遠くの空に浮かぶ雲。つかめそうにないけれど、確かにそこに存在する。
そんなイメージ。
梨木香歩さん『家守綺譚』とは
【これは、つい百年前の物語。庭・池・電燈つき二階屋と、文明の進歩とやらに棹さしかねてる「私」と、狐狸竹の花仔竜小鬼桜鬼人魚等等、四季折々の天地自然の「気」たちとの、のびやかな交歓の記録。】(出版社/著者からの内容紹介より)単行本未収録、主人公「綿貫」の随筆「烏〓苺記(やぶがらしのき)」も収録。
「尊い」という言葉が好きです。
たまに尊い本や漫画に出合います。
これはその尊い本の中の一冊。
ハードを図書館で読み、文庫化にあたってまた読み直しました。
実は結構前に記事を書いてます。こちら。過去記事って恥ずかしいなぁ。。
死んだ友人高堂の父から、家の守を頼まれた綿貫。
以来「物書き」一筋となった彼は、
時に、掛け軸から現れた死んだはずの高堂と話をし、
庭のサルスベリに惚れられて、その思いをそらすために本を読みきかせる。
白木蓮はタツノオトシゴを孕み、池には人魚が現れ。
子鬼や狸、河童と交わり、モノを書く。
高堂という名がとても好きでした。
P185、L11~13が家守のすべてだったと思いました。
ちょっとジーンときた。
何箇所か好きなシーンがあるのですが、
やはり高堂と綿貫の違い・・というか性格が見て取れるシーンが好きです。
【 -思い込みというのは恐ろしいな。
ーだがとりあえず思い込まねばな。(本書P152l7、8より)】
また、担当の「山内」という人物がとても好きでした。
それまでどうしても子鬼や河童やらと同じで、いるのかどうか不明確な人物であると思っていた「高堂」。
しかし山内が「高堂先輩」の話をしてくれるおかげで、急に実体を伴って現れてくるような、そんな気がしました。
私は綿貫の・・というよりも本書の、
世俗から離れているようで実は離れていないような、人間臭さ?も漂うところが好きでした。
本全体を見ると全然そんなことは思わず、ひどく特別な中を生きているような気がするのです。
だって、死んだ友人が掛け軸から出てきた?子鬼?河童?人魚?しかも周りの人が全然それを不思議がらない・・?なんだそりゃ。
それを不思議がらないでいることは、とても羨ましいようで、どこか怖い。
「不思議がらないでいたい・・・でも・・怖い。どうしたら・・・」と思っていると、そこに綿貫が現れる。不思議がってもいいんじゃないか。と。
綿貫は、ふわふわ浮いた世界の中で、「いかり」の役割をしてくれてるようなそんなイメージでした。
そして綿貫の言動でふいに現実味を帯びたり、人間らしいところを感じることができるのです。それは確かにあることなんだ、と。不思議だけど確かなものだ、と。
ラジドラももう一度聴きました。これはとてもとても素敵なものでした。
綿貫の声。ざわめく木々。さまざまな生物が入り乱れて綾なす景色。
ラジドラのときも言いましたが、
むいてないのははらはらドキドキしたい方。
むいてるのは雰囲気を楽しめる方。かと。
相性が悪いと、「だから!なに!」とか言われそうです(笑)
多くは語らないつもりが、恐ろしく長い文に。
龍田姫の話を聞いていたら、「木花咲耶姫」のあの梨木さんの本が読みたくなりました。(姫・・ってだけ・・しかもタイトル違う・・)
そんなイメージ。
梨木香歩さん『家守綺譚』とは
【これは、つい百年前の物語。庭・池・電燈つき二階屋と、文明の進歩とやらに棹さしかねてる「私」と、狐狸竹の花仔竜小鬼桜鬼人魚等等、四季折々の天地自然の「気」たちとの、のびやかな交歓の記録。】(出版社/著者からの内容紹介より)単行本未収録、主人公「綿貫」の随筆「烏〓苺記(やぶがらしのき)」も収録。
「尊い」という言葉が好きです。
たまに尊い本や漫画に出合います。
これはその尊い本の中の一冊。
ハードを図書館で読み、文庫化にあたってまた読み直しました。
実は結構前に記事を書いてます。こちら。過去記事って恥ずかしいなぁ。。
死んだ友人高堂の父から、家の守を頼まれた綿貫。
以来「物書き」一筋となった彼は、
時に、掛け軸から現れた死んだはずの高堂と話をし、
庭のサルスベリに惚れられて、その思いをそらすために本を読みきかせる。
白木蓮はタツノオトシゴを孕み、池には人魚が現れ。
子鬼や狸、河童と交わり、モノを書く。
高堂という名がとても好きでした。
P185、L11~13が家守のすべてだったと思いました。
ちょっとジーンときた。
何箇所か好きなシーンがあるのですが、
やはり高堂と綿貫の違い・・というか性格が見て取れるシーンが好きです。
【 -思い込みというのは恐ろしいな。
ーだがとりあえず思い込まねばな。(本書P152l7、8より)】
また、担当の「山内」という人物がとても好きでした。
それまでどうしても子鬼や河童やらと同じで、いるのかどうか不明確な人物であると思っていた「高堂」。
しかし山内が「高堂先輩」の話をしてくれるおかげで、急に実体を伴って現れてくるような、そんな気がしました。
私は綿貫の・・というよりも本書の、
世俗から離れているようで実は離れていないような、人間臭さ?も漂うところが好きでした。
本全体を見ると全然そんなことは思わず、ひどく特別な中を生きているような気がするのです。
だって、死んだ友人が掛け軸から出てきた?子鬼?河童?人魚?しかも周りの人が全然それを不思議がらない・・?なんだそりゃ。
それを不思議がらないでいることは、とても羨ましいようで、どこか怖い。
「不思議がらないでいたい・・・でも・・怖い。どうしたら・・・」と思っていると、そこに綿貫が現れる。不思議がってもいいんじゃないか。と。
綿貫は、ふわふわ浮いた世界の中で、「いかり」の役割をしてくれてるようなそんなイメージでした。
そして綿貫の言動でふいに現実味を帯びたり、人間らしいところを感じることができるのです。それは確かにあることなんだ、と。不思議だけど確かなものだ、と。
ラジドラももう一度聴きました。これはとてもとても素敵なものでした。
綿貫の声。ざわめく木々。さまざまな生物が入り乱れて綾なす景色。
ラジドラのときも言いましたが、
むいてないのははらはらドキドキしたい方。
むいてるのは雰囲気を楽しめる方。かと。
相性が悪いと、「だから!なに!」とか言われそうです(笑)
多くは語らないつもりが、恐ろしく長い文に。
龍田姫の話を聞いていたら、「木花咲耶姫」のあの梨木さんの本が読みたくなりました。(姫・・ってだけ・・しかもタイトル違う・・)