CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ)

神戸・岩国の最新情報を中心に紹介していきます。歴史や時事について調べた結果を紹介。

東京五輪2020におけるメダル獲得数 第6日(7月28日時点)現在 金メダル日本がトップに

2021年07月29日 16時52分48秒 | Weblog

東京五輪2020におけるメダル獲得数が第6日(7月28日時点)までで金メダル数が

最多の13個となっていますので記録を留めるためにブログ記事としました。

最終的には日本がトップになることはないだろうと予測しています。

 

第6日(7月28日時点)の国別のメダル獲得数は以下のとおりです。

 

         金   銀   銅   計
日本    13    4    5    22

中国 12    6    9            27

米国 11            11          9            31

ROC  7    10    6            23

豪州  6    1   9    16

英国  5    6   5    16

韓国  4    2   5    11

ドイツ  3    2   5    10

フランス  3    2   3      8

オランダ   2              6           3             11

カナダ  2    3   4    9

ハンガリー 2    1   2    5

スロベニア 2    1   1    4

コソボ  2    0   0    2

 

最新の国別メダル獲得数は下記サイトで見れます

 国別メダルランキング〔五輪〕|東京2020オリンピック・パラリンピック|ニュースサイト:時事ドットコム (jiji.com)

 

関連ブログ:

  東京五輪 on 2021-7-25 日本4つの金メダル - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 

写真が無いと寂しいので金メダルに輝いた女子ソフトボールチームの写真を添付して

筆を置きます。

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加納宗七の初代銅像(戦時中の金属供出で現存せず)

2021年07月29日 05時43分03秒 | 昔こんなものがあった 昭和編

本日は昭和9年(1934)8月1日から昭和19年(1944)5月26日まで存在していた

加納宗七の銅像をテーマに取り上げます。

参照資料:

  1)松田裕之 著「加納宗七伝」朱鳥社(2014)

  2)荒尾親成 編「ふるさとの想い出 明治・大正・昭和 神戸」(1979)

  3)一坂太郎 著「ひょうご幕末 維新列伝」神戸新聞出版社(2008)

加納宗七(1827-1887)は1871年(明治4年)、明治政府が計画した生田川の付け替え

工事を請負い、3か月で工事を完了させた。宗七は17万坪に及ぶ旧生田川の埋立地や

堤防跡を娘婿の有本明とともに兵庫県から落札し、区画整備を行った人物です。

神戸開港当時(1868-1-1以降)生田川はたびたび氾濫し水害を起していました。

居留地に住む外国人の陳情により上記の生田川付け替え工事が行われました。

現在の三宮周辺の繁栄の基礎を造った功績により「加納町」の地名が残っています。

1873年(明治6年)、加納宗七は当時の神戸港が台風によって大きな被害を受ける
ことに対処すべく、生田川の河口に「加納港」と呼ばれる避難港を建造した。
この避難港は1915年(大正4年)に埋め立てられ、国鉄神戸臨港線神戸港駅が
建設された。

加納宗七は紀州出身の豪商で幕末の勤王運動に参加、同じ紀州藩の陸奥宗光にその豪腕

が認められ、その紹介で坂本龍馬、中岡慎太郎や伊藤博文、大隈重信、中島信行らと

親交を結び、龍馬が慶応3年(1867)11月京都近江屋で暗殺されると、その下手人の

探査に従事、同年の12月7日の夜、下手人の三浦休太郎が護衛の新選組数人とともに

京都三条油小路花屋町の料亭天満屋で酒宴を催すとの情報をつかみ陸奥宗光、加納宗七ら

16名が天満屋に斬りこみチャンバラをやり名を挙げた話題の持ち主でもある。(天満屋騒動)

ただ、商人である加納宗七が実際に斬りこんだかどうか不確定である。

 

上の写真は加納宗七が埋め立てを行った旧生田川上流の久方橋東詰めに建設された

加納宗七の銅像です。 出典:2)

神戸市市街地造成の先駆者、加納宗七(1827-1887)の顕彰は宗七の死から半世紀近く

を経た昭和8年(1933)6月、生田神社氏子総代の席で斉藤喜四郎が宗七の偉業を称え、

これに感銘を受けた神戸市議会議員の重成千代吉が顕彰事業の推進を呼びかけました。

「加納宗七氏銅像建設趣旨書」を市内有力者に配布して賛同者を募り、さらに同年の

12月16日、兵庫県に建設請願書を提出した。

昭和9年(1934)1月27日、重成千代吉宛てに県知事白根竹介捺印の許可書が届き、

東京間組に請負業者に指定、2月1日に地鎮祭が催された。

銅像の製作は建設請願と同時に進められた。原型は加納宗七晩年の写真をベースに

宗七が設計図を片手に指揮命令している姿が採用され製作者を公募し、雲中小学校で

教鞭をとっていた神戸在住の彫塑家・福田青陽(正一)が選ばれた。

福田青陽は不眠不休で作業を行い昭和9年(1934)1月10日に銅像は完成した。

同年7月18日、総工費1万1,200円を投じた加納宗七の銅像が無事竣工、8月1日に除幕式

が開催されました。(台座は高さ4m、銅像は2.5m高さ)

昭和19年(1944)5月26日、銅像供出奉告式が執り行われ、銅像は消滅しました。

 

昭和54年(1979)、生田神社において荒尾親成さんが編纂した資料2)の出版祝賀会の

席上で元神戸市長の中井一夫から加納宗七記念碑再建を行いたい旨の発言があった。

これを受け、記念碑が東遊園地に建立され昭和56年(1981)3月16日に除幕された。

記念碑(2代目加納宗七の銅像)の写真を添付しておきます。

 

上の写真は加納宗七像(左の隅)と加納宗七の題字(陸奥宗光の書による)の遠景
多分前の部分は旧生田川を表わしたものだと思います。撮影日:2011-6-21
このモニュメントの前に加納橋の欄干もあるのですが、写真を撮るのを失念
していました。

 

上の写真は現在の加納宗七の銅像の近景です。撮影:2011-6-21
旧生田川は現在のフラワーロードが流れの中心であった。天井川であることから
氾濫が多く、旧生田川右岸にあった外国人居留地もたびたび水に浸かることから
川の付け替えが行われ現在の新生田川の川の流れとなった。
当時建設されたフラワーロードは幅18m、延長1.6kmで東西に街区が設けられ
明治6年(1873)5月西の街区を加納町と名づけた。
上記にWikipediaの解説に出てくる避難港の建造であるが、名称は加納湾とも
呼ばれていた。(現在は埋め立てられ存在しない)
加納宗七の娘婿である有本明の名前をとった有本町も明治6年には存在したが、
定着せず現在は有本町の名前は存在しない。

 

訪問記:東遊園地にある加納宗七像 on 2011-6-21 : 散策とグルメの記録 (exblog.jp)

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7月28日の新型コロナウイルス感染者数 全国で過去最多の9,576人

2021年07月29日 05時13分31秒 | Weblog

2021年7月28日の新型コロナウイルス感染者数 全国で過去最多の9,576人となりました。

感染力の高いデルタ株への変異により第5波で爆発的に感染者数が増加する由々しき

状況になってきました。

今後どうなるのか専門家も先が読めない状態になってきています。

上の写真は全国の感染者数です。

赤で示したのは過去最多を記録した自治体です。

感染者数の増加に伴い、重症者も増加してきています。

出所:NHK総合TV(2021年7月29日 早朝)のニュース

上の写真は首都圏の感染者数をピックアップしたものです。

出所:NHK総合TV(2021年7月29日 早朝)のニュース

首都圏の知事は緊急事態宣言について政府に要請する方向で動いています。

政府は今日にでも緊急事態宣言の発出に動くと思われます。

上の写真は過去に最多であった2021年1月8日の全国感染者数7,882人

全国で2番目に多かったのは2021年1月9日の7,790人

2021年1月8日、1月9日の全国の新型コロナウイルス感染者の状況について下記ブログ

で纏めています。

 1月8日の新型コロナウィルス感染者数(全国)は7,882人(過去最多)、1月9日は7,790人(2番目) - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

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