マーラー:交響曲第9番
指揮:ブルーノ・ワルター/ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
(1938年1月16日 ウィーン楽友協会ホールでのライヴ録音)
マーラー第9番を語るうえで一度は聴かなければいけないと言われる大名盤。
この演奏会が行われた1938年のオーストリアはナチス・ドイツによる併合が目前に迫る緊迫の
年であり、ユダヤ人への迫害も日々増していました。
こうした状況下のオーストリア・ウィーンで行われた演奏会...
ユダヤ人のワルターがユダヤ人の師マーラーに捧げた演奏会であるのは無論のことですが、
多くの同胞へ語りかけているようでもあります。
そしてこの演奏会の後、ワルターは亡命します。
こうした時代背景が、この世紀の名演を生んだのではないでしょうか。
クラシック音楽における名演・名盤が戦中・戦後の間もない時代に多いのも決して偶然ではない
ように思えます。戦後の平和な時代に演奏されるクラシック音楽の中にも名演・名盤は数多く生
まれてはいますが、戦中・戦後の間もない時代の演奏と決定的に違うのは、演奏する側も聴く側
も切実な思いと真摯な姿勢でクラシック音楽と向き合っていたことではないでしょうか。
もちろん現在新しく録音されるすべてのクラシック音楽がそうであるわけではありません。
現に新録音の中にも素晴らしいものもたくさんあるからです。
しかし現在、一般的にクラシック音楽を聴くという事に関してだけ言わせてもらいますと
〈クラシック=癒し~ヒーリング・ミュージック、くつろぎ~リラクゼーション・ミュージック〉
と捉えられがちなのではないでしょうか...もちろんそれは今の時代に合った形なのですが...
それに対してあの時代クラシック音楽を聴くという事は〈クラシック=自由・希望・勇気〉と
人々に捉えられていたように思えます。ちょっと極端な言い方ではありますが...
また大指揮者と呼ばれた人たちが何故大指揮者と呼ばれ、何故この時代にだけ存在したのかも、
このあたりに所以があるように思います。
それぞれの時代によってクラシック音楽(だけでなくすべての芸術作品)に対する人々の意識・
価値観は常に変化するということなのでしょう。
それはある意味、自然なことでもあります。
だからこそクラシック音楽は時代が変化しても、その時代の解釈・価値観で演奏されるが故に
いつまでも〈クラシック=古典〉であるにも関わらず、絶えず聴く者の心に新鮮に響くのでは
ないでしょうか~
話を元に戻します~
今からもう70年前の1938年の録音にも関わらず良好な録音状態で残されていたことは奇跡と
しか言いようがありません。
そして”この日”この”演奏会”に訪れた人々のその後の運命をも考えずにはいられません。
ここでの演奏会の記録は作曲者マーラーが真に望んだ演奏会の記録であると同時に、この時代に
生まれ合わせた人々のドキュメントでもあるのではないでしょうか...
*《Bruno Walter=ブルーノ・ワルター》(ユダヤ系ドイツ人 1876-1962)指揮者
大名盤ということもあり数多くのレコード・レーベルから発売されており、どの盤にするか迷い
ました(レコード・レーベルによってマスタリングの仕方が異なり音質も違うからです)
まず最初の1枚は〈Dutton盤〉に決めました。
Dutton=イギリス
EMI=ヨーロッパ(*EMI盤がオリジナル)
Naxos=香港
Classica D'oro=アメリカ
Opus蔵=日本(*SP,LP盤からの復刻音源として定評のあるレーベル)