conparu blog

ささやかな身の回りの日常を書き綴ります。
[ブックマーク『conparuの白い航跡』もよろしく]

かァちゅんバトル

2011-05-14 21:38:00 | 日記
昨日のことです。自然界の生き物で、「おやっ」と思わせる生態に出くわした。一階の部屋に居ると、外で突然大きな鴉の鳴き声がした。
覗いてみると、鴉と雀がにらみ合いしているところだった。

そして近くの雀が寄り集まってきて鴉を取り巻く情勢に、、、そのうちの一羽が鴉の前に躍り出て、巣から遠ざけようと囮誘導作戦で挑発した。おそらく巣のヒナを護ろうとしたのだろう。
他の雀たちも一斉に鴉を追撃して加勢に出た。

鴉もあとから二羽が加勢にきて陣形が振り出しに・・・またもや一羽の雀が、、、と云うように繰り返したあげく、鴉があきらめの捨て台詞、「かァ!」を残して去っていった。

雀も必死だったのだろう。考えさせられるバトルだった。それにしても学習しているんですねぇ。

これより当分の間お休みします。
ごきげんよう。

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命の軽重は

2011-05-11 23:17:00 | 日記
津波がもたらした膨大な残骸処理の長びく中で、残骸に埋もれながらも事業の再開に希望を托した人もいる。被災地を助けようと、被災地の物産展を催す首都圏の協力団体もある。原発の立地と受益の関係があるにしても、ここには他者を思いやる心があります。

福島第一原発の復旧作業が長期化する中で、放射能の飛散が深刻さを増してきました。生活圏から弾き出されるように、20~30キロ圏内の住人が他所へ避難しなければならなくなった。

他所へ行っても避難者として無為に過ごす苦痛は耐えがたい。避難者としても何か役務を見つけて、と言っても当事者にしか分からない事情もあるだろう。非常事態にあって、充足した生活は望めない。

昨日だったか、のニュースで、飼っていた牛を野に放って避難した人が、久々に一時帰宅してみると庭は糞だらけ、牛は何処かで悠々自適の草を食んだ跡があったと言っていた。

自由の身と云うには辛い環境だが、牛にとっては仲間と共生している喜びもあろう。
一方で保護する対象と殺処分にする不合理な区分けもある。肉牛は保護して乳牛はなぜ殺処分なのか、殺処分のあと肉牛として処理すると言うのだから支離滅裂で牛権を無視している。

一時帰宅のある人は、飼い犬の死体に火をつけない線香を手向けていた。避難している間に餓死したその犬は、家族にとって家族同様の存在であるはず。単なるペットではない。

役所では野犬化を避けるために、鎖に繋ぐか檻に入れて避難しろと言ったらしいが、あまりにも知恵が無いではないか。
少なくとも集団で預かり世話をして、事態の終息時に帰すくらいのことはやって欲しかった。

ペットの問題ではあるけれど、基本的には命の問題であるから、人間に向ける視線にも軽重の差別が起きないか、ちょっと心配になった。

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いよいよ

2011-05-09 20:52:00 | 日記
馬鹿の一つ覚えのように一つのことをのべつ延々と繰り返す、、、そんな日常が我が身に起きた。起きたと言うより、起こしたのであるけれど。

洗面所のフローリングを終えた時点で、フロアのリホームは全て終了したと云ったが、が、、、止まらない。勢いがついてトイレのフローリングもやってしまった。
おまけとして、トイレのドアーの穴のあいた所を、犬の形にして(熊にも見えるが)飾り張りすべく、ボードを切り抜いた。あとは貼るだけ。

エッチなタローが若い時にひっかいて開けた穴が二つと、引っかき傷がめちゃ多いのを今になって修繕しています。

いよいよ入院の準備に入りました。
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北へ

2011-05-01 19:44:00 | 日記

薄青空が見え隠れして
いつしか天の窓はピタリと閉じた
そしてまた、天と地に薄日が。

甍越しの野山は見えないけれど
ベランダの若木が揺れ 花がそよぐ
青い風が吹きわたって
今年も燕たちの季節がやって来た

木々の葉ずりの中で
瞳は緑に染まり
野辺の小草にも胸の鼓動が宿る
うつろう雲の行方を追って
時は北へ
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