M.シュナウザー・チェルト君のパパ、「てつんどの独り言」 

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碓氷峠の見晴台

2020-01-05 | エッセイ

これから始まる軽井沢近辺での3篇の旅の目的を書いておこう。すべて、僕のバケット・リスト(くたばる迄にやっておく事のリスト)の項目だ。

目的は大きくは3つ。

1.碓氷峠の見晴らし台に立つこと

2.群馬県と新潟県の境にある野反湖を訪ねること

3.信濃追分での積み残しの調査をやること

フリルとしては、懐かしい旧軽井沢を歩いてみることが頭の中にあった。これで3泊4日の旅になった。

 

本文

<昔の姿を残す旧軽井沢駅>

 最初は碓氷峠。大阪市大の2回生(なぜか関西では2年の事をこう呼ぶ)の時、大阪から座ることができなくて、夜行列車の座席の下に新聞紙を敷いて、ごろ寝しながらたどり着いた初めての信濃を追体験するのが狙いだった。(当時、書いた自由詩を、この文末に参照しておきます)

 あの時は、信越本線で群馬県の横川まで一度下り、そこからアプト式の電車に乗って、軽井沢の手前の一つ手前の熊ノ平駅で降りた。長野新幹線の開通で、今は横川~軽井沢間が廃線になり、熊ノ平駅も消えている。

 そこから、きつい山道を、ザックを背負って、尾根道まで歩いた鮮明な記憶がある。そして、熊ノ平から碓氷峠の見晴台まで、約3kmの登りを3時間ほどかけて上った。尾根道に息を切らせながら、左手の谷の向こうに妙義山を見ながらの時間だった。そして頂上に、群馬と長野を分ける碓氷峠の見晴台があった。

<旧アプト式スイッチバック駅の熊ノ平>

 今回は追体験といっても、心臓君が許してくれないから、もう山道は歩けない。軽井沢でレンタカーを借りての移動しかなかった。

<旧道18号の緑>

 まずは、旧道の18線を、急カーブの続くクネクネ道を下って、熊ノ平駅のあったところを過ぎ、元の碓氷第三橋梁(通称めがね橋)の見えるところまで下りた。こんな急カーブの連続は、もう年齢的にきついかなと感じ、横川まで下ってみようかと思っていたが、下るのはやめにしておいた。悔しい気持ちが残った。

<碓井第三橋梁>

 車を止めてエンジンを切ると、碓氷谷を流れ落ちる沢の音が、ころころと深い緑の山道にこだましていた。これが、本当の静寂だ。時折、スポーツタイプの車や、オートバイが、急カーブにタイヤをきしませながら、通り過ぎていく。でも、空気も酸素が濃いようだ。深呼吸をしてみる。

<碓氷の谷川>

 碓氷峠には、その後、ガキたちと一緒に二度ほど来ているが、一人での旅では、いつも曇りや、雨に降りこめられて、来ることはできないでいた。今回は、一応は晴。安心して、旧軽井沢銀座から三笠通りを右折して、峠まで上り詰めた。ああ、こんな感じだったと思いだしながら、緑の深い碓氷の谷を見下ろし、そして四方の山を眺めることができた。

<碓氷峠の見晴らし台>

 残念ながら、浅間山は雲の中で見えなかったが、妙義山が変らぬ山容のシルエットを見せてくれた。ぽかぽかと暖かい光の中で、時間がたつのを忘れて見入っていた。もう二度と、ここに立つことはないだろうと、自分に言っておいた。

<妙義の山並み>

 やっと、宿題の一つを終えることができたて、ヤッタゼーと言葉が漏れ出した。.

<彼方の山並み>

 

参照

散文詩 「しなの」 (1960年10月)

 

ひとり、横川から碓氷峠への道を、
  ザックをしょって歩く。
   秋の軽井沢、もうだれも帰ってしまって

 しずかな木立の落ち葉をふんで歩けば、
  視界をさえぎる木々の中を歩めば、
   沢の水音がきこえる。
    さわさわという音のみが

 (中略)

 妙義の見える峠に立って、
  浅間の見える峠に立って、
   秋の日差しの温かさを背に感じる

 

参照終わり

 

P.S.

熊ノ平駅のライセンスは、パブリック・ドメイン

碓井第三橋梁のライセンスは、パブリック・ドメイン



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