だよ」と聞かされた。「へー、犬をねえ」といぶかり、次に会って挨拶をした時に近寄ったところ、耳をピンと伸ばして舌を出しハーハー吐いている犬の姿が見えた。

 

 それから五年。ある日、酒屋の御用聞きがSさんの家に来た。玄関が開いているのに奥さんの姿が見えず、犬の吠える声だけが家中に響き渡っている。これはおかしいと隣の奥さんを呼んで、二人でSさんの家に上がり込んだ。犬の鳴き声はトイレの中から聞こえてくる。トイレの戸を叩くが、犬の鳴き声しかしない。戸をこじ開けると、Sさんは便器の上で前のめりになっていた。すでに息を引きとったあとだった。犬はSさんの背中に結わいつけられたまま、吠え続けていた。

 

 Sさんは脳出血が原因で亡くなったらしい。旦那は仕事に出かけていて、二人の子どもも学校に行っている時間だった。

 

 その後、犬はどこかにもらわれて行った。世話をする人がいないのだから仕方がない。そして、旦那は新しい奥さんをもらった。

 

 山崎さんはここまで話すとため息をついた。私は犬に同情した。

 

  「犬も迷惑でしたな」

 

  「ほんとうにかわいそうよ」

 

  「でも、寂しかったんでしょうな」

 

  「いや、あの人は犬が好きだったのよ」

 

  「そうですか。でも好かれるのも困りものですな」

 

  「そうよ、ねえ」

 

 ペットを飼う人の気がしれないということで一致したのだった。



 
  ペット2

                小川なおし

 

 夜9時すぎに山崎さん宅の電話が鳴った。受話器を置くと、山崎さんは新聞を読んでいる私に「隣の高田さんちのモカがケガして歩けんのだと。今すぐ来るって」と言う。モカは体長30センチくらいの毛むくじゃらの室内犬で、頭にはリボンをつけている。手を近づけるとペロペロなめる、なかなか官能的な犬だ。

 

 山崎さんは気功を使える。野口整体の創始者である野口晴哉の講習会に数回参加し、気が出るようになった。それから全国行脚に同行しないかと誘いを受けたが、寝たきりの旦那さんの面倒を見ている頃だったので断ったとのことだ。

 

 五分もしないうちに高田さんが犬を抱いて入ってきた。モカは高田さんの腕の中でふるえている。「1メートルくらいの高さから落ちて捻挫しちゃったみたいなの。ふるえが止まらないから病院に電話したんだけれど、もう先生がいないのよ。だから山崎さんにまたお願いしようと思って」以前にも、モカが足を骨折したりお腹をこわしたりした時に山崎さんは気功をしてやったことがある。犬はなかなかお腹を飼い主以外には見せないという話だが、山崎さんには平気で仰向けになるそうだ。

 

 高田さんはソファに座り、山崎さんは自分の椅子から高田さんの隣に移り、モカの右前足に手をそろえて気を集中させる。フーと息をはく音が聞こえる。10分もやっていただろうか。モカのふるえがほとんどなくなったように見えた。「ちょっと下して、歩かせてみて」山崎さんに促され、高田さんはおそるおそるモカを絨毯の上に置く。少しビッコを引くが、何歩かで円を描けるくらいは歩けた。高田さんは「さっきは全然歩けなかったのに」と感心している。「骨折していたら歩けないから捻挫じゃろうね。しばらく抱いてやっておれば大丈夫。ねえモカちゃん、もうだいじょうぶじゃよー」山崎さんはモカの顔にくっつきそうになりながら、いつもより1オクターブ高い声で話しかける。高田さんは礼を言い、モカを抱いて帰っていった。

 

 翌朝、ご飯を食べながらモカの話をしていた。

 

 「それにしても、犬がたかだか1メートルくらいの高さから落ちて捻挫なんて、どうしたことでしょう。過保護にし過ぎるんじゃないですかね」

 

 「そうよ。犬なんか飼うのはどうかねえと私は思うのよ。かわいそうだからね。それにしても、よく見るとあちこちで犬や猫を飼ってるのよねえ」

 「そういや、そうですね」私はそう言いながら立ち上がり、食べ終えた食器を台所に運んだ。食べカスを生ゴミ入れに捨てていると、部屋の中から山崎さんの声がする。

 

 「やっぱり人間のペットが一番よ。食事の片付けをしてくれるようなね」

 

 そのあと、ハッハッハッハッという笑い声が台所まで響いて来た。うーむ確かにとうなずいたのだが、つられて笑うには少しだけ引っかかるものがあった。

 


 山崎さん」は、2007-03-05山崎さんは98歳」に登場しています。

 このブログでは、小川なおし「作品」&お薦め本というカテゴリもあります。

 最初の作品は、2007-01-29もりぞう爺さんの話(上)」でした。

 小川さんとも、うすく長いつきあいです。

 いくつになったのでしょうか   







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コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )
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コメント(10/1 コメント投稿終了予定)
 
 
 
あけてびっくり (小川)
2016-06-27 09:59:52
松田さん、びっくりしましたよ。もう53です。

山崎さんと一緒にいる時(14年間)は、自分の歳を顧みることはありませんでした。山崎さんがいなくなって、ふと、これは浦島太郎みたいなものだなと思ったものです。

ではまた。
 
 
 
なおしさん (空猫)
2016-06-29 05:14:05
復活してて驚き&嬉しかったです!(^^)!

山崎さんはほんといい味だして……すてきですよね。
なおしさんの視線もおもしろいなあと思いながら読みました。

「昔の話」では、女は過去の男のことは引きずらないんだよね、と思いながら……。

「ペット」の方では、でも、ペットとの間にも「出会い」というのはあるわけで。うちの猫は、飢餓の極限状態で……以下省略ですが。(以来守り神に?)

毎日山崎さんと夕飯を食べるというなおしさんが、「人間のペット」扱いされるくだりはほんと楽しいですよね!

本来なら、人間が相手の方が大変なはずなんですけど、
それを「ペット」と表現してしまうあたり、年上の、経験豊富な賢い女性という感じが出ていて嬉しいんです。

「作品集」もっとお願いします!

 
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