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2月7日 きょうは何の日「1855年 下田で日露和親条約」

2021年02月07日 12時16分37秒 | Weblog

 2月7日は「北方領土の日」です。

日露和親条約は安政元年(1854)12月21日(新暦換算1855年2月7日)、伊豆の下田で

調印されました。千島列島の択捉(エトロフ)島以南は日本領、ウルップ島以北は

ロシア領とした。樺太は国境線を決めず慣習通り混在地としました。

1981年に政府はこの日を「ホップ領土の日」と定めました。 

 

プチャーチン外交
   1855年2月にプチャーチンは、伊豆半島の下田で困難な交渉の末、
   日露和親条約(Симодский трактат、下田条約)を締結

   プチャーチンは間をおいて再び長崎に来航し1858年に日露修好通商条約
   (Едоський договор、江戸条約)を締結

 

日本の主張とロシアの主張

山川出版社の詳説日本史図録より
北方領土の歴史及び日本とロシアの主張について引用させて
いただきます。(page301)

日本の主張
ポッダム宣言やサンフランシスコ講和条約でソビエトに引き渡した
千島列島は択捉(エトロフ)の北までであって、択捉以南は日本の
領土である。

ロシアの主張
北方領土問題は、すでに戦時及び戦後の国際諸協定によって解決ずみ。
国後(クナシリ)、択捉は返還の意志がない。
また、歯舞(ハボマイ)、色丹(シコタン)は平和条約締結後に
引き渡す。

北方領土問題の歴史

1855年 日露和親条約  国後、択捉までが日本の領土

1875年 樺太、千島交換条約  千島列島全体が日本の領土

1905年 ポーツマス条約 日露戦争の日本勝利で
     1875年の領土にプラス 南樺太が日本の領土となる。

1951年 サンフランシスコ平和条約
     15年戦争の敗戦で 国後、択捉までが日本の領土
     1855年の状態となる。

1956年 日ソ共同宣言
     戦争状態の終結、日ソの外交、領事関係が修復
     歯舞、色丹を日本に引き渡す。

2001年 イルクーツク声明
     森首相とプーチン大統領との間で日ソ共同宣言を再確認

2005年 プーチン大統領来日
     領土問題の進展なし


参考:日ソ共同宣言全文
 
 
上の写真は大阪府庁でのパネル展示の内容です。
 
写真展
上の写真は東京都新宿区の「リコーイメージングスクエア東京」で写真展を開催
している北方領土の元島民3世の山田淳子さん。
(祖父が歯舞群島の志発島出身)
昨日(2021-2-6)早朝のNHKテレビで紹介されていました。
 
詳細は下記サイトで
 「北方領土の日」元島民の今の姿を写した写真展 東京 | 北方領土 | NHKニュース
上の写真は写真展の様子 2月15日まで開催されているそうです。
 
関連動画
 北方領土問題と共産党/意外な共産党の「強硬」姿勢の論理とは【テレ東 官邸キャップ篠原裕明の政治解説】(2022年3月11日)
 
 2022-5-2に追加しました。

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