明治39年(1906)7月、田村虎蔵、納所弁次郎、佐々木吉三郎編の「尋常小学唱歌」
の四学年用に「敦盛と忠度」という唱歌が掲載されていました。
この唱歌は「青葉の笛」という題で知られています。
昭和2年(1927)の検定唱歌集に青葉の笛という題で再登場している。
1番の歌詞は平敦盛を追悼した歌で2番は平忠度(たいらのただのり)を追悼した歌です。
田村虎蔵作曲、作詞は大和田建樹
上の2枚の写真は敦盛と忠度の歌詞と譜面です。
1番の歌詞は平敦盛(たいらのあつもり)に関するものです。
平敦盛は源氏方の将、熊谷直実に首を討たれた後、懐中から一管の笛が出てきた。
青葉の笛である。直実は昨夜月の光の明るい陣屋で朗々たる笛の音を聞いたことを
思い起こし、さてはこの青年だったかと哀れみをもよおしたという話です。
上の写真は須磨寺宝物館の「青葉の笛」の展示 撮影:2020-11-21
上の写真は同じく須磨寺宝物館の展示で平敦盛像 撮影:2020-11-21
上の写真も須磨寺宝物館の展示で平敦盛と熊谷直実の一騎うちの場面を絵にしたもの
撮影:2020-11-21
上の写真は須磨寺、源平の庭における平敦盛と熊谷直実の一騎打ちの場面
平敦盛について過去に書いたブログにリンクしておきます。
第827回 敦盛忌 in 敦盛塚 on 2012-3-10 : 散策とグルメの記録 (exblog.jp)
須磨寺 敦盛首洗いの池 on 2010-8-12 : 散策とグルメの記録 (exblog.jp)
第825回 敦盛忌 on 2010-3-6(土) : 散策とグルメの記録 (exblog.jp)
平敦盛の命日 2月7日 : 散策とグルメの記録 (exblog.jp)
青葉の笛 その2 青葉の笛か小枝の笛か? : 散策とグルメの記録 (exblog.jp)
青葉の笛(敦盛と忠度) : 散策とグルメの記録 (exblog.jp)
敦盛会による敦盛供養 on 2009-3-7 : 散策とグルメの記録 (exblog.jp)
須磨寺(福祥寺)の義経腰掛けの松と敦盛首洗いの池 : 散策とグルメの記録 (exblog.jp)
須磨寺本堂と熊谷直実&平敦盛の像 : 散策とグルメの記録 (exblog.jp)
須磨海づり公園と敦盛塚石造五輪塔 : 散策とグルメの記録 (exblog.jp)
敦盛塚の発掘調査 on 昭和60年度(1985) - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)
敦盛塚 on 2018-3-28 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)
謡曲「敦盛」と敦盛首塚 on 2014-3-8 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)
第829回 敦盛忌 in 敦盛塚 on 2014-3-8 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)
続いて、2番の歌詞は源氏方の木曽義仲に攻められて都落ちをしようとする際、
平忠度(たいらのただのり)は和歌の師藤原俊成の家の門を叩いた。自らの生きた
証である詠歌を託したのである。俊成は受け取った歌から一首選び、「千載和歌集」
に詠者名を伏せ、「詠み人知らず」として下記の歌を掲載しています。
「ゆきくれて木の下かげを宿とせば 花や今宵の主ならまし」
その後、平忠度は一の谷の合戦で討ち取られ、その箙(えびら)に結びつけられた
歌と署名から薩摩守忠度と判明しました。
平忠度に関する供養の場所は神戸市長田区駒ヶ林付近に2か所、明石市山陽電車人丸駅
付近に2か所ありブログも作成していますのでリンクしておきます。
1)神戸市
平忠度の胴塚(首塚) : 散策とグルメの記録 (exblog.jp)
腕塚堂(平忠度塚) : 散策とグルメの記録 (exblog.jp)
2)明石市
両馬川旧跡と腕塚神社 : 散策とグルメの記録 (exblog.jp)
3)神戸市&明石市
平忠度を祀った史跡 : 散策とグルメの記録 (exblog.jp)
最後に須磨琴の伴奏で表題の「尋常小学校唱歌」の歌を動画でお楽しみください。
第829回 敦盛忌. 敦盛塚 on 2014-3-8 その1
2014年3月8日(土)14時から神戸市須磨区の敦盛塚において第829回
敦盛忌が行われました。 敦盛忌は寿永3年(1184)2月7日に、当時16才の
平敦盛が、熊谷次郎直実によって首を討たれ、それを供養するために敦盛も命日
(新暦換算では1184年3月27日)毎年3月の土曜日に開催されています。
今年は敦盛が直実に討たれて830年の節目でもあります。
動画は須磨琴保存会の皆様による一絃琴演奏です。
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