conparu blog

ささやかな身の回りの日常を書き綴ります。
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奥之地

2017-01-10 14:04:13 | 歴史

松開けて陽は影に踏まれおり   晴之

ありがたく拝んだ元日も、逃げ足が速く駆け足で過ぎてしまった。
早々のぼやきでありますが今年もよろしくお願いいたします。

昨今は第4次産業革命の到来が叫ばれて、スマホは欠かせないツールとなっています。当方はガラパゴス系なので、人類の分類で言うと
クロマニョン人の位置であって最先端のツールが無い。そもそもAIの進化が人間の領域をどんどん狭めていったら、生活の糧はロボットが稼いで、人間は寝て暮らすのか?それとも人間は神の領域にグレードアップして、新たなる惑星への開拓者として方舟の設計を担うのか?It be or ...

人間の進化とは?難しく考える必要はなさそうである。現に今時でも『トランプ虎威現象』があり、『プーチンの珍現象』がある。
世界制覇をもくろむ中華思想や渦中の慰安婦問題は明らかにAIの進化とは逆進行形だし、鳴門の渦潮のようにぐるぐる底をさらって、最後は泡沫浮揚の循環作用に到る『もだえ』現象と言っても良さそうである。AIが進化したとしても人間の感性を代替する機能にはたどり着けないそうだから、人間の存在価値は文学的存在として残る。

正月ボケ覚めやらず、古い記録に目を通しています。原典がハッキリしないのですが、古代の北関東から東北南にかけて出雲文化圏と俗に言う『やまと』文化圏の融合した古事が目にとまりました。限定的な地域紹介となりますが、私的に歴史を再認識させた一文を抜粋してみます。

『東夷奥之地』

『我が郷土は太古東夷と称し、奥之地なり。故に史跡絶えて知る由も無し。
景行天皇代二十五年(西暦96年)天皇武内宿禰に命じて親しく東北の地を巡視させる。宿禰都に還り、東夷高見の国族文身にして勇敢なるを以て蝦夷と名付けし也。
北郷一帯(福島県南)山河樹林に覆われ、亦水溢れて鳥獣到る処跋扈し無風温気にして人住むに適す。上古蝦夷族常住して冬は穴に棲み夏は随所に住みて闊歩し鳥獣等を獲り果実等を蓄えて生活の基とする。
大和氏族の勢い戦剣に蜂起激に到れば蝦夷族驚き愴惶として北へ北へと退走するなり。大和族進み文化の道開き始めて此の地に史の基礎を打建てるに到る。(中略)
其の後蝦夷族の謀反あり、日本尊命をして征伐平定する。

東国の主神
=味耝高彦根命と称し大国主命の第二子。躬(自)から鍬を取り東北一帯を開拓、農耕開発神と崇め仰がる。後年代、土民は日本尊命偉業の功績を仰ぐとともに、東北の主神味耝高彦根命に対し崇憬の念を発起して殿宮を建て・・・歳八月祀りを行う国土開拓の意に於いて「都々古別神社」と称す。(近津や白河その他にある)(中略)

其の後永らく土着子孫住せしも後年豪族阿部氏の勢威高まり一門世に出るに従い、困惑極まりゆく。(それから)塩伊乃自刀命白河国造 の事行う』(中略)

古代において出雲王国が広く支配していた様子が分かります。以前ブログに載せた『古代をかじる』では、九州や出雲の勢力圏の変遷を勉強しましたが、当時の出雲圏が広大であった事に驚きです。これで正月ボケが覚める寸前になりました。

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