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nachtmusik

♪andante...im tempo...rondo...adagio♫

Living in the Material World

2011-09-24 | DVD Music♪
数年前から噂となっていたマーティン・スコセッシ監督による ” ジョージ・ハリスン " 伝記映画 を観られる日が遂にやって来ました~





ジョージ・ハリスン/リヴィング・イン・ザ・マテリアル・ワールド』ブルーレイ&DVD 12月23日発売


ジョージについては今更あらためて説明するまでもなく、今日の音楽シーンに与えた影響は計り知れず、音楽一般リスナーは基より、
特にミュージシャン(プロアマを問わず)からのリスペクトはビートルズ4人中、最も高いのではないでしょうか。

今までジョンとポールに関しての書籍、映像などは数多くありましたが、ジョージとなると意外と少ないです。
そうした中、ジョージが遺した功績を没後10年の節目の年に映画という形で辿れる機会が与えられる事はとても意義あるものです。

尚、限定のコレクターズ・エディション盤には未発表音源10曲が収められたCD付きとの事なのでこちらも気になるところです~
 

  

  

  


Rock Show 1976

2010-03-29 | DVD Music♪
先週土曜から日曜までの2日間、故郷大阪から親友が遊びに来ました。

せっかくこっちへ来たので東京下町見物でもと思ったのですが、親友は観光よりも楽器と
海賊盤CDがたくさん置いてあるお店へ行きたいとの希望だったので、御茶ノ水の楽器店巡りと
西新宿の有名ブートレッグショップ「BACK TRIP RECORDS」と「ブラインドフェイス」へ
一緒に出掛けました~

御茶ノ水の楽器店へは私自身ちょくちょく行っていることもあり、私はさほど目新しさを感じ
ませんでしたが、親友は楽器店の多さに満足がいったみたいで目当ての楽器(ベースギター)を
熱心に見ていました。昼食はそのまま御茶ノ水のカレー店「エチオピア」へ...

そして昼食を済ませ、いざ西新宿へ~

今、音楽業界の中で特にCDが「不況・CDレンタル・ネットダウンロード」の影響で売れないと
言われていますが、この2店舗「BACK TRIP RECORDS」と「ブラインドフェイス」にはそういった
時代の悪条件にはまったく影響されない活気があり、お客さんも結構入っていました。
それもその筈、正規盤ではなく海賊盤を取り扱っているお店だからですね~
なので毎回お店へ行く度にワクワクさせられます~

さすがに親友も先程の楽器店以上に満足がいった様子で海賊盤DVDを2タイトル購入しました。


ポール・マッカートニー&ウイングス 1976年アメリカン・ツアー『WINGS OVER AMERICA』

今回の目玉はライナーノーツによると日本公開時の映画には収録されながらも、その後公式発売
されたVHSやLDではカットされた7曲を含む完全版とありました。

《収録曲》*VHSやLDには未収録の曲。収録時間約130分(通常版は102分)

VENUS AND MARS ~ ROCK SHOW ~ JET
LET ME ROLL IT
SPIRITS OF ANCIENT EGYPT
MEDICINE JAR
MAYBE I'M AMAZED
CALL ME BACK AGAIN *
LADY MADONNA *
THE LONG AND WINDING ROAD *
LIVE AND LET DIE
PICASSO'S LAST WORDS (DRINK TO ME) *
RICHAD CORY *
BLUEBIRD
I'VE JUST SEEN A FACE
BLACKBIRD *
YESTERDAY
YOU GAVE ME THE ANSWER
MAGNETO AND TITANIUM MAN
GO NOW
MY LOVE *
LISTEN TO WHAT THE MAN SAID
LET'EM IN
TIME TO HIDE
SILLY LOVE SONGS
BEWARE MY LOVE
LETTING GO
BAND ON THE RUN
HI HI HI
SOILY
《LIVE AT SEATTLE KING DOME, SEATTLE, WASHINGTON, JUNE 10, 1976》

思い返せば、この映画『ロックショウ』が日本で上映された1981年、親友と2人で映画を
観に行きました。あれから29年...初DVD化されたこの日本上映版『ロックショウ』を
同じ2人で話題にしている事に不思議な思いがしました...



thirty two short films about GLENN GOULD

2009-12-28 | DVD Music♪
映画『thirty two short films about GLENN GOULD』
(邦題:グレン・グールドをめぐる32章)(カナダ 1993年)



映画上映当時には観に行こうと思っていたのですが、結局観にいかずそのままになって
しまいました...その後LDで発売されましたが、ようやくDVD化となりました。

グールド本人は出演していませんが、伝記映画として一見の価値ありだと思います。
映画上映から16年の歳月を経て初めて観るので楽しみです~


Woodstock Festival 1969

2009-04-28 | DVD Music♪
今年は『ウッドストック・フェスティバル』から40年後ということもあり、
なにかあるかなぁと思っていたところ未発表映像満載のDVDが発売とのことです。


《ディレクターズカット ウッドストック 愛と平和と音楽の3日間
  40周年記念アルティメット・コレクターズ・エディション》
  (DVD版は4枚組、Blu-ray版は2枚組)(2009年8月5日 発売予定)



現在発売されているDVDの収録時間は計224分ですが、このリニューアル版はさらに
300分も追加です~

ちなみに私は今まで最初に発売されたLD2枚組を購入し、その後バージョン違いの
単品LDを計3枚、そして現在発売されているDVDを購入しました。

CDは2枚組を2種類、その後1994年に発売された25周年記念盤(CD4枚組)を購入
といった具合で今までどれだけの金銭を注ぎ込んできたことでしょう~

とはいえ今回の40周年記念盤も見逃すことはできませんね~


*下記写真はタワレコ限定パッケージで「Lifeマガジン」レプリカ、チケット、ドラフト
 カード、ノート、タンバリン、レンティキュラー封入のBlu-ray2枚組です。
 こちらも気になるところです~



Live At The Sydney Opera House

2007-12-18 | DVD Music♪
待ってました~

オリビア・ニュートン・ジョンの最新ライヴDVDが来年1月に発売されます。

収録場所は2006年オーストラリア/ニュージーランド公演との事です。

2006年といえば3月に来日公演があり、私も観に行きました。
言うまでもなく感動のコンサートでした!

あの感動をもういちど体験できるのは嬉しいかぎりです。



5人目のビートルズ

2007-01-27 | DVD Music♪
昨日に続いてビートルズのDVD作品レビューです。

タイトルは『スチュアート・サトクリフ~5人目のビートルズ』

《Stuart Sutcliff》スチュアート・サトクリフ(スコットランド 1940-1962)は、
ビートルズ黎明期の初代ベーシストとして、デビュー前のドイツ・ハンブルグ~イギリス・
キャヴァーンクラブ時代にジョン、ポール、ジョージ、ピートらと共に活動しました。

*左からジョージ、スチュアート、ジョン(1960年頃)アストリッド・キルヒャー撮影


しかし本来スチュアートは画家志望でリヴァプールの美術学校に通っていたところを
1年後に入学したジョンに誘われビートルズに加入することになったのです。

スチュアート在籍時のビートルズの音源は今まで存在しないと思われていましたが、
1995年に発売された『ビートルズ・アンソロジー1』に奇跡的に収録されていました。

録音年月日は1960年の春ないし初夏、場所はリヴァプールのポールの自宅、メンバーは
ジョン、ポール、ジョージ、スチュアートの4人でした。

スチュアートはビートルズと共に行った1960年のドイツ演奏旅行で運命の女性と出会い
恋に落ちます。彼女の名はアストリッド・キルヒャー...彼女は写真家でした。

現在、私たちが初期ビートルズ(ドイツ時代)の写真を見ることができるのは彼女のお陰
です。また初期ビートルズのトレードマークとなった《マッシュルーム・カット》と
《襟なしジャケット》、そして2ndアルバム『ウィズ・ザ・ビートルズ』の印象的な
《ハーフシャドウ》の写真効果も彼女の考案と言われています。

それからアストリッドがスチュアートと出会うまで彼女の恋人だったクラウス・フォ
アマン(デザイナー/ミュージシャン)はビートルズが1966年に発表したアルバム
『リボルバー』のジャケットを手掛けています。


1961年の春、スチュアートはビートルズを去り、ドイツへ残ることを決心します。
画家を目指すためとアストリッドとの愛のために...

すべてが順調に進むはずだった矢先に突然不幸が襲います。

スチュアートが帰らぬ人となったのです。

享年21才...あまりにも早すぎる死でした。


アストリッド・キルヒャーの言葉です...

『スチュアートは私の人生、そして青春だった...
        彼のような人には二度と出会うことはないわ...』



スチュアートの作品





スチュアートの墓

ビートルズ誕生秘話

2007-01-26 | DVD Music♪
昨年発売されたDVD『ビートルズ誕生秘話~ピート・ベスト ストーリ~』を観ました。

メイン・アクトは《Pete Best》ピート・ベスト(イギリス 1940-)
ビートルズが好きな方ならピート・ベストという名前は多分御存知だと思います。

彼はリンゴ・スター加入前のビートルズ初代ドラマーとして、ビートルズが正式デビュー
する以前の1960年ドイツ・ハンブルグ巡業~イギリス・キャヴァーンクラブのライヴなど
今では伝説となっている頃のメンバーでした。

こうした長い下積み時代からようやく掴んだデビュー直前の1962年10月の数ヶ月前に
彼は突然ビートルズを去りました。否...正確には”解雇”されたのです。

理由は今までいろいろと言われてきましたが、真実は今も”謎”とされています。

彼の解雇に直接関係した人物ではプロデューサーのジョージ・マーティン氏が有力です。
マーティン氏が後年語っていたところでは「ドラムの技術に問題があった...」と。

*ピート・ベスト在籍時のビートルズの音源はいくつか残されていて今でも聴くことが
 できますが、ピートが叩くドラムは決して解雇されるほどの問題があったとは思えず、
 なにかほかの理由があったのではと思います。

確かにリズムは音楽の要であり、ピート・ベストだけでなく、リンゴ・スターもビート
ルズのデビュー曲『ラヴ・ミー・ドゥ』での初セッションでは「ドラムに問題あり」と
外され、替わりにセッション・ドラマーが起用され演奏しています。

*後年、リンゴはこの時のマーティン氏の仕打ちを「今でも忘れていないよ」とジョーク
 を交えながら語っていましたが...

いずれにせよ、ピート・ベストは納得のいく説明がないままビートルズを去るしか
なかったのです。その後、彼はなんとか気を取り直して新しいバンドを結成しますが、
鳴かず飛ばずのまま、ビートルズが世界制覇を果たした1965年にひとり寂しく音楽界
から身を引いています。

いつの世にも大成功を成し遂げた人の陰にはこうした人がいるのかもしれません。
でもそれに気付く人は、その当事者の親しい人たちだけなのかもしれません。

私もビートルズと出会った頃にピート・ベストの事を本で知りましたが、さりとて
気にもとめませんでした...

ピート・ベストが後年語っています。
「あの日以来、メンバー(ジョン、ポール、ジョージ)からは連絡が来なくなりました」

DVD『ビートルズ・アンソロジー』でジョージ・ハリスンが、あの日の出来事を回想する
シーンがあるのですが、さすがのジョージも言葉を探している様子でした...

でも結局のところ誰が悪くて誰が正しいといったことは誰にも判断が下せないと思います。
辛く厳しいことではありますが、ただあるがままの現実を受け入れるしかないのです。


写真:ドイツ・ハンブルグ時代のビートルズ(1960年頃)アストリッド・キルヒャー撮影
*左から:ピート・ベスト/ジョージ・ハリスン/ジョン・レノン/
     ポール・マッカートニー/スチュアート・サトクリフ(初代ベーシスト)





自身の回想録...

次元は違いますが私はこの物語を観てかつての自分自身を思い出しました。
それは私が21才の時にサポート・ギターとして参加したバンドでの出来事です。

そのバンドのリーダー(兼ボーカリスト)は博多出身だったこともあり、デビュー前の
チェッカーズとレコード・オーディションを競ったこともありました。

結果その人はその戦いに敗れチェッカーズがレコード・デビューを果たしました。
そして心機一転単身上京し、再度レコード・デビューに挑戦するためのバンドを東京で
結成したのです。

私はそんな時にそのバンドのキーボーディストだった知人に誘われ加入しました。
まだ若かった私はプロの厳しさを本当の意味で経験した初めてのバンドでもありました。

そうして何ヶ月間のリハーサルを終えて、ミュージシャン「伊藤銀次」氏のコンサート
ツアーの前座という扱いで九州ツアーに随行するチャンスが巡って来たのです。
私はこのチャンスに”おののき”ながらも懸命に平常心を保とうと努力しました。

そしていよいよ来週から出発という時にバンドリーダーから突然言われたのです...
「今回のツアーへは僕の友人がギタリストで参加するから...」事実上の解雇通告でした。
私は思いもかけない突然の言葉に頭が真っ白になり愕然としました。

それから数ヶ月間はギターを見るのも辛くまったく弾くことができませんでした。

後日、私をこのバンドに誘ってくれたキーボーディストの知人と会う機会があり、
その後のバンドの事を聞きました。

バンドはあのツアー終了後に解散し、バンドリーダーだった人も故郷の博多へ帰った
とのことでした。

もし仮にバンドが成功し、レコード・デビューを果たしていたら、私もピート・ベストの
ように生涯忘れることのできない悔いを残していたのでしょうか...

またあるいは...あのまま私も九州ツアーに参加し、その後運良くレコード・デビューを
果たしたとしても、今頃はどうなっていたことか...

私はあれ以来、サポート・ギターとして他のバンドへ参加することは二度とありません
でした。あれ以降、私がバンド活動を行う時は自らが率先してメンバーを探し、誰かの
曲を演奏するのではなく、自分たちのオリジナル曲を演奏しようと心に決めました。

あらためて振り返ってみますと、若い時期にプロの厳しさを肌身で感じられたことは
とてもよかったと思います。もちろん、あの時は大変なショックでしたが...

目の前で起こる出来事は如何ようにも解釈できますが、まずはあるがままの現実を受け
とめて、そしてそこから新しい何かを生み出すしかないのだと思います。