米国の銃犯罪は過去20年で急減、米国民の認識とギャップ(Reuters) jp.reuters.com/article/worldN… ”米司法省によると、2011年の銃による殺人は1万1101件、ピークだった1993年から39%減少した。死亡に至らなかった銃犯罪件数も69%減少したという”
ものすごい減少だ。もしこの減少が(多少とも)GTAのようなゲームのせいだとしたら(そんな統計は誰も取らないだろうが)、とか、そんなことをつい考えてみたくなる
米国の銃犯罪は過去20年で急減、米国民の認識とギャップ(Reuters) jp.reuters.com/article/worldN… ”米司法省によると、2011年の銃による殺人は1万1101件、ピークだった1993年から39%減少した。死亡に至らなかった銃犯罪件数も69%減少したという”
ものすごい減少だ。もしこの減少が(多少とも)GTAのようなゲームのせいだとしたら(そんな統計は誰も取らないだろうが)、とか、そんなことをつい考えてみたくなる
それだけだったら「経済のグローバル化が福祉を損ねる」のはおおよそ事実なので、俺なんかは別に何も言うことはないわけだ。つけ加えるべきことがあるとすれば「福祉を損ねる」ものはそれだけではなくて、たとえば内田樹が肩入れしている反(脱)原発テロなんかも十分福祉を損ねている
そんなのは電車に乗ってみれば誰だってわかるわけだ。震災から2年以上経つのに、いまだに東京の電車の車内照明は一部消されたままなわけだ。これが福祉の損壊でなければ何だ。反(脱)原発テロの徒党が無理強いした(壊れていない)原子力発電所の稼働停止と節電強迫がいまだに尾を引いているわけだ
ただ「それはそれとして」経済のグローバル化が引き起こしている社会の(国民国家の、ではない)解体を問題視すべきだというのなら、当否は別として主張する価値はあることだ。なんでそこで国民国家(それも高校の教科書レベルで間違っている)を持ち出さなくてはならないのだろう?
【朗報】Microsoft、Windows 8の改良版「Windows Blue」は今年後半にリリース(ITPro) itpro.nikkeibp.co.jp/article/NEWS/2… 明言はされていないが、スタートボタンメニューの復活とか、いろいろと軌道修正が行われる模様
正直、PCを買うのにわざわざOSの古いバージョンを指定して買わなければならないというのは異常なことだと思ってきた。Windowsが正常の道に復帰してくれるのなら、こんなに嬉しいことはない
長嶋・松井両氏 首相と夕食会(NHKニュース) nhk.jp/N47N63cZ ”長嶋氏と松井氏らは、午後6時すぎに公邸に到着し、渡辺恒雄球団会長らプロ野球・巨人の関係者も同席しています” 夕食会は結構だが・・・ナベツネの名前が出てるってだけで嫌な予感がしてくるぜ
近くて遠いドル100円、突破力不足のからくり(Reuters) jp.reuters.com/article/jp_col…
(1) 「円のトークダウン」が引き続き封印
(2) 追加緩和観測がしばらく出てきにくい
(3) 日本のマネー流出への期待が過大
(4) 最近の米経済指標が「まだら模様」
風疹大流行 ~遅れる日本感染症対策~(NHK クローズアップ現代 5月9日放送予定) nhk.or.jp/gendai/yotei/i… こういうのは感染症の問題というよりは、「リスク=確定損」という神経症(的思考)の蔓延の問題であるような気がする
どんな分野でも、またどこの国でもそうした神経症(的思考)は存在するはずだが、現代日本(社会)ほどそれが広く深く蔓延っている社会はそんなにないのかもしれない
そもそも現在の風疹その他の流行は今から20年以上前に無料の予防接種がなくなったことに端を発している
予防接種が無料でなくなったのも、べつに国がワクチン代をケチろうとしたからではなく、どんな予防接種でもごく小さな割合で副作用が重篤な症状に結びつく可能性がある、そのほんの小さなリスクを覆うだけの論理が国家にも社会にもなかったからである
それは以前はあったものが失われたというよりは、たぶん、もともとなかったのである(笑)。それがないのにある時期までは無料の予防接種ができていたというのは、原子力発電の場合とおんなじで「危険はない」という虚偽を公式に貫いていたからだ
もとから原子力発電推進派のわたしですら、福島の事故のはるか以前から、日本の電力会社なり政府の原子力政策なりが「危険はない」などという虚偽を主張することに反対してきた。個人的な知り合いの範囲でその関係者がいるときは直接そう言ったりしたものだ
けれどもどんな場合でも相手は首を横に振ったものだ。その言い分がどんなに正しくても現実にそのような言い分は通らないのだ、と相手の顔にそう書いてあるようだった
集団的にリスクを取らざるを得ない場合はウソで個々人を丸め込むよりほかにやりようがないということだ。そのウソが通じる間は何の問題もないが、通じなくなったら最後、集団的な意思決定から合理性が脱落することになってしまう
だから日本の社会はダメだとか絶望だとか言うのはたやすいし、実際わたしも時々言ってしまってはいる(笑)のだが、ダメをダメでなくするのに必要なことは、オーベー流のリスク思考をわが社会に定着させることなのかというと、それは違うのではないかと思うようになっている
オーベー流のリスク思考だって、それを集団的な意思決定とする場合は、結局どこかでウソをついているに決まっているからである。オーベー人が公式にものを言うとき、わが国だったらありえないような「驚きの白々しさ」の領域があると思う
あの白々しさと同質のものがわが国に定着するとか、定着させられる権威権力がわが国に存在しうると考えることは、少なくとも現在の時点では不可能ではないかとわたしには思える
だいたい百何十年と英語教育をやってきて、いまだに(例外的な少数を除いて)誰もまともに英語を喋れないのに、それより上位のレベルにありそうな「白々しさ」を身につけることができると、いったい誰がどんな根拠があって請け負うことができるのか。実質不可能だと言うべきである
では他にどんな(絶望ではない)道がありうるか。わたしの考えでは、ここで言ってる「ウソ」を、文字通り虚言や虚偽のこととする素朴な「ウソ」の概念で捉えるのではなしに、もう少し深い次元で捉えなおすことにあると思う
多少の語弊はあるにしても、ここで言ってるウソというのはつまり政治のことである。政治家はウソをつくのが仕事でありその専門家だと言ったら政治家はオコルだろうが、現にそうではないか
あっさり言えばわが国の庶民的な意識の伝統においてウソは素朴なウソ(文字通りの虚言)の概念しかなくて、政治のような概念はたぶん存在したことがないのである。実際、メディアや何かに政治家が登場してきて何か喋っているときにウソ以外の何かを言っていると感じたことは、わたしは一度たりともない
もしわたしが「どう言い繕おうとウソはウソではないか」と言い続けたとすれば、日本中のそう名乗っている政治家は全部ただのウソつきのろくでなしだとして内的に葬り去ることはできる気がする。だがそれは結構なことか、である
そういうのは「どう言い繕おうと放射性物質はたった1分子でも致命的な危険をはらんでいるではないか」とか「どう言い繕おうとタバコはたった1本でも(以下略)」というのと一緒である。そんな態度を肯定することは素人哲学の沽券にかかわることで、わたしは少なくとも自分自身に対して肯定できない
・・・ドル円にエントリする気がしないせいでつい気張ったことを考えてしまった。体調も悪いことでくたびれた。さすがに明日は休むわけにいかないので、そろそろ休もう
なんでそうきっぱり言えるかと言えば、ちょうどそのころアルバイトで原稿書きを始め、計算機プログラミング入門を書いたとき「スパゲッティ・プログラム」について解説したことがあったからだ
見出しに「スパゲッティ・プログラム」と書き、本文では開口一番「パスタではないぞ」と書いた記憶があるわけである
最近はスパゲティ・プログラムという表現自体もあまり見かけなくなった。プログラムにgoto文を──アセンブラならブランチ命令を──無造作に放り込んでいるうちに流れがこんがらがってワケがわからなくなった状態を指してスパゲッティと形容したわけである
それで、プログラムがスパゲティにならないように「goto文は使うな」などと主張することが当時の流行だったのだが、ハタチのわたしはそれを小癪に思ってgoto文を擁護するの一文を書いたのだった
それにしてもマジで調子が悪い。ここでこんなこと書いているのも、取引ツールの画面を見るのもしんどい、こんな状態でポジション取るなんて冗談じゃないといった感じだからだ
グーグル 最新“省エネ技術”を公開(NHKニュース) nhk.jp/N47N636E 「データセンターにとって省エネは個人情報の管理に次ぐ重要な課題であり、世界中の施設で電力の効率的な利用に」 ── 原子力発電所の再稼働と新設をGoogleに発注してはどうかと
米ロ シリア巡る国際会議開催目指す(NHKニュース) nhk.jp/N47N63AQ ── ”ロシアは直接的な利害は持っていないが、危険で根拠を失いつつあるかにみえるアメリカの地域戦略の尻馬に乗りたいとは考えていない” foreignaffairsj.co.jp/essay/201202/T…
わが国から眺める限りこれほどどうでもいい話はないくらいのことだが、(オーベー人やオーベーかぶれの人が言うところの)世界史の主線はやっぱりこっちの方なんでしょうな。わが国など埒外で結構だと言いたくなってくる。言っちゃいかんのだろうけど
理系だけど文転して哲学やりたい - Zチャンネル@VIP zch-vip.com/archives/27678… 心の哲学がやりたいのだそうだ
壊れゆく内田樹氏(池田信夫) ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51855… なんでも内田樹が「壊れゆく日本という国」というコラムを朝日新聞に載せて、それがトヨタやユニクロを悪玉扱いしているというので、池田信夫がそれを嘲笑しているわけである
確かにトヨタやユニクロを悪玉扱いするのは筋違いも甚だしいということにはなる。これらの企業がなくなっても日本は幸福にはならない。せいぜい個人的な怨恨から溜飲を下げるやつが何人かいるだけだろう
それはそれとして内田樹がそういうコラムを書いたり、朝日新聞がそれを掲載したりしているのは、題名の「壊れゆく日本という国」という文字列に相当する事柄ばかりは、事実そうではないかと思っている層が存在するからだろう
「国家」はともかく日本の「社会」が壊れている、これからもまだまだ、とめどもなく壊れ続けるだろうというのは、俺もだいたいはそう思っていることだ
もっともその兆候をどこに見ているかは人によって全然違うわけだ。俺に言わせれば震災以来反(脱)原発テロに肩入れしている内田樹も「崩壊」の一部だということになる
ただ好意的に解釈すれば、内田樹みたいな全共闘世代の人というのは、この崩壊を食い止めたいとか、できれば少しは立ち直らせたいとか、心の底では欲しているのかもしれない。で、その欲求に沿うように悪者探しを始めると、トヨタとかユニクロとかの企業がそれらしく見えてくるのではないだろうか
もとにあるのが欲求とか願望とかだから、それに沿って何か言い出せば、たいがいデタラメなことしか出て来ないというのは必然ではある
そういうのは簡単に確かめられる。たとえば相場のチャートを前にして、その値動きに自分の欲望やら願望やらを重ね合わせながらポジションを取ったとすれば、それはもう面白いように大損できることになっている
不思議と言えば不思議な話だ。株はともかく外為なんかは、まったくランダムに取引したとすればスプレッド以上の損はしないはずなのだが、実際には多くの人がそれよりずっと速くひと財産潰して撤退して行くわけである
朝日新聞の「オピニオン」欄に寄稿(内田樹) #BLOGOS blogos.com/outline/61817/ ←ここに朝日新聞に掲載されたものと同じ内容のものが著者本人によって転載投稿されている。あとで池田信夫の批判と読み比べてみようと思う
北朝鮮 食糧不足克服に「田植えの戦い」(NHKニュース) nhk.jp/N47N63IB 別に何てこともない、毎年のことらしいけどな→ 「戦争より農業」、脱北兵士が語る北朝鮮軍の実情(Reuters Apr.10) jp.reuters.com/article/mostVi…
内田樹のコラムを読んでみたら想像以上に心情ナショナリズムのコラムだったので少し驚いた ── ”今、私たちの国では、国民国家の解体を推し進める人たちが政権の要路にあって国政の舵を取っている。(略)たぶんこれが国民国家の「末期」のかたちなのだろう”
「国民国家の解体を推し進める人たちが政権の要路にあって」?本当にそうなら結構なことじゃないかと言いたいくらいの話だ
どうしてか知らないが内田樹の理解では国民国家という概念は最初から現代の福祉国家とそっくり同じ概念だったということになっているらしい。そんな無理なこと言うくらいなら率直に「経済のグローバル化は福祉を損ねるから悪だ」くらいのことを言えばそれでいいのではないか?
「iPadのような、タイピングできず、ドキュメントを作成できず、Microsoft Officeが使えないタブレットのユーザーの多くはいら立っている」とビル・ゲイツ氏(ITmediaニュース) itmedia.co.jp/news/articles/… ── しばらく見ないうちにえらい老けたな
確かにiPadでもAndroidでも、タブレットというのはどうしてかドキュメント作成に関してはどうしようもなく弱い。ユーザがプログラムを書くことも容易ではない
まあ「OfficeはPCで使えばええやん」ということになっているから、ということはあるのだが、最近の学生さんは大学生でもち・・・スマホしか持ってねえ、という場合も増えているようだからな
PCでもタブレットでも、昔のPC-98くらいの環境を再現しようと思うと、意外とできないものである。DOSとVZエディタとC/PASCALコンパイラと、あと1-2-3、というような
なんでVZエディタなのかというと、VZを常駐させておけばDOSのコマンドラインがAmigaDOS並に使いやすくなったからである
人によっては「FDもついてなきゃやだい」と言うかもしれない。FDというのはフリーウェアのファイル管理ユーティリティのことで、なぜか「ファイラー」と呼ばれていた(当時は何にでも接尾辞「er」をつけるのが流行りだった。今でも使われるのは「マヨラー」くらいか)
もっと昔は「ファイラー」と言ったらBABY MAKERとかの「バックアップ作成ツール(笑)」用の設定データのことを意味した。そんなことを覚えている人も今は少なくなったが
いまどきソフトウェアの権利保護がどうしたこうしたとしたり顔で語っている同世代がいたら、わたしならそんな人物は決して信用しない、というのも、当時あの手のツールの世話にならなかった奴なんていないからだ
インターネットの普及によってそうした「現実の裏側」はかえって見えにくくなったのかもしれない。インチキな建前を頭っから信じ込んでは、せっせと偽善を再生産している気の毒なワカモノが増えたような気がする
俺はどっちかと言えば、いや、実際にひどい世間知ラズなのだが、そのひどい世間知ラズでさえたやすく見取ることができる程度の裏側を知らないというのは、肝心なことが隠蔽されているために知る機会がなかったということとは、たぶん別のことであるはずだ
度が過ぎたお人好しで騙されやすいというのともまた違うと思う。本格的な詐欺師から本気で標的にされたら騙されないで済む人はまずいないように、普通の人は大なり小なりバカがつくようなお人好しなのである。それは時代や社会にかかわらないことである
たまたま身近なところで言えばこの、外為証拠金取引だってそうである。これは基本的に全部合法的な詐欺みたいなものである。それが「確実に儲かりますよ」と言わない限り詐欺にはならないのは、世の中の他のたいていの事柄もまた同じ程度の詐欺だからである
外為証拠金取引の説明書や契約書には「大きなリスクが伴います」と書いてある(法令で書けと定められている)だけましかもしれない。そんなことが書いてある労働契約も結婚契約もたぶんないだろうからだ
資本主義だ何だと言って、現実はそうした詐欺のかたまりみたいなものだから、そんな詐欺に基づかない生や社会を願望したり夢想したりすることを、わたしなら嗤わないし侮りもしない。ただ、そうした願望や夢想ばかりは詐欺を含むものであってはならないだろう
全く興味ない女と結婚した結果wwwWWwww??っっwzWW - VIPPER速報 | 2ちゃんねるまとめブログ vippers.jp/archives/70611… カタクチイワシか・・・魚のカタクチイワシは旨いけどな。アンチョビだぞアンチョビ
ふたつ前のリンク先の話だが、これが実話だとして、いいトシこいて2chにこんなこと書いてること以外は普通の人だと俺には思えた
ちなみに俺もこの>>1みたいに親から結婚しろとせっつかれたり、あげく一面識もない相手と話が持ち上がったことがあった。もう十年以上前のことだが
その経験から察せられる限りだと、断りきれなかったというのは>>1の人がいたって常識人だからだと思える。この人の両親もそうだと思う
『女性手帳』のルーツ!? 戦争中に発行されていた『体力手帳』に注目が集まる(ガジェット通信) getnews.jp/archives/335802 昔の人は手帳が好きなんだよ。米穀手帳とか母子手帳とかスパイ手帳とか
かく言う俺はいわゆる手帳は持たないが、紙の英和辞書とか「数表および公式集」のたぐいは常時携帯していたりする(仕事場を移ってからは常時携帯はしなくなったが)
「心のノート」のときもそんな話があったが、こういうのはなんで最初から電子メディアでやれという話にならないかな。「心のノート」は後からそうなったが
Web上の電子メディアにすると、閲覧数が伸びないと「そら見ろ無駄ではないか」と言われるからだろうかな。紙だったら刷って配ってそれなりけりという顔ができるからな
これもたぶんマスメディアが煽っているだけだろうが、最近はスパゲティ・ナポリタンのブームなのだそうだ。そうかねと思ってあちこち眺めていたら「スパゲティのことをパスタと呼ぶようになったのはいつごろからだ」と問うている人がいた。遅くとも1984年にはそうだったと答えておく