CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ)

神戸・岩国の最新情報を中心に紹介していきます。歴史や時事について調べた結果を紹介。

カフェ&レストラン たるみの森でのランチ on 2023-4-6

2023年04月08日 05時00分00秒 | 神戸情報
2023年4月6日、カフェ&レストラン「たるみの森」でランチをいただきましたので
写真紹介します。訪問は2回目のお店です。
 
カフェ&レストラン「たるみの森」の基本情報
住所:神戸市垂水区神田町4−29 2F TEL:078-707-1600
営業時間:11:00~22:00(金土日、祝日) 月火木は11:00~17:00 定休日:水曜日
所在地のGoo地図を添付しておきます。(JR,山電の垂水駅から約2分のところに立地)
上の写真はリーフレットに記載のお店の地図です。
私がよく利用している花百咲(はなひさき)の近くのお店です。


上の写真は当日選択したチキンステーキセット1,100円(税込)+生ビール(中)500円(税込)
ライスかパンを選択できますがライスを選択 合計の会計は1,600円(税込)
コストパーフォーマンス抜群で満足

チキンステーキ、冷製パスタ、サラダ、ポテトサラダとその上にゆで卵、ライスorパン
上記が料理の内容です。丁寧に調理されており美味しい。
昼からのビールで至福のひとときを過ごせました。

今回は私1人でしたが次回は奥様と再訪したいと思います。 

今回は食後のコーヒーを注文しませんでしたがお洒落なコーヒーカップの写真を撮りました。

これからはメニューの紹介をしていきます。

上の写真はチキンステーキセットが掲載のランチ・メニュー表


上の写真は店内の雰囲気(リーフレットより)
雰囲気も良く女性客がほとんどでした。
 
チキンステーキセット以外のランチメニューを紹介します。
上の写真は肩ロースステーキセット 肩ロース200g  1,490円
冷製パスタ、サラダ、ポテトサラダ、ライスorパン
上の写真はサーロインステーキセット サーロイン120g 1,490円(税込)
冷製パスタ、サラダ、ポテトサラダ、ライスorパン
上の写真はベーコンステーキセット 1,250円(税込)
冷製パスタ、サラダ、ポテトサラダ、ライスorパン
上の写真はビーフステーキカレー 1,250円(税込)
当日、このメニューは用意されていなかった。

さらに詳しくはお店の公式サイトで確認ください(下記リンク)




上の写真はローストビーフセット1,490円(税込)とシーフードフライセット 1,490円(税込)
季節限定メニューです。

上の写真は雨の日限定のステーキ食べ比べセット 1,190円(税込)



上の2枚の写真はランチのサブメニュー
コーヒーや紅茶は+200円でつきます。
 

14時からのカフェタイムにも魅力的なメニューがあるようです(下の3枚の写真)



上の写真はタルティーヌ(フランス風オープンサンドウィッチ)の詳細メニュー

最後にお店の外観写真を添付して筆を置きます。


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神戸市須磨区 須磨浦公園の源平合戦 800年記念碑 on 2023-4-6

2023年04月07日 04時37分27秒 | 神戸情報
2023年4月6日、須磨浦公園の桜の写真を撮るために須磨浦公園をうろちょろしていました。
その時に表題の「源平合戦 800年記念碑」の写真を撮りましたので紹介します。

上の写真は神戸市須磨区の須磨浦公園の「源平合戦 800年記念碑」

上の写真は1984年春「源平合戦 800年記念碑」を建立した古川薫さん、神戸須磨の
ライオンズクラブ、下関 西ライオンズクラブ、高松八島ライオンズクラブが
歴史の廻廊と題して瀬戸内海の屋島や壇ノ浦などで繰り広げられた源平合戦
に想いをはして碑を建立したことと建立の意義などが書かれています。

文面は以下のとおり。

歴史の廻廊

 瀬戸内海及び関門海峡は歴史の通路である。この滄溟の廻廊を人の群れが環流するたびに時代は激しく屈折した。

 十二世紀末、須磨一の谷から屋島、さらに壇ノ浦をめざして軍船を移した平氏が西海の落日と共に燃え尽きるや日本史は古代から中世へと転回した。

 源平の争乱は、もはや極彩色の絵巻にぬりこめられたが、列島の天地をゆるがす歴史的対決であったという事実を私たちは決してわすれないであろう。

 八百年の歳月をつらぬく敗者の涙、そして勝者の鯨波は、今もこの海をめぐる。

 わが先祖の華麗な光芒を偲び、かつ未来にむかう友愛の連環を私たちがここに契るとき、歴史は新しい創造の糧としてよみがえるのだ。

  1984年春 古川 薫
       神戸須磨ライオンズクラブ
       下関 西ライオンズクラブ
       高松屋島ライオンズクラブ

上の写真は源平合戦 800年記念碑の全体遠景

碑の設置場所は山陽電車・須磨浦公園駅を降りて東の方向に車道を進んだところの
トイレの前あたりに設置されています。
念のため案内地図に設置場所の位置を入れておきました。(下の写真)

須磨浦公園と源平合戦ということで「戦の浜碑」についても地図に記載しておきました。
当日は「戦の浜碑」まで行かなかったので過去の写真で「戦の浜碑」もご覧ください。

上の写真は「戦の浜碑」 撮影:2020-5-15 
昭和13年(1938)3月神戸市観光課が設置したものです。
石碑の設置場所
住所:神戸市須磨区一の谷町5丁目 須磨浦公園内
     みどりの塔の東側の国道2号線に近い場所にあります。

一の谷の合戦は寿永3年(1184)2月5日から2月7日にかけて神戸市の広い範囲で、
源範頼及び義経が率いる源氏が、平氏を打ち破った戦いである。摂津と丹波の境の
三草山で、義経軍と平氏を夜襲により義経軍が勝利した三草山合戦も含めて広く
一ノ谷合戦と呼ばれています。


上の2枚の写真は地元(須磨浦通6丁目)の自治会が作成した現地説明板です。
撮影:2020-5-15

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2023年3月末に閉鎖される日本真珠会館に行ってきました on 2023-3-27

2023年04月06日 04時29分33秒 | 神戸情報
2023年3月27日、 真珠の街・神戸を象徴する建物で3月末で閉鎖された日本真珠会館に
行ってきましたので写真紹介します。


上の2枚の写真は2023年3月末で閉鎖された日本真珠会館の建物外観

およそ70年前に真珠の流通拠点として神戸市に建てられた「日本真珠会館」が老朽化に伴って閉館するのを前に、3月26日、建物の中を巡るツアーが行われました。
この様子については3月26日(日)18:45のNHK総合テレビ関西のニュースで紹介されました。
下記サイトに詳しく書かれています。


上の2枚の写真は上述の番組からの写真(地下室の石炭ボイラー、機械室)です。
上の写真は当日は会館を設計した光安義光さんの長男で建築家の義博さんが参加者を案内されました。
上の写真は見学ツアーの座学が行われた部屋で往時は真珠の取り引きが行われていたり
真珠の品質鑑定が行われていた部屋だった。
自然光を多く取り入れるため、大きな窓を設置して真珠の色がよりよく見えるよう
工夫されているそうです。



上の3枚の写真は当日撮った建物1階(外部と内部)


上の写真は日本真珠会館 建築ツアーの案内
 
サンTVが2月の番組で「日本真珠会館」についてYoutube動画で紹介されていましたので
Gooで共有させていただきました。
日本真珠会館 3月末に閉鎖へ 真珠の街・神戸の象徴 サンTV




上の2枚の写真は今回企画された講演やトークショーの内容

上の写真は3月25日から26日に行われた日本真珠会館の70年 記録と記憶の案内




上の2枚の写真は「日本真珠会館の70年 記録と記憶」展示の遠景
上の写真は展示の中で特に気になった設計者の光安義光さんの作業机と椅子

真珠の流通拠点として、昭和27年(1952)に建てられた「日本真珠会館」は、
神戸を代表する「モダニズム建築」として知られ、国の登録有形文化財に登録されています。
上の写真は登録有形文化財(第28-0191号)の登録証
平成17年(2005)7月12日に登録

日本真珠会館の基本情報
住所:神戸市中央区東町122 構造:鉄筋コンクリート造
規模:地上4階、地下1階建 延床面積:」1,779㎡  建築面積373㎡
敷地面積:735㎡ 最高高さ:19.3m 地盤面下:4.7m
着工:昭和26年(1951)12月30日
竣工:昭和27年(1952)11月24日
総工事費:約8,800万円
設計:光安義光  施工:竹中工務店
所有者:日本真珠輸出組合
日本真珠輸出組合は日本真珠会館に入る所有者で日本真珠会館の管理もされています。

日本真珠会館のテナント
上の写真は玄関横のパネルでかっては多くのテナントが入っていました。

パールミュージアムの展示
今迄の何度も展示を観ていますがブログ作成をしていませんでしたので今回作成しました。
尚、閉鎖後は神戸ファッション美術館が展示を引き継ぐとのこと。

上の写真はパールツリーの展示と説明パネル
上の写真は神戸復興の鐘 「ベルラ・ヴィ-タ」の展示
阪神・淡路大震災から10年後の2005年パールシティ神戸協議会が神戸のさらなる復興
を祈念して制作されたものだそうです。

ベルラ・ヴィ-タはイタリア語で「真珠の人生」と訳されるそうです。


上の写真は木製からくり人形。パールブリッジと月の雫。

上の写真は真珠の評価基準の展示

日本で発明された真珠養殖100年の歩みとともに、神戸と真珠の歴史、真珠の種類や
アコヤ真珠ができるまでを模型や実物で展示されています。
神戸パールミュージアムの展示は7つのパートで構成されています。
(1)はじめに


(2)養殖真珠の誕生


(3)真珠の街・神戸



(4)日本真珠会館
(5)時代を彩る真珠



(6)真珠ができるまで



あこや真珠ができるまでの8工程がパネルで展示されています。






神戸では真珠の加工が盛んでした。
現在も神戸市中央区北野町にパール通りと言う名称が残っています。

真珠産業の発展に貢献した人物として誰もが知っている御木本幸吉の他に藤堂安家、大月菊男が
パネルで説明されていました。



(7)自然が育む輝き



知られざる建築家 光安義光
当日、「知られざる建築家 光安義光」(青幻舎)という本が売られていましたので購入。
この本は地域の建築に生涯をささげた光安義光さんが1999年に亡くなった後、
生前を知る有志が、彼の生涯と業績をしのび刊行したものです。
上の写真は本の表紙

本の中から光安義光さんの略歴を紹介します。

大正8年(1919)1月8日 京城(現在の韓国・ソウル)に生まれる
昭和15年(1940)京城高工建築家卒業、東京工業大学建築学科入学
昭和17年(1942)9月繰り上げ卒業と同時に兵役(ビルマ)に服す
昭和22年(1947)夏、復員
昭和22-23年(1947-1948)佐藤建築事務所、平田洋裁女学校講師
昭和23-46年(1948-1971)兵庫県建築部
昭和33-53年(1958-1978)神戸大学非常勤講師
昭和46-54年(1971-1979)明石工業高専建築家主任教授
昭和47-49年(1972-1974)大阪大学・明石短期大学(現、神戸文化短大)非常勤講師
昭和54年-平成11年(1979-1999)光安建築設計事務所
昭和58年-平成元年(1983-1989)明石工業高専非常勤講師
昭和61年-平成3年(1986-1991)園田学院女子短大非常勤講師
昭和61年-平成11年(1986-1999)神戸文化短期大学非常勤講師
平成11年(1999)4月11日 80歳で没

主要設計作品
 県立北条高校講堂(1951)
 日本真珠会館  (1952)
 神戸商大1号館  (1953)
 県立明石高等学校(1956)
 県立西宮病院  (1961)
 兵庫県庁舎1号館(1963)
 国民宿舎しんぐ荘(1963)
 県民会館    (1968)
 小野市市民会館 (1974)
 神戸学院大学独立図書館(1975)
 堀光美術館   (1981)

この本と県庁舎について2022年12月6日の神戸新聞「日々小論」で解説紹介されていますのでリンク


1964年に完成した県庁舎第1号館の設計は光安義光氏の集大成とも言える。
「県庁舎は災害の救急支援センター、復興センターとなるべき建物である」との信念と
綿密な耐震実験に支えられた建物は、阪神・淡路の激震にも耐えた。
事後の調査では、その耐震力は1981年に導入された新耐震基準を上回るものだったという。
しかし、詳細な耐震診断を実施した結果県庁舎第1号館、県庁舎第2号館と議場棟で
ともに倒壊の恐れがあるという結論で2025年以降に解体することになった。
斎藤県知事は2025年度から1号館と2号館の機能の移転を始め、2つの建物で働く職員の
6割をリモートワークにすることも表明されています。

サンテレビが斎藤知事の記者会見の様子をYoutube 動画にアップされていますのでGooで共有。
 兵庫県庁舎1号館と2号館を2025年度以降に撤去へ 斎藤知事が発表  

神戸新聞は次のように報道しています。

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omoroza(おもろざ)姫路駅前店でのランチ on 2023-4-4

2023年04月06日 03時34分56秒 | 姫路市
2023年4月4日、omoroza(おもろざ)姫路駅前店でランチを頂きましたので写真紹介します。
訪問は2回目のお店です。

omorozaは姫路駅前にあるグランフェスタの地下に2022年6月20日にオープン しました。
本場韓国の味が楽しめるオシャレなカフェダイニングです。
店は女性客がほとんどです。
韓国料理は奥様が好まないので2人ではほとんど入店することがありません。
当日は1人で姫路城の写真を撮る為に姫路に来ていましたのでomoroza(おもろざ)姫路駅前店に
入店した次第です。

omoroza(おもろざ)姫路駅前店の基本情報
住所:姫路市駅前町188-1 グランドフェスタ5番街 TEL:079-282-0266
別名:korean cafe dinning omoroza(オモロザ)、面白座
料理ジャンル:韓国料理
営業時間:ランチ/10:00~14:00
     カフェ/14:00~17:00
     ディナー/17:00~21:00(L.O.20:00)
定休日:なし(無休)
運営会社:株式会社omoza
オープン日:2022年6月24日 

当日、注文したのは前回と同じ「石焼ビビンバランチ」1,100円(税込)です。

上の写真が当日いただいた石焼ビビンバランチです。1,100円(税込)
上の写真はサラダ、キムチなどがビュッフェスタイルで食べられる最初の皿
サラダは前回は青野菜が入っていましたがほとんどがキャベツの刻みで残念
お腹が減っていたのでおかわりをいただきました。

上の写真は石焼ビビンバが掲載のメニュー表 
上の写真はもう1枚のメニュー表です。 

お店の外観写真を撮らなかったので前回の訪問記(外観写真を添付)にリンクしておきます。

最後に当日撮った桜の季節の姫路城の写真を添付して筆を置きます。

因みに4月6日は「城の日」だそうです。






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NHK朝ドラ「らんまん」のモデル牧野富太郎博士の書斎復元 3/23NHKニュース番組を視聴して

2023年04月05日 04時47分30秒 | Gooニュース
2023年4月3日に放送が始まった連続テレビ小説『らんまん』。
主人公のモデル・牧野富太郎博士の書斎が復元されているとの映像を視聴した。

記憶に留めるため、何枚かの写真を添付しておきます。
出典:2023年3月23日 NHKニュース 朝5時45分頃から5時49分

特記しない限り、上述の番組からの写真です。

上の写真は晩年、東京都練馬区大泉の自宅の書斎前にて調べものをする牧野富太郎博士。
出典は下に本の表紙添付の「牧野富太郎の人生」(2023)のPage14


東京練馬区の自宅は大正15年(1926)に居を構え昭和32年(1957)94歳で亡くなるまで
住んでいたところで昭和33年(1958)、住居跡を練馬区立牧野記念庭園として
整備されています。
書斎を再現するプロジェクトは牧野富太郎の曾孫で牧野記念庭園の学芸員の
牧野一浡(かずおき)さん(下の写真)が中心となって進められています。


上の写真は復元作業の紹介
牧野博士の自宅跡に整備された、東京 練馬区の牧野記念庭園では、
博士が晩年を過ごした書斎を再現する計画が進められています。

上の写真は復元された書斎 本が山の様に積まれています。
牧野博士は生前、植物の研究書などおよそ4万5000冊を集め、蔵書の山に
囲まれるようにして研究に没頭していた姿が知られています。

再現する書斎ではおよそ2000冊の蔵書などを再現する計画で、練馬区は、94歳で
亡くなるまで尽きることのなかった研究への意欲を伝えたいとしています。




上の3枚の写真は昭和30年より以前の書斎の様子

尚、牧野富太郎博士の蔵書の価値は20億円と上述の本に書いてありました。

上の写真は牧野富太郎博士(93歳の頃)と曾孫の牧野一浡さん(昭和30年頃)
この頃は病で臥せていた。

牧野記念庭園の学芸員で、博士のひ孫の牧野一浡(かずおき)さんは
「牧野博士が生きていた頃は書斎は本や文房具でいっぱいでした。
晩年まで研究への意欲が衰えず、最後まで仕事をしたかった人で、
その雰囲気を再現したい」と話しています。

上の写真は復元された書斎



番組では牧野富太郎博士を支えた妻の寿衛(スエ子)についても紹介されていました。


牧野富太郎博士は借金してでも植物の研究のために必要なモノや情報を集めました。

牧野富太郎博士と寿衛の間には12人の子供がいたそうですがその子供達には父親は
一生懸命働いている(研究に打ち込んでいる)と子供達に教えていた。



上の3枚に写真は練馬区立牧野記念庭園に建てられた牧野富太郎博士の銅像と
その前の妻の名前をつけたスエコザサ及び富太郎が妻に感謝の気持ちを伝える詩
上の写真は練馬区立牧野記念庭園 の展示を説明されている牧野一浡さんと
説明を受けるNHKの清水若葉さん
牧野一浡さんは牧野富太郎博士の植物デッサンについて上の写真のように評しておられます。

これから朝ドラ「らんまん」を熱心に視聴したいと思っています。
あくまでもドラマなので史実を忠実に再現しているかどうかは別門題。

でも楽しみです。

最後に牧野富太郎博士の年譜を添付して筆を置きます

文久2年(1862)4月24日、土佐国佐川村(現、高知県高岡郡佐川町)の裕福な商家に生まれた。幼名は成太郎。幼い頃、両親をなくし祖母に育てられた。
幼少のころから植物に興味を示していた。
明治5年(1872)10歳、寺小屋で習字を学ぶ
明治6年(1873)11歳、明教館(めいこうかん)で西洋の学問に触れる
明治7年(1874)12歳、佐川小学校に入学
明治9年(1876)14歳、佐川小学校を自主退学
 地元の学校の教師などから英語を学び、植物の採集、写生、観察など研究を続けながら、気ままな生活を送っていた。
欧米の植物学も勉強し、当時の著名な学者の知己も得るようになる。
明治12年(1879)17歳、高知市に出て五松学舎に学ぶ。コレラを罹患し帰郷
明治13年(1880)18歳、永沼小一郎(地元の旧制中学教師)と知り合う
明治14年(1881)19歳、第2回内国博覧会の見学のため東京へ。
   書籍や顕微鏡が欲しくなるなど研究心が固まったのも東京行きの理由である。
            田中芳男などと知り合う
明治17年(1884)22歳、2回目の上京。東京大学植物学教室に出入りする。理科大学で谷田部良吉、松村任三と知り合う
明治20年(1887)25歳、「植物学雑誌」の創刊に関わる。祖母の浪子が病死。神戸の裏山、布引の滝周辺で植物採集する。
明治21年(1888)26歳、壽衛(すえ)と暮らし始める。
        「日本植物志図篇」刊行開始。今で言う植物図鑑のはしりである。
明治22年(1889)27歳、日本で初めて新種「ヤマトグサ」に学名をつける。
            『植物学雑誌』に発表
明治23年(1890)28歳、水草のムジナモ発見。谷田部教授に教室への出入りを禁止される
  自ら正式な学術論文で世界に報告したことで、世界的に名を知られるようになる。
明治24年(1891)29歳、実家の整理のために佐川へ帰る
  牧野は東京と郷里を往復しながら研究者の地位を確立していくが、同時に家産も傾いて行った。
明治26年(1893)31歳、長女・園子が急死
     帝国大学理科大学の助手となったが、その時には生家は完全に没落していた。
  その後も各地で採集しながら植物の研究を続け、多数の標本や著作を残していく。
  ただ、学歴の無いことと、大学所蔵文献の使用方法(研究に熱中するあまり、
  参照用に借り出したままなかなか返却しないなど)による研究室の人々との軋轢もあり
  厚遇はされず、さらに子供が次々に生まれ経済的にも苦しかった。
明治33年(1900)38歳、「大日本植物志」刊行開始
明治34年(1901)39歳 コヤスノキの記載をする
明治40年(1907)45歳 飯沼慾斉原「増訂草木図説」第1巻を出版する
明治42年(1909)47歳、横浜植物会を立ち上げ、観察会など指導する
明治43年(1910)48歳、大学の助手を休職になる。
明治44年(1911)49歳、東京植物同好会を作る
明治45年(1912)50歳、東京帝国大学理科大学講師として復帰(昭和14年(1939)まで勤務)
大正5年(1916)54歳、貧乏で絶体絶命になりそれが新聞記事に掲載。
       神戸の南蛮美術の収集家として著名な池長孟(はじめ)が援助を申し出る
       津村順天堂(現ツムラ)の協力を得て「植物研究雑誌」を創刊
大正6年(1917)「植物研究雑誌」に「余が年少時代に抱懐した意見」を発表。池長植物研究所の開館準備。
大正7年(1918)56歳、神戸牧野富太郎植物研究所が完成(昭和16年まで続く)
大正10年(1921)59歳 高砂市石宝殿、新宮などでノジギク、コヤスノキの自生地に出かける。
大正15年(1926)64歳、現在の東京都練馬区東大泉に自宅を建てる
昭和2年(1927)65歳、東京大学から理学博士の学位を授与される。
昭和3年(1928)66歳、妻の壽衛(すえ)が死去。
           新種の笹に亡くなった妻の名をとって「スエコザサ」と名付けた。
昭和9年(1934)72歳、「牧野植物学全集」刊行開始
昭和12年(1937)75歳、「牧野植物学全集」によって朝日文化賞を受賞
昭和14年(1939)77歳、東京帝国大学理科大学講師を辞任
昭和15年(1940)78歳、「牧野日本植物図鑑」刊行
昭和16年(1941)79歳、満州へサクラの調査に行く。池長孟より標本が返される。
           安達氏より標品館が寄付される
昭和20年(1945)83歳、山梨県北巨摩郡保坂村へ疎開
昭和23年(1948)86歳、天皇陛下へご進講
昭和24年(1949)87歳、病気で危篤となるが、奇跡的に復活する
昭和26年(1951)89歳、第1回文化功労者に選ばれる。
           文部省に「牧野富太郎博士標本保存委員会」ができる
昭和29年(1954)92歳、風邪をこじらせ、床に臥せることが多くなる
昭和32年(1957)94歳、家族に見守られて永眠 墓所は谷中霊園

昭和33年(1958) 高知県立牧野植物園が開園、東京都立大学牧野標本館が開館  
         東京都練馬区立牧野記念庭園が開園

平成20年(2008)東京都練馬区の名誉区民となる
平成24年(2012)生誕150年
令和4年(2022) 生誕160年
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高齢者の運転免許で課せられる 認知機能検査の覚え方

2023年04月04日 18時14分57秒 | 役立つ情報
シニア大学がYoutube動画で認知機能検査の覚え方を指南されていますのでGooで共有させていただきました。

パターンA
認知機能検査イラスト覚え方‼︎パターンA

パターンB
【認知機能検査】イラスト覚え方Bパターン‼︎

パターンC
【認知機能検査】イラスト覚え方‼︎Cパターン


パターンD
【認知機能検査】覚え方‼︎D問題、物語記憶方


実際の問題を模擬体験するのに次のYoutube動画が参考になります。

【2023年認知機能検査A】本番と同じ問題にチャレンジ‼︎

【改訂版】高齢者講習の認知機能検査イラストパターンBの本番問題

【最新】認知機能検査‼︎2023年の本番問題に試せます‼︎ 認知機能検査C

【最新】認知機能検査2023年D問題‼︎  

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奈良市平城京跡地(左京三条三坊四坪)で大型建物跡見つかる 舎人親王邸か?

2023年04月04日 06時18分25秒 | Gooニュース
奈良市の平城京跡(三条三坊四坪北東隅)の発掘調査で、奈良時代前期の大型掘立柱建物跡3棟が見つかった。
奈良市教育委員会が2023年4月3日に発表した。
テレビや新聞などで大きく報道されています。

報道例1(日経新聞)
   上記サイトに発掘現場の写真が掲載されています。

報道例2(奈良テレビNEWS)Youtube動画 Gooで共有
 平城京左京三条三坊の発掘調査 大規模な邸宅跡 親王クラスか  

発掘した場所は奈良市大宮町4丁目の共同住宅建設予定地約370㎡で今年1~3月に調査された。
調査地周辺は、「日本書紀」の編纂者として知られる天武天皇の皇子・舎人(とねり)親王
(676~735)邸の有力候補地で、その主屋だった可能性がある。

以下、4月3日10ch読売TVのニュースtenで18時30分頃オンエアーの写真を使用して
発掘調査の現状を纏めてみました。

上の写真は記者発表の会場で説明される奈良市教育委員会の担当者(菊井佳弥さん)

 
上の写真は大規模な建物跡の遠景 発掘された建物跡は全部で5棟

3棟の建物跡は南北に並び、最も大きいと推定される北側の建物は、推定で東西約20m、
南北は10m以上。掘立柱跡の方形の穴も確認されています。穴は一辺1.5mと巨大だった。
屋根には瓦が使われていた可能性があり、ひさしを設けていたとみられる。



上の2枚の写真は出土品の瓦など
発掘現場は左京三条三坊四坪の北と東を区画する条坊道路の交差点想定位置付近に当たり、
建物の配置から四町分を一体として利用していたことが分かった。
1町(坪)の1辺は130mであることから敷地は約260m四方と推定。
4町宅地を班給されたのは三位以上の貴族に限られる。
長屋王(二位)の邸宅は平城京の東南に隣接し、平城京三条二坊一・二・七・八坪(町)
の4坪(町)分を占め約6万㎡もの広さがありました。

付近は当時の権力者・長屋王の邸宅もある平城京の「一等地」で、敷地はさらに広大で、
高位貴族の宅地跡とみられる。720年に日本書紀を編纂した舎人親王(676-735)の邸宅
とする説があり、説を補強する発見として注目されそうだ。




上の3枚の写真は奈良市大宮町4丁目の発掘現場

上の写真は発掘された建物の木材の一部

上の写真は建物基礎の穴の詳細

平城京跡条坊復元図
奈良市役所の展示より

出典:奈良市観光振興課 平城京 復元模型のしおり

都の道路は一条から九条まで東西に走る「大路」、南北方向には朱雀大路と平行に
一坊から七坊までの「大路」があり、大路間は一辺510mの正方形の区画で、更に
小路で16分割し一辺約120mを1坪(14,400㎡)としています。
1坪の16分の1で約900㎡

平城京内の住宅として約7,300戸が復元されました。
その内訳は以下のとおり。
 1坪以上       3戸
 1坪の宅地     20戸
 1/2坪の宅地    76戸
 1/4坪の宅地   約690戸
 1/8坪の宅地   約2千5百戸
 1/16坪の宅地   約4千戸

長屋王邸跡など関連ブログ


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今週の予定(2023年4月3日(月)~2023年4月9日(日))

2023年04月03日 03時56分39秒 | 有用な情報
2023年4月3日(月)~2023年4月9日(日)今週の予定をお送りします。

各地で桜の花が満開、その下ではお弁当を持ちより宴会が開かれる日常が戻ってきた感があります。

4月4日~4月8日は日本の七十二候の第13候、「玄鳥至る(つばめきたる)」
遠い南のほうから「燕(つばめ)」が渡ってくる頃。
恵みの雨に植物は喜びたくさんの花々が咲き誇り明るい空気に包まれます。

先週の写真

 まず、先週(’23年3/27~’23年4/2)に撮った写真を何枚か紹介します。


上の写真は3月末で閉鎖となった日本真珠会館内パールミュージアムの
神戸復興の鐘「ベルラ・ヴィ-タ」です。 撮影:2023-3-27
阪神・淡路大震災から10年後の2005年パールシティ神戸協議会が神戸のさらなる復興
を祈念して制作されたものだそうです。

ベルラ・ヴィ-タはイタリア語で「真珠の人生」と訳されるそうです。
上の写真は3月30日、神戸港に入港したクルーズ船「オイローパ2(EUROPA2)」
 
上の写真は同じく3月30日、神戸港に入港したアザマラ・クエスト(AZAMARA QUEST)
詳細は下記ブログで纏めています。



上の2枚の写真は明石公園 剛の池の桜 撮影:2023-3-30

今週の予定

4月3日(月)
 ・清水寺 青龍会 14:00~15:30頃
 ・日本銀行が3月の全国企業短観を発表
 ・2022年度の国内新車販売台数発表
 ・NHK朝ドラ牧野富太郎の一生を描く「らんまん」がスタート
 ・参議院決算委員会
 ・ヤマト運輸が宅配便の運賃を10%値上げ


4月4日(火)
 ・北大西洋条約機構(NATO)が外相会合(~5日、ブリュッセル)
 ・競泳日本選手権開幕(7月の世界選手権の代表選考も兼ねる)
 ・先進7か国(G7)貿易相会合
 ・参議院本会議「国家安全保障戦略」など安保3文書に関する報告と質疑
 ・東京証券取引所の市場区分再編から1年

4月5日(水) 
 ・清明
 ・渡辺明名人に藤井聡太六冠が挑む7番勝負が開幕(ホテル椿山荘東京)
 ・世界貿易機関(WTO)貿易見通し発表
 ・米国2月の貿易統計(ワシントン)
 ・外国人技能実習制度30年


4月6日(木)
 ・参議院大分補欠選挙が告示(23日に投開票)
 ・ゴルフのマスターズ・トーナメントが開幕(松山英樹は2年ぶりの制覇に挑む)
 ・連合国家最高会議(ロシアのプーチン大統領とベラルーシのルカシェンコ大統領が参加)
 ・
 
4月7日(金)
 ・世界保健デー
 ・2月の景気動向指数発表(内閣府)
 ・2月の家計調査(総務省)
 ・2月の毎月勤労統計調査速報(厚労省)
 ・造幣局「桜の通り抜け」(~13日、大阪市)


4月8日(土)
 ・花まつり(灌仏会)
 ・日銀の黒田東彦総裁が任期満了を迎える
 ・ボクシング スーパーバンタム級 那須川天心vs与那覇勇気(有明アリーナ)

4月9日(日)
 ・統一地方選前半投開票
   知事=北海道、神奈川、福井、大阪、奈良、鳥取、島根、徳島、大分
  政令市長選=札幌、相模原、静岡、浜松、大阪、広島
 ・日銀総裁に植田和男氏が就任
 ・競馬 桜花賞(阪神競馬場)


最後に全国の週間天気予報を添付して筆を置きます。
各地の最高気温についても添付しました。
出典は4月2日(日)NHK総合テレビ 夜 ニュース7




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有閑 さくら茶屋 須磨店でのランチ on 2023-3-29

2023年04月02日 05時27分33秒 | 神戸情報
2023年3月29日、有閑 さくら茶屋 須磨店でランチをいただきましたので写真紹介します。

さくら茶屋は大丸須磨店の4階にある甘味処のお店です。
定期的に訪問する店です。久しぶりに訪問したのでブログ記事としました。


有閑 さくら茶屋 須磨店 の基本情報

住所:神戸市須磨区中落合2-2-4 大丸須磨店 4F  TEL:078-795-3046
料理ジャンル:甘味処、そば
営業時間:11:00~20:00  休み:不定休


公式サイト:
トップページ|有閑さくら茶屋 (dears-inc.com) 


上の写真は当日、奥様が注文した宴(うたげ)1,050円です。
このメニューは下記の構成になっています。
にゅうめん・いなり寿司・わらび餅・白玉あんみつ・漬物

上の写真は私が注文した彩(いろどり)998円(税込)です。
内容は「すまし雑煮、ちらし寿司、わらび餅、白玉あんみつ、漬物」
カロリー低めのメニューで当日の体重はだいぶ低下していました。
よく歩いた効果なのかも知れませんが・・・・・


上の写真は当日注文したものが掲載のメニュー表

お店の名前が「さくら茶屋」ということで当日、名谷周辺で撮った桜の写真を添付します。
上の写真は名谷駅前の桜


上の2枚の写真は落合中央公園の桜

過去の訪問記
下記ブログで過去の訪問記にリンクを張っています。


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3隻のクルーズ船が揃い組 in 神戸港 on 2023-3-30

2023年04月01日 03時50分18秒 | 神戸情報
2022年3月30日、神戸港に3隻の外国のクルーズ船が入港しました。

新型コロナの影響で途絶えていたクルーズ船の受け入れが再開し、神戸港も
久しぶりの賑わいが戻ってきました。

当日、ポートターミナル及びポートアイランドの北公園から写真を撮りましたので紹介します。

1船目は「オイローパ2(EUROPA2)」(4万2830トン)で6時30分頃姿を見せ、
ポートターミナル西側の埠頭には6時40分頃に着岸しました。

オイローパ2(EUROPA2)の全長は225m、東京港からの入港で次港は別府港で31日23:50出港。



上の2枚の写真は神戸港新港第4埠頭西側に停泊中の「オイローパ2」撮影:2023-3-30

2番目の入港船は「アザマラ・クエスト(AZAMARA QUEST)」(3万277トン)。
7時40分頃姿を見せ、ポートターミナル東側の埠頭には7時50分頃に着岸しました。
アザマラ・クエスト(AZAMARA QUEST)の全長は180m。
高松港からの入港で次港は清水港で31日13:30出港。


上の2枚の写真は神戸港新港第4埠頭東側に停泊中の「アザマラ・クエスト」
撮影:2023-3-30


上の2枚の写真はアザマラ・クエスト(右=東側)とオイローパ2(左側=西側)の揃い組。
手前は神戸大橋。 撮影:2023-3-30

3船目は正午前に神戸港中突堤に入港した「セブンシーズ・エクスプローラー」(5万5254トン)。
豪華クルーズ船セブンシーズ・エクスプローラー(Seven Seas Explorer)は
2023年3月11日に神戸港に初入港しており今回は再入港となります。
上の写真はポートアイランド北公園から撮ったセブンシーズ・エクスプローラー(Seven Seas Explorer)
撮影:2023-3-30
上の写真は神戸港中突堤に停泊中のセブンシーズ・エクスプローラー
撮影:2023-3-11

セブンシーズ・エクスプローラー(Seven Seas Explorer)は31日17:00に出航。
3月11日の初入港時の入港風景は下記ブログで書いています。


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