惰天使ロック

原理的にはまったく自在な素人哲学

5月25日(土)のつぶやき その5

2013年05月26日 | miscellaneous

辞書を引くのはよい習慣だ(現場には辞書すら引かない奴がいくらでもいる)が、自分の知らない専門用語を無理して英訳されるとかえってコマル。そういうのは正直にローマ字でつけてくれた方がまだ助かる


自分も含めて日本人の英語能力がいかに惨憺たるものであるかは、プログラマの世界にいると一番よくわかる。変数名やコメントの英語がどれだけ間違ってても計算機にとっては何の支障もないもんだから、どいつもこいつも遠慮なく間違い放題だ



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5月25日(土)のつぶやき その4

2013年05月26日 | miscellaneous

まあガンと違って、たとえば俺の身近ではAIDSを発症した人とか、亡くなった人とかはいないわけだが・・・


"# include <stdio.h> /* おまじない */"…なにこれ?まさか意味理解してないわけじゃないよね?

celsius220さんがリツイート | 18 RT

初心者にC言語を教えるとき、いの一番にそう言って教えない人を俺は知らない


もっとも、その冒頭の一行にわざわざ「おまじない」とコメントを書く人は、いま初めて見たww この兄の人はすごく律儀な人のようだ


そう言えば最後にstdio.hのナカミを見たのは何年前のことだったろう・・・VCなら右クリックから簡単に開けるのでいつでも見られるけど


limits.hとかmath.hとか、あとsys/types.hとかは内容をよく忘れるのでたまに見るのだが、stdio.hはさすがにほとんど見ないな


思えばincludeという英単語を覚えたのはここからだったような気がするが、そうすると俺は高校生の間はずっとincludeという単語は覚えてなかったということになるなw


おんなじようなことでinstallという単語を覚えたのも市販のアプリケーションがたいがいMS-DOSアプリケーションになってからだった。フライト・シミュレータで遊んでいたのでstallという単語は覚えていたのになw


installという単語を覚えたとたん流行ったのがdire straitsのmoney for  nothingで、「we've got to install microwave ovens」というのを一発で聴き取れたときは感動したw


ヘレン・ケラーの人が「water」という単語を発した時の感動というのはこれだったのだろうなと思った。英語がアタマに直接響いてきたのは、しかし、あの時くらいだったかもしれない


・・・いや、もうひとつあったな。SWのエピソード6でハン・ソロがランドから「Good luck!」と言われて「You're gonna need it」って返したときは素で笑えた


「good luck」には「I'm gonna need it」と返すのが決まりで、それがあそこでYouに化けているのは、ソロがああいう不遜な性格の上に、ランドはもともとギャンブラで、つまらぬことでも縁起をかつぎたがるという背景設定があるからだ


映画の方ではそれらしい描写はほとんどないのだが、ノベライズの方にはランドの縁起かつぎの描写がしょっちゅう出てくる。デス・スターに突撃する直前にもコクピットの端の方を2,3度ぽんぽん叩いて「これでよし」なんて


今ググっていて初めて知ったが、こんなのがあるんだな ── #StarWars E-Card | Good Luck. You're Gonna Need It starwars.com/play/ecards/oc…


最近sky.fmに「80's dance」というチャンネルが増えたのだが、勝手リミックスみたいな時間帯があって、かけっ放しにしてるとほんとに80年代が戻ってきたような気分にならないでもない sky.fm/play/80sdance


・・・にしても、ストックホルムのよく判らん暴動は、日本のマスメディアはほとんど報道しないな。いくらほとんどの日本人にとってはどうでもいい事件だからって、NHKなんかWebでは完全無視だ。ほかにたいしたニュースもないのに徹底し過ぎな気がしなくもない。何かトラウマでもあるんだろうか?


よく判らないなりに調べていると、まあ、北欧で暴動なんかが起こるというとやはり移民社会絡みであるらしい。こういうのは無関係なわが国が触っちゃいかんという不文律でもあるのかもしれぬ


そんな不文律は、しかし、ついこないだまではなかったよな?


どうせうちにはテレスクリーンはないし、NHKのお家事情にそんなに強い関心があるわけでもないのだが、何かは起きているのかもしれない。実は報道の連中がたいがい株と外為に手出してて、ここ数日で軒並み大損こいたとか、そんなことかもしれないわけだがな(笑)


友永詔三『NHK連続人形劇 プリンプリン物語 メモリアル・ガイドブック』(河出書房新社) kawade.co.jp/np/isbn/978430… へえ、こんなものが


この本のことはさっき小谷野敦のTLを眺めていて知ったのだが、小谷野氏が貼っているリンクが某ネット書店のものだったので、それを避けて版元のページのリンクにした


唐突だが、今朝何となく思いついて、書こうか書くまいか迷っていたが、結局不謹慎すぎて全部は書けない狂歌の下の句だけ ── ベノワのごとく死にて見せなむ


もちろん啄木の「伊藤のごとく」のパロディなのだが、我ながら不謹慎なのと、さっき調べたらベノワの死因が実は慢性的な外傷性脳損傷ではなかったかという説があるのを初めて知って、上の句はやめることにした ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF…


クリス・ベノワは日本の団体にも在籍してペガサス・キッドのリングネームで親しまれていた。その後移籍したWWF/WWEでは数少ない、本物のレスリングをやって人気を博した実力派だった。その死は悲劇的としか言いようがないものだったが、わたしにとっては今も尊敬するプロレスラーだ


お兄ちゃん、関数や変数の名前をローマ字でつけるのやめようよ。辞書引こうよ…

celsius220さんがリツイート | 9 RT


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5月25日(土)のつぶやき その3

2013年05月26日 | miscellaneous

年に一度のこととは言え面倒くさい


お兄ちゃん、コードの速さにこだわるのはいいけどそれ誰がメンテするの?

celsius220さんがリツイート | 1 RT

そら俺がメンテするのに決まってるさ。俺が急死したら国家体制もちょっと危うくなるところがあるぜ、なんてなw


まあ俺が書いたところはそのあと十倍以上の費用をかけてリプレースしているだろうから、実際はそんなことにはなるまいがな。Count your loss when I'm gone!


サイバー攻撃で文書流出 農水省、次官ら8人処分(MSN産経) sankei.jp.msn.com/affairs/news/1… そう言や、今朝方このニュースをファミレスの新聞(読売)で読んだが、笑ったな。べつにゲス顔でもなくてな。いやあ暢気なもんじゃないかってさ


読売の記事だと一応民間のセキュリティ業者が入ってて、実際何度も警告を出していたのに、一向にナシのつぶてで無視された、なんて書いてあったな


情報セキュリティの重要性を無視するつもりは毛頭ないけど、だいたいどんなことが起きていたのか察しはつくぜ。情報セキュリティなんて言って、最後は結局エンドユーザを脅して回るだけなんだからな。民間企業でそれなんだから、役所でやったら偉いさんが心底で反抗しばじめるに決まってるのさ


なんでか知らないけど、むかし「ハイテク」と呼んでいたものが「IT」につけかわるようになって以来、万事がこの調子だ。パソコン屋が苦心して発見したり掘り起こしたりしてきた「エンドユーザ」の概念をまるで最初からなかったもののように扱うようになった、それが全部さ


つべこべ言ってもパソコンがなくなるなんてことはないだろうと、以前は思っていたのだが、だんだんそれも怪しくなってきたな。そのうち、バカ高い料金払って電電公社のホストコンピュータにお伺いを立てなきゃ、つまんない計算ひとつできない世の中が再びやってくることだろうぜ


たまたま昨日その、昔の電電公社のプッシュホン計算サービスのことを調べていたわけだ。懐かしさ半分でな。そしたらあれが「クラウドコンピューティングのはしり」だなんて言ってるバカがいたりするわけだ。バカというか、言われてみりゃそうも言えないことはない。まったく悪い冗談だと思ったな


だいぶ前に分散システムのエンジニアと話をしていてつくづく思ったことがあるわけだ。こいつらのアタマの中といったら「ホストコンピュータと端末」の時代のまんまじゃねえのかって。あんまりじゃねえかと思ったからつい口に出してそう言ったらキョトンとしていたよ


ある意味じゃむかし、母校の「オペレーティング・システム論」の講義で講師が言ってたことが逆の意味で予言成就しつつあると思うわけだ。その講師が言うには、計算機構成の時代変化は機械と人間のコスト比率の変化に沿ったものだと


機械の方がずっと高価だった時代は大型計算機のホストコンピュータと、あとは脳なしの端末がぞろぞろ、という構成が最も効率が良かった、それが人件費の方が上がってくるにしたがい、PCとその網状組織(ネットワーク)に置き換わっていったのだと


嫌なこと言う野郎だなとは思った(笑)その見方をすればその見方なりに計算機の歴史におけるPCの出現と席巻を必然的なものとして眺めることはできるわけだ。嫌な話だというのは、その図式の上ではどっちみちユーザの人間は「コスト」としてしか登場しないししようがないということだ


その後味の悪い講義から十数年経ってみると、人間のコストは再び限りなくゼロに近いところまで下がりつつあるので、それが「クラウドコンピューティング」と看板だけつけかえたホストコンピュータと脳なし端末の世界の再到来に帰結したというわけだ


これぞ計算機科学の勝利だなんて言ってどや顔をする側に、俺はつきたくないけど、してる奴はたくさんいるんだろうぜ


中学生の俺だったら「せっかく1984の悪夢が遠ざかったと思ったら、思いがけない方向からまた舞い戻ってきやがった」と思って反抗心をつのらせたところだと思うが、さすがにこのトシになって同じことは思わない


誰かさんがしつこく言ってる通りのことで、グローバリズムに反発する心情は心情として当然かつ正当な心情だというべきだが、こうした反動的趨勢が心情的反発で打ち破られるということは絶対にありえない、あったとすれば相対立するものどうしの共倒れに終わるだけだということだ


あとは、俺は、これはこれでやはり、どや顔して言いたくないというだけだ


Duran Duran - White Lines (1995): youtu.be/VmIN9ulmy-E こういう、太ってない時期のサイモン・ル・ボンのカッコ良さは異常


@hiroco2003 シチューなんてカレーの2Pカラーじゃんよ、とハヤシが言ってました


@hiroco2003 基底状態だろうと励起状態だろうと電子は電子ではないか、と言ってみる


@hiroco2003 いや、そこまで言うつもりはなくて、励起状態の電子が基底状態に対して抱く寂しさとは何だろうと想像した(が、わからなかったw)


@hiroco2003 そう思った瞬間から基底状態の方は「どこへ行こうとロバが馬になって帰ってくるわけではない」という嘆きを持つだろう、と


エイズ患者と感染者 2万人超(NHKニュース) nhk.jp/N47e6E1D 「エイズは早い段階で治療を受ければ発症を抑えることができるので、検査を受けてほしい」 ── なんかAIDSもガンとおんなじような扱いになってきたような気がするのは俺だけか



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5月25日(土)のつぶやき その2

2013年05月26日 | miscellaneous

それは裏を返せば、計算機プログラミングに携わるということは、いついかなる場合でも、この世のあらゆる現実とかかわっているということにほかならない。こんな仕事は他にはないと言うべきだ


たとえばクルマのことを考えてみれば、クルマはもちろん機械であるし、それと同時に現実の道具でもあるわけだが、機械としてのクルマはどうひねっても機械一般のモデルにはならない。それは裏を返せば、クルマのかかわる現実も自然な限界をもつということを意味している


つまりどうひねってもクルマとは無関係な現実というものが確かに存在すると思える。それは一方で制約でもあるが、クルマのエンジニアにとってみれば、考慮しなければならない現実の範囲は最初から限定されている(ずいぶん大きな限定ではあるが)ので話が明確になりやすいという利点もある


計算機屋の仕事はそんな風にはならないし、たぶんなってもいけないのである


もうひとつ対比的な例を挙げると、その基礎原理のうちにすべての機械を含むと言ったら、そもそも物理学が一番詳しくてはっきりしているわけである。機械ということを一番正確に理解したいと思ったら物理をやるに限るわけである


けれども物理学というのはここでいう意味での「現実的な視点」を最初から放棄している。だから機械の方は無限に詳しく理解できる一方で、そもそもその教科書には「人間」の項目すらないということになってしまう。人間のかかわらない現実という概念は成り立たない。だから物理にそれは存在しない


計算機の方はどうかと言ったら、「人間」がいなかったら計算機というのは意味がないわけである。純粋な機械としての計算機はあっちをゼロにしたりこっちをイチにしたりするだけのもので、それ自体として何の意味も持っていない。意味を与えているのはそれを使う人間様であって、それ以外ではありえない


で、こうしたことは、現実の計算機を構成するすべてに大なり小なり及んでいる。たとえば「オペレーティング・システムとは何か」ということを理解するのだって、機械的な視点と現実的な視点をふたつながら行使して、そのふたつとも(後者は「可能な限り」)満たすように理解しなければならない


どんな場合にもそこにあるのは機械の動作だけだし、プログラムとして書くなら機械の動作として記述しなければならないが、その意味内容を根拠づけているのは常に世界の全現実であって他の何かではないという風に、計算機を扱うということは常にそうしたことになるのである


つまり計算機屋は、最小限のことで言っても、この世界について、それがない場合にはちょっと思いつきもしないような捻った(念のため言えば「捻くれた」ではない)見方を強いられているんだ!(集中線)でもあるし、そこから現実についての違った見方を産出できるユニークな立場でもある


だいたいそんなところが、実際たいして儲かりもしないのに(笑)計算機屋をやるということの、かろうじてできそうな意味づけであり、誘いでありということになるような気がする


儲かる儲からないのことで言ったら、いますでに儲からないし、これからもっと儲からなくなる(ハッテン途上国や最貧国の給料しか払われなくなる)可能性が高いわけで、どうかするとそう遠くない未来に、職業的な計算機屋はわが国からはいなくなるかもしれない


そんな絶望しかない仕事にワカモノを引きずり込みたい願望をわたしは持っていない。嫌になったらさっさと見切りをつけて、仕事としてはやめてしまうくらいであってもらいたいと思うし、何だったら最初からやらない(笑)に越したことはない


だったらお前は何しにやっているのだと問われたら、だいたいここで書いたような魅力が計算機にはあって、その魅力は(仕事でさえなければ!)結構まだまだ尽きないと感じているからである、少なくとも現状ではそうだと答えることになると思う


ちなみに、「多様性」は英語で"diversity"といいます。よく英文に出てくるんで高校生は覚えておくように。

celsius220さんがリツイート | 8 RT

こんな単語はガメ暗記しないでE.O.ウィルソン「生命の多様性」(原題The Diversity of Life)を読もう。文庫になっとるし、エコ嫌いの俺でさえ認める数少ない「エコロジー」の名著のひとつだ


訳書が出たとき母校の図書館に「さっさと入れんかいボケェ」と依頼して入れさせたアカウントがこちらになります(笑)


ていうか、当時すでに世の中には「多様性厨」がうざいほどたくさん出現しつつあったのに、そもそも多様性の語を世界に広めた震源地みたいな本の訳書が、なぜかあんまり話題にもならないということに、当時のわたしは苛立ったのである


ウィルソンという人は割と何やっても物議をかもしてしまう人で、そもそもその名を知らしめたのがあの「社会生物学」(Sociobiology)だったわけである。たぶんその悪評が尾を引いていたのである


確かに英語文献ではdiversityという語はidentityとかunconsciousとかと同じくらい、いやそれ以上にどんな分野でも頻出する語彙になっているが、もともとの文脈を逸脱して使われることにおいてこれらと同じくらいひどい(笑)という語である


そういう意味でもDOLを(もちろん訳書で十分だ)読んでおくと、オーベー人というけどこいつらも(ほんとの専門家でなければ)相当いい加減だし、すぐ底が割れるようなインチキなことばっか言ってるぜ、というのがよくわかるのである(笑)


田舎の優等生はハイカルチャーコンプレックス強いからな―。

celsius220さんがリツイート | 1 RT

お前さん他人のことが言えるのかよ、とツッコミを入れてみたくならないでもない


田舎の優等生がせいぜい東京の大学に入って、そのうち田舎に帰ってきては、地方文化人面して劣等感複合を再生産するという図式はみっともないものだが、我と彼の何が違うんだといったら、本当はさっさと東京から帰ってきたか、しつこく粘って帰らなかったかの違いくらいしかないかもしれない


エアコンのフィルタ掃除完了、じゃすとなう



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5月25日(土)のつぶやき その1

2013年05月26日 | miscellaneous

…せっかくだからモリヤステップ素材で作ってみました。 / KamS(2:20) #sm20947822 nico.ms/sm20947822 別人の作った素材を「モリヤステップ」の本家KamS氏が半日でジェバンニしてみましたという作品。こういう例はあるようでなかなかない


僕は日本国憲法の前文が好きで、あれをなんども読んで、理解が進むたびに、なんか日本人からずれて来た感じはしてる。

celsius220さんがリツイート | 7 RT

わかるような気がする、というか、あの前文が好きだという人がめったにいない。俺は好きだし、何度も読んでるつもりだが、日本人からズレて来たという実感はないから、つまりはまあ、俺はまだまだなんだろうなww


@hiroco2003 結果的に東京はそんな揺れなかったが、一瞬身構えるほどの変な揺れだったよ twilog.org/fahrenheit428/…


「めまいのような地震だった」というのが本当にぴったりだと思ったので、それをRTして自分では書かなかった。一瞬、全体が大きくぐらっと揺らいで、そしてそれっきりだった


震源と規模が詳細に発表されるまでは「北海道と秋田で震度3」としか表示されていなかったのも異様だった。深さ590kmとM8.3というのでやっと納得が行った


米国の竜巻のニュースを7時のニュースでえんえんとやってると、なんか意味がわからなくなってシュールな気持ちになる。バングラデシュのビル崩壊とかはあんなにこってりやらなかったのに。

celsius220さんがリツイート | 8 RT

バングラデシュの方はどう見ても人災、竜巻の方は自然災害だったからだというのが一番簡単な説明になるような気がする。自然災害なら日本人は我が事と思えるが、他国の人災を我が事と思うのは難しい


法律に限らず人為的な制度一般について本当は全然リアリティを持っていないということだ。その媒介をいくつも経なければ他国の人災を我が事と思うことはできない


ひょっとするとJ・R・サールのCSRやMSWがいつまで経っても翻訳出版の話が出て来ないというのもそれが理由かもしれない。評価はどうであれ、あれは「社会制度の言語哲学」だから


それはともかく、この説明だと何が一番苦しくなるかというと「じゃあ我々の持っている『日本』とか『日本人』の感覚は何に由来しているのか?」ということだ。オーベーの哲学ならそれは何かの制度に由来するというはずだが、我々にとって制度は虚偽だ。ならば別の何かでなければならない。それは何だ?


もちろん俺にはよくわかっていない。ただそれを理解することが可能であるとしたら(不可能かもしれないのだが)必要なのは、制度という次元のもうひとつ上の概念だということだけだ


それが成り立てばオーベー流の制度も、我々が持っているこの何だかわからない「空気」も、両方とも相対化して考えたり判断したりすることが初めて可能になるわけだ。もちろんそんなグワイのいい上位概念が設定可能かどうかは別問題としてだ


ここしばらく仕事上の課題として似たようなことを考え込む羽目になっているせいで、この手の話にはどうしても反応してみたくなる


どんな課題かと言えば単純なことで、だいたいずぶの素人と言ってよさそうな(と聞かされている)新入社員の人達にプログラミングを教えてやってくれと言われているわけである


一般的に言えばプログラミングなんて教わるものではないわけだ。自分だって誰かからそれを教わったなんていうことは一度もないと言っていいくらいなのに、そう思っている自分がどうして他人に教えることができるだろうか


そう考えると単純に無理なことを求められているという結論にしかならないので、少し考え方を変えて「どうして」ではなく「何を」教えることができるだろうかと考えてみている


それだってそんなに容易な話ではない。単純に経験だけでは身につかないと言えるようなことでも、たいていのことは本に(あるいはWebのどこかに)書かれているから、それを買うかググるかして読めばいいわけだ。それを読んで理解できないことは、耳から聞かされたって理解はできないというべきだ


もう少し気楽に構えて「まあ、計算機プログラミングはやってみると面白いもんなんだ」というようなことで、ちょっとそそのかすような興味深いことを話せばいいのだということも、昔だったら言えたのだが今は言えない


なぜ言えないのかって、計算機プログラミングに関する一般的な現実がそういうものではなくなってしまっているからだ。特殊的な現実としてならかろうじて成り立つが、そんなもの他人と共有することはできないし、共有できると思うこと自体が間違っているわけだ


一般的な現実の方は、考えるだにゾッとするから考えたくないと言いたいくらい退屈なものでしかない。これほど人をバカにした種類の仕事は世の中にそうそうあるものではないよと思う


そう思ってげんなりしているうちに、「ああ、じゃあこれを話そうか」という気になってきた(笑)それを仕事と見なしたら最後、アホらしくて勉強さえする気にならないのだから、仕事を超越した次元に自分を置いて、実際の仕事はその一環というか、残りカスとしてやれ(笑)、というのがまずは秘訣だ


そんなことを言い出す計算機屋は世界広しといえども俺以外にはそんなにたくさんいるわけがない(笑)今ここでバラしたって口真似しようと思う奴がまずいないだろうと思えるからバラして平気だ


これがさっきの社会制度云々の話とどこでどうつながっているのかを言うのは厄介だが、つづめて言えばこんなことだ。計算機と計算機プログラミングということを体系的に理解するために必要なふたつの視点が存在して、ひとつは機械的な視点、もうひとつは現実的な視点だ


それは何だってそうじゃないかと言ったら、それはそうなのだが(笑)計算機の場合に特にそれを意識する理由は確かにあって、計算機プログラムは任意の機械の抽象だということだ。つまり計算機の基礎原理はあらゆる(可能な)機械をそのうちに含んでいる



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