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nachtmusik

♪andante...im tempo...rondo...adagio♫

Hey Joe

2007-01-31 | Rock♪
名曲『ヘイ・ジョー』と聞いて真っ先に浮かぶ名は《ジミ・ヘンドリックス》...
そう1967年のモンタレー・ポップ・フェスティバルでの演奏が強烈でした。

でもその演奏を凌ぐものがあるとしたら...それはロイ・ブキャナンが1973年に録音し、
亡きジミ・ヘンドリックスへ捧げた『ヘイ・ジョー』かもしれません。

とにかくもの凄い勢いで一気に弾く間奏のソロは一度聴いただけで圧倒されてしまう
迫力です。それにギター・ソロが始まったと同時にバックの演奏がフェイド・アウト
し、ギター・ソロが終わる頃にフェイド・インしてくるサウンド・ミキシングも圧巻
です。とにかく感動的という言葉しか思い浮かびません。

《Roy Buchanan》(アメリカ 1939-1988)

『世界最高の無名ギタリスト』と呼ばれ、エリック・クラプトン、ジェフ・ベックら
 多数のギタリストへ影響を与える。




それから今夜、CDをオーダーしました。
『John Mayall Blues Breakers With Eric Clapton』(1966年発表)


《John Mayall》(イギリス 1933-)

HMVレビューより~
フレディ・キングやロバート・ジョンソンといったブルース・ナンバーを取り上げた
ブルース・ブレイカーズの1966年度作にして名盤の誉れ高い一枚。
録音は前年の1965年で、当時、英ブルース界の重鎮ジョン・メイオールとエリック・
クラプトンはいわゆるシカゴ・ブルースを通じて深く結びつきを持っていた。


追伸:これからしばらくブルースにハマろうかと思います。

5人目のビートルズ

2007-01-27 | DVD Music♪
昨日に続いてビートルズのDVD作品レビューです。

タイトルは『スチュアート・サトクリフ~5人目のビートルズ』

《Stuart Sutcliff》スチュアート・サトクリフ(スコットランド 1940-1962)は、
ビートルズ黎明期の初代ベーシストとして、デビュー前のドイツ・ハンブルグ~イギリス・
キャヴァーンクラブ時代にジョン、ポール、ジョージ、ピートらと共に活動しました。

*左からジョージ、スチュアート、ジョン(1960年頃)アストリッド・キルヒャー撮影


しかし本来スチュアートは画家志望でリヴァプールの美術学校に通っていたところを
1年後に入学したジョンに誘われビートルズに加入することになったのです。

スチュアート在籍時のビートルズの音源は今まで存在しないと思われていましたが、
1995年に発売された『ビートルズ・アンソロジー1』に奇跡的に収録されていました。

録音年月日は1960年の春ないし初夏、場所はリヴァプールのポールの自宅、メンバーは
ジョン、ポール、ジョージ、スチュアートの4人でした。

スチュアートはビートルズと共に行った1960年のドイツ演奏旅行で運命の女性と出会い
恋に落ちます。彼女の名はアストリッド・キルヒャー...彼女は写真家でした。

現在、私たちが初期ビートルズ(ドイツ時代)の写真を見ることができるのは彼女のお陰
です。また初期ビートルズのトレードマークとなった《マッシュルーム・カット》と
《襟なしジャケット》、そして2ndアルバム『ウィズ・ザ・ビートルズ』の印象的な
《ハーフシャドウ》の写真効果も彼女の考案と言われています。

それからアストリッドがスチュアートと出会うまで彼女の恋人だったクラウス・フォ
アマン(デザイナー/ミュージシャン)はビートルズが1966年に発表したアルバム
『リボルバー』のジャケットを手掛けています。


1961年の春、スチュアートはビートルズを去り、ドイツへ残ることを決心します。
画家を目指すためとアストリッドとの愛のために...

すべてが順調に進むはずだった矢先に突然不幸が襲います。

スチュアートが帰らぬ人となったのです。

享年21才...あまりにも早すぎる死でした。


アストリッド・キルヒャーの言葉です...

『スチュアートは私の人生、そして青春だった...
        彼のような人には二度と出会うことはないわ...』



スチュアートの作品





スチュアートの墓

ビートルズ誕生秘話

2007-01-26 | DVD Music♪
昨年発売されたDVD『ビートルズ誕生秘話~ピート・ベスト ストーリ~』を観ました。

メイン・アクトは《Pete Best》ピート・ベスト(イギリス 1940-)
ビートルズが好きな方ならピート・ベストという名前は多分御存知だと思います。

彼はリンゴ・スター加入前のビートルズ初代ドラマーとして、ビートルズが正式デビュー
する以前の1960年ドイツ・ハンブルグ巡業~イギリス・キャヴァーンクラブのライヴなど
今では伝説となっている頃のメンバーでした。

こうした長い下積み時代からようやく掴んだデビュー直前の1962年10月の数ヶ月前に
彼は突然ビートルズを去りました。否...正確には”解雇”されたのです。

理由は今までいろいろと言われてきましたが、真実は今も”謎”とされています。

彼の解雇に直接関係した人物ではプロデューサーのジョージ・マーティン氏が有力です。
マーティン氏が後年語っていたところでは「ドラムの技術に問題があった...」と。

*ピート・ベスト在籍時のビートルズの音源はいくつか残されていて今でも聴くことが
 できますが、ピートが叩くドラムは決して解雇されるほどの問題があったとは思えず、
 なにかほかの理由があったのではと思います。

確かにリズムは音楽の要であり、ピート・ベストだけでなく、リンゴ・スターもビート
ルズのデビュー曲『ラヴ・ミー・ドゥ』での初セッションでは「ドラムに問題あり」と
外され、替わりにセッション・ドラマーが起用され演奏しています。

*後年、リンゴはこの時のマーティン氏の仕打ちを「今でも忘れていないよ」とジョーク
 を交えながら語っていましたが...

いずれにせよ、ピート・ベストは納得のいく説明がないままビートルズを去るしか
なかったのです。その後、彼はなんとか気を取り直して新しいバンドを結成しますが、
鳴かず飛ばずのまま、ビートルズが世界制覇を果たした1965年にひとり寂しく音楽界
から身を引いています。

いつの世にも大成功を成し遂げた人の陰にはこうした人がいるのかもしれません。
でもそれに気付く人は、その当事者の親しい人たちだけなのかもしれません。

私もビートルズと出会った頃にピート・ベストの事を本で知りましたが、さりとて
気にもとめませんでした...

ピート・ベストが後年語っています。
「あの日以来、メンバー(ジョン、ポール、ジョージ)からは連絡が来なくなりました」

DVD『ビートルズ・アンソロジー』でジョージ・ハリスンが、あの日の出来事を回想する
シーンがあるのですが、さすがのジョージも言葉を探している様子でした...

でも結局のところ誰が悪くて誰が正しいといったことは誰にも判断が下せないと思います。
辛く厳しいことではありますが、ただあるがままの現実を受け入れるしかないのです。


写真:ドイツ・ハンブルグ時代のビートルズ(1960年頃)アストリッド・キルヒャー撮影
*左から:ピート・ベスト/ジョージ・ハリスン/ジョン・レノン/
     ポール・マッカートニー/スチュアート・サトクリフ(初代ベーシスト)





自身の回想録...

次元は違いますが私はこの物語を観てかつての自分自身を思い出しました。
それは私が21才の時にサポート・ギターとして参加したバンドでの出来事です。

そのバンドのリーダー(兼ボーカリスト)は博多出身だったこともあり、デビュー前の
チェッカーズとレコード・オーディションを競ったこともありました。

結果その人はその戦いに敗れチェッカーズがレコード・デビューを果たしました。
そして心機一転単身上京し、再度レコード・デビューに挑戦するためのバンドを東京で
結成したのです。

私はそんな時にそのバンドのキーボーディストだった知人に誘われ加入しました。
まだ若かった私はプロの厳しさを本当の意味で経験した初めてのバンドでもありました。

そうして何ヶ月間のリハーサルを終えて、ミュージシャン「伊藤銀次」氏のコンサート
ツアーの前座という扱いで九州ツアーに随行するチャンスが巡って来たのです。
私はこのチャンスに”おののき”ながらも懸命に平常心を保とうと努力しました。

そしていよいよ来週から出発という時にバンドリーダーから突然言われたのです...
「今回のツアーへは僕の友人がギタリストで参加するから...」事実上の解雇通告でした。
私は思いもかけない突然の言葉に頭が真っ白になり愕然としました。

それから数ヶ月間はギターを見るのも辛くまったく弾くことができませんでした。

後日、私をこのバンドに誘ってくれたキーボーディストの知人と会う機会があり、
その後のバンドの事を聞きました。

バンドはあのツアー終了後に解散し、バンドリーダーだった人も故郷の博多へ帰った
とのことでした。

もし仮にバンドが成功し、レコード・デビューを果たしていたら、私もピート・ベストの
ように生涯忘れることのできない悔いを残していたのでしょうか...

またあるいは...あのまま私も九州ツアーに参加し、その後運良くレコード・デビューを
果たしたとしても、今頃はどうなっていたことか...

私はあれ以来、サポート・ギターとして他のバンドへ参加することは二度とありません
でした。あれ以降、私がバンド活動を行う時は自らが率先してメンバーを探し、誰かの
曲を演奏するのではなく、自分たちのオリジナル曲を演奏しようと心に決めました。

あらためて振り返ってみますと、若い時期にプロの厳しさを肌身で感じられたことは
とてもよかったと思います。もちろん、あの時は大変なショックでしたが...

目の前で起こる出来事は如何ようにも解釈できますが、まずはあるがままの現実を受け
とめて、そしてそこから新しい何かを生み出すしかないのだと思います。

軽音楽をあなたに

2007-01-25 | Radio
『軽音楽をあなたに』と聞いてピンとくる方は青春時代をFMラジオと共に過ごした
世代ではないでしょうか...

私が音楽(特に洋楽)に目覚めたのは中学~高校時代によく聴いたFMラジオから
でした。

当時はまだインターネットやCDがなかった時代...

最新の海外の音楽ヒットチャートや有名アーティストの音楽を聴くにはFMラジオ
が最適でした。
そんな中でもNHK-FMが平日16:10~18:00に放送していた『軽音楽をあなたに』は
お気に入りの番組でした。

なにがお気に入りだったかと言うと、いろんなアーティストの曲をただ流すのではなく、
ひとりのアーティストを取りあげる特集がメインだったからです。

当時、学生だった私が自由に使えるお金は僅かでレコードを買うにも月1枚が限界でした。
なのでこの番組からのエアチェックがどれだけ楽しみだったことか...
こうして録り溜めたカセットテープを毎日聴きながら洋楽に親しんでゆきました。

当時の音楽の楽しみ方は今から思うとずいぶんと原始的だったかもしれませんが、あの時
FMラジオから流れる音楽を聴きもらさないようにスピーカーにしがみついていた私があっ
たからこそ、今の私があるのだと思います。

追伸:今は《iTunes Radio》を毎日聴く私がいます。

Wheels Of Fire

2007-01-24 | Rock♪
《CREAM》(クリーム)イギリスのロックバンド

1966年7月デビュー~1968年11月26日ロンドン・ロイヤル・アルバートホールでの
フェアウェルコンサートをもって解散...2年余りの活動期間でした。

メンバーは
Jack Bruce(ジャック・ブルース):ベース&ボーカル
Eric Clapton(エリック・クラプトン):ギター&ボーカル
Ginger Baker(ジンジャー・ベイカー):ドラム

私が友人から薦められて初めて聴いたクリームは1968年発表の3rd Album『Wheels Of
Fire』(クリームの素晴らしき世界)でした。

当時、私は19才...このアルバムを聴いてまず最初に感じたのはアルバム全体に漂う妖しい
サイケデリックな香りでした。
それはビートルズの『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』と
はまったく異なったものでした。

ジャックがアートロックの素晴らしさを表現した『Passing The Time』...
クラプトンがワウペダルの効果を活かしたクリーム最大のヒット曲『White Room』...
ジンジャーがドラムを叩きながら詩を朗読する『Pressed Rat And Warthog』...

今聴いてもまったく色褪せることなく、ロックが熱かった1960年代ならではのGrooveが
このバンドにはあります。

人々にリード・ベースと言わしめたジャック・ブルース...
ジャックが登場するまでのベース・サウンドはと言えば、決して楽曲の前面に出ること
なく収まっていたのですが、ジャックのベース・サウンドはこれまでの概念を大きく
覆すものでした。

クラプトンのギターもこの《クリーム》の時期だけは、前の《ヤードーバーズ》、後の
《ブラインド・フェイス》、《デレク&ドミノス》、そしてソロ時代...
どの時代にもないギター・サウンドを奏でています。

そしてまるでアフリカのジャングルを想起させるジンジャーのドラム...
私の中では1960年代に活躍したドラマーの最高峰といえば《フー》のキース・ムーンと
《クリーム》のジンジャー・ベイカーの2人です。

ジンシャー曰く『クリームはロックンロールじゃない。何故なら僕とジャックはジャズ・
        ミュージシャンでエリックはブルース・ミュージシャンだからさ』

*後にも先にも往年のジャズの3ピースバンドを除けば、《クリーム》は史上最強の
 3ピースバンドではないでしょうか...


追記:2005年5月2~3、5~6日の4日間限り、解散の地であるロンドン・ロイヤル・
   アルバートホール、37年振りの再結成コンサート...DVDで観ることができます。

1st Album『Fresh Cream』(フレッシュ・クリーム)1966年発表


2nd Album『Disraeli Gears』(カラフル・クリーム)1967年発表


Last Album『Goodbye』(グッバイ・クリーム)1969年発表

iPod

2007-01-22 | Diary
もうすこし先に買う予定だったのですが、本日《iPod 80GB》買っちゃいました。

理由は今まで使っていた《iPod 30GB~第2世代》のバッテリーが1時間以内で切れて
しまうからです。さすがにこれだと短かすぎます~
でもで3年と半年間フル稼働だったので、そろそろバッテリー寿命切れだったのですが...

しかしながらお金のいることばかりで頭が痛いです~
今度は春頃にiMacを買おうと計画しているからです。

それと早くMac OS 10.5発売しないかな~

*後日談:バッテリー寿命切れだと思っていたiPodが復活しました~(笑)
     というわけで2台同時稼働となってしまいました~(苦笑)

喜劇王

2007-01-19 | DVD Movie
《チャールズ・チャップリン=Charles Chaplin》(1889-1977)

私は今までチャップリンの映画はTVで数本観ただけで、
いつかはチャップリンの映画をすべて観てみたいと思っています。

昨年NHKで放送された『プレミアム10~チャップリン 世紀を超える』は私のような初心者
にもわかりやすようにチャップリンの生涯、映画に託した思いや情熱などが紹介されていま
した。また今まで公開されなかった【アウトテイクス=未公開映像】も散りばめながら、
完成版との比較検証も行うといったマニアの方にも納得の内容でした。

私は今日、ようやくこの番組を観ました。
これを機にチャップリンの映画を本気で観たくなり、早速アマゾンで注文しました。
1作品が¥500で買えるのにはビックリしました。

そんなわけでまずは有名な5作品から観てみようと思います。

『チャップリンの黄金狂時代』1925年


『街の灯』1931年


『モダン・タイムス』1936年


『独裁者』1940年


『ライムライト』1952年

Sound Engineer

2007-01-18 | Book
書籍『ザ・ビートルズ・サウンド 最後の真実』を読み始めました。

著者はビートルズのサウンド・エンジニアを勤めた《ジェフ・エメリック》氏と
音楽ジャーナリストの《ハワード・マッセイ》氏。

とにかく最初の数ページを読んだだけでも興奮してしまいました~
アルバム『リボルバー』のラストを飾る曲〈トゥモロー・ネバー・ノウズ〉のジョン・
レノンの印象的なボーカルとリンゴ・スターのダイナミックなドラムのサウンド効果が
ジェフ・エメリックのアイデアだったとは...
しかもビートルズのサウンド・エンジニアに正式に就いた初セッションでの手腕です!
さらに驚いたのは当時の彼の年齢はなんと!弱冠19才!

イギリス・ロンドンにある「アビイ・ロード・スタジオ」を今では誰もがなんの違和感も
なくそう呼んでいますが、元々は「EMIスタジオ」と呼ばれていました。
この「EMIスタジオ」ではクラシック音楽の名盤も数多く録音されており歴史と由緒ある
スタジオです。その「EMIスタジオ」が「アビイ・ロード・スタジオ」と呼ばれるように
なったのは、ビートルズの1969年の名盤『アビイ・ロード』がこの「EMIスタジオ」で
録音されてからです。


*「本文」より抜粋
1966年『リボルバー』から1970年『アビイ・ロード』まで、《ジョージ・マーティン》と
共にビートルズのレコーディング現場にいた唯一人のレコーディング・エンジニア~
《ジェフ・エメリック》が語る、未公開エピソード満載のビートルズ・サウンド・メイキン
グのすべて!

ジェフはいちばん最初からビートルズという現象と彼らが音楽を永遠に変えてゆく過程を
目の当たりにしていた。何があったのかを本気で知りたいと思った人は、ぜひともこの本を
読んでほしい。きっとあの特別な時代について、大いに見識を深めることができるだろう。
──グレアム・ナッシュ(ホリーズ~クロスビー、スティルス&ナッシュ)

これは深い共感を呼ぶ、どこまでも魅惑的な物語だ...音楽的な見識、暴露的な逸話、そして
歴史的、技術的ディテールの美味なるミックス。ひとつの重要な時代を正確かつエレガント
に再現し、読む者の心を奥底から揺さぶる回想録だ。
──ピーター・アッシャー(ジェイムズ・テイラー、リンダ・ロンシュタットのプロデュー
  サーで、元アップル・レコーズのA&Rディレクター)

長年、ビートルズのレコードを研究してきたぼくのような男にとって、この本はまさに夢が
現実になったようなものだ。だって彼はその場にいたんだぜ!
──ポール・シャッファー(「レイト・ショウ・ウィズ・デイヴィッド・レターマン」の
  音楽監督)

【著者について】
ジェフ・エメリックは1962年にアシスタント・エンジニアとして高名なアビイ・ロード・
スタジオに加わり、1966年に正規のエンジニアに昇格、しかし1969年にはこのスタジオを
離れ、ビートルズのアップル・レコーディング・スタジオに移籍した。
グループ解散後も引きつづきポール・マッカートニー&ウィングスのエンジニアを務め
(名作《バンド・オン・ザ・ラン》も彼の手になるものだ)、他にエルヴィス・コステロ、
アメリカ、ジェフ・ベック、アート・ガーファンクルらのアーティストを手がけている。
これまでに4度グラミーを受賞しており、2003年にはテクニカル・グラミーに輝いた。
 
ハワード・マッセイはベテランの音楽ジャーナリスト兼プロデューサー/エンジニア。
「ミュージシャン」誌の前テクニカル・エディターであり、さまざまな業界刊行物に外部
編集者として協力。これまでに11冊の著書がある。


『ザ・ビートルズ・サウンド 最後の真実』
【目次】
プロローグ:1966年
第一章:秘宝
第二章:アビイ・ロード三番地
第三章:ビートルズとの出会い
第四章:初期のセッション
第五章:ビートルマニア
第六章:ハード・デイズ・ナイト
第七章:創意と工夫~「リボルバー」の舞台裏
第八章:ここにいられて最高です、ほんとにワクワクしています
     ~「サージェント・ペパー」のスタート
第九章:傑作がかたちに~「サージェント・ペパー」のコンセプト
第十章:愛こそはすべて...そして長いお休み
     ~「マジカル・ミステリー・ツアー」と「イエロー・サブマリン」
第十一章:僕が辞めた日~「ホワイト・アルバム」の舞台裏
第十二章:嵐のあとの静けさ~「ホワイト・アルバム」以降の日々
第十三章:金床とベッドと三人の拳銃使い~「アビイ・ロード」の舞台裏
第十四章:とどのつまりは~「アビイ・ロード」の完成
第十五章:穴の修理~アップル時代
第十六章:ドブとトカゲとモンスーン~「バンド・オン・ザ・ラン」の舞台裏
第十七章:ビートルズ以降の人生
      ~エルヴィス・コステロから「ビートルズ・アンソロジー」まで
エピローグ:今日、ニュースを読んだよ、いやはや
       ~「バランス・エンジニア」として

Elvis Presley

2007-01-16 | Rock♪
”キング・オブ・ロックンロール”と言えば...
《エルヴィス・プレスリー》(アメリカ 1935-1977)...

今年はエルヴィスが亡くなって30年となります。
命日の8月16日には全世界のエルヴィス・ファンの人たちがアメリカ・メンフィスの
『グレイスランド』へ集合することでしょう。

私が初めてエルヴィスの音楽を聴いたのは中学生の頃でビートルズと同時期でした。
当時の私はエルヴィスといえば1950年代のロカビリー時代が本物で後の1960~70年代は
単にその延長線上だと思っていました。

私が真にエルヴィスの音楽に目覚めたのは生誕65周年にあたる西暦2000年でした。
過去に発売されたエルヴィスの膨大なアルバムの中から厳選した30枚を紙ジャケCDと
して限定発売し、また記念のCD BOXなども併せて発売されました。
これを機に何枚かCDを買って聴き始めました(エルヴィスのCDを買ったのは、この時が
初めてでした)じっくり聴いてみて私が好きなのは1970年代のエルヴィスでした。

1970年代のエルヴィスは年齢でいうと35才~で歌のレパートリーも1950~60年代の
お馴染みのヒット曲にプラスして、いろんなアーティスト~ビートルズ、ニール・ダイア
モンド、ライチャス・ブラザース、サイモン&ガーファンクル、バート・バカラック、
フランク・シナトラ...などの曲もステージで歌っていました。

今や伝説となった1970年のラスヴェガス公演(公演中にはジョン・レノン、ジョージ・
ハリスン、ボブ・ディランらが鑑賞)、1972年のニューヨーク初公演、そして1973年1月
14日には個人のアーティストとしては世界で初となる世界衛生生中継によるハワイでの
コンサートが行われました。そのどれもが全身全霊を込めた一世一代の名演でした。

ステージで歌う曲が他の人の曲であってもエルヴィスが歌うとまるで魔法をかけたように
美しい旋律へと生まれ変わるのです。
特に名曲『マイ・ウェイ』での熱唱はオリジナルのポール・アンカを筆頭にフランク・シナ
トラらと並んで感極まるものがあります。

エルヴィス・プレスリーがデビューした1954年前後の人気アーティストと言えば...

ビートルズが数多くカバーしたカントリー&ウェスタンの雄《カール・パーキンス》

世界で初めてピアノの上に乗った男《ジェリー・リー・ルイス》

ロカビリーの雄《エディ・コクラン》と《ジーン・ヴィンセント》
*ロカビリー【rockabilly】
 ロックンロールと米国南東部の民謡ヒルビリーとが融合して生まれたポピュラー音楽。
 1950年代後半に流行。

ビートルズ時代のポール・マッカートニーがコンサートの最後に決まって歌う『ロング・ト
ール・サリー』の《リトル・リチャード》
*後年リトル・リチャードが語っていましたが「エルヴィス〈白人〉が俺たち〈黒人〉の
 音楽を歌ってくれたからこそ、俺たちは表舞台へ出ることができたんだ」...

そして決して忘れてはならないのが《バディ・ホリー》...

ジョン・レノン、ポール・マッカートニー、ブライアン・ウィルソン(ビーチボーイズ)、
ボブ・ディラン、ロバート・プラント(レッド・ツェッペリン)、ブルース・スプリング
スティーン、トム・ペティら多数のアーティストが憧れたエルヴィス・プレスリー...

ローリング・ストーンズのデビュー曲となった『カム・オン』の作曲者チャック・ベリー
曰く「あいつは過去においても、現在においても、そして未来においても、もっとも偉大
な男だよ」...

1950年代に登場したアーティスト達は聴けば聴くほどダイヤモンドの原石のようなエネル
ギーを感じます。
まだ『ロックンロール』という言葉が生まれたばかりのこの時代、かつてこれだけの偉大
なアーティスト達がいたことを思い知らされます。

エルヴィスの初代ギタリストだったスコッティ・ムーアは1954年のデビュー曲『ザッツ・
オール・ライト』から初期のエルヴィスを支えた偉大なギタリストです。
チャック・ベリーと並びロック・ギターの神様と言われています。

今年もまたエルヴィスに夢中になりそうです~

胃腸

2007-01-10 | Diary
最近どうも胃の調子がよくないです。
ここ半月ほど冷たい飲み物はまったくと言っていいほど飲めなくなりました。
飲むとすぐにお腹が痛くなってしまうのです。
なので飲み物といえば「熱いお茶」「熱いココア」「熱いコーヒー」にしています。

昼ごはんは「熱いお茶」が自由に飲める「らんぷ亭」へ行っています。
いずれにせよこのまま長引くようであれば一度病院へ行かなくてはと思っています。

追伸:大好きなビールが思うように飲めないのは辛いです~(泣)

Dimension

2007-01-05 | Diary
私が今まで購入したCDライブラリーの中には数多くのモノラル音源があります。
クラシック音楽ですとフルトヴェングラーが指揮した音源、ロックですとエルヴィス・
プレスリーの初期の音源、ビートルズの海賊盤音源などです。

今ではそういったモノラル音源を自宅で手軽に【擬似ステレオ=Dimension効果】化でき
るソフトがあります(*左右分離の完全なステレオではなく、音に拡がり感をもたせたイ
メージ)。1万円くらいの手頃なソフトですと『Sound it』でしょうか。

ちなみに辞書で《Dimension》の意味を調べてみますと【長さ, 幅, 厚さ[深さ]】とありま
した。

最近、iPodへのエンコード・ビットレートを変更しました。
今までは初期設定の【AAC~128kbbs】でエンコードしていたのですが、試しに【AAC~
192kbbs】でエンコードしてみると音圧が全然違うのです。まぁ今頃、気付くのも遅いの
ですが...(苦笑)
元々、クラシックCDは【AAC~192kbbs】でエンコードしていていました。
とは言えダイナミックレンジの高いクラシック音楽では随分低めの設定ではあります。
いずれにせよエンコード自体、音を圧縮しているのでCDより音質は落ちてしまいますが。

話を元に戻しますが、今は【ディメンジョン】効果の面白さも知ってしまったので、これ
からは音楽CDだけでなく、自分が今まで録音したオリジナル音源などの編集にも着手しよ
うかと思っています。

まだまだ使い慣れていないエフェクト(コンプレッサー/リミッター、エンハンサ、ノイ
ズリダクションなど)があるので、日々の勉強と探究心が必要ですね!(反省)

初休み

2007-01-04 | Diary
ようやく仕事休みとなりました~(クタクタ)

年末年始と働き詰めでしかもその間には自分たちのバンドのライヴも行うといった
ハードスケジュールでした。

しかしながら1年の締めくくりにライヴを行えたことには大いに満足しています。
今年はさらなるバンドの成長をと誓っております。

さて...話は変わりますが昨日は大変な1日となりました。
朝方から胃の調子が悪かったので(昨夜の食べ物の消化不良...?)
念のため胃薬を飲んでから部屋を出ました。
ところが!!通勤電車の中で腹痛が始まり、どうにも我慢できなくなり途中下車しました。
出社してからも腹痛が治まらなかったので正月早々から【正露丸】を買いに行きました。
なんとか退社する頃には腹痛も治まり帰りの電車では疲れのせいかグッスリ熟睡しました。

追伸:みなさま、食事の際はよく噛んで食べましょう!(笑)

みそラーメン

2007-01-02 | Gourmet
今日の昼ごはんは職場近くの中華料理店で「みそラーメン」を食べました。

私はラーメンと言えばインスタントで食べる時も、お店で食べる時も
「みそラーメン」が好きです。

ちなみにインスタントは断然「サッポロ一番」です。
お店で食べる時は¥390でやっている時によく行きます(普段は¥680)

そんなわけで明日も行ってきま~す(笑)

謹賀新年 2007

2007-01-01 | Diary
新年あけましておめでとうございます!

私は今年も昨年同様、年末年始は仕事でございます~(苦笑)
毎年そうなんですが、ちっとも正月気分を味わうことなく新年を迎えています。
一体、いつまで続くんでしょうか~こんな生活...(笑)

なにはともあれ、本年もどうぞよろしくお願いします。

2007年 元日