目覚めた孔雀。独り言三昧。

目覚めた孔雀こと池本哲晃(いけもとてつこう)の独り言です。

今日は穏やかな幸せをしみじみと味わおう。

2023-06-27 10:35:11 | 慰撫と激励
あー。
穏やかな幸せがありがたい。
物心ついた頃から、いやなことの連続だったから、本当に穏やかな幸せがありがたい。

人生いやなことばかりじゃないよ。
必ず優しい春や恵みの秋が来る。

そう、優しい春も恵みの秋も、必ず来るから。

それに命輝く夏もあるし、家族団らんの冬もある。

神様はそんなに意地悪じゃない。

何なんだろう。
この穏やかな幸せは。

ただ今日は、神様が恵んでくださった穏やかな幸せを、みんなでしみじみと味わおう。



かわいそうな過剰適応の幼女。アルプスの少女のハイジ。

2023-06-26 22:56:29 | いけてつオタク話
アルプスの少女ハイジはかわいそうな子だ。

あの子は過剰適応の子だ。

早いうちに親を亡くし、親戚中をたらい回しにされ、生き延びるために常に相手の顔色をうかがうように自己訓練してしまったかわいそうな子だ。

彼女は無邪気さという仮面をかぶって、悪意ある大人の攻撃をかわしていたのだ。

あんな小さい子が。

ああ、痛ましい。

そんなハイジを見て、何かしらの心の痛みを感じる人こそ、本当に優しい人なのかもしれない。

ハイジは社会から疎外された人々の心をいやした。
人から疎まれ、孤独な生活を送っていたおんじ。
学校へも行かず、学童労働をしていたペーター。
そして盲目なのに糸紬をしてはいたらいていたペーターのおばあさん。

ああ、社会から疎外された人々から必要とされたハイジ。

ハイジはイエスがそうだったように、そういう人の隣人であり癒し主だったのだ。

ゼーゼマン一家にハイジは必要あるまい。
ぜーぜマン一家は社会から受け入れられた恵まれた人々の集まりだったのだから。

そうそう。
たまにわがままな孫娘と無邪気すぎるその話し相手を相手にするクララのおばあさんには関係ないだろうが、ロッテンマイヤー女史が口うるさかったのは、クララのわがままをたしなめ、ハイジの行く末を案じたからである。

最後に。
なぜかは知らないが、ほかの著者が書いたハイジの続編は、ほとんどが、ハイジがバリバリの共産女になる話ばかりである。

私は読む気はしないが、興味のある人は読んでみるといいと思う。


日本だけ男性大臣、G7男女共同参画・女性活躍相会合で小倉氏「政治分野では進んでいない」

2023-06-25 21:42:01 | 時事ブログ
あれ?
なんで男女共同参画・女性活躍相の会合に、男性の大臣が出ていけないの?

いけないならいけないで、そりゃ、問題だ。
それこそ、男女平等の理念に反する問題じゃありませんか? 


四日ぶりの開局です。

2023-06-25 11:37:36 | いけてつ独り言
今日は二週間ぶりに、いつもお世話になっている先輩・ハローさんからラインが届きました。

ハローさんは、私が毎週日曜日に送っている定時連絡がご所望のようだったので、先ほど二分遅れでライン送信しました。

今日は六月二十五日。
もうじきハローさんのお誕生日なので、その日に改めて、ハローさんにお誕生日おめでとうメールを送るつもりでいます。

まだ、今月は終わってはいないので、詳しく書くことは差し控えますが、今月はハローさんも私もいろいろありました。

さて、話は全然変わりますが、ATOKを使うのをやめて、マイクロソフトの日本語入力にしました。

使い心地はやはりマイクロソフト日本語入力のほうがいいです。

ATOKはなんか誤解していて、企業ユーザーを念頭に置いているので「正しい」日本語は出力してくれるのですが、私好みの文体で書こうとすると、途端にエラーを吐き出します。

その点マイクロソフト日本語入力は、メモリは食わない分、サクサク入力できて大変いいです。

そんなわけこんなわけで、以上、管内お江戸でいけもと。


勝負師Hの政治性。

2023-06-21 17:40:56 | 時事ブログ
Hは勝負の世界で生きている。
彼は勝負の才能もピカイチだが、それ以上に優れた政治性を持っている。
彼の師匠のFも政治性に優れた人物だったので、彼の政治性は、師匠譲りのものなのかもしれない。

かつてHは、その世界の第一人者の争いを、先輩Tと争っていた。
Tはあと一期タイトルをとれば、そのタイトルの名跡を襲名できるので必死だった。

その頃、その勝負に興味のあった私が、テレビでTの顔を見たとき思ったことだが、Tの顔つきは尋常ではなかった。

きっとHも同じことを思ったのであろう。さっさと先輩Tにタイトルをとらせて名跡を襲名させ、先輩Tの恨みをそらせたのだ。

最近Hは、また同じ戦術をとった。
自分は勝負村の村長になり、最近赤丸急上昇付きのFにタイトルを譲ったのだ。

通算100期にこだわって、自分の息子世代の若者の鼻をへし折って恨みを買うより、今はやりのYouTubeで、その勝負事の普及をした方がましだと思ったのだろう。

そう考えると、Hの政治性は実に優れたものだと思う。

Hが年をとったときに、勝負村の村長を務めるのは、WかFのはずである。
そのとき冷や飯を食わされるよりかは、負けるが勝ちとうまく立ち回った方が利口だ。

さて、いつも思うことだが、私は人の指した手はわかる。
が、同じことを思いついて実行するだけの頭はない。

全くHの政治性には脱帽である。