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惰天使ロック

原理的にはまったく自在な素人哲学

経済統計のはなし(1) ─エネルギー消費と実質GDP(1)─

2011年10月01日 | 机上の空社会学

上のグラフは資源エネルギー庁のサイトにある2007年までのデータと、あとはいろんなところから探してきたそれ以後のデータをくっつけたものである。

実は最初は最終エネルギー消費量のはなしを書こうとしていたわけだが、上のグラフを見てたいていの人が最初に驚くのは実質GDPの推移の方ではないかと思う。まるで「失われた20年」などなかったかのごとく順調に、おおよそ線形に単調増加しているわけである。どうしてこうなるのかというと、最近の日本経済は年1%ペースでデフレを起こしている一方で、名目GDPはほぼ横ばいである、結果上のように実質GDPは増えているわけである。また過去の高度成長期はインフレだったわけで、名目の伸びほどに実質は伸びていない、ということで結局、この半世紀近くの間、わが国の実質GDPはほぼ線形に単調増加してきたのである。

そして一方のエネルギー消費、特に民生部門の数字がこの実質GDPの推移にほぼ沿っているわけである。こちらの単位はEJ(エクサ・ジュール)で、つまり熱量換算のそのままだから、インフレもデフレもない、実際の数字のそのままなのである。

言わないと気づかないかもしれないから言うと、実質GDPや民生部門のエネルギー消費量が「線形に単調増加」しているというのは、いったい何を意味しているのか、直観的にはよくわからないわけである。GDPについてはしょっちゅう報道されているように、その増減は経済成長「率」で表示されるわけである。つまり経済規模の時間発展というのは普通は乗算的に眺められるものなのである。方程式で書けばdx/dt=cxで、これを(右辺がxの1次式つまり線形の式なので)線形方程式とか線形モデルというのである。実質GDP他の指標はそうなっていない、まるで時計が時間を刻むように増えているわけである。

それって何だと考えて、わたしがふと思ったのは「365歩のマーチ」である。1日1歩3日で3歩、3歩進んでリーマンショック(笑)、である。いや笑いごとではない。特に民生部門のエネルギー消費がそうだというのは、この指標こそは、この半世紀の間わが日本社会の人々がこぞって「汗かきべそかき」ながら歩んできたところを最もよく表示しているのではなかろうか。なんとなくそんな気がすることである。

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自殺統計のはなし(3)

2011年03月03日 | 机上の空社会学
今回は統計の数字の話ではなく、わが国の自殺統計に関する研究・考察についての話である。謎の1958年について言及している文書をふたつ見つけた。


女性については、昭和28~34 年に男性同様急激に増加したが、それ以降は傾向的に低下し変動幅も小幅である。昭和28~34年の急増期には特に復員兵で自殺が多かったと言われ、青年期に受けた戦時体験が最も強く当時の青年層に現れたとされている。

自殺の経済社会的要因に関する調査研究報告書

この資料だと1950年代の自殺率の高さは復員兵のせいにされているが、数字で裏付けられているわけではない。第一、直前の文で、また資料中のグラフで、この間に女性の自殺率も男性同様の増減を示していたことが示されている。復員兵云々はこの時代の女性には関係がないはずである。戦時体験の影響も「・・・とされている」とあるだけで、何を参照してそう言っているのかはわからない。数字はともかく原因分析としては根拠に乏しいものだと言わざるを得ない。

日本の場合、興味深いのは戦争中最低レベルであった自殺率が、戦後じりじりと増加し、戦争が終わって13年後の1958年に25.7という近代史上最高値を記録することである。
なぜ、1958年が日本人の「生きる意欲」がもっとも低くなったのか、私には説明に窮するのである。というのは、1958年というのは、個人的記憶をたどる限り(その年私は8歳だった)、「戦後日本の黄金時代」だったからである。戦争の破壊のあとは癒され、経済はめざましく復興し、庶民の生活は年ごとに豊かになり、映画も文学も音楽も活況を呈していた。にもかかわらず、その年に日本人は史上最高の自殺率を示したのである。

内田樹の研究室 - Twitter と自殺について(2010年02月13日)

このblogでは内田樹の悪口ばかり書いているような気がするが、この資料については別儀ということにさせていただこう。上記は謎の1958年について言及している、Web上で誰でも参照できる数少ない証言のひとつである。

引用の前に内田氏は「日本に限って言えば、自殺率は社会が変動期に入ると低下し、安定期・停滞期を迎えると上昇するという全般的傾向が指摘できる」と書いている。一歩踏み込んだことを言っていて興味深い。ただしそれほど信憑性のある話ではない。戦争中に自殺率が低下することは確かだし、その理由が「人間たちはその生命力を高めてなんとか生き延びようとする」からだという説明も、とりあえず了解できないものではない。しかし1950年代や1980年代半ばという時期が社会の「安定期・停滞期」であったとは、少なくとも後者についてはわたしは体験的にも肯定する気になれない。とはいえ、上記引用中でも「私には説明に窮する」と断っていることだから、これ以上文句を言うのはよそう。

とにかくWeb上で普通に参照できるものに関して言えば、1950年代半ばをピークとする若年層の自殺率の急増について十分納得できる説明を与えている資料は、現時点では見つからないということである。

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自殺統計のはなし(2)

2011年01月18日 | 机上の空社会学
今回新たなデータを入手したので、以前の「はなし」に追補してみることにする。

まずは、前回の「自殺統計のはなし」で紹介した失業者数と自殺者数の月次推移グラフの追加分。

(画像とリンクは「社会実情データ図録」様)
 ※加工済

2009年年初以来の失業者数の急増が、その間の自殺者数との間にはっきりとした関係を持っていないことが、以前よりもはっきりと読みとれる。ただし2009年末から2010年初にかけて、両者は一致して一時的に低下している。はっきりしたことは判らないが、これはやはり政権交代の影響であったのかもしれない。

さて、今回新たに入手したのは年齢別自殺統計のより詳しいデータである。入手元は以下のblogからである。

  資料屋のブログ - 暇だから年齢別の自殺者数の長期推移をまとめてみた

自分のことを考えてみてもそうだが、人間はヒマを感じると哲学を始めたり自殺統計を調べてみたくなったりするものらしい(笑)。とまれ、有難いことに上記blogではExcelワークシートの形でデータを提供してくれている。以下のグラフは、そのデータをもとにわたしが作成したExcelのグラフである。なお、以下のグラフで「自殺率」とは「10万人あたり自殺者数」のことである。


年齢別自殺統計1 - 1940-2009年の年齢別自殺率

敗戦以後、誰が見てもはっきりわかる大きな山が3つあることがわかる。ひとつは大雑把に1950~1960年、次に1983~1988年、最後に1998年以来のもので、これは現在も絶賛継続中の山である。それどころか、峠を越したと言えるかどうかもわからない。

もうひとつ、全体的に顕著な傾向として、高齢者の自殺率はおおよそ一貫して減少していること、またそれによって未成年者を除く各世代の自殺率が次第に同程度の値に収斂しつつあるということである。このことは少子高齢化による人口構成の変化とも関係があるかもしれない。また、生きることに対する意識、日常生活の意識が年齢に依存しなくなっていることの現れであるかもしれない。

次にグラフの横軸を拡大して、この15年の変化だけを見てみる。

年齢別自殺統計2 - 1995-2009年の年齢別自殺率

収斂する傾向がはっきり出ている。月別の自殺者数の推移を見る限りでは、1997年に急増して以来、それほど大きな変化は見られないのだが、世代別に分けてみると、時期によってある世代が増加し、一方で別の世代が減少するといった形で相殺されていることがわかる。現役世代は少しずつ増加していて、その分が高齢者世代の減少で相殺されている格好である。

もうひとつ、「謎の1950年代」にスポットをあててみる。

年齢別自殺統計3 - 1945-1965年の年齢別自殺率

・・・これだとわかりにくいので、若年世代とそれ以上の世代でグラフを別にしてみる。


年齢別自殺統計4 - 1945-1965年の年齢別自殺率(15~39歳)


年齢別自殺統計5 - 1945-1965年の年齢別自殺率(40歳以上)

はっきりとした違いがあることがわかる。ただし前回の「はなし」では、中年以降の世代の自殺率は特需景気以来低下したと書いたが、今回のデータを見ると、確かに朝鮮戦争開始以後に中高年世代の自殺率はいったん劇的に低下するが、その後再び微増・漸増に転じ、1958年をピークとして、以後全世代の自殺率が低下に向かっている。

つまりこの間の自殺率推移にはふたつの異なる要因が存在していると思われる。ひとつは1958年をピークとする要因で、世代によって値の大きな差はあるが、1958年をピークとすることでは各世代が一致する要因である。もうひとつは若年世代の自殺率のみを急増させた要因で、これは1955年頃をピークにしている。その影響が消えないうちに1958年ピークの要因が重なって、全体に大きなひとつの山であるように見える、が、おそらくは質の異なるふたつの要因が関与していると思う。これ以上のことは自殺統計以外の資料などと照らし合わせてみなければ意味のあることは言えないだろう。

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このカテゴリ(机上の空社会学)について

2010年03月28日 | 机上の空社会学
おおよその動機は数時間前に書いた記事の通りである。つまり、気まぐれである。今日書いた「自殺統計のはなし」を独立したカテゴリにしておくために、とりあえず作ってみた。

「机上の空社会学」というのはもちろん「社会についての机上の空論」という意味である。書かれていることの真偽にかかわらず、あまり意味のない机上の空論だという自虐も含んでいるが、実証(主義)的でないものは頭ッから全部机上の空論だと思われてしまう世の中で、べつに、そう思って貰って一向に構わないから実証主義者は帰れ、という面当ても含んでいる。

あるいは、いまの日本の社会は、その中で個々人が生きて行く社会の存在意義としては空あるいは虚に近いものだという意味で、「空(虚)社会学」とでも呼ぶべきものを、しかも机上の空論としてやったもの、くらいの意味に取ってもらっても構わない。たまたま手始めに自殺統計を眺めてみたが、それを書いている間のわたしの眼差しは株価や為替相場の統計データを眺めている時とほとんど違わないものだったと言えば、わたしにこの社会の「実体」に触れようという気持ちなどは、もはや全然ないのだということはお判りいただけよう。

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自殺統計のはなし

2010年03月28日 | 机上の空社会学
昨日の「土曜日の本」で、中井久夫の「隣の病い」を一番にオススメしなかった(オススメしないわけではない)理由のひとつは、たまたまこの本が「1986年から1996年まで」の中井の文章を集めた本だからであった。わかりやすく言えば「バブルと社会主義圏崩壊から阪神大震災まで」の時期に書かれた文章だということだ。

それはそれで、日本も世界も激動していたあの空前絶後の時期に、わが国屈指の精神科医のひとりが何を考え、何を書いたのかということに興味があれば、読むべきことがたくさん書かれているわけだが、なにしろ扱われている事象が歴史的に大きいので、それについて書く中井の視野も自然と大きく広くなっているところがあるわけである。いつもこんな調子なのだと思って読んだら勘違いしてしまう人もいるだろうと思ったのである。

もうひとつは、これもそのことに関連しているわけだが、そういう視野の広い話に限って言えば、本当を言ったらいま一番肝心なのは「1997年以後の日本」をどう見るのかだという思いが以前からわたしの中にはあって、それを伺える本でなかったのが少し残念だったのである。もちろん、そういうのを読みたければ中井の最近の著作を読めばいいわけだが。

それで「1997年以後の日本」とは何のことを言っているのかと言えばほかでもない、1998年はわが国で自殺者が急増した年である。以来ずっと横ばい傾向にあるのは、今や誰でも知っている通りである。一般的にはこれは1997年後半に大手銀行や証券会社の破綻が相次ぎ、年をまたいで1998年初頭から企業の大規模なリストラが横行するようになって失業者が急増したことに関連があると言われているし、この年に急増したこと自体は実際そのためだろうと思う。


(リンクと画像は「社会実情データ図録」様)

しかし、統計資料を眺めていると、その後の失業者数と自殺者数の推移は必ずしもよく連動しているとは言えないのである。わかりやすいところで言えば去年(2009)で、失業者数は1998年以来の急激な伸びを示しているにもかかわらず、自殺者数はそれを追って増えてはいない。「ほぼ横ばい」と言っていいのである。つまり1998年に起きたことは単なるリストラの嵐ではなく、わが国の社会の構造全体に生じた何らかの不可逆的な変化なのではないかということである。

ちなみに日本で人口あたりの自殺率が過去最高だったのは1958年である。自殺率の長期推移の統計資料を見ると、その年をピークに、1950年代の日本はちょうど現在と同じくらい自殺率の高い国であったことがわかる。同じ敗戦国のドイツと比較してもはるかに高い、ほとんど世界最悪の自殺国だったようである。


(リンクと画像は「社会実情データ図録」様)

1950年代後半の日本は不景気にあえいでいたのか。そんなわけはない。むしろ朝鮮戦争特需以来、戦後復興に弾みがついていた時期である。この時期の自殺率の高さは、当時の日本には現在あるような健康保険の制度がまだなかったことや、「戦後の価値観の大きな転換の中で」ワカモノの自殺率が急増したことが原因だと説明されている。実際、ワカモノの自殺率がこの時期に限って異常に高いのである。ただ、それが「戦後の価値観の大きな転換」のためであったかどうかは、この統計資料から直ちに読み取ることはできないようにも思える。そもそも全社会的な価値観の転換があったのなら、ワカモノだけではなく他の世代も大なり小なり同様の傾向を示していなければならないはずである。けれども統計の数値はそれを示していない。他の世代の自殺率は、特需景気以来むしろ急激に低下しているのである(※リンク先のサイトでは「価値観の大きな転換」ということの意味と、自殺率の増加した理由をそこに求める所以が、もう少し詳しく述べられている。わたしがここで言っていることは、その見方を否定するものではなく、別のことを考えている結果だと言っておく)。


(リンクと画像は「社会実情データ図録」様)

日本の自殺率の長期統計からは他にも興味深い動きが読みとれる。1998年ほどの大幅増ではないが、1985年をピークとして前後数年にわたるひとつの「山」が存在する。1985年はプラザ合意で急激に円高が進んだ年であるが、自殺率の上昇はそれ以前から起きている。景気そのものはむしろ1983年頃から基本的にはずっとよかったので、景気のせいで自殺率が上昇したわけではなかっただろう。

いずれにしても自殺率の長期統計を見る限り、自殺率の増減と景気動向あるいは社会動向の表面的な現われは、必ずしも明確には連動していない。何が言いたいかと言えば、ここには社会の無意識とでも呼ぶべきものの傾向が表れているのではないかということである。

以上の話で「統計資料」と呼んでいるのは専ら以下のサイトの資料である。
社会実情データ図録(リンクは同サイトのトップページ)

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