「実はワイロは悪くないのだ」という話をしたいわけではない。単に題名通りの意味で、わたしは長いことよく判らないでいるわけである。
たとえばそのワイロ(贈収賄の行為)を原因として、本来誰も死ぬはずがなかったものが誰かが死んだということになったりすれば、それはまず間違いなく悪いわけである。そうした帰結を意図しなくても(意図する人は稀であろう)容易に想像できる状況であったにもかかわらず、またそうしないことを妨げる外的な要因は特に何もなかったにもかかわらず、それを避けなかったとすれば、それを悪でないということは困難であろう。貧困国でのワイロは実際にしばしばそうしたものであると言われている、であれば、そういうのを悪だと呼ぶことはわたしもためらうつもりがない。
しかしここで考えたいのはもっと一般的な場合である。というかワイロそれ自体は本当に悪なのか、悪なのだとして、それはどういう理由によるものなのかということである。
つまり上のような場合は人を殺傷することが悪なので、ワイロがその原因になったというのはたまたまのことである。明らかに、すべてのワイロが人を殺傷するわけではない。つまりワイロそれ自体が悪であるかどうかとは関係のないことである。けれども普通ワイロを罪悪視することは、ワイロそれ自体が悪だという観念に基づいて言われたり行われたりしていることであると思う。それは何を根拠としているのか、それとも、これといって根拠のない妄想的な観念なのか。
なんでこんなことをわざわざ考えているのかというと、もちろん、ワイロだけを問題視しているのではなく、我々の社会は大部分が本質的にはワイロと大差のない、不埒な悪行三昧の結果として成り立っているからである。そうでない行いは(少なくとも本来は)見せかけのための飾りにすぎないと言った方が近いはずである。単にその典型としてワイロを取ってきただけである。
その「不埒な悪行三昧」は、たとえそれが悪ではなかったとしても「暗い」行為だったり「醜い」行為だったりはするだろうし、暗さや醜さの気配はたいてい人の気分を損なうものであるから、それを取り繕ったり隠蔽したりするための飾りの要素は必要であるし実際に必要とされているし、それがあることによって社会にもたらされる活気もニセモノではない。誰もがまったく誠実に働いたとしても、街に飾り気がなく暗ければ、JKの集団がナマ足をさらけ出して通りを闊歩しているくらいでなくては、商店の売り上げも伸びなかったりするものである。とはいえ、飾りは飾りである。
たとえばそのワイロ(贈収賄の行為)を原因として、本来誰も死ぬはずがなかったものが誰かが死んだということになったりすれば、それはまず間違いなく悪いわけである。そうした帰結を意図しなくても(意図する人は稀であろう)容易に想像できる状況であったにもかかわらず、またそうしないことを妨げる外的な要因は特に何もなかったにもかかわらず、それを避けなかったとすれば、それを悪でないということは困難であろう。貧困国でのワイロは実際にしばしばそうしたものであると言われている、であれば、そういうのを悪だと呼ぶことはわたしもためらうつもりがない。
しかしここで考えたいのはもっと一般的な場合である。というかワイロそれ自体は本当に悪なのか、悪なのだとして、それはどういう理由によるものなのかということである。
つまり上のような場合は人を殺傷することが悪なので、ワイロがその原因になったというのはたまたまのことである。明らかに、すべてのワイロが人を殺傷するわけではない。つまりワイロそれ自体が悪であるかどうかとは関係のないことである。けれども普通ワイロを罪悪視することは、ワイロそれ自体が悪だという観念に基づいて言われたり行われたりしていることであると思う。それは何を根拠としているのか、それとも、これといって根拠のない妄想的な観念なのか。
なんでこんなことをわざわざ考えているのかというと、もちろん、ワイロだけを問題視しているのではなく、我々の社会は大部分が本質的にはワイロと大差のない、不埒な悪行三昧の結果として成り立っているからである。そうでない行いは(少なくとも本来は)見せかけのための飾りにすぎないと言った方が近いはずである。単にその典型としてワイロを取ってきただけである。
その「不埒な悪行三昧」は、たとえそれが悪ではなかったとしても「暗い」行為だったり「醜い」行為だったりはするだろうし、暗さや醜さの気配はたいてい人の気分を損なうものであるから、それを取り繕ったり隠蔽したりするための飾りの要素は必要であるし実際に必要とされているし、それがあることによって社会にもたらされる活気もニセモノではない。誰もがまったく誠実に働いたとしても、街に飾り気がなく暗ければ、JKの集団がナマ足をさらけ出して通りを闊歩しているくらいでなくては、商店の売り上げも伸びなかったりするものである。とはいえ、飾りは飾りである。