conparu blog

ささやかな身の回りの日常を書き綴ります。
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光陰を重ねて

2024-07-22 16:31:17 | 随想
一週間がアッという間に過ぎてしまう。先人たちが「光陰矢のごとし」とうたった時の速さを噛みしめている。人生50年とは昔のこと、今や100才が普通の寿命になろうとしている。一歩一歩近づいていくわけだが、もう道草を食っている余裕はないので、人生の締めくくり?に生きている意味を自問自答しながら、最終形の理想的姿はどんなものか?と思案していたら、ある新聞の広告が目に入った。小さな枠に収められた印字には「無人島に一冊の本を持って行くなら歎異抄だ」と記されていた。無人島と本の関係性が、脳内の凝縮された空間にクローズアップされて、読んだことのない歎異抄ではあったけれど、興味を抱き続けていた。
「思いは通じる」――ハッキリ言うと宗教書、特に浄土宗関連書が今日目につくのだが、歎異抄とそれに紐付く書物が、新聞紙の一角をやや大きめに強調されて伝わってきた。まだ若かった頃の宗教書というのは、辛気臭い日常懸け離れた特殊な内容の書物だと、勝手な思い上がりで敬遠していたものだが、こうして年を食ってみると、蜘蛛の巣にかかった蝶のように、ある意味では絶対的存在者に捕獲された弱い生き物として、俎上に横たわった束の間の命なのですよ、と宣告されたに等しい、覚醒した観念が身を包んでいるのを感じている。
「歎異抄」と言えば、悪人こそ救われる――難解とされる哲学の意は誤解されやすいと言われているものの、その意は深く究極の人間の真相を知らないと、表面的な字面を追うだけで解釈し、善人よりも悪人こそが救いの対象なんだと言うことになりかねない。
 悪人とはいかなる人か、ここで述べるには適切な人でないと、単なる言葉遊びを示すことになるので控えておこう。
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