惰天使ロック

原理的にはまったく自在な素人哲学

さあ読め、サールの新刊だ +preface (ver.0.1.1)

2010年01月24日 | MSW私訳・Ⅰ
とりあえずリンクだけ貼っておく。
Making the Social World: The Structure of Human Civilization
John R. Searle
Oxford Univ Pr (T)
Amazon

・・・というのも何だから「Preface」の部分だけ軽く訳してみたものを掲げてみる。もとより訳文の正確さ等々については一切保証しかねる。感想は読み終えてから書くことにしたい。

本書は、人間社会における制度的な現実の存在、その基礎的な本性(nature)および様態(mode)を説明する(哲学者が本質論(essence)および存在論(ontology)と呼ぶものの)試みである。扱われている題材の一端を挙げると、国家(nation-state)、貨幣、企業、スキー・クラブ、夏休み、カクテル・パーティ、アメフトの試合、等々である。本書はこれらの存在の様態を扱う。社会的現実の創造・構築・維持における言語の役割について厳密な説明を試みる。

本書における議論は、旧著「社会的現実の構築*」の議論の流れを引き継ぐものである。社会的存在論の当惑させる特徴に光を当てるひとつの方法は、我々の社会的現実に対する理解にひそむ明らかな矛盾を指摘することである。我々は社会的事実について完全に客観的な文(statement)を作ることができる。たとえば「バラク・オバマは合衆国の大統領である」「わたしの手の中にある紙切れは20ドル札である」「わたしはイギリスのロンドンで結婚した」等々。これらは客観的な文であるが、しかし、これらの文に対応する事実はすべて人間の主観的な態度によって作り出されたものである。真っ先に問われるべきなのは、主観的な意見から作り出された現実の事実について、我々はどうやって客観的な知識を持つことができるのか、という矛盾である。わたしにとってこの問題が非常に魅力的である理由のひとつは、これがはるかに大きな問題の一部だということである。大きな問題というのはつまり、我々人間に特有の特徴についていかに説明を与えるか、ということである。心を持ち、合理的であり、言語行為(speech-act)をなし、自由意志を持ち、社会的・政治的な人間存在が、それとはまったく違う、心のない、意味もない、物理的な粒子で構成された世界の中にあることはどのように説明できるのだろうか。この問いに答える上で複数の異なる存在を立てることは避けなければならない。つまり「精神と物質」の二元論、もっとひどい場合は「精神と物質と社会」の三元論などを、である。我々はただひとつの現実について語る。人間の現実がいかにしてひとつの現実性に適合するのかを説明しなければならない。

本書ははじめに社会的存在の一般理論を与えたのち、個別の問題への適用を試みる。政治権力の本性、普遍的な人権、社会における合理性の役割などである。

* Searle, John R., "The Construction of Social Reality", New York: Free Press, 1995.

この「社会的現実の構築」も未邦訳なので原書のリンクを貼っておく。ペーパーバックでもいくつか版が存在するが、これが一番お安いようだ。
The Construction of Social Reality
John R. Searle
Penguin Books
Amazon

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