conparu blog

ささやかな身の回りの日常を書き綴ります。
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菜園閑話

2011-11-08 01:10:00 | 日記
小学校西隣にある家庭菜園では、学童のはしゃぐ声がとびこんでくる。
私と妻は畑の仕事をしながら、聞くともなく子どもたちのざわめきのなかに、一種の安ど感を見出している。強く意識してはいないけれど、心地よい家庭の原風景というか温かい団らんの感情に浸れるのである。

この小学校は児童サッカーが盛んで、卒業生のなかにはプロに転向した人もいるくらいだから、サッカー熱が沸騰していると云っても過言じゃない。今までは砂利まじりの校庭でプレーをしてきたものの、3・11の後、というタイミングではあるけれど、校庭の表土を掘り起こして芝生に変えた。

原発の放射能と関係なく、芝生化は予定の工程表にのっていたのだった。当分の間、芝生の校庭は安定するまで使えない。児童サッカーにとってクッションのある緑のグラウンドは魅力的だろう。未来の長友や本田が生まれるかも知れないのだ。
グラウンドでは閑古鳥が鳴いているものの、校舎のなかから廊下伝いに甲高い声々が響いてくる。

10月になってから植えつけたブロッコリーや葉物の育成もよく、青々と葉を伸ばしている。『これは私の仕事よ』と、妻に叱られそうだが間接的に育成の協力者であるから、自慢してもいいのだ。僅かな耕作地であるけれど四季おりおりの作物が、食卓に上がる喜びを家族で味わっている。

食材をいかに料理するかも大事なポイントで、これも妻の領域ではあるけれど、時間と手間を最小限に抑えて、結構な味付けに仕上がっている。こういう時、私は「料理はアートだ!」としきりに褒めるのだ。まあ、毎日のように褒めているわけだが、これには訳があって、以前に心づくしの手料理(妻の言い分)を出してくれたときに、『ただ黙々と食べている!せっかく手塩にかけた料理なのに』とお叱りを受けてから気を遣うようにしているのだ。

舌を潤してくれる作物が季節ごとに口に入るのである。共生の畑仕事をしていればこその恵みに感謝感激雨あられ、の今日は「立冬」。そういえば日めくりが一段と速くなった。一週間が四日間のようにも思える。年末も正月も早回しで遅れているのは小屋の改装だけ。

Hさんの口添えで始まり、もうなん年経つだろうか。Hさんの隣の畑で作付けしている。初めは妻の健康のために始めた筈だったが、いつしか肉体労働は私の役割ということに落ち着いた。妻の体力に合わせて農具の鍬も3本爪の軽いものを用意したけれど、4本の方がよかったなあ。とは言え、これも自然の成りゆきであり、畑へ出る回数も増えていった。
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