新自由主義がごく少数のスーパーブルジョアジーと大多数のスーパープロレタリアートから構成されることは、故・小室直樹氏の著作等に詳しい。
そんな世界においても普通選挙制の建前は維持される。
そんな世界においては、執権党とその野党は八百長にも似た対立関係を演出し、スーパープロレタリアートの怒りに火を注ぐことになる。
そのスーパープロレタリアートの怒りをさらに加速し、その解消に「我らを選出せよ!」とうそぶくのが、ピエロポピュリストどもである。
ピエロポピュリストとは、スーパープロレタリアートの怒りを加速する動画の配信収入などで生活しているプロ動画配信者等である。
そして視聴者数を各選挙区別に統計を取り、当選確実な選挙区に立候補して、当選の暁には自ら敵視する上級国民の仲間入りをして、自分たちの支持母体であるスーパープロレタリアートの弾圧にいそしむのである。
評決の際に記名投票でなければ、誰が賛成し反対したかを監査することはできない。
かくして一般国民の労力と金銭の搾取の上に成り立つ、上級国民優遇政策は、ピエロポピュリストの賛成多数によって採択される。
このようにして上級国民は絶えず補給され、子弟の犯罪や疾患などで脱落していくかつての上級国民たちと入れ替えが続くのである。
優生思想盛んとはいえ、上級国民の子弟が上等な心身を持っているとは限らず、一般国民の子弟が劣った心身を持っているとは限らないからである。
そんなわけである。
以上、霞ヶ関三丁目でικμτ。