目覚めた孔雀。独り言三昧。

目覚めた孔雀こと池本哲晃(いけもとてつこう)の独り言です。

オーラルサディズムに生きるモラハラ一味。

2022-06-28 23:15:07 | いけてつ独り言
今わかったわ。
俺を口撃してくる連中はクレーマーだったんだ。

クレーマーだもん、俺が何であっても満足しないわな。

加藤諦三氏はその著書、「自分を嫌うな」に、こんなことを書いている。
曰く「追い詰められたら回れ右。すべては逆が正しい。」と。

クレーマーの口撃にフルボッコにされて、いろいろ口撃されるわけを自分でも調べたよ。
その結果、発達障害とか非定型発達、挙げ句の果てに性格異常だとか、これまた人聞きの悪い疾患名。

でも、メンタル科の医師はメンタル疾患ではないという。

今になって納得したわ。
クレーマーがおかしいんだ。
そりゃモラハラをこととするクレーマーだもん、私が何であっても満足しないわな。

このモラハラクレーマーどもは、口撃することをこととするオーラルサディズムに生きる変質者なんだから。

俺を口撃してくる連中は、オーラルサディズムに生きる変質者であることが明らかになった。

こんな連中、嫌って捨てよう。
そして俺を引きこもらせた、四十余年を返せ!

そんなわけでございます。
それではおやすみなさい。

連合に上納する払う組合費が馬鹿らしい。自主管理労組でも作るか!

2022-06-28 17:50:43 | しんぶんクロハタ並びに小黒金剛石
あ、
俺ら職人じゃないんだ。労働者ですらないんだ。
職人にはマイスターの称号がもらえるし、労働者だったら労働三法の保護は受けられるし。

ただ単に、過労死と引き換えに労働力を切り売りする、労働力の売人なんだ。
かっこわるい。

戦う組合総評がなくなってから、なんか俺らの待遇悪くなってない?
これじゃあ、ただの賃金付きの奴隷じゃん。
いや、会社という田畑で働く小作人。

小作人だったら農地改革で土地がもらえたけど、俺らは何がもらえるの?
社会保険ていう強制貯金を国に払って、リターンは毎年減額される雀の涙ほどの年金。

あ~あ。
やってられんわ。

連合に上納する払う組合費が馬鹿らしい。
ワレサ議長みたいに自主管理労組作るか。

生きる目標かあ。それがあるから頑張れるのね。

2022-06-28 16:15:42 | いけてつ独り言
今日は朝動けなかった。
だから朝の母の送迎の車を待つ仕事は妹にやってもらった。

そして妹と自分の部屋でおしゃべりをしながら、母の帰りの連絡を知らせる電話を待っていたがかかってこない。

「遅いな~」としゃべっているうちに、ドアのノックがする音が聞こえた。
そして妹が見に行ったら母だった。

母に聞いたら、母と妹と私の三人で行った荒川土手が忘れられず、そこに行くためのリハビリに、いつもより遠いところで車を降りて家の前まで歩き、そこから階段を上って部屋まで上がってきたのだ。

うれしい!
母の闘病の根底にあるのは、また家族と一緒に外出したいからだったんだ!

そう思ったらうれしくなってきた。

生きる目標があると、生きる気力がわいてくる。
母は八十を過ぎても、家族三人で外出したいという目標を持っている。

私も母に学んで、諦めた人生の目標をもう一度目指したいと思うようになった。


令和四年六月二十五日の独り言。

2022-06-25 23:37:55 | いけてつ独り言
今日は夜にハローさんとドライブをしてきた。
館から目白に出て池袋に出、上池袋から滝野川に出て板橋駅前に出、それから十七号線に出て豊島病院の前を通って、川越街道を横切り、館に戻ってきた。

館に戻ってきて、ハローさんの車を降りた瞬間、急にイライラしてきた。が、お風呂に入ってポイ活をしていたら、イライラは去った。

きっと最近太ったので、血圧が上がっているのね。

それにハローさんに会う前に、かき揚げどん兵衛で夕飯を食べて、汁も飲んだから、飽和脂肪酸と塩分で、血圧がガチンと上がるはずですから。

あら、もうすぐ今日が終わるのね。

明日は多摩方面に行くので、今日は早く寝ましょう。

それでは皆さんおやすみなさい。

人間関係における膨張と憑依について。

2022-06-24 17:14:58 | いけてつオタク話
成功した人間は、他者に自分を憑依させようとし、失敗した人間は、成功した他者を自分に憑依させようとする。

簡単に言えば、成功した人間は自分のコピーを作ろうとし、失敗した人間は他人のコピーになろうとするということだ。

それに気づいたとき瞬間、私は「あっ」と思った。
なぜ成功するかしないかわからない思春期や青年時代に、諸子百家や仏典、そして聖書の類いを読みふけったかだ。

私は結局自ら好んで他者のコピーになろうとしていた。

このいけもとてつこうという男は、天にも地にもただ一人。
その非常にユニークな人間である私が、なにゆえ、孔孟の類いや老荘の類い、さらには釈迦やイエスのカーボンコピーになろうとしたのか?

もっとも倫理道徳に外れたことをすれば、仲間からの制裁が待っている。
リンチに遭ったり笑われたりいろいろだ。

が、別段私は刑死者になろうとしているわけではない。
そうでない限り、私が私自身に自己憑依しても、何の不都合もあるまい。

なぜ、私が赤の他人のカーボンコピーになろうとしたのか。
それはあまりにも定型発達者から、私のあり方に物言いがつき、いい加減に頭にきていたからだ。

自分にも似たような欠点があるくせに、なにゆえヒトをやり玉に挙げるのかという怒り。
それと聖人君子のまねをすれば、定型発達者から、いちゃもんをつけられずにすむという判断からだ。

が、合わせなかったらいちゃもんがつけられる、合わせてもいちゃもんをつけられるで、どうすりゃいいのよ、定型ちゃんと悩んでいるうちに、心身が故障したわけであるが。

さてさて、話を元に戻すが、自分に誰かを憑依させるということは、精神的なマウンティングを他者に許可するということだ。

他人にあやかろうとするヒト以外、これはマウンティングされる側にとっては、非常に不愉快なことだ。

はたまた他人にあやかるということは、他人の世話になって生きるということだ。

いずれにせよ愉快な生き方ではない。

そんな生き方はやめようと思った。