M.シュナウザー・チェルト君のパパ、「てつんどの独り言」 

「チェルト君のひとりごと」は電子ブックへ移りましたhttp://forkn.jp/book/4496

僕の東横線 その1

2020-11-01 | エッセイ

 昔々、「中央線は地雷原」という文章を書いた覚えがある。その頃は、中央線の駅名を聞くと、そこに付随する僕の過去の辛い、悲しい、逆にうれしい思い出が、突然蘇ってくる。再現することができてやりなおせるのならば、それでもいいのだが、相手があることだからそうはいかない。

 今回は地雷原とは言えないが、いっぱい、いっぱい思い出の詰まった、僕の東横線のことを書いておきたい。

 現在の東横線は全部で21駅あるが、僕は書こうとしているのは全部で23駅の東横線だ。その理由はみなとみらい線ができて、横浜から先の「高島町」と「桜木町」がなくなったからだ。

 「渋谷」には、いっぱい良い記憶があるから、何を書けばいいかよくわからない。例えば、僕の大学時代のバイト先で長くお世話になったオフイスは宮益坂にあったし、いろいろな友達と何度も会ったし、丸山町などという危険な場所にも行ったこともある。初恋の人の借家は三宿にあって、そのころは玉電が246の上を走っていた。

 まあ、数えればきりがない思い出が、渋谷にはいっぱい詰まっている。残念ながら、最近の渋谷は、僕にとっては興味がないように見える。理由は簡単だ。大きな建物が大きく伸びすぎちゃって、どこがどこなのか、自分がどこにいるのかが、頭の中で簡単にさっと整理できないからだ。

<東横線ターミナル>

 僕の知っている東横線というのは本当のターミナル駅。ターミナル駅とは行き止まり駅、つまりそれから先は行き先がない駅のことを、ヨーロッパではターミナルと言うが、その数少ない東京におけるターミナルだと思う。扇形に開いて何番線から何番線まであったか分らないが、ぱっと見渡すと、どこに急行が止まっていて、どこに各停が待っていて、どこのプラットホームに 次の電車が入ってくるかが、だいたい改札を通る時に分かってしまう程、見通しがいいわけだ。どこかで渋谷について書くこともあると思うけれども、今日は東横線全体の話をしてみたいので、渋谷はここまでにしておく。

 渋谷の隣の「代官山」は、今ではモダンな町の入り口と知られているが、僕が最初に知った頃は、小さな汚い侘しい駅だった。今でこそ、代官山ヒルズなど、ちゃんとした都市計画に基づいた街づくりが行われているが、僕が最初に訪れた時は、 どこかの公団の社宅が大きく場所を占めていて、駅はちっぽけなものだった。

<昔の代官山駅>

 なぜ代官山のその頃を思い出すこと言えば、ある日、JR渋谷駅の一番恵比寿よりのところで電車待っていたら、どっかで見た覚えのある女性を見つけた。彼女は実は、僕が高校時代付き合っていた2年下のヤッぺだった。本当はやすこという名前なのだが、ヤッぺが愛称で、僕は常にそう呼んでいた。今もそうだ。

 高校卒業してから、7年くらい経っていた。お互いに住所も知らず、音信不通だったのだが、渋谷駅のホームで見つけたのだ。声をかけると、やはりヤッぺだった。別の日だったと思うけれど、ヤッぺと代官山の駅で待ち合わせて、彼女の小さな家に連れていってもらった。駅に北のすぐそばにある木造の二階建ての二階に住んでいた。高校時代の昔話もしたと思う。今も彼女とは知り合いだ。いつの間にか、娘一人をシングルマザーで育てて、その娘さんも結婚して、子供が出来ているのだ。娘さんも 良くできた人で、年取って体を壊したヤッぺのことを気遣って、同じマンションの別の階に住んで、面倒を見ているようだ。

 次は「中目黒」。ここは大学時代アルバイト先に行くため、東横線から中目黒で乗り換えて、地下鉄で出かけたものだ。朝の東横線は、とんでもなく混んでいて、ちゃんと準備をしていないと降りられないような状況だった。最近では、チェルト君( ミニチュア・シュナウザー)との関連で知り合った、デザインFというワンの床屋さんがある街だ。

 次の「祐天寺」は、電車では降りたことがないが、車で祐天寺という大きな寺の前を何度も走ったことがある。だから少し知っている。記憶しているのは六本木だけではなく、五本木という町が、東京にあるということを知った町だ。どういう由来であったかは、まだ調べてはいない。

<学芸大学駅:東急沿線案内よりお借りしました>

 次は「学芸大学前」だが、東京学芸大学は、もうここにはいない。小金井市の方に引っ越して、関連の中学校と小学校は存在しているらしい。僕が、特に学芸大駅で記憶しているのは、紅茶にかかわることだ。オーストラリア・シドニーに行った時、そこのリージェントというホテルで、ウェルカムティーとして出されたハイビスカスティーがとても美味しく、ネットで調べてみたが、どうしても見つからない。どういうことから知ったか忘れたが、 学芸大学前から歩いて10分ぐらいのところに紅茶専門店があって、そこにハイビスカスティーを何度か買いに行った記憶がある。もう目黒通りに近かったような気がするが、今その店はあるかどうか分からない。

 「都立大学前」におりたのは、近くにあったボーリング場を使うためだった。うちの会社で取締役をしていたNさんがボーリング・クラブの部長をしていたのだ。その頃は、まだそんなには流行っていなかったのだが、マイボールとマイシューズを 持ってボーリング場に車で来ていたのを覚えている。

<写真:”オールドゲーマーのアーケード、ゲームとその周辺の記憶”よりお借りしました>

 

(その2に続く)


最新の画像もっと見る

コメントを投稿