さっき吉本の対談集を本の山から発掘したとき、一緒に中桐雅夫『会社の人事』(晶文社,1979)も発掘したので、なんとなく引用し続けている
「絶対、次期支店次長ですよ、あなたは」
顔色をうかがいながらおべっかを使う、
いわれた方は相好をくずして、
「まあ、一杯やりたまえ」と杯をさす。
「あの課長、人の使い方を知らんな」
「部長昇進はむりだという話だよ」
日本中、会社ばかりだから、
飲み屋の話も人事のことばかり。
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やがて別れてみんなひとりになる、
早春の夜風がみんなの頬をなでていく、
酔いがさめてきて寂しくなる、
煙草の空箱や小石をけとばしてみる。
子供のころには見る夢があったのに
会社にはいるまでは小さい理想もあったのに。
(中桐雅夫『会社の人事』)
終身雇用のホーカイとかでこの詩に描かれたサラリーマンの風景も次第に現実のものではなくなりつつある。「飲み屋の話も人事のことばかり」どころか、そもそもその「飲み屋の話」が消失しつつあるわけである
そんな風に、この詩が書かれてから35年でずいぶん変わってしまったわけだが、しかしこの詩の最終2行だけは今もってちっとも訂正を要しないように思えることである
やれやれだな。チャウシェスク時代のルーマニアより悪い教育体制に、今じゃ禁煙ナチスまで突出しているのか。まあ首都圏だってたいして状況はよろしくないわけだがな
だから、〈驚く〉って大変なんです。〈驚く〉くθαυμάζειν〉ということが哲学の始まりだと言ったのはプラトン、アリストテレスです。だからロボットは哲学ができない。驚くということは高度な行為なのです。(新刊290頁)
これはまったくその通りなのだが、こういうことだけを言っててもロボット屋は納得してくれないんだよな。よくも悪くも工学なんで「じゃあ〈驚く〉ロボットを作ろう」って言い出すのよ(笑)
本当にそうだからな。やるつったらちゃんと大真面目にやるわけなんだ。まず「驚く」とはどういう機能かの定義から始める(笑)頭から定義しないとすれば、まず認知神経科学やそこらの文献を洗って「驚き」についてのサーヴェイをやる
必要とあらばD・デネットあたりを中継してハイデガーまで参照しちゃう。ハイデガーでも何でも徹底して機能主義的に読み解いてしまうんだから途轍もない。そういう場に居合わせると口をはさむ余地もない感じになってくる。こいつらのアタマん中は一体どういうことになってんだと思って唖然とする
ジャイアンの人は一言「アホ」と言って済ませるんだろうがね
もっともそういう無茶をやっててもロボット工学の人達がそんなにアホかと言ったら必ずしもそうではない。「つくる」ことが主眼なんで、つくったものが本物なのかシミュレーションなのかについてはあまりこだわらない(笑)
だからよほどアタマのイカレた研究者でもない限り「爆発のシミュレーションは爆発ではない」と言えば「おう、それはそうだな」くらいの同意は返ってくる
「いかにもヒコーキは鳥ではない。それは『鳥のように空を飛びたい』人間の夢をかなえるものではない、が、別にいいじゃないか、とにかく空は飛べるんだよ(笑)」というような、どっかプラグマティックな割り切りに開かれているところが工学には存在する
そういう健全性のようなものが工学にはあって、下手なスコラ哲学よりはよっぽどましな何かだという風には、必ず見えることになっている。ただの学生でもしばらくやってると「『人間は機械ではない』確かにそうだが、どうしてそれがそんなに重要なことなんだっけ?」と自問する羽目になる(笑)
実際、そういう風に思えてくるところがあるわけだ。いかにも人間存在は機械ではない、けれども、ほとんど機械じゃないかと言おうと思えば、それはそれで言えてしまう
お金で買えないものはあるかもしれない、たぶんあるだろう、けれども、人間が生涯でかかわるたいていのものはお金で買えるというのも事実だ。だったら(わずかだがあるには違いない)買えないもののことは忘れたふりをしたとしても、生涯はたいして困らないのではないだろうか?
その種の問いをとことんまで自分に突きつけたとして、最後まで「いや、決してそうではない」と(けちくさい倫理に依拠せずに)言い切れるとしたら、その(けちくさくない)根拠は何だということになるのだろうか。これは、そんなに簡単な問いではないはずだと俺には思える
それはまあ確かに日常のあらゆることが機能主義的な事物で埋め尽くされたとしたら、それはさぞかし味気ない日常だということになるだろうが、でもまあ、そんな感傷は帰りにローソンでからあげくんでも買って帰れば容易にかつ十分に慰められてしまう程度のことではないのだろうか(笑)
他に何があるんだ、あるんだったら言ってみろと詰め寄られて、ぱっと答を言うことができる専門哲学者は、世界中でもそんなにはいないのではないかと時々思う
ちなみに素人哲学は最初からその答を持っている。何のことはない、タバコを一本取り出して「これはどうしてくれるんだ」と言えばいいだけである
幸か不幸か(たぶん不幸なのだが)現代は答だけならタバコ1本で示してしまうことができるのである。それが究極の問いへの答だということだけは、どんなバカでもど素人でも、タバコを吸う習慣さえ持っていれば示せるのである