「いっぽ」のつぶやき

健康に福祉にボランティアにと、自分らしい人生を過ごすために、一歩ずつ歩んでいる「いっぽ」のつぶやきです。

私は貝になりたい

2007-08-25 07:45:51 | 感動した話
昨日放送された「終戦記念特別ドラマ・真実の手記 BC級戦犯 加藤哲太郎『私は貝になりたい』」(主演:中村獅童)を見ました。

「私は貝になりたい」と言う言葉は聞いたことがあったのですが、その意味はよく知りませんでした。
1958年に故フランキー堺さんが主演で映画化され、有名になったそうです。
その内容は、捕虜の殺害を命じられ、実際は負傷させるだけにとどめた男が終戦後、軍事法廷で死刑判決を受け、「生まれ変わるなら私は貝になりたい」との遺書を残し、処刑台を上がる物語だったそうです。
しかし、それは事実とは異なっていて、原作者に無断でその内容を脚色されたものだったのです。

実際は、「私は貝になりたい」の原案となった手記「狂える戦犯死刑囚」を書いた元陸軍中尉、加藤哲太郎さんは、実は釈放を勝ち取って生きていたのです。
死刑囚として絶望の中で、今度生まれ変わるときは、戦争に行かずにすむように、何にも傷つかなくて済むように、深い深い海の底の貝になりたい、と思ったそうです。
今回は事実に基づき再現された、中村獅童主演でのドラマでした。

戦争と言う非常事態の中では、何が正義なのかわからなくなってしまいます。
ドラマの中で、北京の俘虜収容所で医師をしていた人もBC級戦犯として捕らえられていましたが、医師として俘虜を助けたいと思っても医薬品が届かず、手の施しようがなかったにも関わらず、医療放棄したとして絞首刑になってしまいました。
戦争では、やさしい人間は損をする、という言葉が印象的でした。
またアメリカ軍の医療刑務所では、アメリカ兵により、日本人に対して日常的にリンチが行なわれていました。

加藤さんは、妹さんたち家族の力でマッカーサー元帥に直訴し、なんとか減刑され、10年後には釈放されたのですが、ただ命令にしたがっただけで戦犯として処刑された人も多かったことでしょう。
しかし、加藤さんが生き残ったお陰で、当時のことが明らかになりました。

今は亡くなった私の父も、20歳で戦争に行き、6年後の終戦まで、中国や南方の島を転々としたそうです。
小さい頃、お酒が入ると、世界地図を持ってこい、と言って、この島に行った、この島はこうだったとよく話をしていました。
それは、船で航海しているとき、魚雷が船の真横を通り過ぎるのを見た、とか、食料難でヘビやカエルを食べたとかいう話でした。
また隊の中に芋作りのうまい人がいたので、他の隊のように芋づるまで食べずに済んだ、とか言ってました。
ほんとうはもっと辛いことがあったのでしょうが、小さい私たちにはそんな話はしなかったのでしょう。
その頃は、また始まった、とうんざりしていたのですが、今になって思えば、しっかり話を聞いてあげればよかったな、と思います。

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