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チェロ五十代からの手習い

57才でチェロに初めて触れ、発見やら驚きを書いてきました。今では前期高齢者ですが気楽に書いてゆこうと思います。

気持ちい~!室内楽大会

2011年10月11日 22時37分24秒 | 市原フィル

市原フィル名物といわれている、室内楽大会に参加した。

昨年は試みに、チェロアンサンブルの一員として参加させてもらったが、今年はモーツアルトのクラリネット5重奏の一員としての、本格参加だ。
市原名物・・のいわれは知らないけど、「本気で遊ぶ」人たちなので、内輪の演奏会なのにそれにかけるエネルギーは半端じゃない。
何日も何回も練習を繰り返して本番に備えるあり方が「名物」のゆえんなのではないかな。

だから、5ヶ月近く前にアンサンブル誘っていただいて以来
「自分に本当に出来るのか」
「迷惑かけるのではないか」
「音程が狂ったらどうしよう・・」
などと心配は尽きなかった。

室内楽大会は夕方6時から、美浜区の音楽小ホールでスタートした。
ピアノ三重奏、ホルンとバイオリンのデュオ、金管アンサンブルなど多彩な出し物のあと、
前半のクライマックスであるバッハのドッペルコンチェルト、メンデルスゾーンの弦楽合奏と
続き、小休止のあと我々「クラ5」に突入となった。

本番までに二回の練習を経て、何とかいけるとなってはいたものの、室内楽大会の直前練習でも、チェロが4小節休んだ後バイオリンのオブリガートに合わせて入る部分は、いまいち遅れ気味で微妙に合わないままだった。

明るく照明に照らされた音楽ホールの舞台に上がると、音楽通に見つめられて緊張した。
そんな緊張をやわらげてくれたのは、リーダーのちょとしたいたずら?だった。
本番用のグループ名を「○○爺デビュー」と変更し、最高齢の一人となった僕の名前を○○に入れて、会場にアピールしてくれ、会場からも「○○爺」と声が掛かったりした。

「とうとう僕も”爺”と呼ばれるようになったのね・・・」と思う一方、「やはり市原フィルは暖かいな~誰をも迎え入れて仲間にして行こうとしてくれる。」と感謝の気持ちだった。
そういえば「クラ5」に僕のような初心者を加えてくれたのも、飲み会にほとんど顔を出さない僕のことをもっと知るためだった、と直前にリーダーから知らされていた。

チューニングを始めると、まぶしい照明でチェロの音程が微妙に狂ってくるようで、なかなか合わない。
クラリネットにAの音を出してもらい合わせようとしてもなかなかピントこないでいると、
会場から「バイオリンに合わせたほうがいいよと声がかかり、ようやく演奏スタートとなった。

クラ爺の首振りを合図に演奏が始まった。
はじめてみると音響が良い舞台にいるからか、自分の音だけでなく、バイオリン、ビオラの音もよく聞こえて大変合わせやすい。
アンサンブルで良い音を出すことに集中していると、会場のことは気にならなくなり、
みんなの表情もよく見え、音もよく聞きながら演奏することができた。
いつの間にか5人でのアンサンブルだけが意識に残り、楽しい気持ちで演奏している。

あれだけ本番を恐れていたのに、この5人でわずかな間だけど練習をし、音合わせをし、自主トレしてきた日々が、今この瞬間に結晶し、終わりに向かってどんどん進んでゆく。
できればこのまま終わらないでほしいと感じた。

そんなことを思っていると、バイオリンに続いてチェロが入る問題箇所に到達し、
落ち着いてアイコンタクトし、ピタリとはまることができた(と感じた)。

それでほっとしていたためか、最後の速いフレーズはあっという間で、突っ込んでしまった。

本当はビオラの三連譜をよく聞いて、続いてチェロの三連譜でエンディングとなるのだけど、
アイコンタクト部分の成功で心に隙間が生じて、タイミングをつかみ損ねてしまった。
結局、体が覚えている感覚任せでエンディングに突入してしまったのだ。
果たしてちゃんと弾けたのか、それとも1音早く突っ込んでしまったのかは、
舞台から降りるまで(降りても)分からなかった。

こうして「クラ5」アンサンブルは幕を閉じたけど、
楽しいというより「気持ちいい~」という感覚が残った。
「気持ちいい~」なんて初めての感覚だった。
舞台の上で、自分たち5人だけが照明に照らされながら
一つの音楽を完成させたという喜びなのかもしれない

いや、初めて会った人たちと、最後には「心を一つに」できたこと。
一つのチームになれた喜びのような気もする。
(ビデオをよく見ると、ビオラ嬢が僕が音ズレしてる部分で睨んでいたけど・・・)

アンサンブル次の機会にも絶対やりたいと心から思った。
毎年毎年、何回でもアンサンブルを楽しみたいと感じた。
この5人で出来たらいいけど、そうも行かないのかも・・・


アンサンブル大会はこうして終わった。
僕は写真担当だったので、全グループの写真を何とか収めることが出来たけど、「クラ5」だけはどうしても動画で残したかったので、一眼レフを「動画モード」にして記録しておいた。
演奏会終了後、この動画を繰り返し繰り返し、何度も何度も反芻して見てみたけど、「気持ちいい~」はどうやら舞台の上だけで、その後見れば見るほど、反省点ばかりが出てきてしまった。

本当によいアンサンブルとなるには、呼吸の合った合奏とともに、自分自身がゆるぎない音程で演奏できないとだめ(怪しげな音程が散見された)。
それから美しいビブラート。もっと歌って演奏しないと、ただ音を出しているだけでは、
諸先輩の演奏のように「すごい」とか「美しい」という感動は呼べないと思う。
次回本当に「気持ちいい~」となるために、基礎の基礎をさらにつみ重ねないとな~。


湖畔荘でのバーベキュー&ミニコンサートの一日

2011年08月14日 00時51分57秒 | 市原フィル

遊び好きの市原フィル有志が集まり、団員自宅の「湖畔荘」を占領してバーベキュー会を開いた。

かなり前から、メーリングリストで、自主的かつ積極的な調整が行われていた。
買出しは誰か、飲み物は足りるか、電車組は誰で、車組は誰かなど
どんどん決まってゆき いよいよ当日を迎えた。

電車組のメンバーは「ぶらり途中下車の旅~市原編~」と称して小湊鉄道でやってきた。
湖畔の駅からの送迎の用意はあるのだが、せっかくのリゾート気分を味わいたいということで、
駅から2キロ半、湖を半周する道を歩いてやってくる人が多かった。

「湖畔荘」は、千葉県の尾根のようなところにある人工の湖に面したログハウス。
庭の一角には街路樹に使われることもある メタセコイアの高木がそびえている。
周囲に住まう人は誰もいない。正にここは別荘そのものだ。
こんなロケーションに家を構えられる人は「幸いなり!」



家の前面には湖が広がり、湖に向かって広大なウッドデッキがしつらえてある。
階段状になっているデッキは、まるでステージだ。

「できるだけ楽器をもってきてね」とコンミスから指示があったのもうなずける。

少し酔いが回ったころ 「ミュージックスタート!」の掛け声とともにコンサートが始まった。
まずはバイオリンのデュオからスタート!



無論、コンサートといっても老若男女思い思いのことを勝手にやりながら。
興に乗って演歌を演奏するVnに合わせて、全員で合唱が始まったりする。
即興で飛び出す曲で多かったのは、TVの主題歌だったろうか。

今日のために、コンミスは様々な楽譜を用意してくれたようだけど、
僕に与えてくれたのはラッキーにも「ムーンライト・セレナーデ」だった。
あのグレンミラーオーケストラが大ヒットさせたバラードだ。

ダブルベースを抱えていた大学時代を思い出し、
弓も持たずに、二本指で4ビートを刻んでいると、
小ぶりなチェロでも大変気持ちよく乗れた。
ん~クラシック向きじゃないのかも・・・

そうこうしているうちに 次第に日が暮れてゆき・・・
舞台には次々と演奏者が乗って、大演奏会になっていった。

中には酔いつぶれている人も出てきたけど・・・
それもまた自由な気風の市原流で 誰からもお咎めなしだ。

やがて、とっぷりと日が暮れて、花火に火が付けられてた。

子どもたちの大人気は、打上げ花火よりも
手元ですごい勢いでくるくる回るカッコいいやつだ。

さてさて、あっという間の、真夏の一日だったけど、
市原フィルは「お遊び隊」の企画もすばらしいな~と感じた。
春にはお花見会も行われたらしい。

下戸なので、何かというと消極的になる自分だけど、
呑めようが呑めまいが、何の気兼ねもなく過ごせる集まりだった。

占領されたT家の皆さん、子どもたち、とりわけ団員ではない旦那さん
大勢で押しかけたのに、陰で支えてくれて、本当にありがとうございました。

来年もぜひぜひ、こんな楽しい会を開かせてください!

 


定期演奏会終了、キラキラの気分

2011年07月10日 22時34分01秒 | 市原フィル

 市原フィル定期演奏会が終わった!
いろいろ心配はあたけど、達成感いっぱいのコンサートになった。

●まずは節電で薄暗く、ホールより蒸し暑いロビーでの初めてのロビコン経験。

暗くて譜面が良く見えないなかで、やや手探りの演奏になってしまい、
オープニングのアイネクライネを終了してから動悸が止まらなくなった。
「こりゃ熱中症かも・・」と思い、上着を脱いで扇いでもらったほど。 
実は、薄暗くて曖昧な演奏になって「これはやばい」という潜在意識が
心臓をアクセラレートしてしまったらしい。
その後シベリウスのアンダンテ・フェスティボまで何とか乗り切った。

●本番ステージにチェロを抱えて出てゆくときには落ち着きは戻たけど
 昨日のゲネプロでのさわやか&ほっこりの気分とまではゆかなかった。
何しろ暑い。厚さの中で黒の礼服上下を着込んでいるのだから。

指揮者・小出さんが登場し、落ち着いて皆を見渡したあとタクトが下ろされた。
僕は少し浮ついていたので、フィンガルの譜面をたびたび見失ってしまったが、
6月の合宿のアンサンブルでの特訓効果は抜群で、殆ど譜面を見ないでも
指と弓が動いてくれたので救われた。
終わったときの小出さんは「よしよし」と言っているようで安心できた。

●続いて、最大の難関、ニールセンの第一楽章。
午前中のリハーサルでも、第一楽章の練習番号F~Gについては
 「ここは何が起こってもおかしくないから」
と小出さんは取り上げて練習したくらい、難関の楽章だ。

総連での「小出超特急」に比べると、やや速度を落としていた
こともあってか、大変いいまとまりで終了した。
小出さんが団員を見渡し、満面の笑顔で何度かうなづいた。
同時に会場から拍手が起こった。
ステージと会場がシンクロしていた。
楽章の間ではあったが、小出さんは会場に軽く会釈を返した。

「あ~これで全て上手く行く。まさに本番の神様が降りてきた!」と感じた。
先輩のいうアドレナリンの効果で予想以上の演奏が出来たのだろう。

このあと四楽章まで、実力以上の演奏で終えることが出来たと思う。
市原フィルの皆さんがキラキラをめざして集中すればこんなことが
起こせるんだと感じた。
そして「あ~もうニールセン終わっちゃうんだ」と寂しさを感じた。
本当に苦しかった練習と、その結果得られた感動でウルっとなりそうだった。
コンミスに「この曲アンコールでもう一回やりましょう」なんて言っちゃった。

●休憩後、ソリスト宮川 正雪さんを迎えてシベリウスのコンチェルトに。
素晴らしかった。何より宮川さんの奏でるバイオリンの音色に聞き惚れた。
演奏会のアンケートを見ても、聞きにきてくれた同僚、友人、家族・・・
全員が「すばらしいバイオリンだった」「感動した」と感想を言っていた。
華奢な体、指先から会場全体に響き渡る演奏に酔いしれた。

チェロ仲間の一人hmdさんがシベリウスのスコアーに宮川さんにサインしてもらた。
なんという”にくい”思いつき! 「自分も持ってくればよかったな~」と
思ったけど後の祭り。でもその画像を送ってくれた。
実は繊細な演奏をされる宮川さんは「お茶目」で、サインにも人柄が出ている。

●全てを片付けて、打ち上げ会場に向かった
「今回の演奏会のMVPを発表します!」
とコンミスからアナウンスがあった。
「え~?オケの演奏会でMVP? なんだ?」と訝っていたら
「今回もっとも頑張ったチェロチームです」と意外な発表だった。

ほとんどエキストラなしで人数を組めるようになったチェログループは
何回も分奏で練習を繰り返してきた。バイオリンの専売特許だった
分奏が大変効果的だったことを評価しての表彰だった。

何にも賞品が出るわけではないけど、努力した人を褒めてゆこうとする
市原フィル流に、またしてもやられた~!

●今回の本番を終了して、一番心に残っていることは何か・・・

それはニールセン第一楽章を終了したときの、指揮者・小出さんの笑顔。
その笑顔は、「みんな本当によくやった」と明らかに語っていた。
プロでも困難なニールセンに挑戦し、努力で乗り越えたみんなへの
賞賛だった。そんなメッセージを送ることができる指揮者は素晴らしい。

音楽にあまり関心がない家人ではあるが・・・
「演奏会はどうだった」と聞くと
「今度の演奏会は指揮者が良かった」という。
「どんな風にいいの」
「今度の指揮者は、自分のやりたいことを押し付けるのではなく
みんなをまとめてゆこうとしている人だと思う」と。
会場最後列の席で見ていても、そのことが伝わってきたという。

小出さんのもとで、来年2月のブルックナーが楽しみになってきた。

( 終了の写真は「いつでも夢を」さんのmixiから拝借しました )


あ、あ~チェロのネックが!

2011年07月04日 02時16分29秒 | 市原フィル

その会場のステージは巨大な半円形で、階段状につくられていた。
アリーナの観客席のようでもあり、サントリーホールの客席のようにも思えたが
演奏席の階段の勾配はかなりきつく、足元もおぼつかないくらいに照明が落とされていた。

受付などの雑用係を終え、黒の上下に蝶ネクタイを付けたころには予鈴が鳴り始めていた。
大幅に遅れてしまったので、あわててステージ入り口横の控えスペースに駆けつけると、
団員たちはステージに吸い込まれてゆくところだった。
チェロの連中も、楽器を抱えて、ステージの入り口方向に向かっていた。

「お~何とか間に合った!」

と安堵したのも つかの間のことだった。
いくら探しても自分のチェロケースがない。
白、赤、黒・・・いろいろ立っていても、我が空色のケースだけが見当たらない。

「あの~誰か僕のチェロ見ませんでしたか?」

パニックになりそうな気持ちを押さえつけながら声を掛けてみたが、誰も知らないという。

チェロを車から出して、ステージ袖に置いたことは間違いない・・・
それが いまここにはない。
ということは、盗まれたのか・・一体何が起こったんだ・・
こんなことをしていても事態は何も改善しない。
はっきりしているのは、半年間の苦労が水の泡になること。
友人、同僚、家族を呼び込んでいるのに、ステージに立てないのだ。

 「そんなことは絶対嫌だ!」
 「そんなむなしいことは絶対できない!」
 「何とかしないと・・・皆にも申し訳が立たない!」

トラブルを聞きつけたのか、突然 会場の世話役さんのような方がやってきて
「楽屋横の物置に たしかチェロが1台置いてありました・・使えるかどうか・・」
と言ったかどうか、聞き終わらないうちに、バックヤードの物置に飛び込んでいた。
薄暗い室内を探してみると・・

「あった!」

そこに埃をかぶってはいたが、紛れもないチェロケースが横たわっていた。
飛びつくようにその茶色のケースを抱えてステージ横にダッシュした。
チェロと弓をケースから引っ張り出しそのまま抱えてステージの自分の席に駆け込んだ。

「間に合った~!」

息が切れている。
全身汗だくだ。
周りの落ち着きとは全く異質の存在。
でもいい、間に合ったのだ。
使い慣れないチェロだけど、これで何とかするしかない・・・

すぐにオーボエがAの音を鳴らし、チューニングが始まった。
依然、薄暗い、階段のような席のかなり上段に腰掛け
自分もチューニングしようと視線を下げると・・・

「え~!無い! このチェロ、指板が付いてない!」

ヘッドからエンドに掛けて、4本の弦は張ってあるけど、
指板どころか、ネックの竿そのものが、欠けている!
弦の下には、自分の足が見えるだけ・・

「ぎぇ~!!! これじゃ演奏できない!!!」

ここで目が覚めた。

僕はめったに夢を見ない。子どものころから見た夢は数えられるくらいだ。
それが 2~3日前にこんな鮮烈な夢を見たことを思い出した。
やっぱ、ステージに立つプレッシャーがあるんだろうな~。


オケ合宿に参加して・・へたってしまった・・

2011年06月05日 23時08分04秒 | 市原フィル

学生時代から41年ぶりに、オーケストラの強化合宿に参加した。
以前は北軽井沢をよく利用していたが、今回は内房は岩井海岸の合宿所。
小学校の臨海学校でよく使われていたし、学生の部活合宿での利用が多いようだ。

驚くほど広い敷地には、全体練習場、分奏もできる建物、宴会や宿泊棟などが立ち並んでいる。
見かけはイマイチなんだけど、大変使い勝手のよい、自由がきく施設だった。
ここで市フィルは演奏会前の合宿を続けてきたという。

合宿の目的は、定演に向け、ニールセン2番、シベリウスのバイオリン協奏曲などの総練なのだが、
僕にとって最大の関心事項は、弦全員が複数グループに分かれてクァルテットを組み発表するイベント。
演奏するのは定演の曲目の一つ、フィンガルの洞窟の冒頭76小節までで、これを全員の前で披露する。
フィンガルは随所でチェロが主旋律をリードするし、速いパッセージが連続する難曲なのだ。

事前に予告されていたことではあったけど、どんな人と組み合わせになるかはクジ引き。
都合6グループでの競演となる。

この企画を考えたのは、次から次へとアイディアを出し、オケをリードしている我がコンミス。
(このコンミスは驚嘆すべきパワーの持ち主で、宴会を飲み明かしたあと、全曲の通し練習では、
 シベリウスのバイオリンコンチェルトをカデンツァを含めて3楽章まで見事に弾き通してくれた。)
なぜか彼女、このイベント中、終始浮き浮きと楽しそう。
「このいたずらっ子め!」と思うが 憎めないのがこの人の人徳だ。

くじ引きによる組み合わせ発表のあと、グループでの音合わせに入ったものの、まさにボロボロ。
チェロだけが、落ちる、小節を飛ばす、半音近く音をはずす・・・一度ならず、何度でも。
僕のせいで壊れても、そのたびに他のメンバーは辛抱強く繰り返してくれた。
そんな様子を通りかかった団員たちが練習場となっている和室を覗き込んでゆく
(ような気がする・・視線は譜面に釘付けなので、通る人の足音しか感じない)
幸い我がグループだけには神戸から駆けつけてくれたCb氏が入ってくれ僕の穴を埋めてくれた。

かくしてオケ最悪のチェロを迎えてしまったメンバーは、夜9時からの宴会セッティング後も、特訓するはめに。
脅威の酒豪として名の知れ渡っている(らしい)ビオラ譲は、それでもアルコール抜きで最後まで付き合ってくれた。

自分といえば恥ずかしさと申し訳なさで汗みどろ。もはや全ての力を出し切ってしまった感じで、
左腕の自由が利かなくなってしまった。

 

その後すでに始まっていた、市フィル恒例のLONG宴会に参加した。
開始してしばらくは、宴席の片隅で、市フィルをどう守り立ててゆくか
・・という真面目な議論も続いていた。

全くの下戸である僕は、夜中の1時を過ぎたころに力尽きて一人布団部屋に倒れこんだ。
宴会はその後も真昼のような明るさで続いていったようだ。
明け方まで華やいだ喚声が合宿所全体を揺るがしていたから。
(聴くところによると、数十人のメンバーのほとんどが飲み明かしたという・・
 一方、僕は夢の中で、演奏をしたり、歌ったり、演奏を講評したりしていたと仲間が教えてくれた)

 

1番早く寝たので、1番早く目覚め、朝食前に総練会場で少しだけフィンガルをさらうことができた。
昨晩のアンサンブルで、自分の演奏が、全く使い物にならないことを痛切に感じたから、
少しでも迷惑かけないようにしたいと思ったんだけど、付け焼刃の限界を感じて”秘密練習”は終わった。

朝9時には各組ごとに発表前に最後の合わせをやってから発表会場となる食堂に集合した。
驚いたことに、一人の団員も欠けることなく(あんまり酒臭くもなく)練習会場に集合していた。
(なんちゅう~タフな人たちだろう。僕と同い年の人だって複数いるのに・・・)

6組の出演者は再びくじ引きで発表順を決めることになっていた。
また、コンミスが謎の微笑みを浮かべながらくじの乗ったトレーを回してゆく。
(ちょっと浮き浮きしすぎだぞ!なんて感じない魅力があるんだな~)

さて、我がBグループのバヨリン嬢が引いたくじは・・・
「NO1です~]
「ぎょえー!一番なの!?」
「かえっていいじゃない、そのほうが」
常に女性は力強く逞しいのだ。

何の心の準備もできないまま、「お白州に」座らされた気分。



「ちょっと待って~チューニングを・・」(何とかして、時間を、神よ!・・)
「さっきやったばかりでしょ!」(全員が僕をあきれたように睨み付ける)
「シュン・・」(何て逞しいんだ往生際が悪いのはおいらばかり・・)
「いちにさんし・・」(おいおい、このままやるのか~!)
「ターリーラリラーラー・・」

かくして第一号ロケットは発射されてしまった。
一度も会場のメンバーに顔を上げることなく、
あちこちミスを繰り返しながら、
辛うじてつながりだけは保って演奏は終了した。

会場から盛大に拍手を送っていただいた。
事前にコンミスから「結果がどうであれ、暖かい拍手を」というガイダンスもあったこともあり、
第一号がとりあえず中断することなく終わったことを喜び合うような拍手でもあった。

このあと5組の演奏を聴くことができた。
それぞれの個性が発揮された、楽しい発表会となった。
最初にやっちまってよかった!

 

僕にとってメインエベントは終わった。しかしこのあと、思いもかけない大失敗をしてしまった。

アンサンブルの発表会のあとは、ニールセンの第二番、フィンガルなどの総連を行って昼食になった。
しかし、すでに午前中の総練段階から失敗の予兆はあったのだ。
いつ突発性の眠りに落ちてもおかしくないほど、へとへとに疲れていた。

昼飯の配膳を手伝ったあと真っ先に食べ終わり、大広間に飛び込んで昼寝することにした。
「ちょっと5~6分眠りにつけば、いつも立ち直るからな」
と自分では思っていた。

ところが自分の名前を呼ぶ声に目が覚めた。
「もう通し練習始まりますよ!」
「お~もうそんな時間か、いつの間にかぐっすり・・・すぐに行きます!」
と答えて駆け出した。

ところが総練会場に駆け込むと、すでに一曲目のフィンガルの洞窟は始まっていた。
「え~!もしかして、1時間も寝込んでしまったのか!」
(自分を呼びに来てくれたのは、フィンガルでは出番がないTbのお嬢さんだったのだ)
考えられないことだった。通勤電車でも、会社でも、眠ることがあってもせいぜい10数分なのに・・・

途中団員を掻き分けて着席するのも気が引けるし、だいたい頭も、体も全然目覚めていない。
しかたなしに、”にわか報道員”となって全体練習のスナップを撮ったりしてた(ごまかしたつもり)。

その後、夢遊病者のように、残り3曲に参加したあと、合宿はお開きになった。

今回の合宿全体を通してわかったこと。
極度の緊張と、筋肉の疲れが、全身に強い疲労をきたしてしまったということ。
実際、練習の中で、譜面を持ち上げようとして左腕を伸ばそうとしても手が伸びなかったり、
チェロケースを左腕では持ち上げられなくなるほど力を失ってしまった。

散会後、病者のような運転で自宅までたどり着いた。
眠ってしまうのが怖いのでほとんど高速には乗らなかった。
自宅についてから、へたへたとして横になったらあっという間に眠ってしまった。

かつて、こんな疲労状態になったことはあっただろうか・・・
今回の合宿による疲労と緊張、これは歳のせいばかりではないと思う。
同い年の団員だって複数いる。
彼らは途中崩れ落ちたひともいたらしいが、明け方まで元気だった。

ん~我が体力の減衰にはちょっと驚いてしまった。
これから長く演奏に参加するには、健康管理も欠かせないと感じた。
そして、必要以上に緊張しなくて済むだけの腕前にならないと・・・先が思いやられる。

コンミスのいかなる策謀も雄雄しく受け止められるようになりたいものだ。


演奏用メガネを忘れた!

2011年04月11日 01時12分50秒 | 市原フィル

シベリウスバイオリン協奏曲総練で、ソリストと二回目の練習があった。

またあの美しいバイオリンを生で聞きながら演奏する喜びが味わえるんだと、
前回とは別の「仮練習場」、新検見川にある「美浜文化ホール」に向かった。
ホールに付随したリハーサル室は新しいだけでなく、天井も高く
カーテンの後ろにはバレー練習の全面ミラーもあり、いつもと違う華やかな雰囲気。
震災の影響でキャンセルが出て、立派な会場が確保できたことは不幸中の幸いだ。

広いリハーサル室に、みなゆったりと着席して、プロ練習を始めようとしたところ・・・

 ない! 
 あるべきはずの楽譜用メガネがない! 
 あ”~家の机の上に忘れてきたんだ!
 メガネが無いと、楽譜を追うことが出来ない!
 もう終わった!・・・と思った。

この歳になると、遠視のメガネは最低2種類は必要になる。
一つは携帯電話の画面や、文庫本などを見るための度数が大きいメガネ。
 (大体30~40センチ以内を見るのに必要。)
もう一つは、オケの練習などで楽譜を見るための専用メガネ。
 (大体50~1mをカバーできる。)
このメガネを忘れてしまったのだ。

弦楽器では二人一組(プルト)で一本の譜面台を共有しているが、
チェロの場合最大1m近く離れて楽譜を見ることになる。
特にB4左右両開きの譜面だと、自分から遠い側は1m近くなる。

この距離になると、楽譜専用のメガネがないと、譜面の文字を判読できない。
乱視が混じっているので、メガネの補助が無いと自分より遠い側のページは絶望的だ。
特に困るのが速い音符が重なっているフレーズや、♯、♭、小節番号などの記号が読めないのだ。

近距離用めがねを持ってきてはいたけど、これを使うと譜面に30センチくらいに頭をくっつけることになる。
裸眼だと50センチくらいに近づければぎりぎり判別できるが、これでは隣の人の弓が頭に刺さってしまう。
隣のOさんは、事情を察していろいろを気遣いをしてくれているけど、どうにもならない。自分の責任なのだ。

一瞬帰ろうかと思ったが、せっかく来たのだから、やれるだけやってみるか、と演奏に参加した。

今回老眼鏡を忘れて再認識させられたのは、楽譜を覚えておかないと演奏できないということ。
(これ、めがねがあろうがなかろうが、師匠に言われた鉄則だったけど・・ついついね)

演奏して分かったことは、難しいパッセージのほうが、まだしも指も弓も動くということ。
難しいと分かっているので練習回数が多くなり、繰り返し指を慣らしている結果、体が覚えているのだ。

逆に速度の遅い部分や、白い音符でがゆっくりつながっているフレーズほど、演奏できなかった。
スローで静かなところでは、音のズレやミスが目立つだけに、はっきり当てないと音を出せない。
演奏する段になったら「その場で楽譜を読めばいいや」と練習をサボっているからこうなるのだ。

こうして、あっちこっちで落っこちながら、今日の練習に参加してたけど、
メガネがないことで、逆によく見えたこともある。

メガネが無いと、今までより遠くの方がはっきり見えるということ。
ソリスト、指揮者、遠くの団員、いろいろ目に入ってくる。普段指揮者を見てないわけではないけど。
(視野が広がったのか、単に弾けないからよそ見してただけだったのかは置いといて・・・)

たとえば・・・
指揮者の小出さんがだんだん熱を帯びてきている様子
 (回を重ねるに従って、小出さんの指揮が表現豊かになってゆく)

指揮者とソリストが呼吸を合わせてゆく様子・・・
 (ここはテンポどおりで弾きますとか、ここからは4拍子で振りますとか)

ソリストから団員に対してどのように演奏して欲しいか要望する様子・・・
 (第一、第二バイオリンに木の葉がさざめくような刻みがあるが、それをあわせないと弾きにくいとか、
 (管楽器はもっとシンコペーションのアタックを強くしてほしいとか
 (チェロもっと前に出て欲しいとか・・
 ソリストの方は、オケの演奏をよく聴きながらそれに乗ってソロを演奏していることがよく分かる。

メガネがないと分かることもあると悔し紛れに書いたけど、やっぱり演奏用メガネを忘れたら絶望的だ。

オケ練習用のかばんには、もう一つある遠距離用めがねを常備しておくことにしようと思う。


ニールセン初練習~難所が増加した

2011年01月17日 18時06分11秒 | 市原フィル

常任指揮者の小出英樹先生を迎えて、初の合同練習が先日行われた。

市原フィル定期演奏会でのドヴォルザーク「交響曲第8番」、
伊福部昭「シンフォニア・タプカーラ」に感動して入団者が殺到したという。
その指揮をされたのが小出氏だった。(聞くところによると、本当にどこかの先生とのこと)

練習の前半では、部分部分で止めながら、演奏のポイントを指示して進めていった。
後半では、全楽章をノンストップで一気に合わせるという流れ。
 テンポは予測どおり、現在の自分には「猛スピード」。恐らく演奏会のテンポで通されたのだと思う。
その結果、完全に落っこちて「弓を持ってるだけ」という部分が4分の1近くに達した。
難しさを自覚していた1楽章だけでなく、2~4楽章の随所に「難所」も発見できた。

氏の第一印象は、アマチュアの実力や出来上がり方をよく分かっていて、
「この人について頑張ろう!」とやる気にさせてくれる人だと感じた。

当日の練習でチェロの主席を張っていたのは、新入団同期のチェロ歴30年の方だったが、
チェロ団を立派にリードしていて「キャリアと実力の違い」を実感させられた。
練習終了後「さすがですね~」と声を掛けると「いや~全然だめ。あの速度で本気でやるのかな~、
とてもとても・・」と首をかしげていた。
実力ある人は、実力あるなりに強い反省を持って帰ったのだと思う。

さてベテランでも難しいというニールセンに、どうしたら少しでもアクセスできるのか、
困って前回書いたブログに、大変貴重なアドバイスをいただき感激した。

<政>さんからは、「やっつけ方」というアドバイス。(やっつけ方っていう表現、いい感じ!)
 「早いパッセージはドレミで声に出して言う。歌えなくても、お経のようにスラスラ言うこと」
 練習当日も「読めなきゃ演奏できないからね」とアドバイスをくれた。

<ハリー>さんからは、「かたまりで」というアドバイス。(和音としてとらえるのは政さんと同じ)
 ハリーさんはさらに細かく、どのようにフレーズを解析してゆけばいいのか、
 構造的なとらえかたを教えていただいた。

二方ともファゴットの名手。思えばチェロの演奏で迷っているときは、たいていFgが導いてくれていた。
困ったら「Fg吹きにきけ!」という新発見でもあった。

(そうそう、A線が切れて困っている・・・には
<もをりす>さんから、弦の上手な交換の方法を教えてもらったんだっけ)

チェロと同時に始めたブログだけど、「困ったこと」があると、誰かが見ていてくれて暖かいアドバイスをいただける。
寒空の下で、ほっとできる焚き火に出会ったような、甘酒をもらったような嬉しさだと感じる。

せっかくのアドバス、練習に活かしながら「隘路(悪路?)」を進みたいと思っています。


オケを移籍し、明日から新しい世界に

2011年01月07日 23時54分02秒 | 市原フィル

新しい市民オーケストラへの入団が決まった。
明日から第一回目の練習が始まる。

これまで3年間お世話になったのは外房の中核都市茂原にある「茂原交響楽団」だった。
これからは、内房は市原市にある「市原フィルハーモニー管弦楽団」のお世話になることに。
潤沢な基金に支えられた茂原に比べ、ボランタリーに始まった市原は団員の自主活動が支え。
歴史も少し浅く ホームページで見ると、若く活発な印象だ。

どちらの楽団も練習会場、演奏会会場とも、自宅から40分程度のドライブで到着する。
(我が家は房総半島のちょうど真ん中、分水峰にあたっている)

市原フィルの演奏活動は少しゆったりと設定されているようだ。
「2年で3回の演奏会」だそうで、演奏会の間隔に今までより何ヶ月か余裕がある。
茂原では毎年定期演奏会、秋のファミリーコンサート、アンサンブルコンサート、
他のオケとの合同演奏など盛りだくさんの予定が組まれていた。

アマチュア団員とし一番怖いのは、仕事と演奏会のスケジュールが衝突すること。
いくら練習しても出られないのではつらすぎる。このことは仕事とのバッティングで思い知らされた。
幸い、いまのところ市原フィルの7月の演奏会には出られそうだ。

二番目に怖いというか哀しいのは、他の団員は弾きこなしているのに、自分だけ曲目が難しく歯が立たないこと。
さて明日から始まるオケの全体練習は、一体どんな感じなのだろうか。
演目はニールセンの「交響曲第2番」とシベリウスの「バイオリン協奏曲」と決まっている。

残念ながらニールセンという作曲家は知らなかった。
ウィキベディアすると、デンマーク一の作曲家で、マーラーと同時代くらいの人らしい。
どんな曲かもわからないので、まずはYou Tubeで聞き込み、CDも購入した。
送られてきた楽譜とCDを照合して聴きながら、大変な難曲だと感じた。
練習を始めてみたものの、残念ながら「演奏不可能」な部分が沢山出てきた。

レッスンのとき師匠に「ニールセンどうですか?」とたずねてみたら、
「これアマチュアでやるんですか・・・厄介なんですよね・・私も弾けないところがありますよ」
との答え。(無論、師匠はニールセンは全交響曲を経験済みだった)

んー、それほどの難曲をどうして選択したのかはまだ分からないが、
きっと市原の皆さんはチャレンジして乗り越えてゆこうとしているに違いない。

一方シベリウスのバイオリンコンチェルトは名曲だ。
美しい、切ない、研ぎ澄まされた、心に響く・・・バイオリンの高音、
暖かな、穏やかな、包み込むような、優しさに満ちた・・・・バイオリンの低音
その魅力が仇となって、CDについ聴き惚れてしまい、練習はほとんで出来ていない。

これから新しい仲間とコンサートに向けて恥ずかしくないよう、練習をしなければならない。
♯と♭が山のように出てくる速いパッセージにうなされそうだ。
厳しい7ヶ月になることを覚悟しよう。

自分にできることは、素直に自分の現実を受け止め着実に進むこと。
できるだけ、まっさらな気持ちで参加してゆこう。


アンサンブルを録音して分かったこと

2010年12月28日 20時26分43秒 | 市原フィル

室内楽大会で「大編成」のアンサンブルを経験させてもらったあと、
東京で学友との仲良しアンサンブルに参加した。

この3年取り組んできたバッハ「音楽の捧げもの」と「アイネクライネ」は完成させたいと
頑張ったが、アイネクライネだけは、楽しく演奏し終えることができた。
「曲がいいんだよね」というのが仲間の感想。

ところが、バッハ先生の「捧げもの」は難しいことが、やればやるほど感じられてくる。
正直なところ、3楽章など曲にならないくらいのレベルで本年も終了した。

そんな中で一つ進歩を感じたことがある

今までみんな、自分の演奏を聴くのを嫌がって、なかなか録音してこなかったけど
(確かに会議用ICレコーダーでは本当に荒ばかり目立つのだ)
今回は、SONY リニアPCMレコーダー M10というのを、思い切って購入して、
練習をほとんど録音することができ、いろいろ気づくことがあった。
ICレコーダーに比べるとはるかにナチュラルな音で録音できる機械なのだ。

 

室内楽大会では、何人かの団員が三脚を立てて録音していたのを目撃したのがきっかけで、
自分の発する音は、客観的に確認しないと分からないと思い購入した。

さて「耳が腐る」と思いながらも、東京から千葉への帰路ヘッドフォンで聴いてみると、
車の中で何度も大笑いするほど赤裸々な状態が収められていた。

何がひどいかといえば、楽譜がずれても気づかないで強行していたり、
傍から聴けば明らかな不協和音でも平気で演奏していること・・・笑うしかなかった。

いい点もいろいろあるにはあった。
この3年で、チェロらしい音が出てきていることや、
テンポに関しては安定してグループを下支えできていることなどだ。

だけども、一番感じられた問題は、自分のチェロで出している音は
「楔(くさび)型」でしかないということだった。

できれば「矩形(ようかん型)」の音を出したいと思っていたのに、
要するに弓で弦をこすったり、突っついたりしているだけで
「演奏」をしているのではないということなのだろうと感じたのだ。

なんでこうなるのか・・

きっとこの3年、オーケストラの演奏にあわせて音出しをする中で、
何とか夢中で譜面を追いかけ皆に着いてゆくのが精一杯で、
魅力的な音づくりに努力をしてこなかったのだと思う。
いわば「その他大勢」の一員としての役割を果たそうとしてきたことが、
かえってあまり使えない演奏法にしてしまったのではないかと思うのだ。

PCMレコーダー を購入したとき、短い演奏をした段階でこのことはすぐに気づいた。
「弾いたつもり」が「弦楽器らしい演奏」になっていないということは、
弦楽器としての演奏以前に、歌を歌うことをしてこなかったことにも現れているのではないか。
器楽、とりわけブラスバンド時代の演奏を、歌と感じたことはなかったのだ。
それでも楔形の、アタックの利いた吹き方でも通用していたのかもしれない。

このことから連想を逞しくすると・・

友人のバイオリン弾きとの練習で、やはり同じような演奏法が気になったことがある。
初見だから、まずは音を取るためにやっていたのかもしれないけど、彼の演奏は、
極端に言えばバイオリンの弦を弓でチョッチョッチョッと突くような弾き方が目立っていた。
彼もはやはりブラバンの金管からの転向組みだった。

自分なりの解析はこれくらいにして、改善策として考えたこと。
それは、先日の室内楽大会で、セミプロの人が指摘してたように、
楽器を鳴らすことなのだと思う。

今思うのは「弦楽器はくどいくらいがちょうどいい」のではないかと思う。
「軽く弾くこと」はハーフスタッカートみたいになり勝ち。
  ・譜面どおりに、
  ・八分音符を大切に、
  ・音の後半で気を緩めずに弾き切る

弦楽器は、金管楽器でも、打楽器でもないのだから、
弦を鳴らし、楽器を響かせなんぼの世界なのだとしみじみ思った。


自分達で音楽をつくる人たちがいた

2010年11月14日 23時51分57秒 | 市原フィル

長期休団の手持ちぶさたの中、声をかけてくれる人がいてアンサンブルの夕べに参加してみた。

そこには、弦楽器中心に、室内楽を一緒に楽しもうと、木管楽器の人たちも集まっていた。
初めてなのに、初めてやってきた気がしないのは、みんな「知らない人」でも
一緒に音楽を楽しもうという雰囲気が溢れているからだと思う。

アンサンブルに加わってすぐ気づいたこと。

「この人たちは、自分達で音楽をつくっているんだな~」ということ。
ベテランメンバーの一人が指揮者を買って出て、自分なりの味付けをしてゆく。
指揮者といっても、全能の神様ではないから、どのように演奏して欲しいかは口で伝えると、
具体的な表現の仕方はバイオリン族のトップと相談したり、
演奏側からもアイディアを出したりという流れが自然に出てくる。

練習曲目が変ると、第一Vnだった人が第二になったり、バイオリンをビオラに持ち替える人がいたり、
自由に動き回っている。
指揮者が立たない曲では、コンマスが自分なりの曲の解釈、表現を色々な言葉で伝えてくれるのも、楽しい。

今晩演奏したのは、モーツアルトのクラリネットコンチェルトやヴィヴァルディーの「冬」など4曲だった。
クラコンでは代役の人だったが、素晴らしい演奏に聴き惚れた。これが小編成の楽しさだと感じる。
いままで参加したオケは数少ないけど、どこでもオケは同じだろうと思っていただけに
「こんなやり方の集団もあるんだ!」と大変驚き新鮮に感じた。

つまり、これまでは「指揮者は絶対の存在」で、いかにして指揮者が表現したい音楽に近づけるか、
ということが何よりも優先されてきたと感じている。
だから団員同士で、曲をどのように感じ、どんな風に演奏したいかを相談したり、演奏の出来栄えや
一人一人の頑張りを自分達で振り返り「賞賛し合う」なんてことはあまりやってこなかった気がする。
評価者は指揮者であり、褒めるも叱るも指導者の「専権事項」。
トップの元に統制が取れていないと、オケは意のままに動かないから仕方ない・・・と思っていたのだ。

ところが、この夜参加したグループでは・・・

たとえばVivaldiの「冬」冒頭に、チェロがSoliで入る刻みの部分で、トリルがきつ過ぎて
音程が不明確になると感じた団員からの意見で、一旦トリルを止めて演奏してみたり、
あるいはチェロの裏表でトリルの有無を分けてみたり、という試行錯誤がその場で行われていった。
 また、頑張って演奏した人に対して 「すごい頑張ったね!」と自然に声が掛かったりと、
団員の笑い声やら、相談の声が演奏の切れ目ごとに起こる感じなのだ。(うるさい雑談ではない)
「皆が知恵を出し合って音楽をつくり込む」協働作業が自然と行われていてゆくのに感心してしまった。

無論、大がかりな交響曲をプロの指揮者の指導の下で練習を重ねてゆき、
最終的に演奏会を成功させるという活動の仕方とは自ずから異なってくるとは思う。

でもその点を差し引いても「ともに音楽を作りこんでゆく」という行為への参加意識の違い、
仲間同士で音楽を楽しんでゆこうとする姿勢の違いを強く感じさせてくれた夜だった。

このグループの練習は毎回 夕方~夜だという。
仕事をしながら音楽活動をしているのはどのアマオケも同じだと思うが、
仕事と演奏の両立を考えると、夜の練習というのは大変いいと思う。

もう少しこの人たちと演奏を楽しんでみたいと思う。

「楽しい音楽の時間」が広がってゆくようで嬉しい。