月の岩戸

世界はキラキラおもちゃ箱・別館
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ばらの”み” 17

2013-11-17 06:06:47 | 月夜の考古学

9 クリスマス・プレゼント

 疲れているときは、メイロの夢をよく見るんだ。
 こんな言葉を、環はおぼろに覚えている。これは昔、おとうさんが言っていた言葉だ。
 ある時、真夜中にふと目が覚めたら、ふすまのすき間から明かりがもれていて、隣の部屋からおとうさんとおかあさんの声がぼそぼそと聞こえた。環がそっと隣の部屋をのぞいてみると、げっそりとやせたお父さんとお母さんが、額をつきあわせて何か話している。
 あれはたぶん、要が生まれて二年くらい経った頃のことだ。環は四つだったろうか。おとうさんとおかあさんは、要の目が、もう一生見えることはないとわかって、本当に悩んでいた。おかあさんは、毎日要の顔を見ては泣いていたし、おとうさんはおかあさんをただ苦しそうに見守っていた。小さい環も、そんな二人を見ているのが、つらくて、悲しかった。だから環は、いろんな苦しいことやさみしいことがあっても、あまり表だって言わない子どもになった。
 おかあさんが要ばっかりかまってても、おとうさんが忙しくて遊んでくれなくても、環はいつも、平気なふりをした。幼稚園で、友だちに要のことをばかにされてケンカしても、絶対に自分からは訳を話さなかった。自分はおねえちゃんだから、大きいんだから……。一人でなんでもできるんだって、自分にも他人にも、言い聞かせていた。早く、大人に、なろうなろうと、していた。ずっと、今まで、少々のことではへこたれない、強い子どものふりをしてきた。
 でも、本当は環だって、弱音を吐きたかった。いつだって、おとうさんやおかあさんに、自分の本当の気持ちを、無理してるんだってことを、わかって欲しかった。本当は今だって、要や光みたいに、遠慮なくおかあさんのひざに抱きついて、甘えたい。今までためこんできたものを、みんな吐き出して、おかあさんの前で、泣きわめいてしまいたい。そして、抱きしめて、欲しい。自分にも、「かわいい、かわいい」をして欲しい……。
 でも、五年にもなって、今さらそんなこと、言えるわけないじゃないか。
 あれから何年も経って、今、環は、あの時のおとうさんの言葉の意味が、よくわかる。このところ、毎晩浅い眠りが続いて、果てしなく続く長い迷路の夢を、よく見るのだ。
 曲がりくねった階段や、薄暗くてじめじめした廊下や、怪奇な形の部屋が、パズルみたいに組み合わさった建物の中を、環はさまよい歩いている。
 どんなにたくさんのドアをくぐりぬけても、汗をたらして階段を上っても、出口は見えない。声の限り叫んでも、だれも答えてくれない。環は、さみしさと恐ろしさに押しつぶされそうになりながら、へとへとになるまで歩き続けて、そして決まって最後には、ある部屋にたどりつく。
 そこは、どこにも窓のない、暗い部屋だ。天井ははてしなく高く、暗闇の向こうに吸い込まれて消えている。壁は灰色で、たくさんの棚がキノコのようににょきにょきと突き出ている。その棚の上には、それぞれいろんな形をした小さな鳥籠が載っている。環が近づいて、籠の一つをのぞくと、中で一羽の小鳥が、空のえさ箱に頭を突っ込んだまま、死んでいる。どの鳥籠の中をのぞいても、小鳥は死んでいる。みんな、布切れのようにやせ衰え、止まり木にぶら下がっていたり、金網にへばりついていたりして、息絶えている。
 環は、籠の一つに手を入れて、鳥の死骸を取り出す。小鳥は紙切れみたいに軽くて、落ちくぼんだ目を、縫われたように硬く閉じている。
 私のせいだ。何もかも、私のせいなんだ……。
 裂けるような叫びが響く。暗い奈落の底へすいこまれるように、壁がざわりと闇に消えて行く。
 目が覚めた時、まるで今さっきまで走っていたように心臓が躍っていたり、枕が涙でぐっしょり濡れていたりする。どちらにしろ、ひどく頭が痛くて、体が重くて、学校になんか行きたくない、と思う。でも、行かなきゃ……。要が困る。おかあさんが、変に思う。学校のみんなにも、変に思われる……。

「タマキ、どうしたの? この頃、ちょっと顔色が悪いみたいだけど」
 朝ごはんの時、おかあさんが環のカップにミルクをそそぎながら、心配そうに言った。
「……そう? 別になんでもないよ」
 環は特に気にしないというようなそぶりで、答える。だけど、毎日二枚は必ず食べていたトーストが、このところ半枚食べるのがやっとなのだ。おかあさんは、決してまともにこっちの顔を見ようとしない環の方を、しばし苦しそうな顔で見るけれど、結局どう言ったらいいかわからなくて、だまってミルクなべを片付けた。
「じゃ、行ってきます」
「行ってらっしゃい。気をつけてね、みんな」
 三人の子どもたちがみんないなくなると、おかあさんは大きく一つ息をついた。時計を見ると、七時五十分。壁の日めくりカレンダーは十二月十八日だ。
(どうしよう。朝っぱらから電話すると、怒られるかもしれないしな……)
 おかあさんは、電話の前で、手をこすりながらひとしきり迷った。そして、時計を見ながら、とりあえず電話の下の小さなひきだしを開けた。その中には、おとうさんの携帯電話の番号が書かれた小さなメモ帳があるのだ。年末の今は仕事で特に大変な時だから、できるだけかけないようにしてるのだけど……。おかあさんは、家を出るときの環の苦しそうな顔を思い出した。胸がしぼられるように苦しくなった。どうすればいいのだろう。私だけではわからない。
 そう、今、おとうさんじゃなきゃ、できないことがある。
「よし」
 おかあさんは、ようやく決心して、受話器をとった。

 要を送り、自分の教室へ向かって渡り廊下を歩いている途中、環は向こうから階段を上ってきた史佳につかまった。
「おはよう、砂田さん」
「あ、おはよう」
 環は、空疎な笑顔を浮かべながら、言った。史佳は環の横に並んで歩きながら、耳に口を寄せて来た。
「ねえ、プレゼントは持ってきた?」
「え?」
「やだ、忘れたの? 今日いっしょに渡そうって言ったじゃない」
「あ、ごめん、忘れた……」
 昨日くらいから、クラスの女生徒たちが、休み時間ごとに和希の元にプレゼントを運んでいるのを、環は知っている。まるで税金を徴収するみたいに、ふんぞりかえってプレゼントをカバンの中に押し込んでいる和希の得意げな顔を見て、環は、背筋に悪寒が走るほどの、拒絶反応を感じる。けれど、いつかは自分も、みんなと同じことをしなければいけないのだ。
 環は教室に入ると、真っ先に窓際の湯河香名子の席を見た。香名子はまだ来ていないが、彼女の机が鉛筆の落書きで真っ黒に汚れているのは、遠目にもよくわかった。……あれも、和希たちの仕業だ。
「何見てるの? 砂田さん」
「ううん、何にも」
 史佳は、環に何かを考えるすきを与えない。先回り先回りして、環の気持ちの行き先をふさごうとする。
「……わかるけどさ、同情なんかしちゃだめだよ」
「わかってるよ」
「あれは自業自得なんだからね。高倉さんにモノぶつけるなんて、自殺行為もいいとこだよ。変に同情したら、こっちまで迷惑こうむるよ」
「わかってるったら!」
 環は小声で言い捨てると、史佳からぷいと顔をそむけて、自分の席に座った。強い感情を吐き出した後で、不意に力が抜けて、急に寒さを感じた。まわりの音が遠くなり、教室が突然ぐんと広くなったような気がした。
 一体、ここはどこだろう? 学校の、教室の中みたいだけど。いっぱい、子どもがいるけれど……。みんな、何をがやがや言い合っているんだろう? 何を考えて、笑っているんだろう? まるで、ここは、冷蔵庫の中で冷たく固まった、青いゼリーの中みたいだ。心も、体も、身動きができないほど冷たいのに、みんな、どうして、平気でさわいでいられるんだろう?
 後ろから、史佳が何かを言ってきたが、環には聞こえなかった。机の上に出した筆箱をいじりながら、環の心は、虫みたいに、消しゴムのカバーに書かれた印刷の文字の上を、はっていた。
 あの時、なぜ、香名子は和希に消しゴムをぶつけたのか。なぜだまって見ていなかったのか。放っておけば、和希の興味の対象は環の方に行って、自分は助かっただろうに。
 和希たちのターゲットは、あれから再び香名子の方に移り、環のことは忘れられたかのようだ。そして、広田くんも、環には、見向きもしなくなった。以前なら、道端で会ったら、少なくとも要といる時は、必ず声をかけてくれた。でも今は、道端で会うと、広田くんはさっと目をそむけて、大急ぎで通り過ぎてしまう。
 環は、ふっとため息をついて、筆箱から手を離した。ぼんやりした頭の中で、環は、これはゲンジツなんだろうか? と思った。今まで、何度も、ゲンジツゲンジツって、言ったような気がするけど、一体、ゲンジツって何だろう?
 ゲンジツは、つらいものだ。苦しいことばっかりで、アニメやおとぎ話みたいに、うまくいきっこない。だから、そう、これがゲンジツなんだ……。
 環は、黒板を見ながら、ずべてを見切ったような冷めた笑いを、試みた。だけど、顔が、言うことをきかなかった。重さのない暗幕が、突然おおいかぶさってきたかのように、環は無力感に押しつぶされ、肩を落とした。うすっぺらなゲンジツの中で、からっぽの自分が、ひからびたヒョウタンみたいに、ころがっているような、気がした。
 チャイムが鳴って、環ははっと我にもどった。やがて、太った吉田先生の後ろに、こそこそ隠れるようにして、香名子が教室に入ってきた。香名子は、和希たちを避けるためにか、このところ遅刻すれすれで登校してくるようになった。休み時間も、どこに隠れているのか、気がつくといつの間にか姿が見えなくなっている。
 和希たちのいじめが、前にも増して陰湿になってきているのには、環も気づいていた。時々香名子が、ぐっしょり濡れた靴をはいていたり、片足のふくらはぎだけが真っ赤に腫れていたりするのを、見たことがあるからだ。だけど、今の環には、どうすることもできない。
 香名子の捨て猫のように悲しそうな顔が、今、一体どんな顔になっているのか、環は見るのもいやだったし、想像することもいやだった。だから、香名子が小走りで環の席の横を通り過ぎた時も、環はじっとうつむいたままで、石みたいに固まっていた。
 香名子が窓際の自分の席に座ると、先生が教卓に出席簿を置いて、にっこり笑った。和希が「立ちましょう!」と声をかけた。
 あやつり人形みたいに、みんなが立ち上がった。環も立ち上がった。先生の笑顔の後ろで、黒板がふと、黒々と大きな目を開けた、闇のように見えた。

(つづく)



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