百済寺 広陵町百済1411-2
寺は三重塔と小さな本堂を残すのみで、隣接する春日若宮神社によって管理されている
伝承によれば、この寺は聖徳太子建立の熊凝精舎を引き継いだ百済大寺の故地であるという 百済大寺とは、7世紀前半に創建された官寺で、再度の移転・改称の後、平城京に移転して南都七大寺の1つ大安寺となった。『日本書紀』(639年)7月条に舒明天皇が「今年、大宮及び大寺を造作らしむ」と命じた旨の記事があり、大宮と大寺は「百済川の側(ほとり)」に造られたという この百済大宮と百済大寺の所在地を広陵町百済に比定する説は古くからあり、江戸時代の(1681年)成立の地誌『和州旧跡幽考』も当地を百済大寺の旧地としている Wikipedia
- 本堂-大織冠(たいしょくかん)と呼ばれ、談山神社から移築したものと伝える。
百済野の萩の古枝に春待つと居りし鶯鳴きにけむか(山部赤人)
春日若宮神社
拝殿