目覚めた孔雀。独り言三昧。

目覚めた孔雀こと池本哲晃(いけもとてつこう)の独り言です。

久しぶりに母と朝ご飯を一緒に食べた!

2020-05-27 10:29:40 | いけてつ独り言
いつ頃からだろう?
朝ご飯はいつも家族ばらばらだった。
でも、今日、久しぶりに母と朝ご飯を食べたのだ。
母親は納豆。
私は激辛塩鮭。
それをかわいいカワウソを紹介しているテレビを見ながら食べたのだ。
ここのところ、なんか母親とは情緒的にしっくりこなかったのだが、久しぶりしっくりしたし、ほっこりした。
なんかいいね。
うれしい!
心からうれしい。
私と母をしっくりほっこりさせてくださった方に感謝!


警告!

2020-05-27 09:55:18 | いけてつ独り言
いつ頃からだろう?
私はあるオカルト集団に、念を飛ばされている。
その念自体は、悪い念ではないし、飛ばしている連中自身も、それは私にとってプラスになるものだと信じ込んでいるのだ。
注意すべき点はここにある。
念を飛ばす連中にとっては、私にとってプラスになると信じ込んでいる点だ。
そのオカルト集団は、いわゆる白ロッジと呼ばれる集団で、オカルトを使って悪事をなす黒ロッジと呼ばれる集団ではない。
しかしこの人たちは思い違いをしている。
自分たちのやっている祈りと称するものが、私に対するオカルト的自我侵犯とか、オカルト的強要であることが全然わかっていないのだ。
この記事を読んで、自分の祈りに力があるとか、自分たちの信じるオカルト的尊格(本尊)が、強力だと思ってならない。
オカルト的自我侵犯やオカルト的強要。
これは相手の人格をハイジャックしようとする試みだ。
つまり私がこの集団に帰依しても、私の自由意思によるものではない。
いわゆる生きているゾンビとか、生きているロボットみたいなものがその集団に帰依し、その尊格を礼拝するのだ。
まともな連中や、その尊格がまともな尊格ならば、おそらくそんな帰依や礼拝は喜ばないし、受け入れないであろう。
あなた方に表立って反対しなければ、あなた方に逆らうものでないのであるから放っておけとは、偉大な人生の教師たちの一人が言っている。
警告はこのぐらいにしておく。
はっきり言う。
やめてくれ。
以上である。


偽りの相手本位制。

2020-05-26 07:18:29 | いけてつオタク話
相手本位に生きることが美徳とされるこの国で、自己本位にしか生きられない人の居場所はどこにあるのだろう?
もっと有り体に言えば、この国の精神風土自体が、相手本位に生きることを強要する精神風土なのだ。
そんな中で、ちょっとでも自己本位なそぶりを見せたら、言葉の暴力でフルボッコにされ、社会から抹殺される。
本当に恐ろしい国だ。
私はそう思っている。
本当に相手本位制の国ならば、自己本位にしか生きられない人を、言葉の暴力でフルボッコにはしないであろう。
自己本位にしか生きられない人を、相手本位に生きよ!
そう強制すること自体、自己本位以外の何物でもないのだが。
その辺がわかれば、ちょっと目立つ人を集団でフルボッコにしてみたり、仲間はずれにして社会から日干しにするような残酷なまねはできないはずだ。
しかしそれが現実に起きている。
それがこの国の精神風土の本質なのだ。
以上である。

因果具時。

2020-05-25 14:36:52 | いけてつ独り言
自分が変なことをやっているときは、大体変なことが現象で現れるんです。

暴露しますが、私の母親は、父方の祖母を拒絶していました。
したがって、父方の祖母が亡くなるまで、よそのおばあさんに好かれて、面倒を見させていただいておりました。

ですが、父方の祖母が亡くなると同時に、そんなことはぴたりとなくなったんです。

ほかにもいろいろありますが、あまり書いて、読者の皆さんを煩わせるのはよくないと思い、割愛します。

さて、気が付いて進路変更すればいいのですが、気が付かないとだんだんちぐはぐな現象がエスカレートしてきます。

それでにっちもさっちもいかなくなって、宗教や拝み屋さんの門をたたいて、ご祈祷するわけですが、大体その前に、自分の守護霊さんが知らせてくれるものなんです。

そういう目で見れば、変な宗教に頼らなくたって、自分で鑑定して処理できるますよ。

今日、人と会う約束をしていたのですが、死ぬほど体調が悪くてキャンセルしました。

案外、昨日の写真といい、今日の体調不良といい、そのシグナルだったのかもしれませんね。

以上です。


能力以上のことを要求されたら、断るのが優しさであり礼儀です。

2020-05-25 11:48:19 | いけてつ独り言
自分の能力以上のことを要求されたら、かなえようとせずに、断る勇気を持つことが大事なんだなあと思いました。

むしろそれが本当の親切なんでしょうねえ。

相手のためにも自分のためにも。

それに、いやなものは嫌だと主張することも大事なのかなあと思いました。
だって嫌なんだから。

本心で嫌なものに対して譲歩をすると、相手は付け上がります。

こいつにはどんなわがままを言っても聞いてくれるみたいな、のぼせ上り。

さて、話は変わりますが、日蓮上人遺文に、立正安国論という本があります。
それによれば、三世間は融通しているといいます。

例えば、日本がほかの国のわがままを聞いていると、我々大和民族や、個人もそんな感じになります。

逆に私自身がほかの人のわがままを聞いていれば、いずれそれは大和民族や、この国にまで、影響を及ぼすのかなあという、変な考えを持ちました。

それはこの書物を書いた、日蓮上人に聞いてみなければわからないことなのですがね。

なぜ無理な要求と、立正安国論の話になったかはわかりません。
断っておきますが、私は法華系の宗教とはかかわりはありません。

それはさておき、そんなことを思いました。
以上です。