惰天使ロック

原理的にはまったく自在な素人哲学

5月30日(木)のつぶやき その2

2013年05月31日 | miscellaneous

昨日あたり別垢で紹介したユニークなサッカー教育の話 twitter.com/fahrenheit428/… を調べていると、こんな本が出てきた→ はじめて哲学する本-藤原和博 | Discover21 d21.co.jp/products/isbn9…


なんだ知らなかったのかと言われそうだが、実際今まで読んだことなかったのは何でだろうなと思って著作リストを見たら宮台真司あたりとの共著がたくさんあって「ああ、だからか」(笑)


どうも微妙に胡散臭い感じがしてきてしまったのだが、でもまあ予備知識なしで読んだ件の記事に興味を引かれたのは事実なので、一応根元のところくらいは──わざわざ哲学と称しているのだから、その人の考えの根本は反映されているはずだ──読んでみることにした


サッカー選手もそうだろうが、計算機屋なんかも旬の短い職業だということでは似たようなものだ。だから将来その仕事をしたいと思うなら、その仕事をしていない/しなくなった自分のことも含めてひと通りのことは、考えられるものなら考えておいた方がいいわけだ


理屈を言えばそうだが、実際そんなことは中学生に可能なのか、可能であったとしても、さらにそれを「教える」なんていうことは可能なのかと考えると、とても難しいことではないかと俺には思える


伸び盛りの中学生にとってそれは、自分が死んだあとのことを考えてみろと言うのと同じくらい難しいことであるはずだ


それに応えようとしたら、それは宗教でなければ、必ず哲学らしきものは必要とするはずで、だから、曲がりなりにも「哲学」と題した本がこの著者にあるということは、まったく棒にも箸にもかからないただの変なセンセイ(笑)ではなさそうだということはできそうな気がする


まあ、こっから先は実際に読んでみて、ミのありそうなことが書いてあったら改めて書くことにする


・・・やれやれ、どうやらsky.fmは戻ってきたようだ


AM放送にFMの電波利用を(NHKニュース) nhk.jp/N47j6HN7 どうもこの題は誤解されそうな気がするが、これはFM帯域(超短波帯)でAM放送をやれというのではなく、中波帯でやってるAM放送の内容とおなじものをFM帯域でもやれ、という提案らしい


@hiroco2003 酵素が基質にどう作用しているのかの詳細は、そんなにはっきり判っていなかったりするからかもしれない。見てくれは単純な反応のようでも、実はいくつも異なる酵素が連続して作用している場合もある。それこそピタゴラスイッチみたいに


昼は涼しかったのに、夜はいつまでも暑いなあと思っていたら、実際暑いらしい。明日の朝の最低気温は20度、いま東京は22度くらいだ。ネッタイヤーでこそないが、いよいよ梅雨だな



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5月30日(木)のつぶやき その1

2013年05月31日 | miscellaneous

Ten Years After - I Woke Up This Morning: youtu.be/jjXjxnaH8Yk なんか朝から古くて重いな


(無題) / Märchennoir さんのイラスト #nicoseiga #im3138219 nico.ms/im3138219 苔生す巌と祟り神


他の国の人から見ると、米国人って変なやつらだなと思われる13のこと(極東ブログ) finalvent.cocolog-nifty.com/fareastblog/20… ”日本の成人式がプロム化しているかな” ── なるほど、そういう見方はあるか。逆に言うと、プロムってのはつまり七五三なんだろうな


英文のままだと読む気しなかったので翻訳紹介しているblogをリンクしたのだが、しかしどれも案外普通というか、日本でもよく知られているものばかりではあった


巨大地震 1週間分の備蓄を(NHK NEWS WEB) www3.nhk.or.jp/news/web_tokus… うちの備えは怠りないぜ。大震災のとき以来、タバコは常時10日分以上備蓄するようになった。あとこれは前からだが、職場のデスクにもカバンの中にもひと箱は「バックアップ」が入っている


アパート住まいでこんなこと言うのも何だが、今世紀に入ってからの東京暮らしは、毎日が半ばサバイバルのようなものになってしまったような気はする


まあこれはトシのせいかもしれない。ふとふり向くとそこにいたはずの友人がいなくなってるとか、出勤してみると会社がなくなってる(笑)とか、本当は前からそんなものだったのかもしれないのだが、主観的な時間の流れが速くなっているので小さな変化も大袈裟に、そしてたいてい悲痛なことと感じられる


そういう「意識上のサバイバル」な老人は結構たくさんいるような気はする。マクドナルドで朝飯食ってたら見ず知らずの婆さんから「タバコを1本くれないか」と言われたことがあった


お安いご用だ、1本と言わず2,3本もってけって渡したら、いらないというのに代金を置いて行った


なんだよ、俺が人に親切にして心が痛まないのはタバコのことくらいだってのに、水臭い婆さんだなと思わないでもなかったが、金がないではないのにそんなことしなければならない理由は何だろうな、とも思って考え込んだ


這いよれ! ニャル子さんW 第7話「プールサイド、血に染めて」 (24:40) #nicoch2562762 #so20979476 nico.ms/1369732710 今回はやけにネタが古くて10代20代置いてけぼりだった


しかし「青春時代」なんていう曲が流行っていたころでさえ(当時すでに半ばギャグだったのだが)、今でいう「青春する」という言い方は(したがってその含意も)存在しなかった。青春というのはテレビドラマの中であれこれあって最後に夕日に向かってバカヤローという、なんかそういうもののことだった


バナナとマンネリは腐りかけが美味しいと言いたいわけでもないのだが、そういうわけのわからん番組を、よくもあれだけ飽きもせず見ていたものだ


それでも1970年代のうちはまだ、そういう番組が作られていることも、またそれを見ている方も、それをかくべつ奇妙なこととは思っていなかった。1980年代に入ったとたん、その手のものは一挙にシュールの領域にある何かだと見なされるようになった


中身はだいぶ前からそうだったので、それはつまり中身相応のものとして見られることになったということなのだが(笑)


わぁいソ連崩壊 あかりソ連崩壊大好き

celsius220さんがリツイート | 113 RT

ゴルバチョフ涙目だな


@hola_hola_douda いしのようこって誰だと思ったら石野陽子だったw いつから平仮名になったんだろう(ちょっと調べただけでは出て来ない)


@hola_hola_douda そのあたりのようだな。2004年にベストアルバムを出していて、そっちは漢字名義だ ja.wikipedia.org/wiki/GOLDEN%E2…


ドル円のランコルゲと関係あるのかどうかよく判らないがsky.fmの調子が悪い。別のネットラジオをタブレットでつけているなう


@hola_hola_douda せっかくだからリンク先の検索ページで先頭に出てくる「シリアス劇場」を観てみた youtu.be/TgBJYA-klis 見てて真っ先に思ったのが「この夫婦、コドモはいないのか」だった


昔はテレビ番組を見ながらそんなことに気づくなんてことはなかったものだが・・・俺はいつからこんな風になったのだろう


小学生のころ、宇宙戦艦ヤマトの話をしていて、友達が「しかしあれ、宇宙空間なのになんで爆発音がするんだろうな」と言うのを聞いて「よくそんなことに気づくなあ」と思って驚いたり呆れたりしたものだった


ある程度までは今でもそうで、実際そうでなきゃSWは観てらんないわけだ(笑)。世の中には「みなしごハッチ」を見ても開口一番「虫が喋るわけないだろ」と言い出す人もいるそうだから、もともとの性格なのだろうなあ、と思うわけだが、トシをとると変化するものだとは思っていなかった


@hola_hola_douda 作ってる方も気づいてなかったとしたら確かに怖いなw



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5月29日(水)のつぶやき

2013年05月30日 | miscellaneous

禁煙の飲食店しか見当たらず腹が減ったらコンビニでおにぎりを買って禁煙の店の前に座り込んで食ってやる。

celsius220さんがリツイート | 3 RT

まったく同じ状況で自分ならどうするだろうなと考えてみると、俺の場合はそんなことより先に椅子を探すような気がする。あたりを見回して公園があるのを見つけ、そこのベンチに腰かけておにぎりを食べたことが実際にあった


まあ、たまたま立ち寄った街でそんな目に会ったら、そもそもそんな街には二度と行かないけどな


いまどきは小さい街だと、メシ食うところがそもそも駅前の吉野家くらいしか見当たらないということがあるしな。昔ならほかに喫茶店のひとつやふたつはあったのだろうが、そういうのは潰れちゃって吉野家しか残ってないというパタン


”サッカーW杯を盛り上げようと作られた「カシローラ」という応援楽器、コンフェデ杯などでの使用禁止”(NHKニュース) nhk.jp/N47i6Fsa 音がやかましいとか、そういうことではなく、試合でこれをピッチに投げ込む観客が後を絶たないため、であるらしい


Caxirola: youtu.be/3ceRx64gsvQ?t=… これがその「カシローラ」まあ、マラカスみたいなもんだな

?t=1m42s


検事が容疑者にカッターナイフ 佐賀地方検察庁で(NHKニュース) nhk.jp/N47i6Fw9 記事だけ読むと「やっちゃったな」という感じだが、動画まで見ると事実はそれほど明らかではない。弁護士がフカシている可能性もあるようだ


ケーサツ、ケンサツ、サイバンショが信用ならないからと言って、弁護士の言い分なら信用できるわけでもないことは、某氏の件で今や完全に世間にバレちゃったことではある


いくらIDEの補完機能があるからって、関数名長すぎるよお兄ちゃん…人に口頭で説明するときそれ間違えずに言える?

celsius220さんがリツイート | 1 RT

is_pneumonoultramicroscopicsilicovolcanoconiosisはさすがにちょっと長すぎたかな。ここはlisp式にpneumonoultramicroscopicsilicovolcanoconiosispにしておこう


ちなみにPneumonoultramicroscopicsilicovolcanoconiosisとは「塵肺症」のことだそうだ


もっと長い単語もあるようだが、これ以上長いのはtwitterの文字数制限に引っかかる en.wikipedia.org/wiki/Longest_w…


まあpneu云々は冗談だが、実際このくらい長い名前を使うことなら時々ある。英文をまるまる一文、単語の間をアンダースコアで繋いで書けば普通にこのくらいには長くなる。英語の発音さえできれば読み間違えることはない


昔ビートたけしのラジオ番組の常連投稿者、いわゆるハガキ職人の中には毎度々々エロ小説の一節をまるごと使ってペンネームをつけてくる奴がいたな。たけしが律儀にそれを丸々読み上げては、最後に「長ェんだよバカヤロー!」っていうのがお約束(高田文夫がずっと笑い転げているのもお約束)


カッコいい事を言うヤツは、大抵嘘をついている。これは経験則だけど、今まで外れたことがないんでね。

celsius220さんがリツイート | 14 RT

そらまあそうだろうな。大抵嘘をついているということでは、カッコ悪いこと言うヤツだっておんなじだからなw


マイクロソフトの新端末「最新ノートPC並みの性能」(朝日新聞) asahi.com/business/updat… はてさて、これなんかはどこまでが真実なのやら・・・今のところ確実な真実はひとつ「税込参考価格99,800円」



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5月28日(火)のつぶやき

2013年05月29日 | miscellaneous

お兄ちゃん,そのcloneの定義だとフィールドの参照先まではコピーされないから,一方のオブジェクト経由でフィールドの参照先を操作したら他方のオブジェクトにも影響があるよね?浅くていいのはお兄ちゃんの知恵だけだよ?

celsius220さんがリツイート | 1 RT

おんなじ問題は構造体のようなものが存在するほぼ全部の言語にあるのだが、不思議なことにこういうことが言われるのはオブジェクト指向言語だけなんだよな


30年くらい前に大学の学部でCLUの講義を受けた時から、このオブジェクトのコピーにまつわる問題ばかりは「うぜえ」と思ったものだった


とっつきは悪いが、ポインタ参照はポインタ参照であることが記述の上でもはっきりしていた方が(つまりC言語やPascalの方が)この種の間違いをしでかしにくい


不評の「女性手帳」当面配布見送りへ(NHKニュース) nhk.jp/N47h6FFT まあ何を言い繕ったって、話に聞く限り中身は露骨な「産む機械手帳」だったらしいからな


お兄ちゃんお兄ちゃん、なんでコンパイラのエラーメッセージをきちんと読んで対処しないの?

celsius220さんがリツイート | 1 RT

そんなもん、英語読めないからに決まってるだろw 近頃のコンパイラはエラーメッセージが日本語でも英語と同じくらい意味不明なのが時々あるわな「'System.Collections.Generic.IEnumerable<T>' の使用には、'1' 型の引数が必要です」とか


長いことプログラマをやってるけど、このエラーなんてさすがに呆然としたぜ。何言ってんだか判らねえ。どうすりゃいいんだこれって


まあ実際には、.NETの意味不明エラーはメッセージをコピペしてググれば、そのうちなんだか判ってはくるんだけどな。初心者の人に「これ何なんですか、こんなわけの判らないツール使って仕事しろってんですか」って言われたら返す言葉がないぜ


昔だったら「いいからフォースを使え。やってみるのではない、やるのだ。さもなくばやるな」とか何とか言ってごまかしたりもしたんだけどな(笑)。現実のプログラマはコンパイラの馬鹿の面倒まで見なきゃなんない理由を論理的に判りやすく説明してくれと言われたら本当に困るぜ


それは忍耐ということを、道徳観念の天下り式に訴えてごまかさずに論理的に説明するのと同じくらい難しい


それを四苦八苦しながら説明することの対価は誰が払ってくれるんだといって、言うまでもなく誰も払ってはくれないわけだ。払ってもらえない分はこっそりチョロまかせだよ


在日米軍 謝罪受け入れを表明(NHKニュース) nhk.jp/N47h6FnN 「謝罪の誠意を疑う理由はない」「これで発言に関する議論に終止符が打たれることを望む」


多崎つくる読了した。これから何回か読み返すことになりそうな思い入れの深い作品になった。タイミングもあるだろうけど、読み進めるのが辛くなる箇所がこんなに多かった村上作品ははじめて。傑作。

celsius220さんがリツイート | 1 RT

多崎つくる、村上作品にしては食べ物描写が少なく、主人公の食欲もない場面が多かった気がする。

celsius220さんがリツイート | 1 RT

「1Q84」のときもそうだったが、今度の「多崎つくる」も本当に色んな人が読んでいることに驚かされる。俺の知人の中でも、もとから好きな人はベタ褒めの書評をメールで送って寄越してくるし、もとから嫌いな人は一生懸命アラを探してボロクソ書いた感想文を寄越してきたw


俺のリアル知人だから、まあだいたいみんな五十前後の人間なわけだ。アラフィフっていう言葉はあるのかね(笑)。俺もこのTLで呟いてることを思えば他人のことは言えないのだが、まあ皆ホントに年甲斐がないったら(笑)


小説の細部はどうだか知らない(読んでないし)が、同世代がこれだけ読んでるってのは、ごくごく単純に嬉しいのだろうなという感じがする。世相の方は大事にせよ小事にせよ味も素っ気もない出来事ばっかりのように見えるからな


さればといって、俺みたいなのはともかく、たいていの中高年はラノベ読んだり深夜アニメ観たりするような習慣は持っていないわけだ。そうすると村上春樹の新作小説とかはいいトシこいた中高年の心をいいグワイにそそる何かと映るだろう。何はどうあれ世代的に対象物が「貧乏くさくない」ってのは魅力だ


べつに「バブルの夢を忘れかねてる」ってことではなくて、あの時期をくぐる間に確かにこの世代は文化事象全般に対する舌が肥えてしまったんだ。小金持ちの夢が潰えたからと言って、舌の方はそう簡単に痩せ衰えてはくれないわけだ



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5月27日(月)のつぶやき その2

2013年05月28日 | miscellaneous

あの話は我々日本人でさえ、大半は「てっきり」と思ってしまったところがあったわけである。べつに旧軍に対して(某国の人々が抱いているとされているような)憎悪など全然抱いていなくても「いかにもそんなことはあったのだろうなあ」と、さしたる疑問も抱かずに思うことができたのである


逆に言えば、よく右翼の人が言いたがるような「そんな虚偽が流布されているために日本人は父祖を尊敬することができなくなっているのだ」というたぐいの主張、あれはウソである。事実の嘘ではなく感性の嘘である


子孫がその父祖に対して抱く尊敬の念と、その父祖が過去に軍隊で何したかなんてことは基本的にまったく関係がないものである。そういう感性は、本来なら右翼の人達こそが一番強く持っていそうなことではないのかと言いたいくらいである


むろん、たとえばその父祖が(ありもしない罪を問われた末に)戦犯として処刑されたというようなことがあったのだとすれば、その子孫が父祖の名誉回復のために躍起になるのはまったく当然だ。でも「慰安婦」のことで処刑された人なんていないのではないだろうか?


話が微妙に逸れたが、この手の話が持ち上がるたんびにわたしなどはただただウンザリした気分になる。本当のところ問題なのは、「強制連行」などの事実があったかなかったかというようなことでは全然なくて→


→(作為であろうとなかろうと旧軍に対して勝手に貼りつけられたところの)「悪代官」(もしくは同型の)イメージが本当は何を指しているのか、それを誰も(もちろんわたしも)知らないし示すことができないでいるという、そのことにあるのではないだろうか


問題の根源が某国の反日プロパガンダやら反日教育のせいだというのも、これも微妙に間違っているとわたしは思う。ことの本質がそれなら、わが国は無視するか、せいぜい笑い飛ばしておけば済むはずである。調べてみるとそんな事実はなかったというならなおさらである


それが今なお無視することも笑い飛ばすこともできないでいるというのは、そもそも我々自身が「てっきり」そうだと思い込んでしまったからである。それほどに主張されたところの図式は「悪代官」のそれにぴったりはまっていたということである


その図式のせいだとすれば、もともと他愛もない通俗的な勧善懲悪の図式にすぎない(と、「水戸黄門」が嫌いな人はみなそう言うわけだ)のだから、それを丁寧に解体してみせればいいわけだ。でもそれもできない、つまり、某国の人々はもちろん、我々自身もまた悪代官の存在論を理解してはいないのである


プールで泳いでるのを見ると、みなさんどんなセックスをしてるんでしょうかねって思うことはある。

celsius220さんがリツイート | 6 RT

そんなこと思ってる人がいるかと思うとプールもおちおち行けやしないなw


King Crimson - ProzaKc Blues: youtu.be/Gr5eBnCwMOY He said, "I recommend a fifth of Jack and a bottle of Prozac" ...



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5月27日(月)のつぶやき その1

2013年05月28日 | miscellaneous

腹は立たなかったが、表側の世間では好景気の絶好調で「ジャパン・アズ・No1」とか言ってるのが困ったものだという気はした。儲かってはいるのだろうけど、俺の見えている範囲から言えば、世界の中で日本というのは今も無に等しいよとしか言いようがなかったからだ


まあ、ホンダやトヨタは無ではないということになるかもしれないが、計算機のことで言えばほんとに無だよ、日本なんて何もねえよ、日本語対応という大問題があるから、自国の分は自前でやって、それはできるようになった(それだけでも大変な適応力だよとは思ったけど)だけだよというのが実感だった


それが何だか知らないけど第五世代だとかTRONだとか言って勝手に盛り上がって、こいつらはいったい何度戦艦大和を作れば気が済むのだろう、と


その戦艦大和だって当時の世界では最高度の技術を駆使して建造されたものだ。技術力で劣っていたわけではない。ただ、日本なんて国はあってもなくても世界は何ひとつ困らない、ちょっと技術が高いくらいのことは、世界の中ではあってもなくても一緒のことなのだということを、我々はすぐ忘れてしまう


忘れるからまだいいのだという面もあることはある。いまどき核ミサイルなんかを躍起になって開発しているどっかの夜盗国家は、そのことが夢寐にも忘れられないからやっているのに違いない


わが憲法の前文にある「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して」という一節は、書いた人は何と思って書いたのか知らないが、わたしを含めて多くの日本人はそこに(笑)とか(震え声)とかを補って読んでいるわけである

1 件 リツイートされました

そう補えばこの憲法前文は、愚にもつかない翻訳口調の駄文であるどころか、これ以上切実な思いはないくらいの真情を帯びることにはなるのである


我々日本人は「わが国は吹けば飛ぶような小国で」というのが口癖のようになってる(本当は「ような」すら余計だと思うのだが)わけだが、そう言うと外人の中には不思議な顔をする人がいるらしい。嫌味で言ってるのかと勘繰る人さえいるそうな。冗談じゃねえよと思う


某氏 風俗活用発言を撤回し謝罪(NHKニュース) nhk.jp/N47g6ERO この人物はこれまでも場当たりでしかものを言って来なかった、だからこれで再び信頼するという人はいないだろう、とはいえ、この撤回と謝罪自体は遅ればせながら真っ当な行為である


かつて「神の国」云々と発言した総理大臣はその発言を撤回しなかった。うっかり撤回し忘れたのではなく、公式に撤回しないと言って撤回しなかったのである ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E… それに比べたらまだましである


世界で一番好感度の高い国はドイツ、日本は4位(英BBC調査) zaeega.com/archives/54499… リンク先のグラフから明瞭に読み取れることがひとつ。「この1年でアジア各国の好感度は低下した」


それが何によるものかは読み取れないし、思い当たる節もない。とにかく日本だけでなく中国もインドも好感度を下げている


まあ、大雑把に憶測すれば、世界のよその地域では中国と日本の違いなんていうのは曖昧なものでしかないのだろうから、日本が下がったのは中国に引きずられた結果ではないかと思う


ふと画面の左側に目をやると「おすすめユーザ」の欄に「Britney Spears」が入っている。変な政治家みたいなのが入ってきたわけじゃないから別にいいのだが、他に「松本人志」というのが、これは前から入っている。よく判らぬ選択基準ではある


お兄ちゃん、何が「合理的な選択」であるかは、解決すべき問題によって変わるってことだけは覚えておいてね。様々な問題を前にして極端な解釈しかできないのは、それだけで「問題についての理解力」を欠いているってことだから、プログラマとしては致命的かな。

celsius220さんがリツイート | 4 RT

この兄にしてこの妹ありといったところだな。「プログラマとして致命的」なんていうのはまさにその「極端な解釈」の典型じゃないか


解釈や判断が極端に振れるのは、解決には白と黒のどちらかしかないと思い込んでいるからだ。それは致命的というよりは初歩的な無知の帰結なんだからベンキョーすればいいだけだ。まずはゲーム理論を学べだ ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%91…


唐突だが、今日はなんとなはなしに「水戸黄門問題」について考えていた


何だそりゃと思うだろう、のは当然で、ひとしきり考えて結論のかわりにその題を思いついたのだから、他人にはワケが判らなくて当然だ。どういう問題かと言えばつまり「悪代官とは何だろう?」ということだ


あのテレビシリーズに出てくる悪代官は(おそらくは)いかなる意味でも実在したことのない存在なわけである。代官という職制は江戸時代に確かにあったはずの職制だが、テレビシリーズのあれはその実態とは何の関係もないと言っていい何かである、はずである


おんなじように悪徳商人とか山吹色の菓子とかも実在したことはなかっただろうと思う。けれどもこれらの創作された存在とそのイメージは確かに意味とか価値とかを帯びているわけである。だからこそ日本人ならほとんど誰でも知っているし、誰でも知っているほど人気があったわけである


これらの存在やそのイメージが指しているものは、本当のところ何なのだろう?というのが問題である


これだけ書いて、いったい何しに、あるいはなぜいまさらそんなことを考えたか、実は最初は「従軍慰安婦問題」のことを考えようとしたのだと勘付く人がいたら喜ばしいことである


実態としては存在しなかったとも言われている「強制連行」の、(実態がなかったのなら冤罪だが)下手人とされているところの「旧日本軍」は、この水戸黄門問題における悪代官のようなものだと見なされているのではないかと思うわけである


何が言いたいかと言えば、「強制連行などなかった」ことを立証して、さらに某国政府がそれを認めることが仮にあったとしても(反事実的条件)、それでもなお「従軍慰安婦」問題は全然解決しないのではないだろうかということである



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5月26日(日)のつぶやき その5

2013年05月27日 | miscellaneous

「アメリカではこうだ」「ヨーロッパではこうだ、なのに日本は」とやられると誰だってムカつくわけだが、最新のお絵描きソフトで見たことない色模型が使われているのに気づくと、それを知ろうとすることに抵抗はなかった、というようなことだ


後からよくよく考えてみるとそうした細かな知識の中に外国人の(というか、日本人のよくしない)発想やら何やらが封じ込められていたということに気づくわけだが、すっかり理解してからそういうことに気づく分には腹も立たないわけである



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5月26日(日)のつぶやき その4

2013年05月27日 | miscellaneous

ズルいじゃないかと言い出したら、地元の中学校に行かないで、受験して別の中学に行ったことだって本当はズルだよと思っている。それはズルではない、成績がよかったんだから当然だなどと言う奴の方が、かえって自分にウソをついていると言いたいくらいのことだ


試験の成績なんてまるで無意味なアブクみたいなものの最たるものだということは、そもそも優等生が一番身に染みてわかっているはずのことである。そのアブクがうまいこと浮かんでいるのをいいことに、友人から何からの人間関係を全部おっぽり出してどっか行ってしまうのがズルでなければ何だろうか


そういうことはなぜか判るのだが(笑)、判っていてもズルには躊躇しない、というか躊躇できない。「いや、だって面倒くさいし」と言い出したら全部何でもなくなってしまう程度には重度の怠け病なのである


これ、たまたまコドモのころの話だからまだいいので、そうじゃなくて高校生くらいで女絡みの話だったら「誠死ね」って言われるやつだよな、と思う


実際、地方の大学院大学みたいなところにはそれに似た話が結構たくさん転がっていると耳にすることはある。他所から入ってきて、修了すると「現地妻」をためらいもなく捨てて帰って行くというやつ。よく殺されずに済むものだと思う


それはたぶん、殺されずに済んでるのでも何でもなくて、本当はそういう連中は、個人としてはとっくに死んでいるから重ねて殺す必要がないだけなのではないかと思う


・・・また書いてるうちに変な話になった。これも消しちまおうかな


携帯が普及して以降の、人間の言語空間というか、僕は何かわからなくなってる。端的な話、この言語の空間に恋愛が成立するとは思えない。

celsius220さんがリツイート | 6 RT

メトリック(距離構造)がぐだぐだにかき混ぜられてわけのわからんことになっているのは確かだと思う。専ら携帯によって、かどうかは、いまひとつ判らないのだが


「この言語の空間に」恋愛が成立しなくなったので、二次元の方に拡大してもとの構造を拡大的に再現しようとするようになったのだろうなとは思っている


触れたくても触れられない葛藤といういことを液晶パネルという物理で代替するなんて、うまいこと考えたものだなと思う


いくら彼らが主張したって二次嫁はほんとの嫁にはならないだろう、二次嫁相手じゃ夫婦喧嘩にならないからな、とか思っていると、二次嫁の方をヤンデレに作り直して夫婦喧嘩のかわりにしてみせる。まったく、ものすごいことを思いつくものだ


ただ、携帯電話のようなものがメトリックを破壊したのだとすれば、携帯電話が普及したのはいまどき先進国ならどこでも同じように破壊されているはずで、そのあと起きていることがわが国のそれはかなり独特であるように思えることの説明はつきにくい


なんか今のtwの日本語むっちゃくちゃだな。まあ面倒だから直さないけども


メトリックが破壊されたのに社会が全体としてアノミーのような状態に陥らないのは、外延もいっしょに拡大されて、拡大された空間の上でもとの構造が復元されているからだと考えれば説明がつく


気の毒な立場があるとすれば、言語の空間を以前と同じ外延で考えなければならない立場の人だということになる。それはさぞかしメッチャクチャに見えることだろう


携帯電話とか持たないのに自分がそれほど困っていない理由もそれだ、とすると、こうした傾向の端緒は1980年代の前半あたりにあったと考えるのが妥当なような気がしてくる。そのサワリみたいなことをやってみせるだけで世代まるごと「新人類」呼ばわりされたりした、あれだ


携帯電話はまだなかったが、1980年代にはその前駆的な現象ならいくつもあった。伝言ダイヤルとかダイヤルQ2とか、携帯電話が普及する直前にはポケベルでおんなじようなことをやっていた。どれも俺には縁がなかったのだが(笑)


そう、そう、1980年代の初頭にはあったじゃないか、「ミニコミ誌」っていうのが(笑)あれって今でいうところのチラシの裏だったよな(笑)


重なるようで重ならないところもあるのだが、今のマンガの同人誌というのも、その大枠みたいなものはミニコミ誌のブームと並行して作り出されてきたものだと思う


ミニコミ誌とか同人誌とか、そういうものを熱心にやったということは、俺はなかったのだが、やり方をひと通り覚えたりはした。そのとき仕入れた知識は、しばらく後になってDTP関係の仕事をするとき大いに役に立ってくれた


そうでなきゃ当時の人間が四色分解とかトンボの打ち方とか級数表示とか書体の細かい違いを区別することとか、そんなもの覚えるわけもなかったことだ


だからというか、今のワカモノに、たとえばRGBとCMYKのあれやこれやを説明するのは、ちょっと骨が折れる。普段からPhotoShopをいじってるような奴ならともかく、加算混合だ減算混合だなんていうのは普通の人は知らない


昔の計算機屋は、どこで覚えてくるのかは人それぞれだったのだろうけれど、不思議なくらいそういうことは皆ひと通り知っていた


異邦的な知識や発想を仕入れるのに外国を意識する必要がそんなになかったということも有り難かった



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5月26日(日)のつぶやき その3

2013年05月27日 | miscellaneous

駅員への暴力 目立つ40代以上(NHKニュース) nhk.jp/N47f6EI7 おうNHK、てめ何様のつもりだ、鉄道会社とつるんで中高年に喧嘩売ろうってのかコラ


・・・とはまあ一応冗談だが、ワカモノが草食系とかで大人しいから比率的に中高年が増えた格好になってるってだけの話だろう。まるで俺たちが凶悪犯罪予備軍みたいに言わないでもらいたいもんだな


移民大国スウェーデン、暴動で露呈した「寛容政策」のひずみ(ニューズウィーク日本版) newsweekjapan.jp/headlines/worl… ”過去7年間、税率引き下げや公的手当の減額を行い、スウェーデンの経済成長は欧州の大半を上回る、一方で格差が最も急速に拡大している国でもある”


ブラック大学・阪大が「非常勤講師5年で雇止め」の就業規則制定を強行 年収150万円講師が刑事告訴へ(My News Japan) mynewsjapan.com/reports/1834


ぴくちぃ式ミク v1.31 / ぴくちぃ さんのイラスト #nicoseiga #im3132951 nico.ms/im3132951 しばらく見ない間にまたとんでもなく進化しているな


ソマリアより危険=シリア医療現場から帰国-国境なき医師団・黒崎さん(時事ドットコム) jiji.com/jc/zc?k=201305… ”ソマリアは「無政府状態だが、戦闘は派閥同士の戦いだった」シリアでは反アサド派が「いろいろなグループに分かれていて、誰がどうなのかよく分からない」”


それはそうと、講師の人達が気の毒な目に会わされているからと言って「ブラック大学」と呼ぶのはいかがなものかと思わないでもない。「ブラック大学」というのは学生の立場からした場合の呼称だと思う。講師の立場であれば「ブラック独法(独立行政法人)」と呼ぶのが適切かと


俺は博士中退だし、年齢のこともあって、アカポスなんていうのは意識したことすらなかったから、本当のところはよくわからないのだが、「ブラック企業」の場合と違って、大学の場合は教師にとってブラックなら、学生にとってもそうだとは必ずしも言えないところがあるような気もする


もっとも、俺なんかはもともと、単に薄給だとか残業時間が長いというだけで企業を「ブラック」呼ばわりするのは間違いだと思っている。給料が安くても、残業が時として徹夜になることがあってさえ、そこそこ居心地のいい会社というのは存在しうるし、していると思う

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ネットでいろいろ眺めている限り、「ブラック企業」というのは従業員の居心地の問題だろうと思う。そうだとすれば逆に、どんな高給だろうと残業0だろうと、従業員が陸続と自殺したり鬱病になったりするような会社はブラックだと呼ばれてしかるべきである


だいたい、薄給で長時間労働ならブラックだというなら、理科系の大学や大学院の研究室はほぼひとつ残らずブラックである(笑)学生はタダ働きだし、実験だ論文の締切だということになれば徹夜なんて普通のことである


そういうのが本気で嫌だったら、まあ理科系の大学なんてものは行かない方がいい、わけである。ゲームとかコミケとかのためならタダ同然で三日三晩完徹してもへっちゃらな連中がおかしなことを言ってはいけない


企業にせよ研究にせよ、そういうワカモノの無償の情熱みたいなものを、なんだかんだ言いながら食い物にしているといった場合がままあるのは事実である


・・・「ままある」というのは過少な形容かもしれない。外側から仔細に眺めてみれば、たいていそうだと言った方が実態に近いかもしれない


結局、肝心なのは自分なのである。大なり小なり、俺は誰かの(あるいは組織集団の)いいように利用されているのではないかといった感じが伴うのは、仕事にはつきもので、本物の理想社会でも到来しないことにはそうでなくなることはないと思う


「ここは俺の居場所だろうか?」もっと言えば「ここにいるのは本当に(本当の、ではない)俺だろうか?」そう自問してみて、否だと思えたらさっさとやめてしまうのがいいのである。見かけ上は逃げ出すような格好になることかもしれないが、そんなのは他人が勝手に言うことである


会社なり何なりをクビになったら、「なァに、俺の方から会社のクビを切ってやったのよ」と、ただの強がりでなく嘯くことができるかどうか、である


そういうのが身についていれば、たまたまブラックな界隈に踏み込んだって、殺されるまで働かされるということはありえないし、だいたい本当にブラックな企業ほど、そういう「自分」らしきものを持っていそうな人物を雇いたがらないものである


実際、俺はそのせいで、博士中退後の就職活動はちょっと苦労した(笑)なんたって人事担当者の顔に書いてあるんだもんな。「ウチが求めているのは都合よく酷使してテキトーに廃棄できる道具であって、お前さんのような人間ではない」ってさw


出てくる奴出てくる奴が全部そんな調子だから、何だこれはと思ったものだ。2002年のことだ。新卒者の氷河期だと言われていたが、なるほどこれがそうかと


気楽そうに書いているけど、そんな連中の顔を見るだけでも気分が凹んでくる。並行してカウンセリングに通っていたのは、前にも書いた話だが成功だった。凹んだものに空気入れ直してまた凹まされての繰り返しだった


大学院にいた頃から変だなと思ってはいた。知り合いの勤め人の中にアタマおかしくなる奴が続出したり、四十過ぎても暢気にやっていたような年上の知人が、突然「スキル」だの「結果」だのと嫌っ気なことを口にするようになったり、どうしたんだこいつらは、と


これはただ不況が続いているからってだけの話じゃないぞと思った。今でも思っている。いったい何が起きたのかは、今もって判らないのだが


俺は結局、ちょうどその悲劇の瞬間には実社会から離れていた、というかつべこべ言いながら逃避してヒキコモっていた(笑)おかげで難を逃れた、そんな気がしている


ズルいじゃないかと言われたら返す言葉が思いつかないくらいズルいことやって生き延びたのだが、ズルすることに躊躇しない程度には倫理観がもともとない



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5月26日(日)のつぶやき その2

2013年05月27日 | miscellaneous

物事をなんでも「サトシ君(仮名)が女の子のスカートをめくりたがるのはよくないと思うのでやめてほしいと思います」の次元で片づけられてはたまったものではない


小学生の俺はそのサトシ君(仮名)ではなかったわけだが、サトシ君(仮名)が友達だったりはしたわけで、この言い草に向かってサトシ君(仮名)をどうすれば擁護しきることができるのか、それを頻りに悩んだりしたことだ。それも優等生の学級委員の立場にかけてだ(笑)


友達として擁護するだけなら「うっせーぞ、黙ってろブス」と言えばそれでいいわけなのだが(笑)


僕自身はそういうヴィジョンのもとに生きてるんだ。“@basassang: @finalvent 千年後ぐらいにはなんとかなりそうですね(^^)”

celsius220さんがリツイート | 3 RT

だったら不用意に「人生」とか言わなきゃいいのに、という気はするが、これはまあ余計なお世話だな


説明だけはすると、千年万年億年のがっちり生きまショーで生きてるという人が「人生」と言い出せば、そのコンパクト化された誕生と死の外は何だということになってしまう。「前世」とか「来世」とかいう観念と信仰はそこから必然的に捏造されるものだと思う


自分の人生にはなんの意味もないと納得する人と、それを声高に他者に語る人は、とーーーーーーても違う。

celsius220さんがリツイート | 16 RT

おーいナカジマー、ここにもお前の悪口言ってるやつがいるぜw


自分の人生経験というには、自分に与えられた一冊の本のように思える。まあ、そうすると著者は神様とかになりがちだが。また、理性的に考えれば、人生の出来事はただデタラメな偶然で意味はない。

celsius220さんがリツイート | 16 RT

出来事に意味はないというのはいいとしてもデタラメな偶然だというのはどうかと思う。物理法則の作用はデタラメでも偶然でもない。ただ、この宇宙の時間発展演算子がもし位相同型であるならば、因果ということは物理的には、究極的には意味がなくなるというだけである


ついでに言えば、物理に因果がないとすれば(これ自体はたぶん証明も反証も不可能だ)、生命とか知性とかの概念も物理的な概念ではない(物理としては意味を持たない)、それは俺が言う意味での現実的な概念ないしは像だということになる


毎度この例を引き合いに出すので我ながらもっといい例を思いつきたいのだが思いつかないのでまた書けば、この「現実的」は「可逆データ圧縮アルゴリズムの研究は現実的にしか行えない」つまり、何らかの現実的な仮定を置かない限り、可逆圧縮アルゴリズムという考えは意味をなさない


わぁいマーティフリードマン あかりマーティフリードマン大好き

celsius220さんがリツイート | 78 RT

あかりさんのテーマ曲を新たに作るとして、マーティがギターを弾くとか案外似合うかもだ。メガデスだとちなつさんの方が合っていそうだがなw


お兄ちゃん、プログラムの経験の長さを自慢しているんだね。それじゃ、聞くけど、何も見ないでクイックソートのアルゴリズム、実装できる?

celsius220さんがリツイート | 3 RT

さすがにエディタの画面くらいは見ないとできないよ(笑)。クイックソートならできるさ。もっとも、そんなの覚えるくらいなら、ワカモノには、クイックソートの平均計算量がなぜO(nlogn)なのかとか、最悪計算量ではヒープソートの方が有利だとか、そういうことの方を忘れずにいてもらいたいな


C言語だとqsort関数があるもんだからついそれに頼ってしまう人が多いわけだが、ヒープソートを使った方が安全だという場合は実際には多いんだ。その判断が常に的確にできるなら、コードはアルゴリズム辞典から丸写しでも構わんのだよ


わぁい中心と周辺 あかり中心と周辺大好き

celsius220さんがリツイート | 10 RT

・・・それを言うなら「中心と周縁」ではないのかな?


なんでか山口昌男の名前を妙によく見かけると思ったら、ユリイカかどこかで特集組んでるらしい


ユリイカの山口昌男特集がやたら悲しい。読んでて鬱になるから注意。

celsius220さんがリツイート | 6 RT

中心と周辺(ちゅうしんとしゅうへん、center and periphery)とは、経済学・経済地理学・社会学・国際政治学における用語で、先進国を「中心」とし、先進国以外の国を「周辺」としてその不均等発展を見るもの。 ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD…

celsius220さんがリツイート | 2 RT

あかりさんが言ってたのはこっちか


The Doors-The End [FULL]: youtu.be/aGmAmJFUvzM べつに個人的にはジ・エンドなふいんきではないのだが、なんかこう微妙な暑さの日曜の昼下がりに聴いてると妙に合うな



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5月26日(日)のつぶやき その1

2013年05月27日 | miscellaneous

綴りや文法だけじゃない。読ませたってひどいもので、自分のつけた変数名の単語を思いっきり読み間違えてくれたりして、聞いてる方が戸惑うこともしばしばだ


ただまあ、無駄にトシをとると有り難いことの数少ない事柄のひとつとして、ワカモノの勘違いを訂正するのにそれほど遠慮しなくていいということはある。同い齢の人間から指摘されると死にたくなるくらい恥ずかしい間違いでも、年寄りの俺が指摘する分にはそれほどのことにはないからだ


それは指摘する俺の方にとってもヒジョーに気楽で有り難いことだ。もちろん、俺が職制上の上司などではない、ただの年取った彼らの同僚にすぎないから可能なことではあるのだが


トシをとっても偉ぶるような人物にはなりたくないと思ってきたわけだが、実際に偉ぶる理由もなく(なんせヒラだからなw)、それがなくても結構暢気に生き延びていられるのは幸運なことだ


我ながらいったい何を書いているのかさっぱり判らなくなってきたので寝る


@hiroco2003 解説文書きをやっていた俺に言わせれば、説明は技術で、説明が下手な人がいるというわけではないと思う。天才的に上手な人はいるかもしれないが、訓練されていない限り普通の人はみな説明下手である


また説明の技術と言って、それで解決する範囲はたいして広くない。説明すべきことが100あったとすれば、説明の技術次第で伝わるのは、5とか10くらいがいいところだ。説明する方にどんな当為があっても、される方に何の関心もなかったとしたら、それ以上は絶対に伝わらない


あと、説明の技術と称するものの多くは、説明の技術というよりはウソをつく技術である。そういう技術はウソをついても意味がない種類の事柄──PCの操作法とか(笑)量子力学の数学的基礎とか(笑)──になるとまったく役に立たない


いっそのことウソをつく技術は正々堂々「ウソをつく技術」と題して体系的網羅的にまとめて公開したらいいのではないかと思ったりしないでない


ウソは定義上真実を伝えることの役には立たないわけだが、何の機能(意味)も持っていないというわけではない。PCの操作でも量子力学でもいいが、真を知ることと、デタラメを覚えてわかったつもりになることと、現実において本当はどちらが大事なことかと問われたら、今の俺は答に迷う


@hiroco2003 言ってることがよく判らない。自分の解釈を伝えられるということは、最初から説明する(される)必要のないことなのではないだろうか


こういうことを考えるのは通常の言語哲学の前提を踏み破ってしまうことかもしれない。「雪は白い」というのは真だが、そんなこと別に言わなくたっていいじゃないかと思ったら、言語はそもそもウソをつくためにあるのではないかと考えたくなってくる


解説文書きの仕事の基本は1にも2にもウソを書かないことではあるのだが、あの仕事はそもそも言語の本質に反する仕事だったのではないか


実際、そうして書かれた解説文の大部分は実際にはまったく読まれることはない。マニュアルなんて読まないよ、ときどき本は買うけど、いつまでも積読のままだよとニコニコしながら語る人にたくさん会ってきた


そのせいかどうか知らないが、ある時期以来ハード/ソフトのメーカーの多くはマニュアルやヘルプの作成に明らかに不熱心になった。部分的にはそれは「マニュアルなしでも使える」ように製品の方を最初からそう設計するようになったことの反映で、その点では結構なことなのだが


「マニュアルなしで使える」という設計方針には重大な落とし穴があるわけだ。それは容易に「マニュアルなしで使える範囲でしか使わせない」ということと結びついてしまう。悪意でそうする設計者がいるわけではなく、局所的には区別がつきにくいということだ


もっとわかりやすく言えば、説明が必要なのは相手が人間だからだ。機械に対して(少なくとも普通に人間に対して行うような)説明はいらない。それはただプログラムされるだけのものである


製品からマニュアルを追放するにはどうすればいいかの解は、だからふたつあって、ひとつは本当の意味で製品自体をわかりやすく構成すること、もうひとつはユーザを機械としてプログラムしてしまうことだ。ところで、このふたつは本当に本質から違うことなのか?


俺は一応「それは確かに違う」と思ってはいるのだが、その明確な区別を具体的にはどこでつければいいのかということになると、よく判っているとは今でも言えない


@hiroco2003 最初の呟きを読み直してみた。関心のありどころが互いに違っているような気がする。俺の方はどうしても説明することそれ自体に関心があるわけだ。解説文書きというのは相手の反応ということを想定するわけにいかない仕事だからな


「対話型」の状況を作り出すことで話が通じやすくなるというのは、経験的には確かにあることのように思える。だから機械操作についてもそうした形を作ろうとすることは、たくさん行われてきていて、いくらかは実質的な成果は上がっているように思える。ゼロでないことは確かだ


決してゼロではないのだが、そうは言っても「対話型」とか、英語ならinteractiveというところか、そうすることの利点がしつこく強調されてきたほどには大きくないように思える、ということを俺は気にしている


あくまで人間-機械インタフェイスの話としてだが、「対話型」を強調する人の言うことを聞いてると「『話しあい』が大切です」と言ってるだけのように聞こえてしかたがない瞬間がしょっちゅうあるわけだ。そうすると俺なんかは「それはいったいどこの学級会の茶番だ」と言いたくなってくるわけだ


実際にはめったに口にはしない(工学研究の場でそういう次元の議論を持ち出すことは、何かあまりにも相応しくないように思われることだ)のだが、研究室のゼミではときどき口にしたものだ


確かに工学には根本的になじまない議論ではあるのだが、それをどこかでは言わないと、人間-機械インタフェイスの工学ということ自体が学級会の茶番になってしまいそうな気がする。そうした研究をやってる連中がたいていもと優等生なんだからなおさらだ



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5月25日(土)のつぶやき その5

2013年05月26日 | miscellaneous

辞書を引くのはよい習慣だ(現場には辞書すら引かない奴がいくらでもいる)が、自分の知らない専門用語を無理して英訳されるとかえってコマル。そういうのは正直にローマ字でつけてくれた方がまだ助かる


自分も含めて日本人の英語能力がいかに惨憺たるものであるかは、プログラマの世界にいると一番よくわかる。変数名やコメントの英語がどれだけ間違ってても計算機にとっては何の支障もないもんだから、どいつもこいつも遠慮なく間違い放題だ



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5月25日(土)のつぶやき その4

2013年05月26日 | miscellaneous

まあガンと違って、たとえば俺の身近ではAIDSを発症した人とか、亡くなった人とかはいないわけだが・・・


"# include <stdio.h> /* おまじない */"…なにこれ?まさか意味理解してないわけじゃないよね?

celsius220さんがリツイート | 18 RT

初心者にC言語を教えるとき、いの一番にそう言って教えない人を俺は知らない


もっとも、その冒頭の一行にわざわざ「おまじない」とコメントを書く人は、いま初めて見たww この兄の人はすごく律儀な人のようだ


そう言えば最後にstdio.hのナカミを見たのは何年前のことだったろう・・・VCなら右クリックから簡単に開けるのでいつでも見られるけど


limits.hとかmath.hとか、あとsys/types.hとかは内容をよく忘れるのでたまに見るのだが、stdio.hはさすがにほとんど見ないな


思えばincludeという英単語を覚えたのはここからだったような気がするが、そうすると俺は高校生の間はずっとincludeという単語は覚えてなかったということになるなw


おんなじようなことでinstallという単語を覚えたのも市販のアプリケーションがたいがいMS-DOSアプリケーションになってからだった。フライト・シミュレータで遊んでいたのでstallという単語は覚えていたのになw


installという単語を覚えたとたん流行ったのがdire straitsのmoney for  nothingで、「we've got to install microwave ovens」というのを一発で聴き取れたときは感動したw


ヘレン・ケラーの人が「water」という単語を発した時の感動というのはこれだったのだろうなと思った。英語がアタマに直接響いてきたのは、しかし、あの時くらいだったかもしれない


・・・いや、もうひとつあったな。SWのエピソード6でハン・ソロがランドから「Good luck!」と言われて「You're gonna need it」って返したときは素で笑えた


「good luck」には「I'm gonna need it」と返すのが決まりで、それがあそこでYouに化けているのは、ソロがああいう不遜な性格の上に、ランドはもともとギャンブラで、つまらぬことでも縁起をかつぎたがるという背景設定があるからだ


映画の方ではそれらしい描写はほとんどないのだが、ノベライズの方にはランドの縁起かつぎの描写がしょっちゅう出てくる。デス・スターに突撃する直前にもコクピットの端の方を2,3度ぽんぽん叩いて「これでよし」なんて


今ググっていて初めて知ったが、こんなのがあるんだな ── #StarWars E-Card | Good Luck. You're Gonna Need It starwars.com/play/ecards/oc…


最近sky.fmに「80's dance」というチャンネルが増えたのだが、勝手リミックスみたいな時間帯があって、かけっ放しにしてるとほんとに80年代が戻ってきたような気分にならないでもない sky.fm/play/80sdance


・・・にしても、ストックホルムのよく判らん暴動は、日本のマスメディアはほとんど報道しないな。いくらほとんどの日本人にとってはどうでもいい事件だからって、NHKなんかWebでは完全無視だ。ほかにたいしたニュースもないのに徹底し過ぎな気がしなくもない。何かトラウマでもあるんだろうか?


よく判らないなりに調べていると、まあ、北欧で暴動なんかが起こるというとやはり移民社会絡みであるらしい。こういうのは無関係なわが国が触っちゃいかんという不文律でもあるのかもしれぬ


そんな不文律は、しかし、ついこないだまではなかったよな?


どうせうちにはテレスクリーンはないし、NHKのお家事情にそんなに強い関心があるわけでもないのだが、何かは起きているのかもしれない。実は報道の連中がたいがい株と外為に手出してて、ここ数日で軒並み大損こいたとか、そんなことかもしれないわけだがな(笑)


友永詔三『NHK連続人形劇 プリンプリン物語 メモリアル・ガイドブック』(河出書房新社) kawade.co.jp/np/isbn/978430… へえ、こんなものが


この本のことはさっき小谷野敦のTLを眺めていて知ったのだが、小谷野氏が貼っているリンクが某ネット書店のものだったので、それを避けて版元のページのリンクにした


唐突だが、今朝何となく思いついて、書こうか書くまいか迷っていたが、結局不謹慎すぎて全部は書けない狂歌の下の句だけ ── ベノワのごとく死にて見せなむ


もちろん啄木の「伊藤のごとく」のパロディなのだが、我ながら不謹慎なのと、さっき調べたらベノワの死因が実は慢性的な外傷性脳損傷ではなかったかという説があるのを初めて知って、上の句はやめることにした ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF…


クリス・ベノワは日本の団体にも在籍してペガサス・キッドのリングネームで親しまれていた。その後移籍したWWF/WWEでは数少ない、本物のレスリングをやって人気を博した実力派だった。その死は悲劇的としか言いようがないものだったが、わたしにとっては今も尊敬するプロレスラーだ


お兄ちゃん、関数や変数の名前をローマ字でつけるのやめようよ。辞書引こうよ…

celsius220さんがリツイート | 9 RT


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5月25日(土)のつぶやき その3

2013年05月26日 | miscellaneous

年に一度のこととは言え面倒くさい


お兄ちゃん、コードの速さにこだわるのはいいけどそれ誰がメンテするの?

celsius220さんがリツイート | 1 RT

そら俺がメンテするのに決まってるさ。俺が急死したら国家体制もちょっと危うくなるところがあるぜ、なんてなw


まあ俺が書いたところはそのあと十倍以上の費用をかけてリプレースしているだろうから、実際はそんなことにはなるまいがな。Count your loss when I'm gone!


サイバー攻撃で文書流出 農水省、次官ら8人処分(MSN産経) sankei.jp.msn.com/affairs/news/1… そう言や、今朝方このニュースをファミレスの新聞(読売)で読んだが、笑ったな。べつにゲス顔でもなくてな。いやあ暢気なもんじゃないかってさ


読売の記事だと一応民間のセキュリティ業者が入ってて、実際何度も警告を出していたのに、一向にナシのつぶてで無視された、なんて書いてあったな


情報セキュリティの重要性を無視するつもりは毛頭ないけど、だいたいどんなことが起きていたのか察しはつくぜ。情報セキュリティなんて言って、最後は結局エンドユーザを脅して回るだけなんだからな。民間企業でそれなんだから、役所でやったら偉いさんが心底で反抗しばじめるに決まってるのさ


なんでか知らないけど、むかし「ハイテク」と呼んでいたものが「IT」につけかわるようになって以来、万事がこの調子だ。パソコン屋が苦心して発見したり掘り起こしたりしてきた「エンドユーザ」の概念をまるで最初からなかったもののように扱うようになった、それが全部さ


つべこべ言ってもパソコンがなくなるなんてことはないだろうと、以前は思っていたのだが、だんだんそれも怪しくなってきたな。そのうち、バカ高い料金払って電電公社のホストコンピュータにお伺いを立てなきゃ、つまんない計算ひとつできない世の中が再びやってくることだろうぜ


たまたま昨日その、昔の電電公社のプッシュホン計算サービスのことを調べていたわけだ。懐かしさ半分でな。そしたらあれが「クラウドコンピューティングのはしり」だなんて言ってるバカがいたりするわけだ。バカというか、言われてみりゃそうも言えないことはない。まったく悪い冗談だと思ったな


だいぶ前に分散システムのエンジニアと話をしていてつくづく思ったことがあるわけだ。こいつらのアタマの中といったら「ホストコンピュータと端末」の時代のまんまじゃねえのかって。あんまりじゃねえかと思ったからつい口に出してそう言ったらキョトンとしていたよ


ある意味じゃむかし、母校の「オペレーティング・システム論」の講義で講師が言ってたことが逆の意味で予言成就しつつあると思うわけだ。その講師が言うには、計算機構成の時代変化は機械と人間のコスト比率の変化に沿ったものだと


機械の方がずっと高価だった時代は大型計算機のホストコンピュータと、あとは脳なしの端末がぞろぞろ、という構成が最も効率が良かった、それが人件費の方が上がってくるにしたがい、PCとその網状組織(ネットワーク)に置き換わっていったのだと


嫌なこと言う野郎だなとは思った(笑)その見方をすればその見方なりに計算機の歴史におけるPCの出現と席巻を必然的なものとして眺めることはできるわけだ。嫌な話だというのは、その図式の上ではどっちみちユーザの人間は「コスト」としてしか登場しないししようがないということだ


その後味の悪い講義から十数年経ってみると、人間のコストは再び限りなくゼロに近いところまで下がりつつあるので、それが「クラウドコンピューティング」と看板だけつけかえたホストコンピュータと脳なし端末の世界の再到来に帰結したというわけだ


これぞ計算機科学の勝利だなんて言ってどや顔をする側に、俺はつきたくないけど、してる奴はたくさんいるんだろうぜ


中学生の俺だったら「せっかく1984の悪夢が遠ざかったと思ったら、思いがけない方向からまた舞い戻ってきやがった」と思って反抗心をつのらせたところだと思うが、さすがにこのトシになって同じことは思わない


誰かさんがしつこく言ってる通りのことで、グローバリズムに反発する心情は心情として当然かつ正当な心情だというべきだが、こうした反動的趨勢が心情的反発で打ち破られるということは絶対にありえない、あったとすれば相対立するものどうしの共倒れに終わるだけだということだ


あとは、俺は、これはこれでやはり、どや顔して言いたくないというだけだ


Duran Duran - White Lines (1995): youtu.be/VmIN9ulmy-E こういう、太ってない時期のサイモン・ル・ボンのカッコ良さは異常


@hiroco2003 シチューなんてカレーの2Pカラーじゃんよ、とハヤシが言ってました


@hiroco2003 基底状態だろうと励起状態だろうと電子は電子ではないか、と言ってみる


@hiroco2003 いや、そこまで言うつもりはなくて、励起状態の電子が基底状態に対して抱く寂しさとは何だろうと想像した(が、わからなかったw)


@hiroco2003 そう思った瞬間から基底状態の方は「どこへ行こうとロバが馬になって帰ってくるわけではない」という嘆きを持つだろう、と


エイズ患者と感染者 2万人超(NHKニュース) nhk.jp/N47e6E1D 「エイズは早い段階で治療を受ければ発症を抑えることができるので、検査を受けてほしい」 ── なんかAIDSもガンとおんなじような扱いになってきたような気がするのは俺だけか



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5月25日(土)のつぶやき その2

2013年05月26日 | miscellaneous

それは裏を返せば、計算機プログラミングに携わるということは、いついかなる場合でも、この世のあらゆる現実とかかわっているということにほかならない。こんな仕事は他にはないと言うべきだ


たとえばクルマのことを考えてみれば、クルマはもちろん機械であるし、それと同時に現実の道具でもあるわけだが、機械としてのクルマはどうひねっても機械一般のモデルにはならない。それは裏を返せば、クルマのかかわる現実も自然な限界をもつということを意味している


つまりどうひねってもクルマとは無関係な現実というものが確かに存在すると思える。それは一方で制約でもあるが、クルマのエンジニアにとってみれば、考慮しなければならない現実の範囲は最初から限定されている(ずいぶん大きな限定ではあるが)ので話が明確になりやすいという利点もある


計算機屋の仕事はそんな風にはならないし、たぶんなってもいけないのである


もうひとつ対比的な例を挙げると、その基礎原理のうちにすべての機械を含むと言ったら、そもそも物理学が一番詳しくてはっきりしているわけである。機械ということを一番正確に理解したいと思ったら物理をやるに限るわけである


けれども物理学というのはここでいう意味での「現実的な視点」を最初から放棄している。だから機械の方は無限に詳しく理解できる一方で、そもそもその教科書には「人間」の項目すらないということになってしまう。人間のかかわらない現実という概念は成り立たない。だから物理にそれは存在しない


計算機の方はどうかと言ったら、「人間」がいなかったら計算機というのは意味がないわけである。純粋な機械としての計算機はあっちをゼロにしたりこっちをイチにしたりするだけのもので、それ自体として何の意味も持っていない。意味を与えているのはそれを使う人間様であって、それ以外ではありえない


で、こうしたことは、現実の計算機を構成するすべてに大なり小なり及んでいる。たとえば「オペレーティング・システムとは何か」ということを理解するのだって、機械的な視点と現実的な視点をふたつながら行使して、そのふたつとも(後者は「可能な限り」)満たすように理解しなければならない


どんな場合にもそこにあるのは機械の動作だけだし、プログラムとして書くなら機械の動作として記述しなければならないが、その意味内容を根拠づけているのは常に世界の全現実であって他の何かではないという風に、計算機を扱うということは常にそうしたことになるのである


つまり計算機屋は、最小限のことで言っても、この世界について、それがない場合にはちょっと思いつきもしないような捻った(念のため言えば「捻くれた」ではない)見方を強いられているんだ!(集中線)でもあるし、そこから現実についての違った見方を産出できるユニークな立場でもある


だいたいそんなところが、実際たいして儲かりもしないのに(笑)計算機屋をやるということの、かろうじてできそうな意味づけであり、誘いでありということになるような気がする


儲かる儲からないのことで言ったら、いますでに儲からないし、これからもっと儲からなくなる(ハッテン途上国や最貧国の給料しか払われなくなる)可能性が高いわけで、どうかするとそう遠くない未来に、職業的な計算機屋はわが国からはいなくなるかもしれない


そんな絶望しかない仕事にワカモノを引きずり込みたい願望をわたしは持っていない。嫌になったらさっさと見切りをつけて、仕事としてはやめてしまうくらいであってもらいたいと思うし、何だったら最初からやらない(笑)に越したことはない


だったらお前は何しにやっているのだと問われたら、だいたいここで書いたような魅力が計算機にはあって、その魅力は(仕事でさえなければ!)結構まだまだ尽きないと感じているからである、少なくとも現状ではそうだと答えることになると思う


ちなみに、「多様性」は英語で"diversity"といいます。よく英文に出てくるんで高校生は覚えておくように。

celsius220さんがリツイート | 8 RT

こんな単語はガメ暗記しないでE.O.ウィルソン「生命の多様性」(原題The Diversity of Life)を読もう。文庫になっとるし、エコ嫌いの俺でさえ認める数少ない「エコロジー」の名著のひとつだ


訳書が出たとき母校の図書館に「さっさと入れんかいボケェ」と依頼して入れさせたアカウントがこちらになります(笑)


ていうか、当時すでに世の中には「多様性厨」がうざいほどたくさん出現しつつあったのに、そもそも多様性の語を世界に広めた震源地みたいな本の訳書が、なぜかあんまり話題にもならないということに、当時のわたしは苛立ったのである


ウィルソンという人は割と何やっても物議をかもしてしまう人で、そもそもその名を知らしめたのがあの「社会生物学」(Sociobiology)だったわけである。たぶんその悪評が尾を引いていたのである


確かに英語文献ではdiversityという語はidentityとかunconsciousとかと同じくらい、いやそれ以上にどんな分野でも頻出する語彙になっているが、もともとの文脈を逸脱して使われることにおいてこれらと同じくらいひどい(笑)という語である


そういう意味でもDOLを(もちろん訳書で十分だ)読んでおくと、オーベー人というけどこいつらも(ほんとの専門家でなければ)相当いい加減だし、すぐ底が割れるようなインチキなことばっか言ってるぜ、というのがよくわかるのである(笑)


田舎の優等生はハイカルチャーコンプレックス強いからな―。

celsius220さんがリツイート | 1 RT

お前さん他人のことが言えるのかよ、とツッコミを入れてみたくならないでもない


田舎の優等生がせいぜい東京の大学に入って、そのうち田舎に帰ってきては、地方文化人面して劣等感複合を再生産するという図式はみっともないものだが、我と彼の何が違うんだといったら、本当はさっさと東京から帰ってきたか、しつこく粘って帰らなかったかの違いくらいしかないかもしれない


エアコンのフィルタ掃除完了、じゃすとなう



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