愛をさがす毎日

ADHD・アスペルガー・離人症・うつ病な私の自己満足ブログ

犬のいる露地のはずれ 石垣りん

2010-02-14 23:55:51 | 
私の家の露地のはずれに芋屋がある、
そこにずんぐりふとった沖縄芋のような
のそりと大きい老犬がいる。

人を見てやたらに尻っぽを振るなど
期待も持たず、愛嬌も示さない、
何やら怠惰に眼をあげて蠅を折ったり
主人に向かってたまに力のない声で吠える。

犬は芋屋の窯のそばに寝ていたり
芋袋を解いた荒縄で頸をゆわかれたりしている。

その犬
不思議と犬の顔をしている人間の仲間
に、私はなぜか心をひかれる。
ことに夜更け
誰もいなくなった露地のまん中に
犬はきまってごろり、と横になっている。
そのそばを風呂の道具を片手に十一時頃
かならず通るのだが、
今日という日がもう遠ざかっていった道のはずれ
ながながと寝そべる犬のかたわらに
私はそっとかがみこむ。

私は犬の鼻先に顔をよせて時々話しかける、
もとより何の意味もない
犬の体温と私の息のあたたかさが通い合う近さでじっと向き合っている
犬の眼が私をとらえる
露地の上に星の光る夜もあれば
真暗闇の夜もある。

私は犬に向かって何の愛情も表現しない
犬も黙って私を見ている
そしてしばらくたつと、私は立ち上がる
犬が身動きする、かすかに、それがわかる
私の心もうごく。

この露地につながる軒の下に
日毎繰り返される凡俗の、半獣の、争いの
そのはずれに犬が一匹いて私の足を止めさせる
ここは墓地のように、屋根がない
屋根のある私の家にはもう何のいこいもなくて。

露地のはずれに犬がいる
それだけの期待が 夜更けの
今日と明日との間に私を待っている。

*・*・*・*・*
石垣りんさんの「犬のいる露地のはずれ」という詩です。

動物が出てくる詩は、ほのぼのしていいです。

ここに出てくる芋屋さんというのは焼き芋屋さんのことらしいです。

売れ残ったお芋とか貰って食べてたのかな?とか色々思います。

でも、ちょっぴり淋しい詩ですよね。

“この露地につながる軒の下に
 日毎繰り返される凡俗の、半獣の、争いの
 そのはずれに犬が一匹いて私の足を止めさせる
 ここは墓地のように、屋根がない
 屋根のある私の家にはもう何のいこいもなくて…”

解るような気がします。

人間と一緒にいると、気を使ったり、疑ったり、緊張したりするけど、

犬や猫を見ると、ホッとして癒やされますもんね。

でも、石垣さんは動物に対しても謙虚ですね。

私だったら、気に入った犬がいると、すかさずなでたり、触ったり、おやつあげたり…犬にもコビ売ったりしそうです。

犬と目を合わせて、お互いの存在を確認するだけで、十分なんですね。
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