conparu blog

ささやかな身の回りの日常を書き綴ります。
[ブックマーク『conparuの白い航跡』もよろしく]

ただ今改装中

2011-10-20 23:31:00 | 日記
晩秋の冷気と言っても視界に入ってくる山野の色合いは、まだまだ暗緑色のところが多いようです。深山の紅葉には程遠い。

もうすぐ11月ともなると、そろそろあれもこれもと、家屋の補修やリメークの壁の塗り替え予定などを黒板に書き込んでいます。

この前は風呂場のペンキ塗りをしたので、これからのメインは元仕事場の天井や壁の色替えです。何十年も煤臭い窯場だったのを取りはらい、茶室に改装していたものだけれど、イマイチらしくない。

友人の絵をたしなむ婦人が、12月末に来宅すると言うので、「それでは画廊つきの茶席にしましょう」なんて我が女房が余計なこと(そうでもないか)を言ってくれたおかげで、清掃を兼ねて取りかかりました。

「画廊」などと言っても鰻の寝床が実情ですから、僅かな絵を飾ることしかできません。天井裏に仕舞い込むよりはいいでしょう。何よりも茶室の体裁を大事にしたい。

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所感『幸福と満足』

2011-10-18 20:49:00 | 日記
N22Wさんの哲学テーマ『命よろこんでいる』の核心は、「幸福」と「満足」の違いについて述べている。つまり、幸福の状態とは常に不変であり、満足の状態とは一過性の常に変わりゆくものと定義している。
今日の私たちの暮らしが、物的に豊かになったのは、先人たちの貧しい質素な生活を経て、豊かさを追い求め努力してきた結果であり、その意味では先人たちの労苦の恩恵を私たちが受けていると云える。

豊かになったのだけれど格差も生じている。生活の水準は向上したが、富めるものは富み、貧しいものは貧しいままの二極化が進んで、不安定な時代を迎えている。グローバル化の波に乗って、負の連鎖は世界的な恐怖となりつつある。

それはさて置き、私たちの生活のレベルを向上させて、満足度を段階的に引き上げてきたということは、それなりに評価できるだろうが、物的満足に比べて心の充足に不満を持つようになってきた。
『追いつき追い越せ』の国是のもと、経済至上主義でまい進してきた結果、一方の心を置いてきぼりにして来てしまったという面もある。

物の豊かさとは外来的なもの、労働、あるいは寄与の対価として生活に潤いを持たせるものであり、ひとたび対価を手にすると、更なる豊かさを求めて次の欲求へと向かい獲得しようとする。
飽くなき欲求は定まるところがない。

幸福と満足の違いはなんだろう。
物的な到達感が満足だとしても、それによって心が平穏に満たされる場合もある。
しかしそれは一時的な満足である限り、恒常的な平穏を得ることができない。
外部から取りいれた満足というものは泡のように儚い存在である。

幸福とはN22Wさんの言葉で、『命よろこんでいる』状態だという。
つまり、外部から取り入れた満足と違って、初めから内在しているもの、無意識下にある心の明かりを灯すことであり、光明の顕在化だと言える。この光明を灯して恒常的な平穏(よろこび)を得るには、物欲的な欲求から離れてこそ導かれるものだろう。
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秋涼

2011-10-15 16:50:00 | 日記
めっきり涼しくなった。時には肌寒い秋の冷気を浴びるようになった。
とくに雨後の夕暮れ時は、そこはかとなく人恋しい寂静感に溢れている。

このような感情に浸るのも、ほんのちょっと充実した一日を送ったからでしょう。

何をしたかと言えば風呂場のペンキ塗りをしたからで、カビ菌で漆喰を見苦しく汚していたのを、白ペンキできれいに隠しました。

二度塗りをすれば、結構隠れるものですね。これからは湯船に浸って秋の物思いにふけるのも一興かと、、、お酒もいいね。

 秋涼の路地に滲み入る雨の色
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負を生きる

2011-10-13 23:07:00 | 日記
世界中が負のスパイラルに落ち込んでいる今、夢と希望もなかなか描けない現実がある。『大学は出たけれど』と就職難を嘆いた時代もあったけれど、近ごろは『東大は出たけれど』とさらに具体的に嘆く時代になった。

現役を卒業してからも安心を保障する年金は期待できない。
国の台所も火の車だから大判振る舞いなど期待するのはもっての外である。

自分なりに因果の法則をあてはめてみると、若いころの無駄遣いが今日の生活レベルに及んでいる。そのように導かれた運命的な出会いもあったわけだが、だからというのも変な理屈で、国のありようも俺と同じじゃないかと同情したくもなる。

数日前、癌で亡くなった『アップル』の創始者ジョブズ氏が言っていた。
『生きている時間は短い、他人の意向を気にして生きるより、自分が何をしたいのか、どう生きたいのか』を問うべきだ、と。

ふり返って、わが身のこれからをどう方向づけて、どう生きるべきかと云う時に、ジョブズ氏の言はずしんと急所に迫る。金持ちだけが理想じゃないのだ。
パンはほどほどにあればいい、脳内ドーパミンを高めて一番好きなことをしよう。
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寝台車寝分?

2011-10-08 20:56:00 | 日記
突然の葬送を終えて、今朝06:58上野着の寝台車で帰って来ました。

これしかない!と言う限定されたダイヤルをメモして、JRみどりの窓口へ急行したのは6日午前。金曜日と云うこともあり、望みの切符が手に入るか心配でした。

行き先が秋田より内陸にあるK市は、上野駅から670数キロメートルだから10%の割引もある。家族3人で往復の特急寝台となると、かなりの負担軽減になる。

予約混雑状況の中から見つけてくれたのが、往復ともに「あけぼの」寝台車でした。

この寝台車と云う楽ちんイメージに反して、睡眠を妨げる軋みと振動はどうにかならないか、、、区間によっては静かで揺れのない処もあったので、もしかしたら3.11の影響もあったのでは?と考えているうちに中国四川省の超特急列車脱線墜落事故を思い出した。

朝まで***でした。

帰りの寝台車では程よい疲れもあり、列車の揺れも揺りかごのように眠りを誘ってくれました。やはり慣れですかねぇ。
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水族館・異観

2011-10-01 22:40:00 | 日記
西武池袋線に乗って「サンシャイン水族館」に行ってきました。せっかくの招待券・・・と思っていたのは間違いで、団体割引扱いの廉価入場券を女房が買っておいたものでした。

さすが若い人の多い水族館でしたが、老婦人も結構来ていました。館内は薄暗く、ざわついた人声が気になりましたが直ぐに慣れました。

水生動物の自然に似せた棲息状態のなかで、参観者の騒雑音も意に介さない小さな生き物たちの無心な動きを見ているうちに、老若男女のこころは混然一体と化した小宇宙のなかに包まれていたのでした。

竜宮城は都心の中にもあった。と言いたいところだが館を出た時は若返っていたのか、それともパンドラの中身が飛び出して皺が増えたのか?

水族館のスケールとしては、東京湾岸の『しながわ水族館』や横浜の『八景島シーパラダイス』にかなわないけれど、都心にあって束の間ではあるけれど、ほどほどの境地を味わえるのではないでしょうか。
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