目覚めた孔雀。独り言三昧。

目覚めた孔雀こと池本哲晃(いけもとてつこう)の独り言です。

空気様の脇侍、お天道様とご先祖様。

2023-03-19 14:58:38 | 日本教徒のエトス
日本教の本尊は空気様だが、脇侍にいるのがお天道様とご先祖様だ。

もっぱらの本尊は空気様だが、まず日本教徒はお天道様の自分の言動に対する検察と、ご先祖様に顔向けができるかどうかを考える。

お天道様がみているので、昔の人は、人様が見てないところでも悪行を控えたが、今はお天道様の自分の言動に対する検察がないので、人が見てないところだと、やりたい放題をする。

さらに、日本教徒はご先祖様に対して顔向けをするために、恥ずかしい真似をしない。

最近はお天道様がみていても悪行を控えず、ご先祖様に顔向けのできない恥ずかしいことをする人たちが増えてきたが、それでも、周りの空気に逆らう日本教の異端者はいない。

日本教徒にとって、次の三つがエートスすなわち行動倫理である。
まずは空気様の顔色をうかがって傲慢な振る舞いを抑え、お天道様がみているので悪行を控え、ご先祖様に顔向けするために恥ずかしい真似をしないのである。

そして隣近所の自分に対する評判を考えて、隣近所の言動に合わせていれば、墓に入るまで、大過なく暮らしていける。

今日は日本教徒の本尊である空気様の脇侍、お天道様とご先祖様について書いてみた。


仲間厳しめお上に従順。横の連帯ない文化。それが日本教でございます。

2022-10-27 00:39:09 | 日本教徒のエトス
仲間厳しめお上に従順。
これが日本教のドグマでございます。

いくら仲間が首切られて妻子が路頭に迷おうがようが関係ない。
自分の首さえつながって家族仲良く暮らせれば。

いくら仲間が飢えて凍えようが関係ない。
自分が暖かく腹一杯過ごせれば。

横の連帯がない文化。
それが日本教でございます。



日本教と受苦礼賛。

2021-10-23 09:16:08 | 日本教徒のエトス
今日は十月二十三日。
秋篠宮眞子様のお誕生日であり、蠍座最初の日。
眞子様。お誕生日おめでとうございます。

さて、太陽は蠍座に入ったであろうか?
入ったかどうかはわからないが、いずれにせよ、太陽は天秤座と蠍座のカスプをうろうろしているに違いない。

最近いけもとは快感原則に従って生きることを覚えた。

そうしたら「誕生から死に至るまでの有限の時間の中で、後で報酬を得られるわけでもないのに、なにゆえ無意味な苦痛を我慢していたんだろう?」と、過去の自分を愚かしいものだと思う。

もちろん会社勤めなどで時間を拘束されるのは別である。
苦痛の報酬として、賃金や賞与などという報酬を得られるから。

これは余談だが、私を含めて日本人には、受苦礼賛の心理があるのではないだろうか?

受苦礼賛。
こう書くと、いかにも何か仰々しいものを連想するかと思うが、別な言い方をすればマゾヒズムである。

外人だったら、およげたいやきくんとかピグミン愛の歌などの歌を聴いたら激怒するのだが、日本人はこれを大いに喜び、レコードやCDを買いあさる。

そう考えると私も日本人なんだろう。
苦しみを受け、心身ともに故障するまで耐える。そして他人にも同調圧力などで受苦を強制させ、最後には泣きわめくかキレまくる。

まさにこの心理は、
常に何かを我慢して、辛気くさく悲しむ有様を自己宣伝し、最後には怒り狂って、快楽というパラダイスに誰一人として入らせないようにする、「偽善なるなんとか人」の心理だわ。

福音書には、こんな類いの人はたくさん出てきますね。

さて、今日は性と死を司る蠍座の第一日目。
快楽をとるか、死をとるか。
あなたはどっちを選びますか?

そんなわけでございます。
以上、いけもと。

日本教と資本主義

2021-09-03 10:20:13 | 日本教徒のエトス
そもそもキリスト教のセンスがない国に、資本主義をやれ!といってもだめだ。

まずキリスト教のように絶対的な存在がないから、経済倫理を破っても「弱肉強食こそ資本主義だ!」などとうそぶいて、やりたい放題のことをする。

キリスト教の戒はなぜ守られるか?
この世界に唯一絶対の存在として神が君臨し統治する。

その世界で彼が宣明した戒を破るということは、その場合、逃げ場はなく、未来永劫戒を破った罰を永遠に受け続ける。

そしてイエス以前には救済者がいない。

文章で書けば、たった三行の文章であるが、これは実に恐るべきことである。

さて、日本教には彼に比肩する存在はいない。
それどころか戒を破っても話のわかる人が助けてくれる。

まさにやりたい放題ではないか。

さて、イエスは神が定立した細々とした禁戒である律法の類いを要約して、隣人愛の実践という勧戒に変えた。

旧約の労働は神の懲罰。なんてセンスから、カルヴァンあたりが言い出すイエスの勧戒の実践。というように、労働観が転回するのだ。

カルヴァンは預言者だったのか?!

ここでいけもとは、クリスチャンと呼ばれている人と神学論争をするつもりはない。
んなものは、その場で一番口がうまいやつが勝つようにできているからだ。

さて、日本教の労働観は、神様ですら働いているのだから、人も働け、動物もこき使え。
とこうなる。

強迫的労働自我。
働かないと気が済まない人々。
気持ちよくゆっくり休むことのできない人々。
そんな人々たちを作り出す教義。

こんな教義は奴隷主やマルキシストにとっては、万歳としか言いようのない教義であろう。

ちなみにマルクスは、受救貧民をくそみそに罵っているから、マルキシズムは日本教のドグマと相通じるものがあるのかもしれない。

ちなみにリライトされたマルキシズムの本では、受救貧民は、ギャング、売春婦、受刑者等という、社会的にマイナスな商品を提供する人々から構成される。と書いているが、そもそもの受救貧民とは、公的給付を受ける貧民たちのことである。
(若い研究者たちよ、最近の古典は各方面に都合よくリライトされているので注意されたし。)

さて、いけもとがこうやってヘデゴナシ記事を書いても、読者の方に対して、対価ゼロの商品を生産していることになる。

が、これを作家工房なんかで、人間関係にもまれながら生産すると、職場で商品を生産したことになる。

1人で何らかの商品を生み出すことが仕事復帰。
多数で人間関係にもまれながら何らかの商品を生み出すことが職場復帰。

さーって、職場復帰は難しくても、仕事復帰はたやすくできる人々がいる。
(この概念は、心理屋の人々や産業医、そして管理職の皆さんは覚えておくといいかもしれない。)

こんなヘデゴナシ記事は、近くの古本屋に行って高校社会科の学参を買ってくれば、誰にでも書ける。

そんなわけである。
以上、管内高井戸インターでいけもと。


一度ドロップアウトすると・・・。

2021-08-08 15:40:36 | 日本教徒のエトス
日本教のドグマに、
水に落ちた犬はたたけ、そしてたたき殺した犬の冥福を祈れ。
というドグマがある。
 
この国はドロップアウトした人やその家族を徹底的にいじめる。
そして生活保護や支援団体に頼ると、役所は受給者を徹底的に見下し、支援団体はドロップアウトした人たちを食い物にする。
 
まさに水に落ちた犬はたたけである。
 
そしてそれを苦にした人たちが自殺したり、一家心中したりすると、
朝日毎日は、弱者の味方面をして、お為ごかしなことをいい、
産経読売は、さらに死んだ負け犬までをもたたく。
 
とにかく水に落ちた犬は、死ぬまでたたかれるか、溺れ死ぬまで水にたたき落とされる。
 
それが日本教のドグマである。
 
ごくまれに再統合を果たした生活弱者は、陰口をたたかれつつ、手のひら返しをした人々の美談のネタとなる。
 
日本を理想化する諸外国の人たちよ。
日本はあなた方がイメージするような仙人のすむ蓬莱島でも黄金の国でもない。
あなた方のために、日本教のドグマの一つを紹介しておく。
 
水に落ちた犬はたたけ、たたき殺した負け犬の冥福を祈れ。
である。
 
以上、管内元赤坂でいけもと。