M.シュナウザー・チェルト君のパパ、「てつんどの独り言」 

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海外の空港たちー9 USの長い旅

2019-09-15 | エッセイ・シリース

 

 アメリカには何度も行っているが、こんな長い旅は他に記憶がない。

 

 <飛行図> 

 一応、書いておくと、成田→ミネアポリス、ミネアポリス ⇔ ミネソタ州ロチェスター。ミネアポリス → ケンタッキー州レキシントン → ノースカロライナ州ローリーへ。さらに、そこからフロリダ州マイアミへと下って、帰りはニューヨーク経由成田という、長い長い旅だった。 

 足してみると、ざっと25,000㎞にもなる飛行距離だ。わかりやすく言えば、成田~JFKが10,000㎞だから、日本とアメリカを往復し、さらにアメリカ国内を5,000㎞の旅をやったということになる。 

 目的は二つあったから、こんな旅になったのだ。 

 一つ目の目的は、IBM社内のシステム論文に選ばれて、ロチェスター(北部)とローリー(南部)の2か所で発表することになったこと。 

 もう一つの目的は、大量生産のオートメーション・ライン管理システムを調査することだった。これは、IBMの製品ラインが大きく変ったことに対応したもので、日本IBMの製品開発製造部門にとっては、大変な問題だった。当時、日本IBMには、大量生産のオートメーション製造ラインを制御するアプリケーションは無かったので、アメリカの大量生産姉妹工場を訪ねることになったのだ。プリンターのレキシントンと、パーソナルコンピューターのフロリダ州ボカレイトンを選んで、オートメーション管理システムを調査、研究するためだった。

 

 <ミネアポリス空港> 

 ミネソタ州ミネアポリスは、ノースウエスト航空(今はデルタに吸収された)のハブで、ミネソタ州の州都でもあり、大都市だった。ロチェスターに行くために、ここで1万キロの旅の時差ぼけを調整するため、一泊した。よせばいいのに、スペイン・レストランで、冷製スープの辛いガスパチョを食べたのが悪くて、胃が痛くてよく寝られなかった記憶がある。ガスパチョはとてもホット(辛くて)で胃がやられた。その後、ずっと敬遠している。


 

<ロチェスター空港> 

 ロチェスターは、システム38という小型コンピューターを開発製造していたサイトだった。広大な敷地にThe Big Blue Zoo(大きな青い動物園)というニックネームで呼ばれるTech Campusに、ピーク時には6,000人もの技術者がいた。システム38は、その後、AS400となり、今のIBM i(アイ)シリーズに発展した。

<IBM Rochester>  

 ロチェスターの地域経済は、IBMと全米で有名なメイヨー・クリニックでもっていたと言われた時期があった。 

 ここでは、アメリカ北部のサイトのIT技術者の前で、日本での「CIM:Computer Aided Mfg」を紹介した。僕たちは、いわば客人だった。そのコンファレンスで、同時に紹介されたのが、ローリーの「PC生産コントロールシステム」だった。ローリーでは、南部のサイトのIT技術者を集めて、同じく藤沢とローリーのシステム発表会をやった。

 <ミネソタブルーと呼ばれたサイト> 

 いろい質疑応答があって、どこかで、二つのシステムの評価のような話になってきたので、僕は立ち上がって、目的の違うシステムを比べて評価しても意味はないと意見を述べて、議論を打ち切った記憶がある。珍しい日本人だということになったと、駐在の日本人エンジニアが、後になって僕に知らせてくれた。彼に言わせると、ミネソタは、数えきれない湖と地べたの州だと、半分、ぼやいていたのが鮮明だ。

 

<ローリー・ダーハム空港 by Google> 

 ついでにローリーでの話を終えておくと、ローリーにはトライアングルパークという研究や製品開発の地域ができていて、地元ノースカロライナのTech Parkとして位置づけられていた。この三角形は、デューク大学、ノースカロライナ大学、州立NC大学が一緒になって、プロジェクトを始め、先端企業を呼び込んだようだ。そこにIBMも加わって、当時のIBM PCと最先端ThinkPadの開発を、日本の大和研究所と一緒にやっていたのだ。

 

<リサーチ・トライアングル・パーク> 


 もう一つの目的で、僕たちはオートメーション化された製造を管理しているシステムを見に、ミネソタから、ケンタッキー・ダービーとバーボン・ウイスキーで有名なケンタッキー州のレキシントンへ飛んだ。空港は、Blue Grass Airportと呼ばれるだけあって、草原の真ん中に、空港が小さく見えた。

 <Lexington 空港>  

 元々ここは、IBMタイプライター工場だったが、その頃には、プリンターを大量生産していた。キーボードのボタン成型から、プリンター本体までの水垂直統合の生産をやっていた。こんなシステムは、今までIBMでは見たことがなかった。まさに現場の状態を管理し、データを取っていた。僕たちには、新しい経験だった。その後、Lexmarkの工場になっている。

 

<大西洋に面したマイアミ空港 By Google> 

 僕たちは、ローリーでのCIMシステムの発表会を終わって、フロリダ州のマイアミに飛んだ。ここは、アメリカ人が、退職後にはゴルフをやって、ゆっくり過ごすのだと憧れている州だ。地図でも分かるとおり、ここはアメリカ合衆国の最南端。マイアミは年寄の多い、すべてがゆっくり動いている街だった。どこか、日本の熱海を思わせる、大西洋に面した街だった。 

 さらにマイアミから車で、ボカラトン(彼らはボカレイトンと呼んでいた)を訪れた。ここは、ロボットを使ったIBM PCの組み立て工場で、これも、オートメーションと一体化したロボットの挙動管理、データの管理をやっていた。全く人のいない工場は、IBMでは、まれな光景だった。

 

<IBM ボカラトン> 

 休みの日に、キューバに近いキーウエストまで、大西洋とメキシコ湾に挟まれたハイウエーのSeven Miles Bridgeを260㎞、日帰りで走った。 水の上を低空で飛行しているような感じのドライブだった。ここは、アメリカの東海岸をニューヨークまで走るルート001の起点だった。ちなみに、キーウエストから、ハバナまで170kmだから、マイアミより断然キューバに近い。

 

<セブンマイルズ橋> *

 マイアミから1300㎞を飛んで、JFKに戻り、そこで一泊して、成田に飛び立った。

 とにかく長い長い旅だった。そして、アメリカのデカさを体感して疲れた旅だった。


 

P.S.*

 

7 Miles Bridgeの絵は、AveretteさんのCreative Commons 3.0をお借りしました。