conparu blog

ささやかな身の回りの日常を書き綴ります。
[ブックマーク『conparuの白い航跡』もよろしく]

“どしん!”

2011-11-30 23:30:00 | 日記
いよいよ明日は師走月を迎える。何んとなく忙しい、やることいっぱいの感じだけはする。感じだけね。

午前中にギャラリー展示作品のおおよその位置決めをして、午後から押し入れや天井裏から作品を引っ張り出す。
おおっ、結構見られるじゃぁないか。
自作を慰めつつ、油彩画に熱中した当時を思い出した。

午前中の秘話?が、、、。
絵を掛ける桟の補強をしていた時、クラッとして後ろ向きにひっくり返ってしまいました。平衡感覚を失ってしまったらしい。

ゆっくりとお尻から落ちていくのを―脳は突発的な出来事に対して可能な限りの状況判断を瞬時のうちに詰め込んでくる―スローモーな映写を眺めているような感覚で、着地点の状況に反応しようとしていました。

お尻がどしんと音を立てたが地響きはしなかった。モノの見事に狭い平らな空間に落ちたので怪我もせずに済んだが、目の前の炉のレンガはばらばらに崩れ、鉄瓶が吹っ飛んでいました。

背中には角ばった木箱があり、落ちどころが悪かったら重症だったかもしれない。尾骶骨の右側が少し痛かったくらいで済んだのは不幸中のは幸いでした。
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無用物を片づける

2011-11-24 21:55:00 | 日記
燦々と霜月の陽光が照らしています。晴天が続いて山間部の紅葉も見ごろでしょう。
ギャラリー造作のために日向ぼっこをする時間はあまりなかったけれど、スペースを簡素化することができました。

要らないモノを物奥に仕舞いこんだままであったり、必要と思っていたものが年間を通じて使われていなかったり、とにかく不用品の選り出しをしたことで、狭い空間も何とか息の通い合う場となりました。

元来物は大事にする方で、少しでも有用性のあるものは捨てられない性質だ。が、いつしか無用物の判断にいたれば大抵は捨てている。
以前に無用物の判断で捨てたものを、後になって「捨てなければよかった」と悔んだ経験が二三度あったけれど、これも未練がなせる技で、無くてもちっとも困らないというのが今の判断のもとになっています。

最低限の趣味で制作する用具を残して、以前の仕事関係の用具の大方は捨てた。
ギャラリーの新生によって、自分の内にもささやかな変革が訪れようとしている。
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鰻の寝床

2011-11-21 23:17:00 | 日記
小屋のリメークは今日でほぼ終わりです。
天井板の張り替え、スポットライトの取り付け・・・少しづつの進行でしたが、今日に至ってシーラー塗布後の壁のペイント塗りを二度塗りしたところ。
天井が白色、壁が浅黄色。途中の仕切り桟は黒茶色のスティンでまとめました。

奥行四間幅一間、鰻の寝床画廊誕生です。絵を観ながらコーヒーにしようか抹茶にしようか、、、隣近所のオッサン小母さんを招待して、くつろぎの場にするつもりです。正直のところカミさんの油売り、だべリングの場になりそうですが、それもよし。

絵は今までに描き集めた小品のみ。
女房の油絵は何点か観賞に耐えうるものですが、私の絵となると天井裏の廃品同様の中から探してこなければならない。
楽しんでもらえればそれでいいのだから、昔のスケッチブックなんかも用意しておこう。ファミリースポット「ティー&ギャラリー」12月オープン。
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久しぶりの玉堂美術館

2011-11-17 23:31:00 | 日記
14日(月)ランチクルーズ当日は天候に恵まれ、上着を脱ぐほどの温かさでした。当然海風も波も穏やかで、乗り合わせた同胞と外国人ツアーも笑顔連発でしたね。
その中でただ一人、知人のおばはんを見つけたのでランチテーブルも一緒、買い物も一緒しました。と言っても家内の知人でもありますから、私は脇役でしたが。

翌日夜に風呂からあがって暖気を取らずに夜更かししたせいか、くしゃみの連発を食らいました。
風邪の気はなかったようなので、奥多摩御岳にある川合玉堂美術館へ行き、展示作品を久しぶりに鑑賞してきました。

この日も朝のうちは風も冷たかったのですが、強引に家内を引き連れて梅郷の吉野街道に差し掛かった頃には、ピッかーんと歓迎の陽気につつまれました。

「あら、いい天気になっちゃったわね」助手席の家内は満足そうです。
「味方がついているからね」と私。
一瞬何のこと?家内が空を見つめました。

玉堂美術館の鑑賞券は30年来通読している朝日新聞からの無料招待券をいただいたものです。無料で近い距離にあると云うだけで足は動くものです。

入館する前に館前の黄金のイチョウの大樹の下で記念写真をぱちり。
奥多摩は杉山が多いので、この季節でも緑の色調で覆われています。渓流の岸にあってひときわ燦然と輝く黄金色は、館を取りまく白壁に映えて美術館を格調高い存在に仕立てています。

今回気づいたのは外国人がツアーで参加していること。老若男女は何処も同じ光景ですが、中にはあまり歩けない老母を連れた孝行息子もいましたが、ベンチに座らせたまま息子だけが絵の鑑賞に浸っている一幕も見られました。

玉堂翁は人品いやしからず、温厚で整った面立ちは絵にも表れています。小品が殆んどだったのは残念だったけれど、14,5歳ごろから書き始めたスケッチブックを見ると端正な描写力に驚かせられます。

以前に代表作の『往く春』を観られたのですが、もう一度観てみたい。
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ランチクルーズ

2011-11-15 00:59:00 | 日記
地方金融機関と郵船トラベルの企画による『東京湾ランチクルーズ』に応募してカップルで参加してきました。もちろん相手はご想像のとおりです。

専用のシーバースまでバスで乗りつけ、東京湾クルーズの貴女、シンフォニー・モデルナに乗り込みました。湾内を巡航する客船としては600名を収容できる丁度良い大きさ。900馬力×2基の推進力はゆったりして、羽田空港をかすめるように少しばかり沖に向かい、広い海域に出たところでUターンしてくる時間が、ランチタイムとその後のデッキから眺める海景を満喫させるのに十分な機能を果たしているようです。

世界の外洋をめぐる豪華客船、クィーンエリザベスⅡやクィーンメリーⅡから見ればおもちゃみたいな疑似体験と言われるかもしれない。だけれど大航海時代の系譜上にあるクィーンエリザベスもクィーンメリーもすでに舞台から去った現在、飛鳥Ⅱのような現代スタイルのスマートさが好まれるのかも知れない。想像しているに過ぎないけれどね。

「シンフォニー」のランチうたい文句がQE復刻メニューとあったので、興味があった。
しかしトータル料金が安い。クィーンE本物の片鱗の片りんが出てくればいいな、と思うようにしたが、本物を知らないのだから、ただの決めつけに過ぎないのだけれど。
シェフの説明もあったが、ランチメニューのプリントがあるので載せてみよう。

~北欧の海~(前菜)
スエーデニッシュのサーモンサラダ

~旧大陸から新大陸へ~
カレークリームスープ “マリガトーニー”

パン

~南欧の虹~ (メイン)
舌びらめとブロッコリーのシャンペンソース
プロヴァンス風野菜のシチューココット添え

~潮風の歌~ (デザート)
チーズスフレと塩アイス、ブルーベリーソース

コーヒー・紅茶

コーヒーがとても美味だった。料理は全体に淡白な味がした。目で楽しむ料理だと言える。
この他に「サンセットクルーズ」「ディナークルーズ」と時間が異なるメニューがあるそうです。肉も付いています。
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こま切れ

2011-11-13 22:40:00 | 日記
今日は冷える。足下氷床とは言わないまでも足先に寒気が迫る。
まだまだ厳冬期は先にあるのだから、これしきで弱音を吐くものじゃないと、足元の電気ストーブに手を出さずにいる。

三日前の書き出しのまま、日記を書き続けようしています。
今は気温も緩み、暮れなずんだ夕空が急ぎ早に闇の帳に隠れようとしているのを、心静かに眺めているところ。穏やかな晩秋の趣さえ感じる、初冬のサイレントタイムラウンドにいる。

またまた時間が経過して外は真暗闇の中、日曜日はテレビ三昧に過ごして、これから就寝します。明日は05時起き、昼ごろは東京湾上にいるはず。クルーズ楽しみです。
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菜園閑話

2011-11-08 01:10:00 | 日記
小学校西隣にある家庭菜園では、学童のはしゃぐ声がとびこんでくる。
私と妻は畑の仕事をしながら、聞くともなく子どもたちのざわめきのなかに、一種の安ど感を見出している。強く意識してはいないけれど、心地よい家庭の原風景というか温かい団らんの感情に浸れるのである。

この小学校は児童サッカーが盛んで、卒業生のなかにはプロに転向した人もいるくらいだから、サッカー熱が沸騰していると云っても過言じゃない。今までは砂利まじりの校庭でプレーをしてきたものの、3・11の後、というタイミングではあるけれど、校庭の表土を掘り起こして芝生に変えた。

原発の放射能と関係なく、芝生化は予定の工程表にのっていたのだった。当分の間、芝生の校庭は安定するまで使えない。児童サッカーにとってクッションのある緑のグラウンドは魅力的だろう。未来の長友や本田が生まれるかも知れないのだ。
グラウンドでは閑古鳥が鳴いているものの、校舎のなかから廊下伝いに甲高い声々が響いてくる。

10月になってから植えつけたブロッコリーや葉物の育成もよく、青々と葉を伸ばしている。『これは私の仕事よ』と、妻に叱られそうだが間接的に育成の協力者であるから、自慢してもいいのだ。僅かな耕作地であるけれど四季おりおりの作物が、食卓に上がる喜びを家族で味わっている。

食材をいかに料理するかも大事なポイントで、これも妻の領域ではあるけれど、時間と手間を最小限に抑えて、結構な味付けに仕上がっている。こういう時、私は「料理はアートだ!」としきりに褒めるのだ。まあ、毎日のように褒めているわけだが、これには訳があって、以前に心づくしの手料理(妻の言い分)を出してくれたときに、『ただ黙々と食べている!せっかく手塩にかけた料理なのに』とお叱りを受けてから気を遣うようにしているのだ。

舌を潤してくれる作物が季節ごとに口に入るのである。共生の畑仕事をしていればこその恵みに感謝感激雨あられ、の今日は「立冬」。そういえば日めくりが一段と速くなった。一週間が四日間のようにも思える。年末も正月も早回しで遅れているのは小屋の改装だけ。

Hさんの口添えで始まり、もうなん年経つだろうか。Hさんの隣の畑で作付けしている。初めは妻の健康のために始めた筈だったが、いつしか肉体労働は私の役割ということに落ち着いた。妻の体力に合わせて農具の鍬も3本爪の軽いものを用意したけれど、4本の方がよかったなあ。とは言え、これも自然の成りゆきであり、畑へ出る回数も増えていった。
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