惰天使ロック

原理的にはまったく自在な素人哲学

5月2日(木)のつぶやき

2013年05月03日 | miscellaneous

結局、今日(6時までは今日)はドル円の97円割れはなさそうだ。それはいいけど、昨日の朝に置いた97.0と97.7のどちらも、ついに一日中刺さらなかったというのが笑える


あー、あとはドル円の5日連続下げ達成なるかというところだな。いまんとこマイナスだが、さっき(FOMC発表後)一瞬プラ転していたくらいで、その幅は小さい


それにしても97.0の壁の固いこと。これも100.0の壁と同じで、オプションバリアがどうこうと説明する人がいるのだが、正直俺はオプションバリアが何なのだかよく判っていない。それが判らなくても相場の上の機能は見たまんまだからとりあえず困らないが


”例えば通貨オプションにおいて、100円が権利行使価格のドルコール円プットオプションで105円にノックアウトが設定されていたとすると、105円が付いた時点で100円でドルを買う権利が消滅し、この時の105円という水準がバリアーとなる” ifinance.ne.jp/glossary/deriv…


こういう説明は検索すればいくらでも出てくるし、字面上の意味は判るのだが、通貨オプションを直接いじくり回すということはやらないので実感がわかない


”バリア・オプションとは原資産価格がバリア価格に到達すると権利が発生(消滅)するオプションのことをいう。権利が発生するのは「ノックイン」、消滅するのは「ノックアウト」オプションという。バリアは「シングル」と「ダブル」がある” ifinance.ne.jp/glossary/deriv…


そうか、俺が昔ブラック・ショールズ式とかベンキョーしていた時はシングル・バリアのオプションしか扱っていなかったな


シングルだけでもコールとプットの組み合わせでなんぼでも複雑になりうるわけで、直接いじりもしないものを式の上でいじっていてもワケがわかった気がしないというのが実感だった


当時はオプションの値つけ(pricing)問題を準乱数を使ったモンテカルロ・シミュレーションで解くのが金融工学の流行りだった。母校のキャンパスで、それ関連の論文発表会が告知されていたのを思い出す


準乱数はもっと昔、CGでフラクタル地形を描かせたりするのに使ったりしたことがあったから、その点で馴染みはあったものだが、モンテカルロ・シミュレーションに使って収束を早くするというのは面白かったな


CGで遊んでいたころの俺は大学に戻る前で、計算機屋らしく微積分が苦手だった(笑)から、モンテカルロ法と言っても素朴なやつしか知らなかった。またものの本にもそれしか書いてなかったしな


・・・本当に書いてなかったかどうかは記憶が怪しい。俺が最初にその手のハナシを読んだのは中学生のときで、たまたま田舎の本屋で見つけた「乱数とモンテカルロ法」(森北出版,1978)という本からだった morikita.co.jp/books/book/68


中学生がそんなもん読むのかと言って、ゲームのプログラムを書くのに乱数発生アルゴリズムの知識はものすごく重要だったわけである。あとは言語処理系(コンパイラとかインタプリタ)とかでハッシュ関数を構成するのにも役に立った


当時は8bitCPUの時代だから、ハッシュ関数ひとつでも計算量と品質がことのほか重要だった


インテル系のCPUに固有の命令でビット回転命令というのがあるが、それを利用するのが一番速くて品質もよかったことを思い出す。いま思えば、あれは自然なM系列になっていたのだろう


粗悪な乱数の品質を改善する最も簡単で効果的な方法は、系列上で隣接する値のXORを取った系列を使うことだ、というのは「乱数とモンテカルロ法」で教わった。今でも(メルセンヌ・ツイスタのライブラリが手に入らないとか、ソースから移植すんのも面倒くせえやという状況で)たまに使う


今の工業系学校で教えてるか知らないけども、「均一でブレのない長直線を引くには、定規の使い方はともかく、ペンを持った手ではなく、腰で引け」と教わった。練習すると0.5mmのシャーペンを0.5mmピッチで引いて塗りつぶせる。何か役立つか?(笑)‥美しい線を引ければ美しく鋸を引ける。

celsius220さんがリツイート | 2 RT

俺は大学は理学部だったので図学の講義や実習はなかった。製図は中学の技術家庭でやったきりだが、「腰で引け」というのはうっすら記憶に残っているな


学校荒らし事件報道 「格好いい」発言の古市憲寿氏、以前は「格好悪い」発言で話題に(ldnews) news.livedoor.com/article/detail… まあ優等生ってのはこういうものだ。俺も他人のことは言えないな


そういう統計があるかどうかは知らんけど、大学のセンセイ達にアンケートを取れば、おそらく世間はびっくり仰天するくらい尾崎豊のファンが多いということになるはずだ


古市センセイの言い草は確かに軽率の誹りを免れ難いものではあっただろう、が、俺なんかはさっきのリンク先の記事で、この発言のあとtwitter上に「単純に、やっていい事か悪い事か、その一点で論ずるべきではないだろうか?」とかいう批判が出てきたということの方に不愉快をおぼえる


何で不愉快になるのかって、それはもう、地下鉄サリン事件の後で吉本隆明がオウムについて発言したときのことを思い出すからだ。吉本もまた「単純に、やっていい事か悪い事か・・・」式の反発を食わされたわけだ


この世にやって悪いことなどそんなにたくさんはない。ひょっとしたらひとつもない、かもしれない。ただ、もしやれば叱られたり、ケーサツにタイホされたり、スマキにされて川に流されたりするようなことは、数えきれぬほどたくさんあるというばかりだ



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