6-1 権利義務力(承前)
動作主を合理的に拘束するために、制度的事実の中に含まれる欲望によらない行為理由は、明示的にであれ暗黙的にであれ、その動作主によって創出されなければならない。そうした理由は動作主が、たとえば売買・結婚・約束することによって明白に彼または彼女自身をある行為の道筋へと束縛する(commit to)ときには明示的に創出される。動作主が自分自身を家族の一員であるとか、ある国の市民であるとか、よき友であるとかいった、何らかの状況の拘束力を認識するときには暗黙に創出される。この主張を完全な形に仕上げることは、この本の扱う範囲を超えた複雑な仕事になるだろう。しかし基本的な直観は単純に言うことができる。特定の動作主にとって欲望によらない行為理由の存在を主張する任意の言明を取り上げ、こう問うてみる。「その言明によって報告される事実の何がその動作主に対する正当な主張を構成するのか?」と。たとえばオーストラリアにいる人々の集団が一緒になってわたしが彼らに1000ドル支払う責務のもとにあると決定したとする。
「XはCにおいてYと見なされる、確かに」そして彼らはいう「我々はあなたをこの文脈において我々にお金の借りがある人だと見なす」と。わたしが事実そのような責務を引き受けたか、あるいは他に彼らがわたしに対する正当な主張を持つという何らかの理由を持たない限り、彼らの主張にはいかなる力も主張された責務も存在しない。この場合を次のような場合と対照させてみよう。わたしは実際に明示的に約束することによって、あるいはわたしがわたし自身を見出す状況における暗黙の責務を認識することによって、たとえば自分の家族の一員としてそのような理由を創出した、というような場合である。多くの人々は単純に無反省に、彼ら自身を見出す社会的状況に沿って生きている。しかしこのことは不信感(inauthenticity)や不実(bad faith)の形にはなりえない。なぜなら彼らは、彼らを合理的に拘束し、その問いについて考えなかったら創出することはなかったであろう欲望によらない理由を創出しているからである。
動作主を合理的に拘束するために、制度的事実の中に含まれる欲望によらない行為理由は、明示的にであれ暗黙的にであれ、その動作主によって創出されなければならない。そうした理由は動作主が、たとえば売買・結婚・約束することによって明白に彼または彼女自身をある行為の道筋へと束縛する(commit to)ときには明示的に創出される。動作主が自分自身を家族の一員であるとか、ある国の市民であるとか、よき友であるとかいった、何らかの状況の拘束力を認識するときには暗黙に創出される。この主張を完全な形に仕上げることは、この本の扱う範囲を超えた複雑な仕事になるだろう。しかし基本的な直観は単純に言うことができる。特定の動作主にとって欲望によらない行為理由の存在を主張する任意の言明を取り上げ、こう問うてみる。「その言明によって報告される事実の何がその動作主に対する正当な主張を構成するのか?」と。たとえばオーストラリアにいる人々の集団が一緒になってわたしが彼らに1000ドル支払う責務のもとにあると決定したとする。
※ | きっとこの箇所はオーストラリアで行った講演あるいは講義がもとになっているのだろうが、なんというか唐突である。それともまさか、オーストラリアには哲学的に強化された(もっとも、この場合は「され損なった」と言うべきだろうが)カツアゲ集団がいるのだろうか? |
「XはCにおいてYと見なされる、確かに」そして彼らはいう「我々はあなたをこの文脈において我々にお金の借りがある人だと見なす」と。わたしが事実そのような責務を引き受けたか、あるいは他に彼らがわたしに対する正当な主張を持つという何らかの理由を持たない限り、彼らの主張にはいかなる力も主張された責務も存在しない。この場合を次のような場合と対照させてみよう。わたしは実際に明示的に約束することによって、あるいはわたしがわたし自身を見出す状況における暗黙の責務を認識することによって、たとえば自分の家族の一員としてそのような理由を創出した、というような場合である。多くの人々は単純に無反省に、彼ら自身を見出す社会的状況に沿って生きている。しかしこのことは不信感(inauthenticity)や不実(bad faith)の形にはなりえない。なぜなら彼らは、彼らを合理的に拘束し、その問いについて考えなかったら創出することはなかったであろう欲望によらない理由を創出しているからである。