CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ)

神戸・岩国の最新情報を中心に紹介していきます。歴史や時事について調べた結果を紹介。

播磨国分寺跡について

2023年12月17日 04時26分25秒 | 姫路市
天平13年(741)聖武天皇の時代、仏教による鎮護国家を目指し、国分寺建立の詔が出され、
金光明寺(東大寺)が総国分寺となり以後、20年で全国68の国に国分寺が建立されました。
そこで、今回は播磨国分寺跡をテーマに取り上げました。
播磨国分寺跡には2013年9月28日に訪問しており、主にその時の写真を利用して話を進めます。
特記していないものは全て2013年9月28日に撮影した写真です。
まず最初に全体像を把握するために姫路市埋蔵文化財センターに展示されている国分寺
の復元模型を下に添付しておきます。姫路市埋蔵文化財センターへは同日(9月28日)に訪問。
現在(2023年12月8日訪問)企画展開催中で国分寺の模型展示はありません。



上の2枚の写真は播磨国分寺の模型です。
中軸線上には南から南大門、中門、金堂、講堂が一直線に並び、中門と金堂とが回廊で
結ばれ、さらに金堂前には灯籠も備えられていた。 
模型は昭和57年(1982)3月27日、神戸大学の副学長を勤められていた建築が専門の多淵敏樹氏(故人)の
監修で制作されました。協力は株式会社大林組、模型製作は株式会社ヤマネ。
模型を作成するに当たっては現在も残っている塔の基壇と礎石、発掘調査の基づく南大門、中門、回廊、燈籠跡等の資料を基礎にして推定復元されました。
上の写真は2019年以前(第26次)までに行われた発掘調査(赤で表示)と播磨国分寺の寺域が
青色で表記された図です。第27次の発掘調査の報告書は2022年に作成されています。
出典:姫路市教育委員会編 播磨国分寺跡 第26次発掘調査報告書(2019)Page2
上の写真は現地説明板に記載の伽藍配置(着色及び一部名称 追記)


上の写真は全国に建立された国分寺と国分尼寺の分布を示したものです。
出典:山川出版社 詳説 日本史図録 第2版(2008) Page53 

播磨国分寺跡の敷地は現状下記の牛堂山国分寺と播磨国分寺跡になっています。
(1)牛堂山国分寺と(2)播磨国分寺跡を2つのパートに分けて記載していきます。

(1)牛堂山(うしどうさん)国分寺 

牛堂山国分寺の基本情報 
住所:姫路市御国野町国分寺121
TEL:079-253-0669
 姫路市教育委員会文化課への問い合わせ先は  TEL:079-221-2786

宗派:高野山真言宗  山号:牛堂山
御本尊:十一面観世音菩薩   創建:天平13年(741)
開基:聖武天皇(勅願)
播磨西国三十三箇所観音霊場 第32番
播磨四国88箇所観音霊場 第1番
ご詠歌:「ひろきのの 花の車をひきつれて 牛堂山にまいりこそすれ」


牛堂山国分寺の位置を示すGoogle地図を添付しておきます。


聖武天皇は約16メートル近い盧舎那仏(大仏)の建立を促し、天平勝宝4年(752)に
大仏が完成開眼供養が営まれています。
この当時の社会不安は大変なものがあった。それ故仏教の助けが必要であった。
天平7年(735)には、九州に端を発した天然痘が大流行し、干ばつ、地震、不吉な流れ星、
飢饉、凶作も加わり、多くの死者が出ていた。天平9年(737)藤原四子(武智麻呂・・南家、
房前・・北家、宇合・・式家、麻呂・・京家)も天然痘で病死し政権が交代している。
さらに天平12年(740)太宰の小弐の藤原広嗣の反逆。
加えて、蝦夷の叛乱などもあった。
都の場所もせっかく出来上がっていた奈良の平城京から、天平12年(740)から天平17年
(745))にかけて山城の恭仁京。近江の紫香楽宮(信楽京)へと相次ぎ遷都した挙句に、
また奈良に戻ってきたりもしていた。大阪の難波宮も造営が進んでいたが山城の恭仁京
さらに紫香楽宮(信楽京)への遷都となった。その後天平16年(744)2月26日に難波宮が
皇都と定められたがその期間はわずかで天平17年(745)5月に平城京への遷都となる。

前置きが長くなったが牛堂山国分寺の写真紹介に移ります。
上の写真は国道2号線より参道を南に進むと正門のような門があり左手には33箇所
観音霊場の石仏が並んでいます。 
右手には中門があります(上の写真)  

さらに南に進むと左手に観音堂があります。(上の写真)

参道を右に折れて少し進むと右手に庫裡があります。(上の写真) 

さらに進むと牛堂山国分寺の本堂に出ます。
牛堂山国分寺は黒田官兵衛ゆかりの寺院です。その仔細について記す。

「播陽里翁説」によると、天正6年(1578)4月阿閇城の戦いの後、毛利の大軍が
上月城を囲んだため、羽柴秀吉軍は直ちに救援に赴いたが、その隙に乗じて別所勢が
東から姫路城を陥れようとしたため、黒田官兵衛は急きょ姫路に引き返し、国分寺に
拠って撃退しようとしたが、別所軍は秀吉の大軍が来ると思って牛堂山国分寺に火を
放ち堂、僧坊は消失したと伝えられる。
牛堂山国分寺の本堂等は寛永16年(1639)、姫路城主松平忠明により、
再建されました。

上の写真は境内の石仏で 向って左から観音菩薩、不動明王、地蔵菩薩か?


上の写真は立江山 地蔵堂の中に安置されている立江地蔵尊。

上の写真は開山堂です。
説明書きがありましたのでそのまま引用させていただきます。
牛堂山国分寺創建の詔を発令された聖武天皇神像並びに徳川将軍家歴代の位牌
をお祭りしてあります。聖武天皇(701-756)は名を首(おびと)、法号は勝満
文武天皇の第一皇子、第45代天皇 在位は734-749遣唐使を派遣して積極的に
唐の文物制度を採用して仏教興隆に尽くして律令国家の盛期と天平文化を開花
させた。奈良東大寺の大仏は聖武天皇の発願により建造された。この大仏は
華厳経の教主である盧舎那仏(大日如来)-真言密教の教主-であり聖武天皇は
日本の国土をこの経の理想世界である蓮華蔵世界に擬し、東大寺を中心道場として
日本全国に国分寺を建立された。
この大仏(盧舎那仏)は一大蓮華台に安座しその蓮華に一千弁がありこの蓮弁上に
仏教の開祖である釈迦が安座する。この一千弁に相当するのが諸国の国分寺であり
その国分寺に釈迦があって法を弘め人々を救うとされた。
聖武天皇は天平13年(741)にこの蓮弁にあたる国分寺を播磨国に建立するよう
詔を発令されたのが牛堂山国分寺である。

上の写真は宝篋印塔。室町時代の初期のものと推定されています。 
上の写真は五智如来坐像で開山堂の脇に鎮座されています。
元禄年間造像の紀銘があるという。配置は下記か?
         ●阿閦如来 西      ●不空成就如来 
                ●大日如来 中央
     ●観自在王如来(阿弥陀如来)      ●宝生如来 

上の写真は境内の神社。神仏習合。

これで、牛堂山国分寺に関する記述は終わり播磨国分寺の話題になりますが播磨国分寺跡
の入り口の説明板に牛堂山国分寺と播磨国分寺跡両者の配置を示す図がありましたので
下に添付しておきます。
 



(2)播磨国分寺跡 


上の写真は七重塔跡です。
基壇は一辺長さ18.9m 柱間は3m(10尺)、3.3m(11尺)、3m(10尺)で中央の
柱間が長いのが特徴。
 
上の写真のような七重塔があったのでは推測されています。
姫路市埋蔵文化財センターの展示からのコピーです。高さは60mもあったそうです。
内部には金字金光明最勝王経一部が安置されていたそうです。 

上の写真は南側の播磨国分寺跡から北側の牛堂山国分寺方面を臨んだ遠景です。

上の写真は回廊跡(復元)、灯籠(復元)です。
上の写真は南大門跡(復元)です。
 
上の写真は南側から北側を臨んだもので手前が復元築地塀で近代工法で復原
されました長さは52.5mだそうです。
北側の20.1mは古代工法で復原されたそうです。


上の写真は築地基壇・落下瓦遺構復原模型です。
説明板より引用させていただきます。
築地基壇は地山の土を幅3.3~3.6mで削り出し、その上に30~50cm厚さで
淡灰色土、淡黄色土などの盛土を積み上げています。基壇の両側には、
幅3~5m、深さ30~60cmの溝を備えており、溝の上面に大量の落下瓦が堆積
してしまいました。基壇の上面から2条の雨落溝が検出され、築地塀の軒先幅が
約2.30m、築地本体の基底幅が1.2~1.5m位であることがわかりました。
 

上の写真は姫路市教育委員会文化課が作製したリーフレットのコピーです。
出土した瓦を年代順に並べたもので創建当時の瓦(8世紀中頃)のものも含まれて
いるようです。 

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姫路市宮山古墳訪問記 on 2023-12-8

2023年12月16日 04時16分50秒 | 姫路市
2023年12月8日、姫路市埋蔵文化財センターの近くにある宮山古墳を観てきましたので
写真紹介します。宮山古墳の所在地姫路市四郷町大字坂元字宮山

宮山古墳の基本情報 
所在地: 姫路市四郷町坂元414-1(姫路市埋蔵文化財センター)
問い合わせ先:079-252-3950 姫路市埋蔵文化財センター
形式:30m径の円墳  築造年代:古墳時代中期(5世紀後半)

姫路市埋蔵文化財センターのGoogleマップを添付しておきます。


宮山古墳の見どころのポイントは次の4つである

1)平成10年に国の重要文化財(考古資料)に指定の出土物
   出土物は姫路市埋蔵文化財センターに保管

2)出土物の特徴から朝鮮半島から渡来した人物の墓であると推定される

3)市川下流の大型古墳である檀場山古墳との関連

4)竪穴式の石室が3つあること

宮山古墳の名前の由来は古墳に隣接して春日神社があることからか?
春日神社の写真を添付しておきます。(下の3枚の写真)






上の写真は宮山古墳の頂上部分の竪穴式石室の上部の柵
円墳の向こう側には現在の墓地もあります。

上の写真は30mの円墳の下部から見上げたものです
宮山古墳公園として整備されています。

上の写真は宮山古墳の航空写真 出典:姫路市埋蔵文化財センター展示

見どころで市川下流の大型古墳である檀場山古墳との関連と書きました。
大型古墳の周辺に渡来系の古墳が築造されるパターンで兵庫県内では他に下記のような
例があります。渡来人は須恵器、鉄器など新しい技術や文化をもたらした。

神戸市西区の吉田王塚古墳とその周辺の出合古墳群及び西神ニュータウン内の古墳

加古川市の行者塚古墳とその周辺の池尻2号墳、カンス塚古墳


上の写真は現地説明板でそのまま転記引用させていただきます。

宮山古墳 県指定史跡(昭和48年3月9日指定)

 5世紀後半に築かれた直径30mの円墳で、尾根の突端部に位置している。
昭和44年と47年の2度の発掘調査の結果、並行する2つの竪穴式石室の下にもう1つの
竪穴室があることがわかった。土器のほか、刀・鏡・装身具など多様多種の遺物が出ました。
中でも二対の垂飾付耳飾りや金象嵌大刀などは全国にも類例のない貴重なものである。

出土品は一括して
平成10年6月30日に国の重要文化財に指定された。

平成11年3月 姫路市教育委員会

重要文化財の解説として文化庁の重要文化財データベースから解説をそのまま引用
させていただきます。
兵庫県姫路市四郷町大字坂元字宮山に所在する宮山古墳の出土品一括である。
 宮山古墳は、市川下流域左岸に存在する独立丘陵から派生した低平な尾根の突端に
立地している。昭和三十年代後半に第一主体部が盗掘を受けたため、昭和四十四年に
発掘調査が実施され、第一主体部の確認および新たに発見された第二主体部の精査が
行われた。また、昭和四十六年には土取り工事により、第三主体部の存在が確認された
ため、緊急調査が実施された。現在は兵庫県指定の史跡として保存・活用されている。
 墳丘は直径約三〇メートル、高さ約四メートルを測る五世紀の円墳で、西側に造り出し
をもっている。その墳丘に主軸を東西にする竪穴石室が三基造営されていた。
盗掘を受けた第一主体部は四・六×一・八メートルの規模で、凝灰岩の割石を丁寧に
積み上げたものであり、床面は扁平な割石と川原石を平らに敷き詰める構造となっている。
第二主体部は三・四×一・二メートルの規模で、凝灰岩の割石を荒く積み上げる側壁に、
拳大の川原石を平らに敷き詰めた床をもっている。第三主体部は第二主体部に類似し、
三・四×一・一メートルの規模で、凝灰岩の割石を荒く積み上げた側壁と、小振りな
川原石を平らに敷き詰めた床をもっている。
 第一主体部は盗掘を受けているため副葬品は少ないが、第二・第三主体部から
出土した副葬品はきわめて多彩な内容をもっている。金製の垂飾付耳飾、銀製の指輪、
金銅製の帯金具等、多彩な素材を用いた装飾具をはじめ、鉄製の武器・武具類、
須恵器等の優れた副葬品を有している。
 なかでも金垂飾付耳飾等の装身具類、大形の鉄刀・須恵器類は朝鮮半島的な色彩を
色濃く感じさせる、きわめて興味深い一括資料である。同時に須恵器類は、定型化直前の
一括資料である点もその学術的価値は高い。
 なお、墳丘出土の玉類・須恵器・土師器・埴輪・鉄製品も、表面採集されたものが多い
ものの、本古墳出土品の全体像を考えるうえで、附としてともに保存を図りたい。  
兵庫県宮山遺跡出土品で上述の重要文化財にリストアップされているものは下記のとおりである。
一、素環頭大刀残欠
一、刀剣類
 刀身残欠
 剣身残欠
一、玉類
 碧玉管玉
 硬玉勾玉
 ガラス小玉
一、鉄挂甲小札
一、金銅飾金具残欠
一、金銅中空円筒製品
一、鉄鏃
一、工具類
 鉄〓〈残欠共/〉
 鉄斧
 鉄鍬
 鉄鎌残欠

上の写真は姫路市四郷町の地図です。宮山古墳は⑨です。

上の2枚の写真は上記地図の裏面の説明書きと第2主体出土品の写真

次に姫路市埋蔵文化財センターの2階に展示の宮山古墳の説明パネルを添付します。




上の5枚の写真は姫路市埋蔵文化財センターの2階に展示の説明パネル

上の写真は第3主体からの甲冑の出土品
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姫路城前交差点近くに設置予定の姫路城世界遺産登録30周年記念の下水道マンホール蓋

2023年12月12日 04時18分29秒 | 姫路市
姫路城世界遺産登録したのは1993年12月11日、2023年は世界遺産登録から30周年ということで
種々のイベントが実施されてきました。
昨日(12月11日)は世界遺産登録30周年を記念して姫路城が無料開放され報道されていました。
その一環として、姫路市大津区の鋳物メーカー「虹技」は30周年記念デザインの
マンホール蓋を製造し、姫路に寄贈されています。
この記念マンホール蓋が11月12日の「お城まつり」で展示されていましたので写真紹介します。
このマンホール蓋は12月下旬に姫路城前交差点近くに設置される予定です。

上の写真が「虹技」から姫路市に寄贈されてマンホールふた
撮影:2023-11-12

上の写真は2023年11月12日の「姫路お城まつり」ブース、姫路市の上下水道局のパネル展示

上の写真は従来から使用されている姫路市下水道(汚水)のマンホール蓋のデザイン
撮影:2023-11-12

虹技は上記のデザインの他に「秋祭りの屋台」や「毛獅子舞」のデザインも手掛けています。

虹技の基本情報
住所:姫路市大津区勘兵衛町4丁目1番地  TEL:079-236-3221
社長:山本幹雄氏

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姫路 タコピィ (TACOPY)でのランチ on 2023-11-24

2023年12月05日 05時21分13秒 | 姫路市
2023年11月24日、姫路駅前のグランフェスタにある姫路 タコピィ(TACOPY)で
ランチをいただきましたので写真紹介します。
この店への訪問は3回目ですが今迄、記事にしていなかったのでブログを書きました。

姫路 タコピィ(TACOPY)の基本情報
住所: 姫路市駅前町188-1 グランフェスタ B1F  TEL:079-221-3657
営業時間:10:00~20:00
定休日:グランフェスタの休みに準ずる
旧店名:TACCO PIRE(タコピア)
創業:昭和34年(1959)

当日、いただいたのは看板メニューのたこ焼きです。
値段は480円(税込)で自動販売機で券を購するスタイルです。
並んでたこ焼きが出来上がるのを待ちました。

上の写真が当日、いただいた「たこ焼き」10個入りで480円です。
完全に明石焼きと同じだし汁で食べる「たまご焼き」です。

上の写真は明石焼き風たこ焼きが掲載の看板




上の2枚の写真は店内に貼ってあったポスター


上の写真は店頭の主なメニューの掲示

上の写真はお店の外観
上の写真はお店の名前と基本情報が書かれた看板
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昭和21年創業の中華料理「東菜春」(姫路市)でのランチ on 2023-11-17

2023年11月30日 05時02分05秒 | 姫路市
2023年10月27日、昭和21年創業の中華料理「東菜春」(姫路市)でランチを
頂きましたので写真紹介します。訪問2回目のお店です。
中華料理と言っても高級料理ではなく我々庶民のための大衆料理です。
レトロな3階建ての建物が目立ちます。

中華料理「東菜春」の基本情報
住所:姫路市西二階町111  TEL:079-222-1570
料理ジャンル:大衆中華食堂
営業時間:11:00~17:00 定休日:未調査不明
   サービスランチは11:00~14:00(月~金)
 公式サイトの値段は値上がり前ですので注意して下さい。

所在地のGoogleマップを添付しておきます。


当日は酢豚ランチ830円(税込)を注文
セットの中身は酢豚とスープ、香の物です。


上の写真が当日、注文した酢豚ランチ830円(税込)です。

上の写真はランチのセットメニューの一覧表です。


上の2枚の写真は店頭に掲示のサービスランチのメニュー表




上の2枚の写真は単品メニュー表


上の2枚の写真は店頭のショ-ケース掲示


上の写真はお店の外観です。
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昭和21年創業の中華料理「東菜春」(姫路市)でのランチ on 2023-10-27

2023年11月05日 15時43分29秒 | 姫路市
2023年10月27日、昭和21年創業の中華料理「東菜春」(姫路市)でランチを
頂きましたので写真紹介します。初訪問のお店です。
中華料理と言っても高級料理ではなく我々庶民のための大衆料理です。
レトロな3階建ての建物が目立ちます。

中華料理「東菜春」の基本情報
住所:姫路市西二階町111  TEL:079-222-1570
料理ジャンル:大衆中華食堂
営業時間:11:00~17:00 定休日:未調査不明
   サービスランチは11:00~14:00(月~金)
 公式サイトの値段は値上がり前ですので注意して下さい。

所在地のGoogleマップを添付しておきます。


当日は中華丼ランチ980円(税込)を注文
セットの中身は中華丼と中華そばです。


上の写真が当日、注文した中華丼ランチ980円(税込)です。

上の写真はランチのセットメニューの一覧表です。
再訪問する場合は酢豚ランチを食べてみたいと思います。


上の2枚の写真は店頭に掲示のサービスランチのメニュー表




上の2枚の写真は単品メニュー表


上の2枚の写真は店頭のショ-ケース掲示


上の写真はお店の外観です。


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姫路市 本格的インド・ネパールカレーのアビクでのランチ on 2023-10-20

2023年11月02日 04時12分49秒 | 姫路市
2023年10月20日にいただいたインド・ネパールカレーのアビクでのランチを写真紹介します。
姫路市辻井7丁目辻井郵便局のお向かい にある店で初訪問です。

アビクの基本情報
住所:姫路市辻井7丁目14−20  TEL:079-293-5156
料理ジャンル:インドカレーの本格カレー、インド料理、ネパール料理 
ローマ字表記:ABHIK
営業時間:ランチは11:00~15:00 ディナーは17:00~22:00
オープン日:2023年8月8日 
公式サイト:

所在地のGoogleマップを添付しておきます。

アクセスとしてはJR姫路駅前バスターミナル10番乗り場より神姫バス8系統書写山行辻井北口下車すぐ
当日は日替わりセット900円(税込)を注文
このメニューの中身は日替わりカレー、ナン又はライス、サラダ、飲み物
まずサラダが出てきます(下の写真)



上の写真は次に出てきた飲み物、当日はアイスコーヒーを選択

上の写真はメインの日替わりカレー(中辛)とナン
辛さは マイルド、普通、中辛、辛口、激辛の5段階で選択します。
美味しくいただきました。


上の写真はメニュー表です
カレーの種類は下記のとおり(メニュー表に記載)
 1)チキンカレー
 2)キーマカレー
 3)ベジタブルカレー
 4)バターチキン
 5)ダル(豆)タドカ
 6)ブラウンカレー
 7)ポークカレー
 8)ほうれん草チキン



上の写真はランチの飲み物のメニュー表です。



上の2枚の写真はお店の外観です。
駐車スペースはあります。




上の2枚の写真はスナックのメニュー表


上の3枚の写真は飲み物のメニュー表です。

上の写真はディナーセットのメニュー表

上の写真はカレー単品のメニュー表
上の写真はお持ち帰りメニュー

2024年1月20日追記
2024年1月19日に再訪しブログを書きましたのでリンクしておきます。
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姫路市飾磨区天満神社(恵美酒宮)の有本芳水詩碑と生誕の碑 on 2023-10-8

2023年10月20日 05時05分45秒 | 姫路市
2023年10月8日、姫路市飾磨区天満神社(恵美酒宮)の有本芳水詩碑と生誕の碑
の写真を撮りましたので紹介します。
 
天満神社(恵美酒宮)の有本芳水詩碑
上の写真は恵美酒宮の南に隣接する場所に建つ有本芳水(1886-1976)の詩碑
詩碑には下記の詩が刻まれています。
詩碑の建立に尽力されたのは郷土史家の高橋秀吉さんです。
播磨はわれの父の国 播磨はわれの母の国 飾磨の海にともる灯の その色みれば泪(なみだ)ながるる
上記の詩文は芳水の第3詩集「ふる郷」の第2節と第2詩集「ふる里の海」の第3節を結合
詳細は下記サイト(Page3)に記載。
天満神社(恵美酒宮)の南方は江戸時代には船だまりになっていました。
対岸には姫路藩の米蔵が建てられ、飾磨津と姫路城下を結ぶ高瀬舟が往来していました。
 
上の2枚の写真は有本芳水詩碑の傍の水路で上述の風情を感じる事ができる風景です。
当日は天満神社(恵美酒宮)の秋祭りの宵宮で賑わっていました。
上の写真は恵美酒宮の秋祭りのポスター
上の写真は恵美酒宮に集合した屋台の一部
 
有本芳水、生誕の碑
上の写真は有本芳水、生誕の碑
飾磨の海近く有本芳水ここに生る 平成5年10月吉日 玉地自治会」と刻印
 
明治19年(1886)3月3日、飾東郡飾磨津田町(現:姫路市飾磨区)に父・有本嘉七郎、
母・いくの四男として生まれる。8人兄弟の7番目。生家は造り酒屋で廻船業も営んでいた。 
 
有本芳水(詩人、歌人)の経歴については下記サイトで詳しく書かれています
 
有本芳水の詩碑と有本芳水生誕の碑の所在場所は下記の地図に書き込んでいます。
⑥ 有本芳水生誕の碑
㉓ 有本芳水詩碑
地図の出典:宮交番付近の掲示板
 
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2023年10月13日 姫路市的形町 湊神社の秋祭り(宵宮) 観覧記

2023年10月14日 06時50分44秒 | 姫路市
2023年10月13日(金)、姫路市的形の湊神社の秋祭りを観覧しましたので写真紹介します。
当日の滞在時間は12時半から約1時間であったのでごく一部を観ただけで帰宅しました。
秋祭りの紹介に入る前、最初に湊神社の基本情報を記載しておきます。

姫路市的形、湊神社の基本情報
住所:姫路市的形町的形1249  TEL:079-254-0613 
御祭神:素盞嗚尊(すさのおのみこと) 、大歳大神
創建:奈良時代(710-784)、仲哀天皇の皇后、神功皇后(321-389)が創建との伝承あり 

由緒:
神功皇后(321-389)が新羅遠征(363年)の途中、湊神社の現在地より250m東南の小島
(当時は海中の島)に立てた的に向かって「射儀の式」を行ったので、村名を的形、
神社名を湊と称するようになったと云う。
その由緒により小島に八幡神社を建立、神功皇后・14代仲哀天皇・15代応神天皇を祀った。
現在の八幡神社は陸の小山となり、当社の御旅所になっている。
平安時代の「播磨国神名帳」には「湊明神」、室町から江戸時代には「大歳明神」と呼ばれた。
元和5年(1619)9月29日、板倉勝重が黒印6石6斗を寄付。
明和4年(1767)に社殿を修復。
明治になって「湊神社」に改称された。明治7年(1874)郷社に列せられる。
平成22年(2010)に大修理(本殿、幣殿、拝殿)

上の写真は山陽電車の的形駅から湊神社までの地図を示しました。
地図は的形駅に掲示されていたものです。
湊神社の御旅所である八幡神社の位置も判ります。

次に最初に参拝した拝殿の様子を写真紹介します。

上の写真は拝殿
上の2枚の写真は拝殿内に準備してあった神事渡御行列に使用される道具


上の写真は神事渡御行列に使用される道具のリスト

境内の詳しい紹介は下記ブログで纏めています。

お待たせしました、これから湊神社の秋祭り(宵宮)の紹介です。
湊神社秋祭りポスター



上の2枚の写真は的形 湊神社秋祭りのポスター 山陽電車飾磨駅に掲示
撮影:2023-10-8

児嶋子供会の屋台

上の写真は12:30に宮入した児嶋の子供会の屋台
どうしても人物が写りこんでしまいます。許諾をとっていませんがお許しください。
上の写真は児嶋子供屋台の運行経路

児嶋町屋台
上の写真は2023年10月13日(土)12:45に宮入した児嶋の屋台
上の写真は児嶋屋台の10月13日(宵宮)の運行経路
上の写真は児嶋屋台の10月14日(本宮)の運行経路
上の写真は湊神社やっさ紹介(児嶋町屋台)のポスター
地元では屋台のことをやっさと呼んでいます。本ブログでは屋台で統一。

Youtube動画でも紹介します。
2023年10月13日(宵宮) 姫路市的形 湊神社の秋祭り 児嶋の屋台の宮入

令和5年各屋台の運行予定時間


上の写真は各屋台(児嶋、地、北山河、南山河、大鳥、苅屋、福泊の7屋台)運行予定時間

地の屋台
上の写真は地の屋台。以下の文は湊神社のリーフレットよりの引用
現屋台は平成19年に新調。龍紋と重厚な棟の勇姿が特徴。露盤に彫刻された
5匹の鯉「五鯉躍」は読みが御利益と同じで縁起を表す。その中でも正面の鯉は
今まさに天に駆上がる姿で、天に登った鯉は、屋台の天頂に輝く擬宝珠の龍になる
「登龍門」を表し、擬宝珠と露盤で一対の故事になる屋台は播州一である。

北山河の屋台



上の3枚の写真は北山河の屋台。以下の文は湊神社のリーフレットよりの引用
現屋台は昭和58年に新調。流水が渦巻く菊水紋と擬宝珠のシャチホコが特徴。
露盤、狭間とも明治時代から継承された歴史ある逸品で、露盤の場面は
「牛若丸の鞍馬山修行」と「平維茂紅葉狩」。狭間は「神功皇后」にまつわる
題材等が彫刻されている。令和5年の国恩祭で伊達綱を新調。
白と金から藍と金に変更された。

南山河の屋台



上の2枚の写真は南山河の屋台

上の写真は湊神社やっさ紹介(南山河町屋台)のポスター

大鳥の屋台



上の3枚の写真は大鳥の屋台


上の写真は湊神社やっさ紹介(大鳥町屋台)のポスター

苅屋の屋台


上の2枚の写真は苅屋の屋台


上の写真は湊神社やっさ紹介(苅屋町屋台)のポスター

福泊の屋台
当日の13:30頃の時点で近くに到着していなかったので湊神社のリーフレットの
写真と資料をそのまま引用添付させていただきます。



各屋台の地元位置

上の写真は各屋台の地元位置(赤線で囲った場所です)
出典:湊神社リーフレット
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サンマルクカフェ 姫路フェスタ店でのモーニング on 2023-10-6

2023年10月13日 04時11分52秒 | 姫路市
2023年10月6日、サンマルクカフェ 姫路フェスタ店でいただいたモーニングを
写真紹介します。初めての訪問なので記事としました。

サンマルクカフェ 姫路フェスタ店の基本情報
住所:姫路市駅前町363−1 新フェスタビル 1F  TEL:079-287-1309
営業時間:7:00~22:00  定休日:グランフェスタの休日に準ずる

所在地のGoogleマップを添付しておきます。
  
上の写真は当日、注文したサンマルクホットサンドセット(エビアボカド)720円(税込)
飲み物はホットコーヒー(アメリカン)S
加熱で熱々のサンドを美味しくいただけました。



上の写真はサンマルクホットサンドセットのメニュー看板
上の写真はモーニングメニューの全体の看板

上の写真はサンマルクカフェ 姫路フェスタ店の外観

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