霰松原--住之江区安立二丁目11---大阪市住之江区安立(あんりゅう)付近にあった松原—
この付近は江戸時代中期まで、海岸線であった。そして白砂青松の名勝地で、松風が霰を吹きつけるように響いたのでこの名があるという。その有様は万葉集にも収録されているが、江戸時代に入って大和川付け替え工事や新田開発により、海岸線が移動し景観が一変してしまった。碑の前の道は紀州街道で、高麗橋東詰の里程元標を起点に、堺筋を南下、和歌山に至っている
天武天皇の第4子の長皇子(ながのみこ)が、ここでこの歌を詠んだことから霰松原と呼ばれるようになった
止止呂支比売命神社 大阪市住吉区沢之町1-10-4
とどろきひめのみこと--創建年代は不明。しかし、延喜式にはその名の記載がある。社名のトドロキとは当時の境内にあった橋の名前。
(1221年)後鳥羽天皇が、当社境内松林内に行宮を立てて以降、若松宮あるいは若松神社と言われる。それ以前は、住吉大社の摂社(奥の院)とされていた。
手水舎
拝殿
本殿
本殿
本殿
本殿
稲荷社
黒長社
天水分豊浦命神社
天水分豊浦命神社
御神木