conparu blog

ささやかな身の回りの日常を書き綴ります。
[ブックマーク『conparuの白い航跡』もよろしく]

新コロナウィルス感染の危惧

2020-04-26 16:58:39 | 日記
お隣の国では新コロナ感染率が低下しているらしい。早くからドライブスルーやウォークスルーといった、簡便な手法を使ったPCR検査が、広範囲を見える化して押さえ込んだものと思う。日本も遅れ馳せながら、PCR検査の増設に舵を切ったようだが、すでにうなぎ登りの感染率を記録してきた。初動検査の仕方に緩みがあったから、保菌者がそれと知らずに感染を広めてきたであろうし、遅きに失したとは云い、お隣の良い例は謙虚に見習った方が良いのではないか。対立した政治環境を持ち込むべきではないだろう。ここは度量の問題でもある。来夏のオリンピックを心配しても始まらない。世界が消化不良を抱えて、とてもそんな余裕はないはずだから、まず腹具合を整えることが先決だ。何時何処で感染するかも分からない、新コロナウィルスであるだけに完全な防御などないのだが、感染拡大による医療崩壊だけは何としても避けなければならない。院内感染によっても医療従事者の罹患が増大するなら、待っている状況は自然抗体を身につけるべき、ウィルス至上の到達点に置き換えられて、人間社会の敗北となりかねない。
コメント

明日は甲羅干し

2020-04-18 21:04:10 | 随想

春雨と云うには冷たい酷な雨の洗礼である。五月雨のような新録を潤す慈雨とは違い、臓腑の内までも鬼気が迫る、時節ピッタリの雨が降っている。一夜にして歓楽の饗宴から耐乏の窮地へと舞台が一転した趣は、富裕者も貧者も等しく耐え抜く気力が要求される。貧者は今までも耐えてきたのだから、その延長線上にあるが、富者は雲泥の落差に呻吟して身を細らせる―――新コロナ厄災に意味を持たせるとしたら、劇的な転回こそが未曾有の時代変革期に相応しい。安倍総理は新コロナこそが第三次戦争だと云ったが、「変革のための」という前置きをつけたい。戦争は人の意によって成されるが、新コロナ禍は歴史の産物として出現した。欲望に対する必然である。新コロナ禍に便乗した盗賊の勝手な振る舞いは、文化国の名に恥じる行為で許せないが、これも国民の意識変革を促す上で、警鐘を鳴らす側面がある。未だに詐欺集団の餌食になる高齢者が後を絶たないのも、人間の変容を促している反面作用ではないか。断じて認めるわけではないが詐欺集団と云い、上目遣いの忖度官僚と云い、コロナ禍の眷属のようなものである。
雨も上がり、明日はカラッとした日曜日が来る。甲羅干しでもしよう。

 
コメント

新コロナの侵犯

2020-04-11 20:53:15 | 随想
 都内の感染者の発症率が急上昇している。ついに隣りの市にも感染者の死亡が伝えられて、とうとう多摩地区が新コロナの侵入領域に入ってしまった。国の方策でクラスター封じ込め作戦は功を奏したように見えたが、綻びの穴がここに来てパックリと開いた感じがする。当初は良かったが、瀬戸際防御の破綻に繋がりかねない東京の発症率を見ると、経済優先の補助政策を採り続けて、人心に動揺が起きれば、経済そのものに跳ね返る構造的崩壊が待っているのではないか、と心配している。人的資源が温存されてこそ国家も強くなれる。津々浦々が恐怖の渦中に放り込まれないうちに、個々人も危機感を持って新コロナに対応し、自分で出来る範囲を忠実に実行するときだ。
コメント

コロナ禍

2020-04-02 22:08:17 | 随想

とても嫌な予感がする。新コロナ騒動を尻目にアポ電の襲来である。
留守を見計らって侵入する手筈だろうが、入ったところで我楽苦多しかない家であれば、
下手な漁師の当て外れとなり、すこぶるセンスが悪い証左となる。
コロナ禍もここまで浸透すると、第三次大戦の代行役のようでもあり、諸々の体制を基底からひっくり返すような、大変革の予兆すら感じ取るとしたら、センスオーバーだろうか。
企業もコロナ休業とかで一定の期間休んでいる。トヨタに電話してタイヤの履き替えを依頼しようとしたが、自動応答電話でやんわりと振られた。4月になった今もスタッドレスタイヤで走行している。姿の見えないコロナの蔓延は、何時何処で感染するかも分からない怖さを植えつけた。志村けんさんのように発症?してから3日で行ってしまうとは、コレラとも知らずに急逝してしまった御霊に祈りを捧げます。
心配なのは、このような状況下であっても、巷に集会が予定されていることである。年度末の締めくくりもあり、小さな組織であっても文書化して公表するための打ち合わせが、感染の危険を呼び込んでいる。自治体においても集会の自粛を促すべきだろう。

 
コメント