conparu blog

ささやかな身の回りの日常を書き綴ります。
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孫氏の邪馬台国論

2018-04-21 21:38:11 | 随想

最近読んだ本「邪馬台国の全解決」孫栄健著を面白く読破した。版を重ねての増補版と言うだけあって、ユニークな視点と巧みな文章の展開に、読後はご馳走をいっぱい食べたような満足感に浸りました。今までの「邪馬台国」論法とは一味違う、魏晋時代の国書『三国志』に載る「魏志倭人伝」を『春秋』の筆法を踏まえて読解するという、痛快と云おうか破天荒と云おうか、我が無知能を一気に全開させるスリリングな『魏志倭人伝』の解析となりました。暗号文を解くような明快な論調は、水先案内人に誘導された船のように未知の領域に引き込まれていきます。尤も『春秋』の筆法で魏志倭人伝を解こうとする提起は、孫氏と著名な歴史研究者の間で以前からあったらしい。ですが全くの素人古代散策人である小生には、今回の読本がすべてであり、『邪馬台国全解決』によって古代のストーリーは小生の中でリアルなものになりました。。

魏晋時代に限らず古代中国の書法には、里程を書き表す際に10倍を以て処するのが通例だという。これに従えば魏志倭人伝中の「帯方より万二千余里」とある卑弥呼の都までの里程数は千二百余里となり、当時の中国里一里は434メートルだから520数キロメートルとなる。実距離で云えばソウルから福岡あたりと云う。邪馬台国大和説は論外のとんでもない距離となってアウトだ。
しかも孫氏の云う『卑弥呼の在する都』は奴国であり、『邪馬台国』とは卑弥呼の治国30カ国の総称だという。今までのてんやわんやの邪馬台国論がスーッと一条の筋に収まった感がある。
魏志倭人伝中に倭王は卑弥呼だとして、実務補佐役の男弟が伊都国に在って外交軍事を掌握していたとある。これが『一大率』であり難升米(なづめ)という名前の男、やがて卑弥呼を滅ぼし倭王となる弟である。こうなるには魏から禅譲を受けて樹立したとされる晋朝の司馬懿が、倭国の難升米に軍旗を手渡したことから、倭国の事実上の王権を手にしたのが発端となる。

翻って古事記の事柄と照合してみると、一大率、男弟、難升米とは大国主命となり、天の岩戸に閉じ込めた張本人となるではないか。これも孫氏の言である。こうして魏志倭人伝の解析を見てくると、古事記の見方も天孫族と出雲族の対立だけでは成立しなくなった。そして大国主命の國譲り物語は誰に譲ったのか?と云う新たな混乱が生じたのである。天孫族ニニギノミコトが高天原の指令を受けて降臨した・・・卑弥呼亡き後の男王で倭国が乱れたからと云う理由だが、そもそも男王に支配権を認めたのは「高天原」ではないか。孫氏の示唆する東アジアを統括する帯方郡の太守が関わったとしても、大元の魏晋の帝都からの詔による令によって事は動いた。そこに隠されているものは何か?


過去のブログにも関連する記事があったので再掲します。

『どこから来たのか?』夢想論
2017-04-29 23:56:36 | 随想

『日本人はどこから来たのか?』海部陽介著
この題名からして天空を飛んできた、途轍もない民族の秘密が宿しているように思える。もっとも後発組の天孫族に言えることだが、古人は『海を渡ってきた』とは言わず、『天から降りてきた』と記されるところに、シャーマン的な呪詛の匂いがするのと、文学的資質の天賦を備えていたのだろうと、勝手に想像解釈するのである。古代日本の最初の渡来者は、朝鮮半島経由で島伝いに北九州へ上陸したと言うのが定説になっている。この本でも大陸経由の遺跡年代の追跡によって其のルートが確認された。恐らく渡来第一群は『出雲族』ではないか。(後日評=必ずしもそうではない)
大陸からの渡来ルートは朝鮮半島経由の他に、シベリアから南下した樺太経由や台湾から航海技術によって北上した琉球経由の3ルートがあり、それぞれが本州に進出する年代差のなかで混血を深めていった。海部氏の説明である。

出雲族は本州の広範囲を支配していた大王国であった。東北南部には大国主命の第二子「味鉏高彦根命」の農事開拓を尊崇して、奥州一宮『都々古別神社』を創建していることから、相当の威信があり勢力も強大だったことが想像できる。
2世紀の『卑弥呼の都』は九州北部に限定され、出雲の大王国から見ればローカルな存在である。この勢力図を前提に想像力を逞しくすれば、出雲王国は卑弥呼以前に遣魏使を出していたのではないか?と思う。その費用として大宝山(栃木、福島、茨城県境の八溝山)の金塊を掘出したと古事にあるからである。さらに想像力を膨らませれば、出雲の大国主命(大物主)と卑弥呼の間に何らかのトラブルが発生して、出雲の九州征伐へと動き出す。出雲は九州全土を制覇して卑弥呼の都は潰えた。あながち空想とばかりも言えないだろう。

天照大神を戴く天孫族の一部が、壱岐国から九州に攻め入り勢力拡大に打って出る。または魏の後滅亡した晋の皇族が南海から九州に上陸した可能性も想像上ではできる。若しかしたら卑弥呼のリベンジを代行したのかも知れない。古代研究者からは怒られるかも知れない、無責任な夢想ではあるけれど、素人の特権?として許して頂こう。

 後日追記
夢想論を展開するうえで古事記の記述がベースになっていますが、如何しても「卑弥呼の都」が潰えた後の天孫族、天忍穂耳尊(アメノオシホミミノミコト)の勢力が強大であったことが腑におちないのである。卑弥呼の属領である「壱岐国」にいた司令部隊が乗り込んで来たというには、卑弥呼との力のバランスが取れない。であるから、もっと進んだ軍事力を具備した一団が乗り込んできたと想像するのである。ある説には百済王の後裔だとかいわれるが、滅亡した百済にその力は無い。威光によって周りを服従させる高貴さがあったかが問われるが、瓊瓊杵尊(天忍穂耳尊の子)の一団にはそれがあったからこそ、大国主命が迎え入れたと観ることもできる。(一部に文修正加筆あり)

 更に追記
大国主命と「因幡の白兎」についても、暗示的な謎解きが隠されているように思える。因幡の白兎は鰐の背中を伝い渡って、因幡に上陸しようとします。、あと一歩のところで鰐に食いつかれ、皮を剝がれてしまう。無一文になったと言うことでしょう。居合わせた大国主命によって、一命を取り留めた白兎は「貴方はこの国の姫と結婚するでしょう」と予言します。私はこの姫と白兎が一体ではないかと推測しています。大国主命を迎えた白兎は、皮肉にも追放されて下野する処遇となる。・・・卑弥呼と何処かで交わるような気がしてきます。

コメント

2018-04-01 10:19:33 | 詩歌

♪きょねんよりずっと、きれぃになった~

歌詞にはあらず、春爛漫の桜花が良く撮れたのでアップしてみました。
花びらの表情が「絞り優先」F2.9の設定によって出てきたと思います。
廉価なカメラですがAutoに頼っていては微妙な情感がでてきません。
去年まではSP(シーンポジション)で風景、花を撮っていましたが、
花に到っては一面的で表情に欠けるものでした。

SPモード


とは云っても素人のテクニックなので、自画自賛の域を出ません。

の装いは、なんとつつましく、清らかで
美しいのだろう



空の青さに溶けこむような、白い花びら
ほんのり薄紅の内なる想いが
大地の隅々まで染め清めている






FINEPIX S8400使用

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